第60話 設計図
風の匂いが変わった瞬間、アリアからの通信だと分かった。
朝。テントの外。前線基地の空気に、微かに甘い風属性の残滓が混じった。アリアの風読み通信が届く時の、独特の気配。メルティアが赤い瞳を上げた。シアが紫の瞳を閉じて耳を澄ませた。リーゼが碧い瞳で風の方向を確認した。
アリアの声が、風に乗って届いた。
「カイト。エリシアさんから書状が来ている。長いから、要点だけ伝えるね。……メモして」
リーゼがペンと紙を用意した。アリアの声を書き取る。風読み通信は声が歪む。聞き逃さないように、四人で囲んで聞いた。テントの中に朝露の匂いと、アリアが送ってきた風の甘い匂いが漂っていた。
◇
エリシアの報告。アリアの声を通じて、一文ずつ。
「封印陣の構造が判明しました」
エリシアの声ではなくアリアの声で聞いている。だが、言葉遣いはエリシアのものだ。学術的で、正確で、余計な修飾がない。
「千二百年前の封印は、聖属性の六芒構造で組まれています。六つの結節点が円形に配置され、中心に調律点がある」
リーゼのペンが走った。六芒。結節点。調律点。図に起こしている。碧い瞳が紙の上を行き来して、構造を視覚化していく。
「封印を修復するには、六つの結節点に聖属性を再注入し、中心の調律点で聖と魔の均衡を取り直す必要があります」
結節点に聖属性。シアの力。調律点で聖と魔の均衡。俺の力。
「調律点には、聖と魔の両方を同時に制御できる存在が必要です。つまり——」
アリアの声が一瞬途切れた。風読みの揺らぎ。だが、次の言葉はアリアの口調に戻っていた。アリアが自分の言葉で補った。
「カイト。あなたしかできない、って」
俺しかできない。全属性使い。聖も魔も同時に扱える唯一の存在。千二百年前は天使と人間が分担していた。天使が聖を、人間が調律を。今は、一人の人間が両方をやる。
「続きがあるの。……大事なところ」
アリアの声が低くなった。
「調律には蝕に近い力——聖と魔の同時制御——が最も適しています。ただし、蝕の使用は魔印の進行を加速させます。一回の修復で、通常の数倍の進行が起きる可能性があります」
沈黙。
テントの中の空気が重くなった。鉄の味が口の中に残っている。昨日の戦闘の残滓。今日の戦闘の予告。
エリシアの最後の一文が、アリアの声で届いた。
「これはジレンマです。封印を修復するほど、あなた自身が消耗する。……カイトさん。どうか、慎重に判断してください」
アリアの通信が途切れた。風属性の残滓が消えていく。テントの中に、四人の呼吸だけが残った。
◇
リーゼが書き取ったメモを見た。六芒構造の図。結節点の配置。調律点の位置。テントの帆布越しに、外の焚き火で煮ている野菜汁の匂いが入ってきた。前線基地の朝食の匂い。日常の匂いだ。だが、その日常がいつまで続くかは、この設計図にかかっている。
エリシアの設計図。千二百年前の封印を直すための、手順書。
直せる。封印を直す方法がある。冥渦を閉じる手段がある。昨夜の「封じる手段がなければ、この戦争に終わりはない」が、今朝ひっくり返った。手段はある。
だが、手段の代償が俺の命だ。
蝕を使えば封印を直せる。直すたびに魔印が進む。現在23%。一回の修復で何%進むか分からない。だが「通常の数倍」とエリシアは書いた。通常の戦闘で三日に1%。蝕一回で3〜5%。仮に大陸中の封印を全て直せば——何十回の蝕。何十%の進行。
世界を救う力が、自分を殺す力でもある。
ノアの声が、外套の中から低く響いた。
「お前が気づいた通りだ。封印の修復と魔印の進行は、同じ天秤に載っている」
「……別の方法はないのか」
「ない。蝕以外に聖と魔の同時制御を可能にする力は、現時点では存在しない。……だが」
ノアの声が、一段落ちた。千年の魔導書が、別の角度を提示する声。
「別の見方もできる。封印を修復しなければ、冥渦は開き続ける。世界が壊れる。お前が壊れるのが先か、世界が壊れるのが先か。……選択は、お前にしかできない」
選択。
選択肢は二つ。封印を直して自分が壊れるか。封印を放置して世界が壊れるか。
だが、本当は選択肢は一つしかない。ユイがいる。ラスティカがいる。ミルフィ村がいる。守るべきものがある限り、天秤は最初から傾いている。
◇
メルティアがリーゼのメモを見ていた。
六芒構造の図。結節点の配置。赤い瞳が、図の上を動いている。ゆっくりと。一つ一つの結節点を確認するように。紙からインクの匂いがした。リーゼが急いで書いたから、まだ乾いていない。その新しいインクの匂いの上に、千二百年前の記憶が重なっていく。
赤い瞳が、揺れた。
「……この構造。覚えている」
声が小さかった。♪がない。軽さがない。千二百年前の記憶が、紙の上の図面と重なっている。
「千二百年前に、この配置を決めたのは……」
口を閉じた。続きを言わなかった。千二百年前に配置を決めたのは誰か。天使だったメルティア自身か。あの「彼」か。それとも、両方か。
メルティアの赤い瞳が、図面から俺に向いた。何かを言おうとして、飲み込んだ。唇が微かに動いて、戻った。
聞かなかった。今は聞かない。いずれ話してくれる。メルティアのペースで。千二百年の記憶を開く順番は、メルティアが決める。
テントの外で、遠くから冥渦の唸りが聞こえた。低い振動。大地の傷が呻いている。
封印を直す設計図がある。直す力もある。だが、直すたびに自分が壊れる。
世界と自分の天秤。傾く方向は、最初から決まっていた——
読んで下さりありがとうございました!
★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!
Youtubeにて作品公開中!
http://www.youtube.com/@mizukara-h2z
ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。




