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とある公爵夫人とその周りの人々の一生  作者: と。/橘叶和


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4、公爵の愛人にまで上りつめた女の最期

 公爵家から引きずり出されたあと、公爵の愛人は地下牢に入れられていた。既に侯爵家から縁切りされていた彼女は貴族牢に入れるような身分になかったのだ。生家の男爵家も代替わりと共に彼女との縁を切っているので、書面上の彼女は平民であった。それでも平民が入れられるにしては清潔な牢屋で、彼女は一人、何が悪かったのだと足りない頭で必死に考えていた。


 年老いた侯爵に取り入って後妻におさまった時、まだ年若い女だったあの時、彼女はこの世の春というものを体験した。


 当時の侯爵は、若かった頃と比べ判断力が格段に衰えていた。それは本人ですら認めており、けれどまだやれるのだと頑なになっていた。子どもたちがいくら隠居を勧めても承認しなかったのは、そのせいだ。そこにメイドとしてやってきた彼女は、年老いた侯爵を慰め、褒めたたえ、その自尊心をくすぐってやったのだ。


 それだけなら、よかった。年老いた侯爵は確かに喜んだろう。頑なな侯爵に困り果てていた侯爵家の者たちからもそれなりに感謝され、その報酬にそこそこの金銭を包んでもらっていたことだろう。けれど、前日までメイドだった女が次の日には侯爵夫人になっていたのだから、そうはならない。侯爵家は上を下への大騒ぎとなったが、年老いた侯爵がやはり頑なに女を妻だと言い張ったので、どうすることもできなかった。


 しかし侯爵夫人におさまった女は、理解していなかった。年老いた侯爵は死ぬのだ。全ての人はいつか死ぬが、年老いた侯爵は彼女よりずっと早く死ぬ。そして侯爵はその息子が継ぐ。二人の間に子どもはできなかったが、もし侯爵夫人であった女が新たに子どもを産んでいたとしても、それは変わらなかった。それすらも分かっていなかった。


 女はただ、高位貴族の妻になりたかっただけだった。そうすれば贅沢な暮らしと幸せが待っていると思っていた。爵位こそ譲っていなかったものの、多くの仕事を息子に代わってもらっていた年老いた侯爵が女を連れていけるパーティーなどたかが知れていたが、男爵家の娘であった女はそれでもひどく喜んだ。そんなふうだったから侯爵家の人々も我慢をしたのだ。


 けれど、侯爵が亡くなれば話は変わる。侯爵家の人々は表向き、年老いた侯爵を看取った健気な未亡人、として女を侯爵家が所有する郊外の屋敷に押し込んだ。男爵家の娘だった女は、侯爵家の縁者だとするには品位にかけ過ぎていたから本当は縁を切りたかったのだ。それなりの手切れ金も用意したのだが、女が拒否をしたので法律上それが難しく、仕方なくそうした。


 だが、侯爵家の人間がこれで納める筈もなかった。寄生虫のように自家にしがみつく女をどうにかして始末したかった。かの侯爵家も、古い家である。やりようはいくらでもあった。ただ若い世代の為にも、できるだけ穏便に済ませたいとも思っていた。だから女が、公爵の愛人になった時には手を叩いて喜んだ。そうされていたことを、女は知らなかったけれど。


 侯爵家の未亡人という肩書で満足できなかった女は、だから次に公爵の愛人となり、唆し、騙したのだ。理性も知性もなかったから、静かに余生を送るくらいなら許されていたということも理解しなかった。女は、文字通り自分で自分の首を絞めたのだ。


 未亡人が誰かの愛人になるのは、ままあることである。それは、この国では罪とは言い難かった。嘆き続ける若き公爵を慰める愛人など、舞台のテーマにもなり得るだろう。しかし、不幸にもこれは現実であった。だから愛人は欲を出し、公爵夫人に成り代われる、などと不相応な夢を見たのだ。


 同じ後妻であっても、年老いた侯爵と若き公爵では話が違うことを、女はやはり分かっていなかった。年老いた侯爵には成人を済ませ、いつでも侯爵を継げる子どもがいた。だからこそ女は見逃されたのである。


 けれど若き公爵の子どもは、まだ成人に達していなかった。もし女に子どもができれば、火種になることは明らかだった。実際は産んだ人の生家の爵位も関係してくるので、女がもし公爵の子どもを産んだとしてもその子が公爵家を継げる可能性は低かったが、公爵自身が押し通せばあり得ない話でもなかった。どちらにしろ醜聞はまかれ子どもに悪影響は出ただろう。何一つ、女は分かっていなかった。まあこれは、公爵も同じだったが。



