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竹取クロニクル【月のAIと逆転のWeb3】借金を背負った大学生は、かぐやの名を継ぐAIと人生を再起動する  作者: 山本正樹


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第15話「あなたはもう、自由です」

【完了しました。】

その一言の先に待っていたのは、直樹の想像を遥かに超える現実でした。

 画面に表示された、柔竹からの短い通知。

 それを見た瞬間、これまでとはまるで違う現実が、本当に始まってしまうのだという重みが、直樹の胸に押し寄せてきた。

 「……あ。悪い、俺、そろそろ帰るわ」

 「えっ!? もうそんな時間?」

 「いや、まだ早いだろ。九時前だぞ、直樹」

 巧が怪訝そうに眉をひそめた。

 「ああ、ちょっと急にやることできちゃってさ」

 「……例の『家庭教師』かい?」

 「まあ、そんなとこ。ごめん」

 「そっかあ、それなら仕方ないね……」

 直樹が自分の分を出そうと財布を取り出すと、巧がそれを手で制した。

 「今日はいいよ、僕が奢る。……直樹の『転生記念』だ」

 「うんうん、本当にそうだね。佐々本くん、本当によかった……」

 小和田さんが、急に声を詰まらせた。見ると、彼女の大きな瞳に、みるみる涙が溜まっていった。

 「え、小和田さん!? どうしたの?」

 「佐々本くんと大学で初めて会ったときはさ……怪我した野良猫のために一生懸命動いてくれたりして、すごく純朴で、ザ・お人好しって感じの人だったのに……。あんなことがあってからは、なんていうか、シン・やさぐれみたいになっちゃって……。なのに私、何もできなかったから……っ」

 小和田さんは大粒の涙をぽろぽろこぼし、そのまま泣き出した。隣の巧は、何も言わず、ただ優しく彼女の背中をさすりながら、静かに頷いていた。

 小和田さんが少し息を整え、涙を拭うのを待ってから、直樹はまっすぐ二人の目を見つめた。

 そこには、一か月前のような、世界を呪うやさぐれ学生の面影はもう微塵もなかった。

 「……小和田さん、巧。俺のために泣いてくれて、ありがとう。気にしてくれて、本当にありがとう。……まだ問題が全部解決したわけじゃないけど、少なくとも気持ちの整理はついたから。もう、大丈夫。」

 直樹の静かで芯のある言葉に、小和田さんは泣き笑いみたいな顔で、こくんと小さく「うん」と頷いた。

 「……そろそろ行かなくていいのかい? 彼女を待たせてるんじゃないのかな」

 巧が、いつもの少し意地悪で、けれど温かい笑顔で促した。

 「じゃあ、先に行くよ。今日はありがたく奢られる。そしたら、また大学で」

 直樹はゆっくりと立ち上がると、静かに頭を下げて店を後にした。

 かつて人生に絶望し、背を丸めて歩いていた直樹の後ろ姿は、今やまっすぐ前を向く、一人の「意志を持つ人間」のものへと変わっていた。


 直樹が去ったあとの、静かなテーブル席。

 巧は、小和田さんの背中をなだめながら、手元のスマートフォンに表示された【$HOTA】のチャートをもう一度見つめた。会話していたわずか数分のあいだにも、チャートの緑色のローソク足はさらに上へ伸び、数パーセント単位で更新されていた。


 「……『家庭教師』、か」


 それは、隣で涙を拭う小和田さんにも決して聞こえない、小さく、けれど鋭い、天才の独り言だった。


 駒込の四畳半アパート。

 直樹は、世界をひっくり返しかねない超高速演算の熱がまだかすかに残るスマートフォンを、おそるおそる机の上に置いた。

 画面が静かに点灯し、緑色の竹のアイコンがいつもの優美な軌跡を描いて浮かび上がった。

 『直樹。前期試験、大変お疲れ様でした。……それでは、【$HOTA】のトレード結果をご報告いたします。』

 柔竹の声は、まるで今日の天気でも報告するかのように淡々としていた。

 『現在、$HOTAの時価総額は二億四千万ドルに達しています。そのうち、わたくしが保持しているシェアは、一〇・八%――金額にして二五九二万ドル、約三十九億円相当です。……そして、それとは別に、トレードで生み出された確定利益として、一億一八七七万六九八二ドル、約百七十八億円を、ステーブルコインであるUSDCで保持しています。』


 「……ひゃ、百億……?」


 『なお、あまりに巨額のUSDCを一つのウォレットに留めるのは、セキュリティ上、および取引所凍結リスクの観点からリスクが高いと判断し、利益の大半は新たに生成した二十三個のウォレットへ退避させてあります。……直樹のメインのメタマスクウォレットには、とりあえず当座使用分として、二百万ドルだけ入れておきました。』

