3-2
セドリックが来訪したのは、遠征軍が陣を敷いた翌日の午後だった。
扉を開けて入ってきたセドリックを見て、セレスティーヌが目を見開く。
「何があったのですか!?」
セドリックが着ていたのは、ダークグレーのシャツにカーキ色のズボン、そして黒っぽい靴。そのすべてがボロボロでひどく汚れていた。おまけに顔には煤のようなものが付いていて、髪もボサボサ。初めてセドリックを見た時以上にみすぼらしい姿だ。
アンナも駆け寄ってきて、セドリックの前にしゃがんでその手を握る。
「ケガはしていませんか? お腹は空いていませんか?」
心配そうな二人に向かって、セドリックが笑って答えた。
「ご心配いただきありがとうございます。僕は元気で、何も問題ありません」
そう言うと、自分の服をつまんでみせる。
「町の状況を調べるには、こういう格好の方が都合がいいのです」
「そうだったのですね」
二人が胸を撫で下ろした。
直後、セレスティーヌが不安そうに聞く。
「わたくしも、そのような服を着ることになるのでしょうか」
そうだと言われたら、自分はそれを受け入れることができるだろうか。
憂いに満ちたその顔に向かって、セドリックが答えた。
「殿下は、いつもアルフォンスさんに会いに行く時と同じお召し物で大丈夫です」
「そうですか」
ホッとしたようにセレスティーヌが表情を緩めた。
それを見て、セドリックが小さく笑う。それにセレスティーヌは驚いた。
笑うセドリックを見るのは本当に久し振りだ。出発前にも感じたが、セドリックには間違いなく何かの変化が起きている。
自分を見つめるセレスティーヌと目を合わせたまま、姿勢を正してセドリックが言う。
「早速で恐縮ですが、殿下には出発の準備をお願い致します。状況は道中で説明致しますので」
「分かりました。ですが、その前に」
セレスティーヌが、後ろで控えていたレナルドを紹介する。
「わたくしの護衛として同行してもらう、騎士のレナルドです。アルフォンスの了承は得ていないのですが」
「問題ありません。アルフォンスさんも、殿下には護衛が付くだろうと言っていました」
「そうなのですか?」
アルフォンスは最初から予想していたらしい。
それが少し憎たらしいと思ったが、さすがに顔には出さなかった。
アンナに手伝ってもらって、セレスティーヌはいつもの町娘になった。
レナルドもありふれた市民へと姿を変える。
「では、留守を頼みます」
「かしこまりました」
二人のメイドが頭を下げた。
一人はメイド長で、もう一人は、セレスティーヌの昼食をダメにしてしまったあのメイドだ。
名をオレリアという。そのオレリアが、セレスティーヌ不在の間の影武者を務めることになっていた。
顔は似ていないものの、背格好がセレスティーヌと近いので、ドレスを着て時々庭に出ることになっている。騎士団以外の兵士や、陣に出入りする者の目をごまかすための偽装工作だ。
「ではアンナ、行ってくるわね」
「くれぐれもお気をつけて」
心配で仕方ないという顔のアンナに笑顔を見せて、セレスティーヌは扉を開けた。
騎士団の補給部隊の馬車に隠れて陣を出た三人は、人気のない林の中で馬車を降りてそこに身を潜めた。
「日が暮れ始めたらここを出ます。ここから町まで三十分も掛かりませんので、暗くなる前には町に入れると思います」
セレスティーヌが緊張気味に頷く。
「宿は取ってありますので、そこにお二人で向かって下さい」
「あなたはどうするのですか?」
「僕は、スラム街の寝床に戻ります」
「そう、ですか」
セレスティーヌの声には残念さが滲んでいる。
普通の女性なら、男と二人きりになることを不安に思うのだろうが、セレスティーヌにそういう感覚はない。
レナルドと二人きり。それが非常に気まずかった。
最初の顔合わせの時に謝ってしまえばこんな思いはしなくて済んだはずだ。それを逃したばかりに、その後も謝るタイミングを掴めずにいる。
そんな事情を知るはずもないセドリックが、二人に向かって話し始めた。
「では状況を説明致します。まずは僕の調査結果から」
