第22話「無礼なハイエナ」
崩れつつあった「日常」が、ここで一気に壊されます。直樹の部屋に土足で踏み込んでくる悪意を、ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。
第六章:友
ドンドンドンドンドンドン!!!
「佐々本さーん、いらっしゃいますよねー!」
今にも叩き割られそうな古びた木のドアの向こうから、怒号のような大声が響いた。
直樹は小和田さんとの通話を切り、冷たい汗をにじませながら玄関の鍵を開けた。
隙間を作った瞬間、ドアが強引に押し開けられ、近づきたくない空気をまとった二人組の男が滑り込んできた。
一人は、まだ早朝の澄んだ空気だというのに、見苦しいほど肥えた身体から滝のような汗を流していた。今の自分も人のことは言えない格好だったが、男の周囲からは、何日も風呂に入っていないような香ばしい臭気が漂っていた。その太った手にはボイスレコーダーが握られ、上部の赤いランプが不気味に点滅している。こちらの許可も取らず、すでに録音状態らしかった。
もう一人は、ひょろりと背の高い男で、顔には薄いフレームの眼鏡が乗っていた。
(そういえば、巧もこんな感じの眼鏡をかけてたな……)
一瞬そう思ったが、目の前の男からは、巧のような底知れない理知や、気品ある落ち着きは、微塵も感じられなかった。ひょろりと背の高い男の首からは、不釣り合いなほど大きな一眼レフがぶら下がり、左手には別に小型のデジカメが握られていた。
「佐々本直樹さんですよねえ!? 中から話し声が聞こえたんで、もう起きてると思ってお伺いしましたぁ! ぜひインタビューお願いします!」
太った男が、脂ぎった顔に歪な営業スマイルを張りつけ、大声を張り上げた。
「は? インタビュー? こんな朝早くに人の家へ押しかけてきて、何言ってるんですか。迷惑です。帰ってください」
「いやいや、そう冷たいこと言わないでくださいよぉ!」
太った男は、差し出した名刺を直樹の目の前へぐいぐい突きつけてきた。
「弊紙はですねぇ、今ネット界隈を大・大・大震撼させている最先端の次世代WEBメディア『トゥルー・クリプト・ジャーナル』でして! まあ、立ち上げたばかりの尖ったニューウェーブなんですけどねぇ? ほら、これ見てくださいよ!」
男はもう片方の手でスマートフォンを取り出すと、画面を直樹の鼻先にまで押しつけてきた。
スクロールされる過去記事の一覧には
「これを知らない奴は情弱! 暗号資産で秒速一獲千金!」
「数時間後に100倍確定!? これが爆上げの買い時!」
といった、大衆の射幸心をこれでもかと煽る下品な特大のキャプションと、原色まみれのサムネイルが並んでいた。
(ジャーナルだのニューウェーブだの、今どき言わないだろ……)
直樹の顔は、自然と嫌悪に歪んだ。
「……お断りします。話すことなんてありません」
「いやぁ、そこを何とか! 貴殿の素晴らしい『サクセスストーリー』と、あの噂の『なよたけ殿』のお話を、ぜひ独占でネタ、あっ、インタビューさせていただきたいと考えておる次第でござる!」
ひょろ高が、本音を漏らしながら時代がかった妙な慇懃無礼さで割って入ってきた。
見ず知らずの無礼なハイエナから、秘密にしているはずの「柔竹」の名をいきなり出され、直樹の心臓はどくりと跳ねた。
「……だから、話すことなんてありません」
直樹が冷たく言い放ち、ドアを力任せに閉めようとすると、ガツッ、と太った男が泥だらけのエンジニアブーツの先を隙間にねじ込み、ドアが閉まるのを阻んだ。
「佐々本さぁーん、いいんですかぁ? そんな冷たい態度、取っちゃってぇ」
その粘つくような声音に、直樹は虫唾が走った。
「そんなこと知るか! さっさと足を引っ込めろ!」
