3、かつて公爵だった男の後悔
連れて行かれた檻の中で、公爵は自身がいかに多くの人に疎まれていたのかということを懇々と聞かされていた。それが罰だった。貴族牢であったから寒さやひもじさ、不潔さに悩まされることはなかったが、決まった時間に決まった通りに文言を読み上げる執行官の言葉を一言一句書き写せと言われ、閉じ込められたその日から何日もそうしていた。書く内容は、毎日ほとんど同じだった。だから既に公爵はその内容を諳んじることすらできたが、その日の執行官によって接続詞や話す順番が違ったので、ずるもできなかった。
けれど公爵は夜毎、ベッドの中に潜り込むと口の中で文言を諳んじた。内容は、こうだ。
まず、辺境伯家。公爵は、前公爵夫妻が年を取ってからできた一人息子だった。二人は息子の誕生を喜び、自分たちの持てる全てを持って彼を愛した。子どもが生まれ、親が喜ぶ。それは素晴らしく、尊いことだ。けれど当時、前公爵夫妻には養子がいた。
前公爵夫妻は、長くの不妊で子どもを半ばあきらめていた。だから遠戚であった当時の辺境伯の三男を養子に貰っていたのだ。一歳にも満たない内にやってきた養子は、前公爵夫妻によく懐いていた。前公爵夫妻を本物の両親だと信じていた。
けれど養子が十歳になる直前に実の子どもが生まれると、用なしだとばかりに辺境伯家に送り返された。ひどくあっさりとしたもので、養子だった子どもは長く訳が分からないままだった。辺境伯家も当然、思うところが大いにあった。
しかしこの一連の流れは前国王の采配でもあったので、一旦抗議を呑み込んだのだ。前公爵夫人は前国王の従妹にあたる人だったので、当時ことを起こすなら国王と敵対する可能性もあった。辺境伯家は、機を待つことにした。
次に、伯爵家と子爵家。公爵の妻の生家と妻が本来嫁ぐ予定だった家だ。公爵家の御曹司に横入りされた婚約は、必要だから成立したのだ。二人の相性もよかった。自身の子どもらに幸せになってほしいという親心も相まって、両家は二人の結婚を心待ちにしていた。それを下級貴族の契約など金で解決するだろうと言わんばかりのその態度に、二つの家は静かに怒りを隠した。隠したが、失くした訳でもなかった。
子爵家の息子は、それでも跡取り息子だからと別の人と結婚をした。公爵の妻に未練などない、というアピールも必要だった。しかし相手も以前の婚約者を知っていたから、結婚生活は随分と重くるしいものとなった。二人でその空気に耐えながら苦労した先で信頼し合えるまでになったが、本来であればいらない苦労でもあった。納得はしていた。権力はそういうもので、逆らうべきではない。むしろ、逆らえるだけの力もない。けれどただ、虚しかった。
そして、国王。再従兄弟にあたる国王は、昔から公爵を快く思っていなかった。相性というものもあっただろう。十五も年下の公爵を鬱陶しがるなど、人として未熟だと感じていたこともあった。けれど国王は、前公爵夫妻の養子を気に入っていたのだ。それを愛玩動物を里子に出すが如く扱った両親と前公爵夫妻に不信感を抱いていた。
それだけなら、公爵自身には責任のないことだ。公爵はただ生まれてきただけ。それは、祝福されることだった。そして当時の国王もまた子どもだった。王子であるとはいえ、大人の、権力者のやることに口ごたえすることは許されていなかった。だから、耐えた。耐えて、遠戚として公爵とかかわった。けれど、公爵はあまりにも傲慢な子どもだった。
年を取ってからの子どもだった公爵を前公爵夫妻はひどく甘やかした。嫌いなものは食べさせず、嫌がることは一切させない。そのくらいであるなら子ども想いのよい両親、で通ったかもしれないが、乳母や家庭教師が教育や躾をすることすら厳しく制限した。当時はまだ主流だった罰の鞭は禁止し、注意は極めて優しく、そして泣かせないようにと注文をつけた。その条件を聞いて、複数の乳母や家庭教師が辞退したのは有名な話だ。
残った乳母や家庭教師たちは、もう、公爵の教育や躾をするつもりはなかった。公爵の好きなようにやらせた。玩具で遊びたいと言えば延々とさせ、お菓子が食べたいと言えば飽きるまで食べさせ、寝たいと言えば寝かせ、ただただ言うことを聞いてやった。機嫌がいい息子を見て、前公爵夫妻も満足していた。
それでも公爵が公爵子息としての体裁を保てたのは、彼自身がそこそこに優秀であったからだろう。誰も教えていなかったが気品がないことが恥ずかしい、という感覚を生まれながらに持っていたらしい。マナーやダンス、それなりの学問を身につけることは公爵にとって難しいことでもなかったので、全て片手間に覚えてしまった。ただ興味がない分野であると適当に済ませることも多かったので、真っ当な貴族から見れば公爵はひどく歪で不格好ではあったが、結局は公爵であったので大人になってからも誰も何も言わなかった。