そっとため息をついたセレスティーヌは、気を引き締めてセドリックの話に集中した。
ロベール領では、二年ほど前から急激に税率が上がっていた。役人たちは、それを口を揃えて中央からの指示だと言う。
一年目はどうにか払えた者たちも、二年目には支払い不能になる者が続出した。払えなければ財産が差し押さえられる。それでも足りなければ強制労働所行きだ。それを恐れて夜逃げする者が増え、領内のどの町もスラムに人があふれていた。
税の徴収が滞れば役人も困る。そのはずなのに、役人たちは夜逃げした者を追わなかった。それどころか、スラム街ではロベール卿の名で炊き出しも行われている。
人々の不満は、領主であるロベール卿ではなく、中央の役人や王族へと向かっていた。
「領内において、王族の評判は最悪です。特に、第二王女は亡国の姫であるという認識が完全に定着しています」
セレスティーヌの顔が強張る。
「次に、アルフォンスさんの調査結果です」
セドリックがセレスティーヌをチラリと見たが、何も言わずに説明を続けた。
どうにか税を納めている人々も、スラムの惨状を見て明日は我が身と危機感を募らせていた。そんな中、ある人物を中心とした秘密組織が結成され、国への抗議行動を計画するようになる。
「彼らは、自分たちを”義勇軍”と呼んでいるそうです」
「義勇軍? 反乱軍ではなく?」
セレスティーヌではなく、レナルドが聞いた。
「そうです。自分たちの戦いは反乱ではない。領民のため、国民のための戦いである。ゆえに、自分たちは義勇軍であると」
「それは詭弁だ」
レナルドが吐き捨てるように言う。
その隣で、セレスティーヌの顔が青ざめていった。
事態はモーリスが調査をした時より明らかに進んでいる。もはや”反乱の兆し”などという状況ではない。
セドリックがまたセレスティーヌを見るが、やはり声を掛けることなく話を進めた。
「中心人物の名はジル。職業は鍛冶師ですが、消防団の団長や商工会の幹事を務めるなど、面倒見のいい男として知られています」
アルフォンスの調べたところによると、義勇軍のメンバーはそう多くなかった。
ただ、スラム街を中心に民の不満は溜まりに溜まっている。義勇軍が決起したとなれば、追随する者の数は計り知れないだろう。
「義勇軍について、もう一つ」
セドリックが表情を引き締めた。
「ジルが時々会っている人物がいます。二人が会うのは常に夜で、しかも人気のない場所。話が終わると、その人物は町の外に消えていくそうです」
「町の外?」
今度もレナルドが聞いた。
「はい。その人物の素性を知ることが鍵だとアルフォンスさんは言っていました」
レナルドとセレスティーヌが考え込む。
「調査結果は以上です。続いて、アルフォンスさんから殿下への伝言です」
「わたくしに?」
セレスティーヌが顔を上げた。
その視線を避けるように、なぜかセドリックが上を向く。
一瞬だけセレスティーヌを見たセドリックが、顔を上に向けたまま、まるで宣誓でもするかのように大きな声で言った。
「俺はやることがあるから一緒にいられない。調査結果をもとに、自分で考え自分で行動しろ。やることが終わったら合流するから、それまで頑張れ。以上です」
「はぁ?」
あまりのことに、セレスティーヌが奇妙な声を上げた。
「何を言っているのですか!?」
動揺するセレスティーヌを突き放すようにセドリックが言う。
「僕は、スラム街を中心に情報収集を続けます」
「ちょ、ちょっと」
「一日に一度、町の南にある寺院にお越し下さい。そこで情報交換をしましょう」
「……」
愕然としていたセレスティーヌが、我に返って聞く。
「あなたは、アルフォンスと連絡が取れるのですか?」
「取れません」
セレスティーヌが言葉を失った。
「僕は町の近くまでご一緒しますが、この身なりでは宿までご案内できません。宿の名前をお伝えしますので、あとはお二人で……」
セドリックの説明をセレスティーヌは聞いていなかった。
怒りと混乱が渦巻く中、セレスティーヌが心の中で叫ぶ。
あの男、絶対に許さない!
世間知らずの我が儘姫は、こうして見知らぬ土地に放り出されたのだった。