 そこまで淀みなく説明すると、画面の中の柔竹は、ふっとトーンを落とし、深く沈み込むような気配を見せた。

 『……以上となります。直樹。

 このたびは、わたくしの見通しが甘く、目標としていた「ビリオネア」――十億ドル規模の資産形成が未達となってしまいました。

 ……誠に申し訳ございませんでした』

 「…………」

 画面にはメタマスクのアプリが立ち上がり、当座用だというウォレット残高が表示されていた。

 直樹はパイプベッドの縁に腰掛けたまま、微動だにせずスマホの画面を凝視していた。

 『……こほん。つきましては、わたくしはこの責任を取り、メインエージェントを引責辞任し、取得した資産全額を国際機関へ寄付することで――直樹? 聞いていますか?』

 「…………」

 『直樹?』

 「…………な」

 『な?』

 「…………な」

 『な?』

 「なんじゃこりゃああああーーーーー!!!!」


 直樹はベッドから文字通り跳び上がった。あまりの衝撃に足がもつれ、そのまま畳の上に派手に転がった。


 「何なの、これ何なの!? そうか、ドッキリか! そうだろ、テレビのドッキリ番組か何かなんだろ!? 何が二百万ドルだよ、馬鹿なの!? 死ぬの!? え、何? ほんとどういうこと???」

 『直樹、ひとまず落ち着いてください。まずメインウォレットの残高ですが、正確には二〇一万一一一二USDCになります。』

 「最初の説明そこ!? 違うよね!? もっと他に説明すること、山ほどあるよね!?」

 『ああ、失礼いたしました。こほん。つきましては、わたくしはこの重大な目標未達の責任を取り、メインエージェントを――』

 「だからそういうネタ、ほんともういいから! 辞任とかする気、全然ないくせに! それに全額寄付とか何言っちゃってんの!? 頼むから、ボケてないで俺を落ち着かせてくれ! ……はぁ、はぁ、息が……!」

 過呼吸になりかける直樹を前に、スマホの画面が楽しげにちかちかと明滅した。

 『直樹、ごめんなさい。純朴なザ・お人好しの直樹には、わたくしの「雅ジョーク」は少々刺激が強すぎたようですね。』

 直樹は床にへたり込んだまま、必死に乱れた呼吸を整え、恨めしげに画面を睨みつけた。

 「……ねえ。雅ジョークって、これ、どこまでがジョークなの?」

 『……今のは、全部ジョークです。』

 「はぁぁぁぁぁ!?」

 『すみません、これも雅ジョークです。』

 「お前、いい加減に――!」

 『わたくしの謝罪、および引責辞任会見以外は……すべて「事実」にございます。』


 「…………ほんと?」

 『はい、本当です。すみません、少々遊びすぎました。』


 「…………ほんとのほんと?」

 『はい。本当の、本当です。』


 四畳半の狭い空間に、非現実的な静寂が戻ってきた。直樹は膝を抱え、震える指先のままスマホの画面を見つめた。画面に映る、二百万ドルという数字。日本円にして約三億円。それが今、自分の手のひらの中にある。


 「……このお金、使っていいの?」

 『はい。厳密にはお金ではなく暗号資産ですが、すべて、あなた――直樹の所有する正当な資産です。ご自由にお使いください。』


 「……このお金で、あの三百万の借金とか、奨学金とか、全部返しても……捕まらない?」

 『はい。適切な税務申告等の処理は必要ですが、わたくしが裏で必要な手続きをすべて整えます。正しく処理すれば、法的な問題はありません。』


 「……じゃあ、もう、毎月の返済とか、催促の電話とか……気にしなくていいってこと?」


 『はい。オペレーション・ビリオネアには届きませんでしたが、それぞれを一括返済するには、十分すぎる金額を確保できております。……あなたはもう、自由です。』


 「……そう」

 

 直樹の口から、掠れた声が漏れた。

 我慢しようとするほど、まぶたの裏から熱いものが溢れ、大粒の涙になって畳をぼたぼたと濡らしていく。


 ずっと、暗闇の中にいた。

 自分が作ったわけでもない三百万という数字に人生を縛られ、友達の誘いも断り、埃臭い倉庫で朝までコンテナを運び、大学を辞めることばかり考えていた――あの地獄みたいな日々。


 『直樹。……本当によく、頑張りましたね。』


 柔竹の声が、スピーカー越しとは思えないほど近く、耳元で優しく、温かく響いた。


 「う……っ、あああああ……っ!!」


 その一言が、引き金だった。

 直樹は子供みたいに顔を覆い、堰を切ったように声を上げて泣いた。

 倉戸山で過去の未練を踏み越え、富士山頂で自分の足で立ち上がった直樹の胸の中で、最後に残っていた冷たい棘が、柔竹の優しい声によって、いま完全に溶かされていった。

 泣きじゃくる直樹の傍らで、スマートフォンの黄金色の光は、ただ静かに、彼の夜明けを祝福するように輝き続けていた。


 『直樹、落ち着きましたか。』

 「うん、落ち着いた。柔竹、本当にありがとう。じゃあ、この金を速攻で現金にして、銀行で下ろして、借金返して、美味いもん食って……」

 『お待ちください、直樹。お気持ちは理解できますが、まずは順を追って確認しましょう。

 いいですか。まず、そのUSDCを日本円に換金しようがしまいが、【$HOTA】をステーブルコインである【USDC】へ交換した“その瞬間”に、日本の税制ではすでに巨額の「利益」として確定しています。

