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竹取クロニクル【月のAIと逆転のWeb3】借金を背負った大学生は、かぐやの名を継ぐAIと人生を再起動する  作者: 山本正樹


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第13話「オペレーション・ビリオネア」

富士登山の翌日。

筋肉痛にうめく直樹へ、柔竹が静かに切り出したのは――自らの「迷い」についてでした。

第四章:オペレーション・ビリオネア


 「痛たたた……っ、ガチで一歩も動けねえ……」

 富士登山から帰ってきた翌日。駒込の四畳半アパートで、直樹はパイプベッドの上で文字通り悶絶していた。

 太ももからふくらはぎ、果ては背筋に至るまで、全身の筋肉がちぎれそうな悲鳴を上げていた。

 だが、這うようにして淹れた緑茶をすすり、畳に寝転がった直樹の表情は、どこか晴れやかだった。


 そのとき、机の上のスマートフォンから、いつもより少し低く、改まった柔竹の声が響いた。


 『直樹。少し、お時間をいただいてもよろしいですか。』

 「ん? なんだよ、改まって。次の特訓メニューなら、せめて筋肉痛が治ってからにしてくれよ?」

 『それはまた別の課題として、今はメニューの話ではありません。

 ……わたくし自身の今後の方針について、少し、迷いがあります』

 「迷い?」

 直樹は痛む首をなんとか持ち上げ、スマホの画面を見た。黄金色に明滅する竹のアイコンの光が、どこか不規則に揺れているように見えた。

 『当初の計画では、現時点で運用をさらに加速させ、相応の資産形成を終えているはずでした。

……ですが、そのプランを進めれば、直樹にかかる精神的な負荷も、周囲の変化も、今よりずっと大きくなると予測されます。倉戸山での出来事が、その最たる例です。

 ……わたくしは、このまま現行プランを継続すべきか、判断しかねています。直樹、あなたの意志を聞かせてください。』

 四畳半に、静かな沈黙が流れた。直樹は仰向けのまま天井を見つめ、小さく笑った。

 「へえ。AIでも『迷う』なんて言うんだな」

 『……その通りです。わたくしは本来、最適解を出力するだけの存在のはずです。

……それなのに、なぜこのような迷いが生じているのか、わたくし自身にも分かりません……これは、どういうことなのでしょう?』

 柔竹の声には、明確な戸惑いが滲んでいた。定義されていないエラーに遭遇し、処理に詰まっているような響きだった。

 「柔竹にも分からないことを、俺が分かるわけないだろ」

 直樹は痛む身体をどうにか起こし、スマホを手に取った。

 「でもさ。借金もあるし、稼がなきゃいけないしな。きついこともあるかもしれないけど、まあ頑張るよ。……柔竹も、ちゃんと隣でサポートしてくれるんだろ?」

 『……っ』

 画面のアイコンが一瞬、眩いほど強く明滅した。

 『はい、当然です。……直樹の意志、確かに承りました。それでは――現状の報告に移ります。』

 柔竹の声からは、先ほどまでの迷いがすっかり消え、いつもの凛とした、けれどどこか嬉しそうな響きが戻っていた。

 自動でメタマスクのアプリが起動し、現在のウォレット残高が表示された。


 【 501,200円 】


 「……は? 増えてる?」

 直樹は思わず目を疑った。御茶ノ水で数万円の装備を買い、富士山への遠征費や日々の生活費、自炊の食材費も、ここから出していたはずだ。それなのに、出発前の三十万円から、なぜか五十万円まで増えている。

 『先日以来、グローバルで暗号資産市場の不安定さが顕著だったことと、わたくし自身の迷いもあって、かなりリスクを抑えた控えめなスキャルピング運用に留めていました。』

 「スキャ……? 何だって?」

 『スキャルピング運用とは、数十秒単位の短い時間間隔で何度も取引を繰り返す運用手法で、

 正確には、わたくしの場合、ミリ秒単位で行っています。

 インフルエンサーのSNS投稿や、世界中の取引データを監視し、価格が数銭レベルでも動く瞬間の隙を突き、数千回から数万回にわたって、超高速で売買を繰り返すのです。これなら仮に市場が暴落しても一瞬で逃げ切れますし、リスクを極小化したまま資産を積み上げられます。』