そんなふうに育てられた公爵である。自分が世界で一番に愛されていると信じていたし、自分の言うことは全て叶うとも本気で思っていた。さすがに公爵家が王家より下の存在であることは理解していたが、それでも心のどこかで自分こそが唯一の存在であると盲信していた。そういった心根は、分かってしまうものである。公爵は徐々に同年代の貴公子たちから距離を置かれていった。
そんな公爵を、国王はじわじわと嫌っていった。あれが自身と再従兄弟であるなど信じたくもなかった。辺境伯家に帰ってしまった前公爵夫妻の養子と、子どもながらに国の将来を語らったあの日々が懐かしくて仕方がなかった。
だから国王は、決めた。公爵を排除しようと。現国王の国家運営に、公爵は邪魔だった。かの公爵家は、この国が成った時からずっと王家の傍に控え、その時の国王を支える役割を担ってきた。国王にとって、最も信頼できる者であらねばならなかった。公爵は、それにはなりえなかった。
国王は待った。公爵がやらかすのを、ずっと待っていた。前国王から王位を譲られ、前公爵夫妻が亡くなり、公爵が公爵となったあともずっと。公爵はそこそこには仕事をし悪辣なことには興味がなかったので排除するとなると難しかったが、それでもじっと待った。
愛人に現を抜かす程度では難しかった。しかし、公爵家の血を引くあの子に手を出そうとするなら話は違う。現公爵より、王女を降嫁させる予定のある次期公爵のほうが既にはるかに価値が高かった。だからこそ国王は、公爵夫人に命じ、公爵の身柄を拘束したのだ。やっと、できたのだ。ほかにも公爵を疎んでいた人は多くいて、国王の決定に異議を唱える者はいなかった。
それが、公爵の身に起きたことの顛末である。いや、彼は既に公爵ではないのだが、便宜上そう記そう。
「う、うぅ……」
公爵はベッドの中で体を丸め、しくしくと泣いた。子ども頃から、そうすれば誰かが彼をいつまでも慰めた。しかし一人用の貴族牢の中に、彼を慰める者などいる筈もなかった。
公爵は、殺されはしなかった。毒杯も授けられなかった。書き写しの罰だって、最初の十年で終わってしまった。それからはただ清潔で快適な貴族牢に閉じ込められ、一生を終えた。これは正統な継承者を放逐しようとした罪への罰だったが、未遂に終わったということもあり、希望すれば人に会うことすら可能であったくらいだ。けれど、彼への面会はほとんどなかった。彼の妻であった人も彼の息子だったあの子も、一度として会いにはこなかった。
何を間違ったのだろう、と公爵は嘆いた。愛人と出会わなければよかったのか、いや、愛人の言葉に耳を貸さなければ、あの子を疑わなければ。そもそも無理に伯爵家の娘を妻にしなければ。しかし国王はずっと自身のことを疎んでいたというのだ。そうでなくてもいつか、こうされていただろう。ああ、ああ、なんて不幸な我が身だろう。誰もそんなことは教えてはくれなかった。両親も誰も。
「……ああ、違う」
公爵は毛布を握り込みながら、ぽそりと呟いた。いた。教えてくれた人が、一人だけ。
「ああ……」
若き公爵に無理矢理妻にされたあの人は、ただ一人、公爵に「それではいけません」と言っていた。「そのような振る舞いはお控えください」とも「彼らの心情を慮ってください」とも、言っていた。そしてきちんと解決策まで教えてくれていた。そうであったのに公爵は妻の諫言を煩わしく思い、捨て置いてしまったのだ。ある日の夜会で偶然見かけて、あれだけ熱烈に欲した人であったのに、愛人に逃げたのはそのせいだ。疎ましかったから、だから、彼女が産んだあの子まで遠ざけようとしたのである。
「許してくれ、許して……」
けれど、執行官の読み上げに公爵の妻だった人の話は一つもなかった。あの子の話もなかった。聞いても「貴方に聞く権利はありません」と言われるだけだった。恨まれてすらいないのかもしれない。そう思うと辛くて、公爵はまた、ベッドの中で蹲って泣いた。彼は死ぬまで、そうやって嘆き続けた。
そういえば文言の書き写しすらなくなった頃、公爵は暇に飽かして日記を綴るようになったのだが、貴族牢に閉じ込められたかつての公爵の日記は、後世になって様々な議論を起こした。
ある人は「これは両親が彼に必要な教育を施さなかった為に起きた悲劇だ」と言い、公爵の両親の不手際を責めた。またある人は「ずっと自分が可哀想と言ってばかりで、結局何も反省していない」と手厳しく指摘し、また別の人は「でも一生養ってもらってたんだろう。この貴族牢ってかなり豪華だったらしいし、いいなあ」と羨んだ。「更生の余地があったのでは?」と疑問を投げかける者もいたが、それには「もし出てきていたら今度こそ殺されてたんだと思う」という返事がついた。
それだけ関心を持たれたのなら、きっと公爵は喜んだだろう。注目されるのが特に好きな人だったから。けれど彼は既に土の中で眠っており、後世のことなど知り得ない。それすらも彼の罪なのだと、誰かが賢しらに嘯いた。




