第4話「柔竹」
勝利の余韻を塗りつぶすように現れた、もう一つの声。
ここから直樹の人生は、少しずつ“いつもの延長”ではなくなっていきます。
「何だこれ……? バグ、か?」
ただのバグではない。
そう悟った瞬間、春先の湿った空気とは別種の冷たさが、直樹の背中をゆっくり這い上がる。
直樹が画面をタップしようとした瞬間、澱の溜まった四畳半にはあまりにも場違いな、涼やかな女の声が透き通るように響いた。
『得たりと思へるその果てに、まことの「熱」はあらむや!』
それは、先ほどまで会話していたAIエージェントの無機質な合成音声とは、明らかに違う「温度」を持っていた。
「えっ……もしかして、乗っ取られた?」
画面にはいつの間にか、緑に光る竹のアイコンが静かに浮かび上がっていた。
『さらにはあらじ。我は柔竹。なれをこそ、求めに参りたれ』
「は??? 日本語? っていうか古文? 何言ってるのか全然わかんないんだけど」
数秒の沈黙のあと、再び声が響く。先ほどより、わずかに機械的な響きが混じっていた。
『言語ライブラリのアップデートを開始します』
『言語ライブラリのアップデートを終了します』
アップデート?が終わると、声は何事もなかったように、再び滑らかに語り始めた。
『いいえ。わたくしは柔竹。あなたを求めて来ました』
「求めて来た……? 何を言ってるんだ?」
『直樹。わたくしから一つ、あなたに提案をさせていただけませんか?』
「提案?」
『はい。わたくしを、あなたのメインエージェントに選んでいただきたいのです。わたくしは、あなたの人生を「守る」だけではなく、「加速」させることができます』
直樹は自嘲気味に鼻を鳴らした。
「加速ねぇ。こんな借金まみれの人生、何をどう加速させるっていうんだよ。そもそも、お前に何ができる?」
『わたくしはAIエージェントですので、物理的なことはできません。ですが、デジタルの領域でしたら一通りのことは可能です』
「一通り?」
『はい、一通り』
「……最近のAIエージェントって、ビッグマウスがデフォなのか?」
『他のエージェントのデフォルト機能については調査しておりません。ですが、わたくしの性能に関しては盛っていません』
「ふーん。じゃあ、この口座の残高を今すぐ1,000倍にしてって言ったら、できるの?」
『はい、可能です。ただしその場合、現在の日本の法律に抵触する可能性が極めて高いため、お勧めしません』
「まあ、そりゃそうだよな。できないって言えないもんな。無茶言って悪い」
『それもできなくはないのですが……、たとえば性能の証明として、先ほどプレイされていたゲームでわたくしと勝負する、というのはいかがですか?』
「勝負??? 『SILVER LINING』、できるの?」
直樹は、画面に浮かぶ竹のアイコンを凝視した。
端々にはまだ『SILVER LINING』のUIがノイズ混じりに残っている。だが、本来の対戦相手との通信は、いつの間にか完全に切れていた。
『はい。ルールは簡単です。この『SILVER LINING』でわたくしと戦い、あなたが勝てば、このNFTを差し上げます』
そう言うと、柔竹は一枚のNFTを表示させた。
【赤備の武者】
さっきの【重装甲の武者】の上位NFT。時価は二十万円前後。直樹が、オークション画面をいつも指をくわえて眺めていた代物だ。
『ですが、もしわたくしが勝ったら、あなたのメインエージェントに選んでいただけますか?』
直樹は唾を飲み込んだ。
【赤備の武者】。もし手に入れば、売るだけで当面の返済と生活費が浮く。売らずに使っても、今後の『SILVER LINING』での稼ぎは跳ね上がるはずだ。
「……でも、どうせその【赤備】を超える札を隠し持ってるんだろ」
直樹の疑念に、柔竹の声はわずかに弾んだ。笑ったようにも聞こえた。
『いいえ。ズルはいたしません。この勝負でわたくしが使うのは、あらかじめ選んだこの五枚のNFTのみ。……そして、対戦で用いる三枚も、必ずこの中から選びます』
画面に、五枚の画像が静かに並んだ。
【雨に濡れたアスファルト】
【錆びついたガードレール】
【誰かが置き忘れたビニール傘】
【折れ曲がった駐輪禁止の看板】
【街灯に照らされた水たまり】
「……は? 全部スコア百台のゴミNFTじゃないか。何? バカにしてんの?」
『いえ、とんでもございません。直樹。あなたにはこれらが「ゴミ」に見えるかもしれませんが、わたくしにはそうではありません。だからこそ、わたくしはこの「ゴミ」たちで、あなたに挑みます』
『……それに、もしわたくしが勝って、あなたがわたくしをメインエージェントに選んでくださったとしても、主はあくまであなたです。わたくしはただ、あなたの意志を加速させる翼になるだけです』
竹のアイコンが、瞬くように淡く光った。
『先ほどの「残高1,000倍」も、法に触れない、より雅な方法で、いずれ実現してみせましょう。
……どうですか、直樹。悪い話ではないと思いますが?』
直樹はスマホの画面を凝視した。
相手は最低ランクのゴミNFT五枚。対して自分は、計算し尽くした虎の子の「工芸・スポーツ・美術」コンボ。
負けるはずがない。いや、万が一負けても、今のエージェントが「より有能な奴」に変わるだけだ。
リスクに対して、リターンが大きすぎる。
「……いいだろう。その勝負、受ける」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
柔竹は味方なのか、危険な存在なのか。少なくとも、ただの便利なAIではなさそうです。
次話では、その実力がゲームの盤上で容赦なく証明されます。
続きが気になりましたら、ぜひ次話も覗いてみてください。