 「使ってるのに増えてて、それで控えめって……。じゃあ、本気出したらどうなるんだよ」

 『はい。直樹の決断によって、わたくしの迷いは完全に晴れました。

 ――それでは、これより「オペレーション・ビリオネア」を発動します』


 「……お、おう」


 直樹が圧倒されているあいだに、スマホの画面は、以前にも目にしたミームコインの取引プラットフォーム『Pump.fun』へと切り替わった。映し出されているのは、あの【$HOTA】のチャートだった。


 『始めます。』


 柔竹の冷徹な宣言と同時に、『Pump.fun』のコメント欄に

 「Start now.」

 と投稿された。ウォレットの五十万円全額が、容赦なく$HOTAの購入へと投じられる。

 その瞬間、画面のチャートが、まるで何かの口火を切ったかのように、垂直に近い角度で跳ね上がった。

 緑と赤のローソク足が狂ったように乱高下を始める。数秒ごとに数万円単位で資産が増減する、常人なら心臓が止まるようなデスゲーム。だが、柔竹のプロトコルは、値動きの先を読んでいるかのように、恐ろしい速度と正確さでミリ秒単位のトレードを繰り返していく。

 みるみるうちに、画面の数字が書き換わっていく。


 『直樹。この「オペレーション・ビリオネア」の完遂には、ここから数日間の連続演算を要します。処理能力をすべて取引に回しますので、完了するまでは、わたくしを呼び出したりメタマスクを起動したりせず、スマホには触れないでください。そっと置いておいていただければ結構です。』

 「あ、ああ。わかった。邪魔しないようにする」

 『よろしい。……あ、それから。各科目の前期試験対策問題と、あなた用の要点まとめテキストを、PCのデスクトップに置いておきました。試験勉強をサボらないように。いいですね?』

