第三話 二度と私の名を呼ばないでください
大神官の言葉に、ミレイユの唇が震えた。
「ですが!」
「では、あなたの祝福の紋はどこにあるのです」
杖が動く。
白銀の刃には、白椿を中心とした光だけが浮かんでいる。
「この剣には、リーゼロッテ嬢以外の祝福痕は存在しません」
「そんな……」
ミレイユの顔から血の気が引いていくのがわかる。
そのとき、大聖堂の扉が開いた。
アルヴィスと、片腕を失った初老の男が入ってくる。
「彼は討伐軍記録官です。北の砦で何があったか、証言できる」
アルヴィスが告げると、記録官が進み出る。
「北の砦に着いた三日目でした。夜、魔物の襲撃があり、グレイル卿が瘴気を浴びました。あの時、剣は確かに刃こぼれしていました。ですが、折れかけていたわけではありません」
ユリウスの手がかすかに動き、私はユリウスを見る。
「グレイル卿が魔物に追い詰められたときです。剣が突然、白く輝いた。瘴気を弾き、その場にいた魔物を一刀で斬ったその後、癒し手のミレイユ殿が剣を手に取りました。そして――」
初老の男が、ミレイユを見る。
「『何これ、こんな祝福、見たことない』と仰った」
「嘘です!」
「私は記録官です。あの夜の出来事は、日誌にも残してあります」
アルヴィスが一冊の革張りの帳面を差し出した。
大神官が中を確認する。
「翌朝から、ミレイユ殿は『自分が祈ったことで剣が目覚めた』と話すようになりました」
「わたくしは、本当にそう思ったのです!」
「最初は、そうだったかもしれません。ですが、その二か月後。西方補給隊が駐屯地へ到着してからは違う」
ミレイユの顔が変わった。
宰相が一枚の紙を広げる。
「五年前、討伐軍へ出入りしていた補給商人が、昨年、禁制魔道具の密売で摘発されております。その押収帳簿から、興味深い記録が見つかった」
紙には、品名と代金、購入者の名が並んでいるのを、宰相が読み上げる。
「擬似聖印皮膜、一枚。購入者――ミレイユ・カルバン」
辺りがざわつく。
ミレイユは首元を押さえた。
「戦場で剣の奇跡を自分のものと称し、その後、補給商から禁制品を買って聖印まで偽装した。偶然の勘違いで済むのは、どこまでだろうな」
「違う……違います……!」
神官がミレイユへ近づき、首元へ浄化の水をかけた。
肌に浮いていた聖印が滲み、薄い皮膜となって剥がれ落ちる。
もう、言い逃れはできなかった。
国王陛下の視線が、ユリウスへ向く。
「グレイル卿」
「陛下。俺は……」
「卿は知らなかったのか」
ユリウスが口を開き、閉じる。
記録官が続けた。
「陛下。私は一度、グレイル卿へ申し上げました。あの剣は、出立前から何らかの祝福を受けていたのではないか、と」
私の指先が冷たくなった。
「そのとき、グレイル卿は何と?」
「『今は聖女が必要だ。余計なことを言って兵の士気を下げるな』と」
ユリウスが勢いよく顔を上げた。
「あの状況では必要だった!皆、疲弊していた!聖女が現れたという話が、軍をどれほど勇気づけたか!」
「だから、帰還後も訂正しなかったのか」
国王陛下が尋ねるけれど、ユリウスは答えない。
「余は、聖女と英雄の婚姻を命じた。卿らから上げられた報告を信じて」
「陛下……」
「王を欺いたこともさることながら――真に自分を守った者が誰であるか疑いながら、凱旋の場でその者を辱めた」
陛下の視線が私へ向けられると、ユリウスの顔が歪んだ。
「英雄の名に値せぬ所業だ」
判決は、その場で下された。
ミレイユ・カルバンは、聖職身分の永久剥奪。
禁制魔道具を用いて聖女を騙り、王家と神殿を欺いた罪により、旧魔王領の浄化事業へ送られることとなった。
ユリウス・グレイルは英雄称号を剥奪。
グレイル家の爵位継承権を放棄し、北方国境警備隊へ終身編入。
そして――白銀の剣の返還。
「待ってくれ!リゼ!」
衛兵に腕を掴まれながら、彼が叫ぶ。
「俺は、本当は君を愛していた!戦場では仕方がなかったんだ!ミレイユのことだって、最初から全部信じていたわけじゃない!だから――」
私は祭壇の前へ進み出ると、白銀の剣に手を伸ばす。
剣は私の掌へ、迷いなく落ちてきた。
「ユリウス様……五年前、私はあなたに死んでほしくなかった。だから祈りました。三日三晩、眠らずに」
「リゼ……」
彼が私を見る。
「私はあの頃、本当に祈りの才が微弱でした……それでも……あなたは生きて帰ってきた」
剣を胸に抱いた。
「私の祈りは、届いていたのですね」
喉の奥が熱くなった。
「それで十分です」
「なら、もう一度――」
「いいえ。だからこそ、もうあなたに祈ることは何もありません」
今度は迷わなかった。
ユリウスの顔から、何かが抜け落ちたように見えた。
「どうか、お元気で。二度と私の名を呼ばないでください」
彼が連れていかれる。
私は振り返ることなく、大聖堂の入口に立つアルヴィスを見た。
目が合うと、ほんのわずかに口元が緩んだ。
それは、私が初めて見た彼の笑顔だった。
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