「この子は公爵様の子です。誓って公爵様の……!」



 子どもを産みさえすれば公爵夫人になれると、女はそれだけを頼りに妊娠をした。その程度の浅い考えだった。だから地下牢にやってきた医師に憐れっぽくそう訴えた。公爵家の血を持つ子どもを身籠っていると言えば、これ以上ひどいことはされないだろうと思っていた。既に騎士たちに荒っぽく引きずり出されたのは、女の記憶からは抜け落ちているらしい。


 医師はただ、ううん、と唸っただけだった。



「……ええと、貴女の言う、公爵様ですがね、ないんですよ。だから無理なんです」

「は? ない、とは?」

「子種、ないんです。あの人はご子息が生まれる少し前にひどい熱病にかかりましてね。もう子種が作れない体なんです。私が診断しました。だから後にも先にもあの人の子どもは一人だけなんですよ」

「嘘……」

「本当です。まあ、あの人は知らなかったようですがね。当時はまだご両親もご存命で、ショックを受けるからと本人には伝えないように命じられましたから」

「嘘よ、そんなの、嘘……」



 医師はそれだけ言うと立ち上がり、牢屋からそそくさと出ていった。不潔さはないものの貴族牢でない冷たい地下牢は、初老の彼には少し厳しい環境であったから。


 医師は、女が本当に妊娠しているのかと確かめる為だけに呼ばれたのだ。だから確かめた。女は本当に妊娠していた。けれど、それは公爵の子どもではない。医師が言った通り、公爵にはもう子種がなかったのだから。これはこの医師一人だけの下した診断ではない。複数の医師が呼ばれ、同じ診断をしたことで確定された事象であった。


 公爵は、知らなかった。過保護な彼の両親が、それを公爵に知らせなかったからだ。


 女は、そこでやっと体を震わせた。バレた、しかも最悪な形で。いや、まだだ。まだ、どうにかできる。どうにか。誰かに助けを、そうだ、腹の子の父親。金で雇った公爵と同じ髪と目の色を持つあの男の名を出してしまおう。あの男に乱暴され脅されて、言うことを聞かされたのだと訴えて、それで――。


 がたん、と地下牢の扉がまた開いて、人が入ってきた。かちりとした衣服を身に纏っており、一目で役人だと分かる者だった。女を引きずった騎士たちのような圧迫感はないものの、どこか異様な雰囲気をしている。と、女は感じた。



「貴女の処罰が決定しました」

「処罰……? そ、そんな、待ってください、あたくしは――」

「明朝、慈悲を以て最後の食事を授ける。……これは、国王陛下直々のお言葉です。よかったですね、栄誉なことですよ」



 役人はにこりとそう笑って、すぐに出ていった。女は咄嗟に立ち上がってその人に縋ろうとしたけれどそうする前に扉は閉められて、その勢いのままに鉄格子に体を打ちつけた。



「ぎゃああっ!」



 まるで拷問でも受けたかのような悲鳴が上がり、しかし誰も手を貸さなかった。女の行く末は決まっていたから。


 女はそうやって明け方まで騒いでいたが、明朝、叩き起こされ王族が口にするような豪華な食事を食べさせられた。侯爵家でも食べさせてもらえなかったような美食に、女は泣きながら舌つづみを打ち、そのまま眠るように息絶えた。苦しませなかったというのが、国王からの慈悲だった。


 国王からすれば、女は、あの公爵を始末させてくれた立役者だ。念願を叶えてくれた人だ。だからまあ、どこかに放逐してもいいかもしれない、と一瞬だけ考えた。けれど、すぐにやめた。火種はないほうがいい。


 しかも女は、やってはいけないことをやってしまった。公爵を唆し、公爵の血を引く一粒種を危険に晒そうとし、挙句、公爵の子を身籠ったと嘘を吐いた。公爵家の血は王家に近く、何かあれば王家は公爵家から養子を貰って王位を継承させなければならない。そういう家だったのだ。


 そんな公爵家の血筋を別の血で乗っ取ろうなどと、許される訳がない。そもそもお家の乗っ取りは、公爵家でなくとも重罪である。普通であれば鞭打ち野晒し、その上で晒し首だ。生きたまま民衆から石を投げられるといった罰もある。そうされなかった分、公爵の愛人だった女はやはり運がよかっただろう。


 最後は処刑されたものの男爵家の娘であった女が侯爵夫人に、そして公爵の愛人にまで上りつめた嘘のような史実は、やはり後世で様々な評価を得ていた。「最後に失敗をしたが途中までは上手くやっていた」だとか「妊婦であったのは事実で、子どもには罪はなかったのに」だとか、ほかにも多くの人が好きに彼女を批評した。


 どこにでもいる責任のない人の一人は「彼女は何も分かっていなかった。それが彼女の幸せであり不幸だった」と嘲笑ったが、果たして本当にそうだったのだろうか。判じられる人はもう誰もいない。


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