直樹が体重をかけてドアを押し込もうとした、その次の瞬間。
「あーーーっ!!! 痛い痛い痛い! 暴力だ! 警察助けてーーー! 傷害事件だーーー!」
太った男は、わざとらしく顔を歪め、アパート中に響く悲鳴を上げた。その怪演と大声に、近隣の部屋の電気が次々と灯るのが気配がした。
「な、何言い出してんだよ! 当たり屋かよ! さっさと足を引け!」
「嫌ですぅーーー! インタビュー受けてもらうまで、絶対に引っ込めません!」
「左様! これぞ我がメディア魂の誇りでござる!」
ひょろ高はカメラのシャッターを無断で切り始めた。
「何がメディア魂だ。ただの野次馬の不法侵入だろ!」
「佐々本さーん、そんな邪険にしないでくださいよぉ。インタビューに答えていただくのは、佐々本さんにとっても『メリット』があるんですから」
「無いよ、そんなもん!」
再びドアを閉めようとする直樹に、ひょろ高がニヤニヤとスマートフォンを突きつけてきた。
「いえいえ、それは早計というもの。ネットの海には、すでに無数の切り抜きや考察動画が出回っております故。我々としても、そのようなフェイクニュースを駆除すべく――
『正しい! 唯一の!! トゥルーーー・ニュース!!!』
を世に提供したいと考えている所存であります」
画面に並ぶサムネイルを見た瞬間、直樹の目が釘付けになった。
・【速報】神宮寺氏、ジン・ザ・リッパーとの関係を暴露され人生終了(涙)
・【切り抜き】稀代の天才ハッカー佐々本氏、セレブパーティーで大暴れ!
・佐々本って誰?数億円を掠め取ったクラッカー、佐々本氏の素顔を親友が語ります。
(親友って……まさか、巧や小和田さんが……?)
最悪の予感が胸をよぎり、直樹は思わず動画の一つをタップした。
だが、画面の中で神妙な顔をして語っていたのは、全く見覚えのない、どこの馬の骨とも知れぬ「自称・大学の大親友」だった。その男は、直樹のまったく知らない「ナオキ」という人物像について、熱弁を振るっていた。画面の中で語られた「ナオキ」なる人物は、毎日高級キャバクラをはしごし、派手なパーティーを愛する極悪ハッカーらしかった。
「それに、すでに特定班の手によって、佐々本殿の個人情報はダダ漏れでございますぞ」
見せられたSNSのタイムラインには、直樹の実家の住所、アパートの部屋番号、家族構成、出身学校からバイト先に至るまで、真実とデマが入り混じったまま、晒し上げられていた。
「佐々本さんさぁ、それにしてもあんた、人望ないねぇ。せっかく何十億も金があるのに、周りに奢ったりしてないから、こういう時に一斉に身内から売られちゃうんじゃないのぉ?」
太った男が下卑た笑い声を上げた。
「……?」
直樹は、怒りを通り越して、ひどく怪訝な表情を浮かべた。
確かにSNSのタイムラインは、顔も名前も知らない無数の「知人」たちによる人格否定や上から目線の批評、さらには「改心したら俺のビジネスで使ってやる」といった意味不明なマウントで溢れ返っていた。だが、その内容はあまりにも自分の認識している「自分」と乖離しすぎていて、直樹には自分のことを言われている感じが全くしなかった。
そもそも四畳半で借金に追われ、精神的な余裕がまったくなかった直樹にとって、SNSはこれまでほとんど縁のない文化だった。だから、画面の向こうの狂乱は、ネットの住民たちが「ナオキ」という架空の新キャラをおもちゃにして遊んでいるだけの、まるで別世界の出来事のように感じられた。
よく見ると、自称・幼馴染や親戚を名乗るアカウントたちが、これから「ナオキ」と始めるという謎のビジネスへの出資を勝手に呼びかけていた。
さらにその下には、
・最新AIエージェント「なよたけ」が爆誕! これさえあれば自動で大儲け(実例アリ!)