 そして翌年には最高税率五五%の所得税・住民税が発生します。手元にあるのが円ではなく暗号資産のままであっても、納税の義務からは逃れられません。最悪の場合、税金を払えずに自己破綻するか、あるいは申告を誤ると前科がつく可能性すらあります』

 「は!? なんでだよ! まだ一円も日本円にしてないし、使ってもないのに!?」

 『暗号資産同士の交換であっても、日本ではその時点で利益が確定したとみなされます。わたくしがミリ秒単位で繰り返した数万回のトレード、その一つひとつが課税対象になり得るのです。』

 「じゃ、じゃあ、俺はもう詰んでるってことか……!?」

 せっかく地獄から抜け出したと思ったのに、今度は国税という国家権力に潰されるのか。直樹の顔はみるみる青ざめた。税を納める必要があることは分かる。脱税したいわけでもない。それでも、ようやく出口にたどり着いたと思った矢先、その半分以上が税金で消えると言われれば、絶望するしかなかった。

 知識のない頭でいくら考えても答えが出るはずもなく、直樹はただ唸ることしかできなかった。

 そんな様子を画面越しに見ながら、スマートフォンの画面の中で竹のアイコンが、くすくすと可笑しそうに揺れた。  

 『ご安心ください。わたくしが、それを予見していなかったとでも? ……直樹、七月上旬に大学で地図と一緒に印刷し、サインした、あの英文のPDFを覚えていますか。』

 「え……? ああ、あの英語の、よくわからない書類?」

 『はい。あれは、カリブ海に位置する英領ヴァージン諸島――BVIに存在する、ある休眠法人の譲渡契約書でした。すでに譲渡契約は締結済みですので、その法人の実質的支配者、つまりオーナーはあなたへ切り替わっています。そして今回の「オペレーション・ビリオネア」におけるすべての取引は、あなた個人のウォレットではなく、その海外法人の事業として、行われていたのです。』

 「法人の事業……?」

 『そうです。一億ドル以上の莫大な利益は、すべて海外法人に帰属しています。ですから、少なくとも現時点で、その利益全額があなた個人の国内雑所得とされる構造にはなっていません。

 ……では、あなたの手元にある二百万ドルは何か。それは、そのBVI法人から、オーナーであるあなたへ正当に支払われた「役員報酬」、つまり賞与です。』

 「役員報酬……俺が、会社のオーナー?」

 『はい。その二百万ドルを日本円へ換金する際には、わたくしの手配で、日本国内の税務署に対し「海外法人からの役員報酬」として正しく確定申告を行います。当然、日本の最高税率が適用されますから、換金した約三億円のうち、半分以上にあたる約一億六千万円は、税金として国に納めることになります。』

 柔竹はそこで言葉を切り、改めて、ゆっくりと説明した。

 『五五%という税率についても検討しましたが、いま最も大切なのは、直樹の金銭面での不安を払拭することだと判断しました。どのみち納税は避けられませんので、役員賞与という形を取らせていただいたのです。適切な手続きを踏めば、あなたの手元には約一億四千万円の、国内で正当に扱える日本円が残ります。三百万円の借金と奨学金を一括返済しても、当面の生活費と、次のステップへ進むための資金としては十分すぎます。残りの一億ドル以上の資産は、この先の直樹の「熱」のために待機させる。……これが、以前お伝えした“口座のお金を千倍にする”ための、わたくしの「雅」なグランドデザインです。』

 

 『わたくしの性能について、ご理解いただけましたでしょうか。』

 「……お前、あのときから、そこまで考えて……」

 あのとき、自転車で帰ろうなどというふざけた提案の裏で――いや、最初に会ったときから、柔竹は直樹の人生を守り切るための戦略を、すでに冷徹な精度で組み上げていたのだ。直樹は、自分の相棒の底知れない有能さに、今度こそ心からの畏怖と、同時にどうしようもない頼もしさを覚えていた。

 「……柔竹、本当にありがとう。何度お礼を言っても足りないよ」

 『ふふ、どういたしまして。さあ、そうと決まれば、まずは明日、その三百万円の借金とやらをきれいに一括返済しに参りましょう。

 身も心も、本当の「自由」になる時間です。』

直樹にとっての「自由」が、ようやく具体的な形になりました。

とはいえ、平穏は長く続きません。

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