第65話 囚われた光
「カイト! 緊急!」
アリアの風読み通信が、夜明け前のテントに飛び込んできた。甘い風属性の残滓ではない。荒い。乱れている。アリアの声が震えていた。通信が途切れかけている。集中力を限界まで使って、声を飛ばしている。
「教会の調査団が——ミルフィ村に向かっている。白い法衣の三人組。聖騎士が一人ついてる。ラスティカの東街道を通って、ミルフィ村の方角に進んでる」
体が起き上がった。一瞬で。蝕の後遺症が残っている体が、一瞬で動いた。
「目的は?」
「聖女の治療を受けている少女——ユイちゃんの確保。……カイト、これ、ドルクさんが街道で聞き込みした情報と一致してる。調査団が宿場町で話してたの。『辺境に聖属性との親和性が異常に高い少女がいる。聖戦のために確保する必要がある』って」
確保。保護ではなく、確保。
テントの中が一気に緊張した。リーゼが毛布を跳ね飛ばして立ち上がった。碧い瞳が暗闇の中で光っている。シアが紫の瞳を見開いた。メルティアの赤い瞳が、蝋燭のない暗がりの中で微かに光った。悪魔の瞳は暗闇でも光る。
情報が漏れたのは、いつだ。
シアの治療情報が教会に漏洩した——あの夜だ。大聖堂でシアの元同僚メルティアが「ユイちゃんの素質」を口にした夜。あの時の情報が、聖戦の混乱に乗じて動き出した。ヴィクトルが「辺境の少女」の調査を命じたとすれば——全てが繋がる。
◇
「辺境に戻る」
即答した。迷いはなかった。口の中に昨夜の干し肉の塩気がまだ残っている。だがそれすらも今は遠い。テントの中に充満していた汗と革と蝋燭の匂いが、緊張で感じられなくなっている。
だが、聖騎士団の隊長がテントの外で聞いていた。朝の見回りの途中だったのだろう。声が飛んできた。
「前線を離脱する気か。Aランク冒険者が前線を離れれば、戦力に穴が開く。聖戦中の離脱は——」
「妹が狙われている」
短く切った。隊長の目を見た。
「冥渦の封印を修復できるのは俺だけだ。その俺の妹が教会に確保されたら、俺は次の修復で力を出せると思うか」
隊長が口を閉じた。合理的な人間だ。感情ではなく計算で判断する。全属性使いの戦意を落とすことの損失と、前線の一時的な戦力減の損失を天秤にかけている。
リーゼが一歩前に出た。碧い瞳が隊長を見据えた。
「戦力の穴は他の冒険者で埋められます。妹の安全は他では埋められない。……行きなさい、カイト」
碧い瞳が迷いなく俺を見ていた。リーゼの判断は常に正確だ。感情と論理が一致している時のリーゼは、誰よりも強い。
隊長が一瞬黙って、背を向けた。「……勝手にしろ。ただし、戻ってこい。冥渦は待ってくれん」
◇
テントの中で準備しながら、メルティアが赤い瞳を細めた。
「教会がユイちゃんに手を伸ばすのは、時間の問題だったわ」
声に♪がなかった。分析の声。千年の知識で状況を読んでいる。
「でも、このタイミングは偶然じゃない」
「偶然じゃない?」
「カイトが前線で蝕を使い始めた直後。封印修復の唯一の手段がカイトだと確定した直後。……このタイミングでユイちゃんを狙えば、カイトは前線を離れるしかない。前線を離れれば、冥渦の封印が止まる。封印が止まれば、聖戦が長引く。聖戦が長引けば、教会の権限が延長される」
二重の罠。ユイの確保そのものが目的であると同時に、カイトを前線から引き離す手段でもある。
「さらに言えば」
メルティアの赤い瞳が鋭くなった。
「前線を離脱したカイトを『戦線離脱』として処分する口実にもなる。聖戦中の離脱は、ギルドの規約上、ランク剥奪の理由になりうる。……どちらに転んでも、ヴィクトルに利がある」
リーゼが碧い瞳を鋭くした。「ランク剥奪は法的に争える。エリシアを通じて王権の庇護を——」
「もうやっている」
アリアに風読み通信を頼んだ。エリシアへの緊急連絡。「教会の調査団がミルフィ村に向かっている。ユイの確保が目的。王権の名の下に差し止めを」
返信は早かった。エリシアの声がアリア経由で届いた。
「王権の名の下に、教会の調査団を差し止めます。父上に掛け合います。……ただし、法的手続きが必要です。勅令を出すには最低でも二日かかる。先に辺境に着いてください」
二日。勅令が出るまでの猶予。だが教会の調査団は既にミルフィ村に向かっている。ドルクの情報では、あと一日で到着する。一日の差。エリシアの勅令が間に合わない可能性がある。
「行こう」
テントを出た。朝日が山岳地帯の尾根を照らし始めていた。空気が冷たい。針葉樹の匂い。だが、もうこの匂いの中にいる余裕はない。
全速力で辺境に向かう。山岳地帯を降りて、丘陵を越えて。馬車では遅い。徒歩で、最短経路を。
シアが装備を背負いながら、紫の瞳で前方を見た。「ユイちゃん……」。小さな声。聖女が、聖女が追放された教会から、治療対象の少女を守ろうとしている。皮肉な構図。だがシアの紫の瞳に迷いはなかった。
テントの外の焚き火が燻っていた。昨夜の残り火。煙が朝の空気に白い筋を描いている。その煙の匂いを最後に嗅いで、山を降り始めた。
◇
走りながら考えた。
ユイが狙われている。教会の手が伸びている。
だが——メルティアが言った「このタイミングは偶然じゃない」。偶然でないなら、教会だけが動いているのか。
アリアが感じ取っていた「南東からの暗い気配」。闇市の匂いに似た気配。レクスの下級悪魔。教会がユイの存在に気づいたなら、悪魔勢力も気づいている可能性がある。ユイの「変換器」としての能力は、教会にとって「聖なる器」だが、悪魔にとっては「魔素の変換器」だ。
教会と悪魔。光の手と闇の手。どちらもユイに伸びている。
どちらの手からも、ユイを守らなければならない。
走った。山を降りた。丘陵が見え始めた。春の若草の匂いが、山の針葉樹の匂いに混じり始めた。辺境が近づいている。
ユイに手が伸びている。教会の手が。そしてもう一つの手が——まだ見えない影が、辺境に向かっていた。
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