・なよたけとは何か? 次世代のクラッキングエージェントの脅威を軍事専門家が考察!
・ジンは売られた? なよたけに逆らったものの末路 Part4
そんな、適当に生成AIで作らせたとしか思えない、おぞましいデザインの「偽物の柔竹」のサムネイルが、ウイルスのようにみるみる増殖していくのが見えた。
「……なんだ、これ?」
直樹は思わず、自分のスマートフォンに目を落とした。画面の奥で、竹のアイコンが、底知れない怒りに震えるかのように、細かく鋭く明滅していた。
「おっ! それが噂の『なよたけさん』っすか!? 俺にもちょっと見せてもらっていいっすかぁ!」
太った男の目が、強欲な獣のようにぎらりと光った。男はおもむろに太い腕を伸ばし、直樹の手からスマートフォンを力任せに奪い取ろうとしてきた。
「やめろ! 何するんだ!」
「佐々本殿! 取材へのご協力、誠に感謝でござる!」
「佐々本さぁーん、あざーーっす!」
二人は、さも了承を得たかのような口ぶりで、直樹の指からスマートフォンを強引に剥ぎ取ろうとした。これまでのトレーニングでそれなりに身体を鍛えていた直樹だったが、狭い玄関口で、自分よりはるかに体格のいい男二人を相手にするには、さすがに分が悪かった。太った男が顎で合図を送ると、背後のひょろ高の男がドアを完全に押し開け、直樹を後ろからがっちりと羽交い絞めにした。
ついに、太った男の指先が直樹のスマートフォンにねちゃりと触れた。
「ひゃっほー! やっぱ、これなんだ! これさえ手に入りゃ、俺たちも明日から秒速で大金持ちってわけだよなぁ!」
「左様でござるな! 拙者への分配も忘れてもらっては困るで候よ!」
「……柔竹!!!」
直樹が、その名を叫んだ。
「まあまあ、そうケチ臭いこと言うなよ。」
「そうそう、人類皆兄弟、助け合わないといかんぜよ!」
ひょろ高が直樹を羽交い絞めにしながら、寒気の走るような気味の悪い宣言を口にした。
「やめろ!」
直樹はひょろ高の腕を払いのけようとするが、腕はがっちりと押さえられていて身動きが出来ない。
「やだねー」
太った男は、有頂天にニタニタと笑いながら、手にした直樹のスマホをぶらぶらと見せつけた。
「やったね、これで俺も大金持ちだーーー!で、これどうやってロック外すんだ?」
直樹の中で、何かが切れた。
「柔竹に触るな!!!」
その叫び声と共に直樹の中から猛烈な怒りが噴き出してきた。
直樹は捩じ上げられた腕の関節が悲鳴を上げるのも構わず体を前に倒すと、スマホに触れている汚らしい太った男の指に噛みつこうとした。
「ひっ!」
(噛みちぎられる!)
太った男は本能でそう感じたのだろう。反射的に手を引っ込めた。同時に、腕を押さえていたひょろりと背の高い男も、直樹の激しい怒りに気圧されたのか、押さえつける力を一瞬だけ緩めた。
直樹はその隙にひょろ高を振り払うと、傲慢な略奪者たちと向かい合った。
太った男の目に剣呑な色が漂った。
「もういいよ、やっちゃおうぜ。二人でかかりゃ余裕だろ」
「そうでござるな……。我らの繁栄の尊い犠牲、というやつですな」
二人は太った男を先頭に土足で部屋まで押し入ろうとしてきた。
その時だった。
アパートの薄暗い共有廊下の入口から、事務的な口調の女性の声が響き渡った。
「――はい、そこまで。ここはお触りは禁止ですので、あなた方はもう出禁です。今すぐお帰りください」
直樹にとって大切なものほど、こういう形で狙われるのだと思います。次話では、ここに割って入る“彼女”が空気をひっくり返します。




