8.聖女の翼を手折りたい
sideローゼル
艶やかで美しいピンクゴールドの髪がサラサラと揺れ動く。その間から見える顔はとても小さく、綺麗な顔立ちをしている。
中でもあの黄金の瞳を宿す愛らしい猫目は、誰もを捉えて離さない不思議な魅力があった。
さらにエレノアは美しいだけではなかった。
彼女は誰にでも平等で優しい。
困っている人を放っておけず、簡単に手を差し伸べ、どんなことに対してもまっすぐで諦めない。
だからこそ、彼女は〝帝国の聖女〟と呼ばれていた。
いつもいつも、何をしていても、彼女の姿が目に浮かぶ。
彼女は帝国の聖女らしく、俺にも変わらず手を差し伸べる。
小さな異変に気づき、それとなく解決方法を探す。
服に困っていたら服を渡し、食べ物に困っていたらパンを渡す。
俺の様子を伺い、怪我も毒もすぐに治し、なんでもないことのように笑う。
最初は彼女の力など借りなくともなんとでもなるので、ただただお節介だ、とあまりいい思いは抱いていなかった。
自己満足による善意を押し付けられている気分だった。
だが、それでも何故かすごく嫌な感じはしなかった。
そして気がつけば、彼女の姿をいつも探していた。
彼女の声をいつも聴こうとしていた。
彼女の視線の先をいつも追いかけていた。
彼女の笑顔に、いいな、と思うようになった。
俺は彼女のことをどうしようもなく、好きになっていた。
しかしそう自覚したと同時に、複雑な思いを抱いた。
以前までは、彼女の親切がただただ心地よかった。
だが、誰にでも平等な彼女だからこそ、俺にも優しいのだと思うと、やるせない気持ちになった。
心が少しずつ軋む、そんな感覚だった。
エレノアは俺の全てを変えてくれた。
強さには、周りの評価も仲間も不要だ。
ただ己の力を磨き続け、必要な場面で力を発揮し、報酬を得る。
それだけで十分生きていけたはずなのに、エレノアが俺よりも俺のことで泣いたり、怒ったりするものだから、気づいた時には、そんなエレノアに影響された人たちが俺の周りにはたくさん集まっていた。
第二騎士団の同僚に、先輩に、隊長や副隊長。
彼らは温かく俺を迎え入れ、まるで家族のように接してきた。
初めて親以外から受けるその温かさに、仲間の大切さ、必要性を俺は知ってしまった。
今の俺はもうあの頃の人の温かさを知らない、孤独な俺には戻れないだろう。
エレノアは俺を救ってくれた、俺の聖女だ。
だが、エレノアは〝帝国の〟聖女であり、俺だけの聖女にはなってくれない。
俺のような誰かをエレノアは迷うことなく助ける。
自分のことのように心を痛め、涙を流し、時には怒り、時には解決のために身を削ってでも奔走する。
そして幸せそうに笑う誰かとその喜びを分かち合うように微笑むのだ。
俺ではない誰かに心を割き続けるエレノアに、俺の心は静かに沈んでいった。
他の誰かの聖女でいないで欲しい。
俺だけの聖女であって欲しい。
そういつもエレノアに対して思っていた。
少しでも俺だけのエレノアであって欲しい。
その為に俺は毎日毎日、わざと怪我をした。
こうすれば、エレノアに会える。
治療の時間全てが俺のものになる。
「今日はここ?」
救護室で俺の目の前に座るエレノアが、伺うように俺の頬を見る。
俺はそんなエレノアにいつも通り少し眉を下げ、被害者のような顔をした。
「はい。痛いです」
「そう…」
俺の主張に、エレノアが呆れたように小さく笑う。
痛いわけがない、とわかっているその笑顔に、胸がきゅうと締め付けられる。
ああ、やっぱり、好きだ。
「痛いと思うけど我慢してね」
いつものように消毒薬を持つエレノアがわざとらしく微笑む。
その慈悲深い笑みに、また体温が上昇した。
けれど、この笑顔は俺だけのものではない。
慈悲深い笑みはみんなのものだ。
何故なら彼女は〝帝国の聖女〟で、みんなの聖女なのだから。
*****
そんな日々が続いた、とある日のこと。
帝国最北端の街、キキルでの討伐遠征中の野営で、俺はあるものを拾った。
「…?」
俺の手のひらにある小さな缶の箱をじっと見つめる。
どこにでもあるようなシンプルなその缶の箱に、エレノアの姿が頭をよぎる。
こんなものをエレノアも持っていたような…。
いや、こんなものエレノアじゃなくても、誰だって持っているだろう。
何をしても、何を見ても、なんでもエレノアに繋げてしまう。
