2.溢れる想いは胸の内に
今日も無事仕事を終え、私は帝都内に借りている小さな家の寝室で、1人机に向かっていた。
ノートを開いて今日の処置内容を静かにしたためる。
これが帝国騎士団救護隊に所属する薬師である私の日課だ。
このノートこそが、未来の私を…いや、未来の誰かを助けるほんの小さな光になるはずだ。
私、エレノア・ミラーは有名な腕利きの薬師を両親に持ち、学生の頃からその両親に恥じない力を発揮してきた。
その功績から学院卒業後、18歳で帝国騎士団救護隊に入り、今に至る。
救護隊で働き、もう4年。
本当にいろいろな経験をしてきた。
手負の誰かを見放すことも、諦めることも苦手な性格ゆえ、気がつけばいつも誰かを救うことに奮闘していた。
そしてその姿が徐々に評価され、見た目の美しさからも今では〝帝国の聖女〟などという不相応な呼び名で呼ばれている。
そう、私の見た目は〝聖女〟と言われてしまうほど美しかった。
一説によると、人間を虜にし、効率的に捕食する為の美貌だと言われているが、それが正しい説なのかは正直わからない。
だが、私の知っている吸血鬼たちは、確かに皆美しい見た目をしていた。
さらりと、長い髪がノートにしなだれる。
目に入ったピンクゴールドの髪は、まるで絹のように美しい。
小さな顔に、バランスよく配置された目、鼻、口、眉。
スッと通った鼻に、印象的な黄金の瞳。
一度見れば忘れられない、それが吸血鬼である私の見た目だ。
しかし吸血鬼といっても、見た目が美しいだけで、あとは普通の人間と何も変わらなかった。
私たち吸血鬼には人間とは違い、血を欲する本能がある。
だがそれは生まれてから今までずっとタブレットによって抑えられている為、感じたことのないものだった。
タブレットとは、様々な動物の血を凝縮し作られた錠剤だ。これさえ1日1回飲んでいれば、吸血鬼はその本能を抑えられる。その結果、禁断症状も起こらない。
私たちはただタブレットが必要な人間のようなものなのだ。
だから血を流す誰かを見ても、みんなが信じる吸血鬼のように、本能が暴れ出すこともない。
何も感じない。
むしろあんなものを口に含みたいという考えそのものが、私には理解できなかった。
そして私のような考え方は吸血鬼の中でもごく一般的なものだった。
その為、普通に生きていれば、誰かの血を口にした吸血鬼の話など、耳にすることさえもなかった。
そもそも本能に身を任せ誰かの血を吸う行為は、バケモノに堕ちることと同じだ。
そう幼い頃から何度も聞かされてきたし、私自身もそうだと思っている。
『俺がアナタを守ります。いつまでも』
ふと、そんな私の思考の隙間に、今日のローゼルの姿が入ってくる。
ほんの少しだけ瞳を細めて、柔らかく笑うローゼル。
恩人へ向けるその言葉に他意はない。
それでも私の心臓を何度も何度も高鳴らせた。
「…はぁ」
パタンッとノートを閉めて、ペンを持ったまま、机へと伏せる。
好き、好き、好き。
どうしても、溢れて止まらない。
以前まではこんな感覚なかったというのに。
私はまぶたをゆっくりと閉じた。
そして、彼に恋慕を抱く前、彼との出会いから現在までに続く記憶に思いを馳せ始めた。
*****
帝国騎士団の救護隊の薬師として働き始めて、2年。
20歳の時に、私はローゼルと出会った。
昼下がりの午後の救護室には、いろいろな人がやって来る。
鍛錬や任務で怪我を負った者。
病気や風邪の者。
稀に毒にやられていたり、ただお喋りに来ていたり。
様々な者が行き交うここで、私は今日も変わらず仕事に専念していた。
私と向き合うように椅子に座る美しく若い男の騎士が、無言で私に左腕を差し出している。
捲り上げられたそこから見える傷はかなり大きく、おそらく剣による切り傷のようだった。
何故、おそらくなのかというと、彼が腕を差し出したまま、無言でなんの説明もしないからだ。
艶やかで綺麗な黒髪に、アメジストのような輝きを放つ紫の瞳。
彫刻のように美しい顔に、感情のない冷たい表情。
初めて見る顔だったが、彼が一体誰なのか、私はなんとなくわかった。
彼の名前はローゼル・ホワイト。
帝国騎士学校始まって以来の好成績を残し、今年卒業した、天才騎士様だ。歳は私の2つ下の18歳で、庶民の出ながら、その確かな実力から第一騎士団に所属していた。
噂通り、美しく、そして冷たい人だ。
黙ったまま、こちらを見つめる彼に私はそう思った。
「鍛錬で怪我を?」
「…」
伺うようにローゼルを見れば、ローゼルが私に静かに頷く。
美しいが変わらぬ表情はやはり、私に〝冷たい〟という印象を与えた。
「少ししみるけど我慢してね」
「…」
無言を貫くローゼルの左腕に、そっと殺菌効果のある薬を振りかける。
私とは違う天才騎士様らしい腕に、必要な処置をしていると、大きな傷の近くに小さな黒いシミを見つけた。
このシミは…。
見たことのあるシミに思考を巡らせる。
答えを探すこと、数秒。
ローゼルの腕にあるシミの正体に私は辿りついた。
「ねぇ、アナタ、1週間ほど前に毒にやられてない?」
「…」
私の質問に、ローゼルの綺麗な眉が一瞬だけピクリと動く。
だが、それはほんの一瞬で、ローゼルは何でもない顔で、淡々と言った。
「アナタには関係ない」
冷たい声音に、胸がざわめく。
否定しないということは、肯定してることと同義だ。
ローゼルの腕にあった、黒いシミ。
あれは全身を痺れさせ、自由を奪うマリカという毒の後遺症としてできるものだ。
自分でマリカをあおったとは思えない。
誰かに飲まされたとしか…。
「もういいですか」
止まってしまった私の手に、怪訝そうな声がかけられる。
「ま、待って!最後に包帯を…!」
ローゼルの声に、私はとりあえず考えることをやめ、慌てて医療箱から包帯を取り出し、それを巻き始めた。
よく見ればローゼルの騎士服は第一騎士団所属だというのに、古びており、小さな破損がある。
第一騎士団は騎士団の中でも花形で、エリート集団だ。
そのほとんどが高貴な血を受け継ぐ貴族で構成されており、貴族以外では、圧倒的な実力や成果をあげた者がそこに加わっている。
彼らの仕事は皇帝陛下や皇族の護衛、舞踏会などたくさんの貴族が集まる場の警護などだ。
そんな第一騎士団所属のローゼルの現状に、私は小さな違和感を覚えた。
よく見ると完璧ではない騎士服に毒の後遺症。
彼には何かあるのではないか。
包帯を巻き終え、慣れた調子で結ぶと、私は顔をあげ、まっすぐとローゼルを見た。
「…何か困っていることとかない?まだここに来て半年でしょう?」
「ありませんが」
私の問いかけに、ローゼルが冷たくそう言い放つ。
それから淡々と「ありがとうございました」と言うと、さっさと救護室を後にした。
扉の向こうに消えていったローゼルの背中に、私の胸の内は静かにざわめき続けた。




