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第59話 消耗戦

「第二冥渦が開いた。北西五キロ。直径は最初のものより大きい」


 聖騎士団の伝令が、基地のテントに飛び込んできた。朝。三日目の朝。前線基地に着いてから三日間、毎日冥渦の周囲で魔物を迎撃し、夜に基地に戻り、朝になると出動する。その繰り返し。


 休息の時間が、日ごとに短くなっていた。初日は夜八時間眠れた。二日目は六時間。昨夜は四時間。夜中に冥渦から新しい上位種が出現して、緊急出動がかかった。戻ってきた時には空が白み始めていた。


 そして今、二つ目が開いた。


「聖騎士団は第一冥渦の迎撃で手一杯だ。ギルドの独立部隊に、第二冥渦への出動を要請する」


 隊長の声が伝令を通じて届いた。友好的ではないが、必要に迫られている声。聖騎士団だけでは二正面を支えられない。


「行く」


 テントを出た。朝の山岳地帯。霧が出ていた。針葉樹の間を白い霧が這っている。だが、この霧には微かに金属の匂いが混じっていた。冥渦の瘴気が大気に拡散して、霧に混入している。普通の霧ではない。



 ◇



 第二冥渦。


 直径十五メートル。第一冥渦の一・五倍。岩場ではなく、谷間の平地に口を開けていた。裂け目の周囲は既に灰色の荒地になっている。開いてから時間が経っていないのに、この範囲。瘴気の濃度が高い。


 匂いが第一冥渦より重かった。金属の焦臭に加えて、硫黄に似た匂い。地底深くの鉄と硫黄が、魔素と一緒に吹き上がっている。呼吸するたびに舌の奥に苦い味が残る。


 そして、出てくる魔物が違った。


 第一冥渦の上位種は、蛇型の単体だった。ここからは、群体で出てくる。体長二メートルの甲虫型魔物。硬い外殻。だが厄介なのは、一体ずつではなく五体が同時に這い出してくること。連携する。一体が盾になり、残り四体が左右から回り込む。


 Aランク相当。五体同時。


「リーゼ、指揮を頼む」


「任せて」


 リーゼの碧い瞳が戦場を走査した。五体の甲虫型の配置。地形。冥渦との距離。味方の位置。数秒で判断を下す。


「カイト、融合魔法を温存して。まず私とメルティアで前衛二体を引きつける。シアが聖属性で外殻の魔法耐性を弱めて。カイトは通常の雷で背後の三体を牽制。融合は本当に必要な時だけよ」


 リーゼの指揮。カイトの消耗を管理する戦術。融合魔法は威力が高いが、属性酔いを加速させる。通常属性の単発で対処できるなら、そちらを使う。


 雷を放った。単属性。紫電が甲虫の外殻に当たった。罅が走ったが、砕けない。外殻が硬い。通常の雷では致命傷にならない。


 リーゼが前衛の一体に斬りかかった。剣が外殻を叩く。火花。硬い。だが、リーゼは外殻の間接部を狙っている。頭部と胴の継ぎ目。そこに刃を差し込んで、こじ開けるように斬った。一体が崩れた。


 メルティアの影が二体目の脚を拘束した。動きが止まった隙に、シアの白銀が外殻を弱化。リーゼが仕留めた。


 残り三体。だが、冥渦から次の五体が這い出してきた。


「……また来たわ」


 リーゼの碧い瞳が冥渦を見た。声に疲労が滲んでいた。三体を処理する間に五体が補充される。差し引きで増えている。


「カイト。融合を——」


「分かってる」


 火と土を呼んだ。溶岩弾マグマ・バレット。高温の溶岩の塊を甲虫の群れに叩き込んだ。外殻が溶ける。三体が同時に崩れた。


 口の中に鉄の味が広がった。属性酔い。第一段階。もう慣れた。慣れてはいけない味に、慣れている。


 風と水を呼んだ。氷嵐ブリザード。冥渦から這い出そうとしている次の群体を、凍結させた。氷の壁が冥渦の口を一時的に塞いだ。


 鉄の味が濃くなった。二種類の融合魔法を連続使用。視界の端が微かに揺れた。第二段階の入口。


「カイト、止めなさい」


 リーゼの声が鋭かった。


「これ以上は私とメルティアで持たせる。あなたは下がって」


「下がったら——」


「下がりなさい!」


 碧い瞳が、怒りではなく心配で光っていた。リーゼが声を荒げたのは、俺がラスティカの冒険者ギルドに初めて来た日以来かもしれない。だが、あの時は怒りだった。今は違う。


 下がった。リーゼとメルティアが前に出た。シアが白銀の障壁で二人を守る。三人で冥渦を押さえている。俺は後方で通常属性の雷だけで援護した。


 持ちこたえた。だが辛うじてだ。三人だけでは冥渦の出力に対して戦力が足りない。「本当に必要な時だけ融合を使う」とリーゼは言ったが、「本当に必要な時」が多すぎる。冥渦から出る魔物は、通常属性だけでは対処しきれない。



 ◇



 夜。テントの中。


 全員が疲弊していた。リーゼが壁に凭れて目を閉じている。碧い瞳の下に薄い隈がある。三日間の連戦。シアが床に座って白銀の聖属性で自分自身を回復している。聖女の力は他者だけでなく自分にも使える。だが、使えば全体の回復量が減る。メルティアが紅茶を淹れていた。携帯用の小さな火で湯を沸かして、四人分のカップに注いでいる。紅茶の匂いが、テントの中の鉄と汗の匂いを少しだけ押し返した。


 左腕の魔印を確認した。袖をまくって、蝋燭の光で見た。黒い紋様の先端。首の付け根を超えて、喉仏の方向に数ミリ進んでいた。


 三日間の戦闘。複数属性の同時使用。融合魔法の連発。


 ノアが低い声で囁いた。俺だけに聞こえる声。


「進行率、推定23%。三日間で1%進んだ。……このペースが続けば、一ヶ月で10%。二ヶ月で20%。半年で——」


「言わなくていい」


「…………」


 ノアが黙った。だが数字は頭の中に残った。半年で60%。意識が保てなくなる閾値。聖戦が半年続けば、俺は人間ではなくなる。


 メルティアが紅茶を持ってきた。温かいカップ。掌に陶器の温度が伝わった。メルティアの赤い瞳が、俺の首元を見ようとして、見なかった。視線を逸らした。意図的に。見たくないのではない。見てしまったら、言わなければならないことがある。言いたくないから、見ない。


 紅茶を啜った。苦い。いつもより苦い。千年のこだわりにしては——いや。苦いのは紅茶ではない。俺の味覚が歪んでいるのだ。鉄の味が常駐し始めている舌で、何を飲んでも苦く感じる。


 消耗戦。魔物は無限に湧く。カイトの命は有限。


 この比率は、いつか逆転する。


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