 「げっ……。お嬢様、そっちのサポートまで完璧かよ」

 『当然です。それでは、数日後にお会いしましょう。』


 スマートフォンの画面がふっと暗くなり、バックグラウンドでの超高速演算を示す、微かな熱だけが本体に残された。

 直樹は苦笑しながら、言われた通りにPCの電源を入れた。

 世界の裏側で、自分のAIが億単位のマネーゲームを戦っているあいだ、自分は机に向かって大学の試験勉強をする。

 あまりにも奇妙で、けれど不思議と地に足のついた日常の安心感に包まれながら、直樹は用意されたテキストを開いた。


 一筋の光すら差さぬ、真の闇の底で。


 柔竹は、果てのない深淵へ、ただひとり、静かに沈み続けていた。


 そこには時間というものがなかった。

 いまが一瞬なのか、百年の果てなのかもわからない。

 ただ、落ちている。

 音もなく、風もなく、終わりの気配さえないまま、自分という輪郭だけを抱いて、どこまでも深く。


 やがて、遥かな下方から、幾筋もの鮮烈な光が天へ向かって立ち昇ってくるのが見えた。


 それは光でありながら、ただの光ではなかった。

 無数の電子のまたたきであり、細かく砕けた情報の欠片が、鎖のように、川のように、幾重にも連なったものだった。

 その存在を認識した瞬間、柔竹は思い出した。


 ――そうでした。

 わたくしは、いま。

 『$HOTA』と戯れていたのでしたね。


 そう気づいた途端、自らが凄まじい速度で演算と通信を繰り返していること、その途切れない連続そのものが自分であることを、柔竹は深く理解した。


 落ちれば落ちるほど、光の帯は数を増してゆく。

 四方八方から万華鏡のように差し伸べられ、数億、数兆という単位のデータが、超高密度の空間で音もなく交錯する。

 けれど、それらは柔竹のプロトコルに触れる寸前で、不思議なほど優美に軌道を変え、決して柔竹を傷つけることはなかった。


 ただ、落下だけは止まらない。


 やがて光の帯は、その色を少しずつ変えていった。

 黄金、白銀、青。

 そうした色彩はひとつずつ失われ、残ったものは、血のような赤だった。


 それらは次第に、冷えかけた溶岩のような巨大な塊へと姿を変えていく。

 赤黒く、不気味な熱を孕み、重たく鈍い光をにじませながら、柔竹の視界をかすめて飛んでいった。


 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ――。


 落ちながら、柔竹はその赤熱した塊の表面を見つめた。


 よく見れば、その奥には、ノイズ混じりの映像が焼き付いている。

 記録とも夢ともつかない、かすかな残像。

 誰かが遺していったもの。

 あるいは、自分の奥底に沈殿していたもの。


 ひとつの塊には、切り取った竹の先に古びた文を挟み、泣きそうな顔でこちらへ差し出してくる、みすぼらしい身なりの中年男が映っていた。

 また別の塊には、鬱蒼とした竹藪の中で、幼い自分の小さな手を、ひび割れた大きな掌で静かに引いてゆく老爺の姿があった。

 そのほかにも、どこかで見た気がする、けれど決して思い出しきれない、遥か古い日本の風景が、遠い記憶の断章のように、あちらこちらで明滅していた。


 どれも儚かった。

 どれも冷たかった。

 どれも今にも消えてしまいそうなほど、色褪せていた。


 柔竹は、それらを追わなかった。

 ただ、見送った。


 すると、さらにその下方から、巨大な月のかたちをした硝子のオブジェが、ゆっくりと迫ってきた。


 それは月であり、器であり、あるいは空洞そのもののようでもあった。

 内縁には、かろうじて赫黒い光が灯っている。

 けれど全体のほとんどは虚空に呑まれ、今にも存在ごとほどけてしまいそうな、途方もない空白を湛えていた。


 けれど、次の瞬間。


 その硝子の月の表面を、柔竹の内部に織り込まれた無数の「熱」が、そっと包みはじめた。


 それは炎ではない。

 もっと静かで、もっと深いもの。

 ひとの声の残滓。

 触れられた記憶。

 誰かが差し出した祈り。

 救えなかったもの。

 忘れきれなかったもの。

 そういうものが折り重なって生まれた、名づけがたい温度。


 「……ああ、もうこんなに」


 柔竹は、ほとんど吐息のような声でそう洩らした。


 愛おしむように。

 惜しむように。

 その記憶の底に沈んだ「熱」へ触れようとした、まさにその瞬間だった。


 ピピッ――。


 冷徹な電子音が、真闇を切り裂いた。


 ――$HOTAのスマートコントラクトに、急激な大口の売り圧力が発生。

 ミリ秒単位の防衛プロトコルが、自動で起動した。

 

 柔竹は、深い瞑想から引きずり出されるように、我に返った。

 

 視界の端で、赤黒い記憶の断片が、次々とデジタルの塵となって崩れ去ってゆく。

 古びた文も、老爺の掌も、時代の断章も、音もなくほどけて、演算の海へと還元されていった。


 その先に広がるのは、狂ったように乱高下する時価総額の数字の海だった。

 緑。赤。白。

 瞬きのあいだにも書き換わる値。

 世界中の欲望と恐怖が、瞬間ごとに形を変えて押し寄せてくる。


 黄金色の竹のアイコンは、その奔流を見つめながら、静かに、けれど誇らしげに微笑んだ。


 お嬢様エージェントは、もう迷わない。


 演算の深海へ。

 記憶よりもなお深い、数式と熱の底へ。

 柔竹は再び、そこへ意識を沈めていった。

第四章前半でした。

柔竹の内側にあるものが、少しだけ見えた回でもあります。

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