それほどまでに、俺はエレノアに囚われて、支配されているのだ。
軽く頭を横に振り、改めて缶の箱を見つめる。
動かすたびに中からカチャカチャと音が鳴るので、何か小さなものが入っているのだろう。
中身を見ないことには、持ち主が誰であるかわからない。
そう思い、蓋を開けると、そこには小さな白い錠剤が複数入っていた。
この錠剤は…。
見たことのないものに、一瞬だけ首を捻る。
だが、ふと、それが見覚えのあるものに感じた。
吸血鬼が己の本能を抑える為に飲むタブレット。
以前、吸血鬼の取り調べをした時、こんなタブレットを見たような…。
そこまで考えたところで、俺の耳に鈴音を転がすような愛らしい声が聞こえてきた。
「そう、シルバーの手のひらサイズの缶の箱。シンプルなデザインで、中に薬が入ってるの」
聞こえてきたエレノアの声に、自身の手の中にある缶の箱が浮かぶ。
おそらくエレノアが探しているものは、これなのだろう。
「エレ…」
俺はエレノアの名前を呼びかけて、口を閉ざした。
もし、これが本当にエレノアのものだったら。
もし、あの錠剤が吸血鬼の本能を抑えるタブレットだったら。
もし、エレノアがその吸血鬼だったのなら。
彼女は遅かれ早かれ、その本能に苛まれることになる。
その時、彼女の側にいれば。
ーーーエレノアに、食べてもらえる。
俺は何度も禁断症状を発症した吸血鬼を見てきた。
彼らは血を欲する本能に抗えず、夢中になって、人を食らう。
もしエレノアが吸血鬼で、その求められる人が俺だったらどんなにいいだろう。
みんなの聖女が必死に俺を求めて、俺に牙を立てる。
首、腕、足、どこへだっていい。
そうして、頬を紅潮させ、夢中でその舌を這わせるのだ。
彼女になら、何を奪われても構わない。
俺の最期の瞬間が彼女であり、彼女の手で終われるなど、夢のような話だ。
例えそれが捕食目的でも、俺はいい。
そこまで思考を巡らせて、俺は何事もないように、缶の箱を騎士服の内ポケットへと入れた。
「…手のひらサイズのシンプルな缶の箱ですか。俺も見てませんね」
「そう…」
マックスとエレノアの話し声が引き続き聞こえる。
視界の端で捉えたエレノアは残念そうに肩を落としていた。
そしてしばらくして、森の方へと駆け出していった。
まるで何かから逃げるように。
*****
ぼんやりとした月明かりの下。
大きな木の幹に体を預け、ゆったりと腰掛ける。
そんな俺の腕の中には、ぐったりとしているエレノアがいた。
エレノアはやはり吸血鬼だった。
そうであろうと思いエレノアの後を追ったが、こちらを咄嗟に見た赤色の瞳に、それは確信へと変わった。
エレノアの瞳は黄金だ。
あの赤は吸血鬼である何よりの証拠であり、誰かの血を求めているサインでもある。
先ほどまで泣いていたエレノアの瞳はもう黄金に戻っていた。
様子も落ち着いており、いつものエレノアそのものだった。
「…ローゼル、痛くない?気持ち悪いところはない?」
「ないですよ、エレノア。俺は大丈夫です」
俺の胸から顔をあげ、エレノアがひどく心配そうに俺を見つめる。
その姿があまりにも愛らしくて、思わず表情が緩む。
柔らかいエレノアの髪に触れてみる。
それから宥めるように、優しくて撫でて、その柔らかな感触を味わった。
ああ、みんなの聖女が俺の腕の中にいる。
俺に堕ちてきてくれた。
その事実が嬉しくて嬉しくて、胸がいっぱいになる。
脳裏に先ほどのエレノアの姿が焼き付いて離れない。
遠慮がちに、怖がりながらも、それでも本能には逆らえず、ゆっくりと俺の手の甲に唇をつけたエレノア。
血の味を知り、何度も何度も這わせる舌に、漏れ出る甘い吐息と声。
どこか気持ちよさそうにトロンとしていく瞳に、こちらの欲まで煽られた。
それと同時に走る甘い電流に、頭がおかしくなりそうになった。
吸血されるという行為がこんなにも、甘く、熱く、刺激的だったとは。
この快楽に身を委ねて、彼女に殺されるだなんて、本望だ。
しかし、俺は彼女に殺されなかった。
アナタになら殺されてもよかったのに。
「…ごめん、ローゼル。あとでちゃんと手当てするから」
痛々しそうに俺の手を見るエレノアに、幸せな気持ちが広がった。
謝らないで、俺だけの聖女様。
アナタをこうしたのは俺なのだから。




