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第57話 出陣

 春の風が、花の匂いを運んでいた。


 王都の大通り。朝。空が青い。雲一つない春の空。街路樹の若葉が風に揺れていて、木漏れ日が石畳に小さな光の模様を作っている。花売りの屋台が並ぶ大通りは、普段なら市民で溢れている時間帯だった。


 だが今朝は違った。


 大通りの両側に、市民が壁のように並んでいた。道の中央が空けられていた。誰もが同じ方向を見ている。北。大聖堂の方角。


 白い河が、大通りを流れてきた。


 聖騎士団の隊列。白い法衣。銀の鎧。聖属性の十字架を胸に掲げた兵士たちが、隊列を組んで大通りを行進していく。足音が揃っている。革靴が石畳を叩くリズムが、一つの巨大な鼓動のように響いていた。数百人の足が、同時に動いている。


 先頭に旗。白地に金の十字架。教会の軍旗。春の風に翻っている。旗の影が石畳を走っていた。白い影。


 市民たちが見送っている。歓声はない。祈りの声もない。ただ、静かに見ている。不安の目。期待の目。恐怖の目。聖戦の意味を、街の誰もがまだ完全には理解していない。


 白い隊列が大門に向かって流れていく。白い法衣の河。その河の脇で、俺たちは立っていた。



 ◇



 ギルド本部の前。


 聖騎士団とは別の出発点。教会の隊列ではなく、ギルドの独立部隊として出る。四人と、外套の中のノア。装備を整えて、荷物を背負って。ギルド本部の酒場から、朝食の焼きパンの匂いが流れてきた。出発前に一切れだけ食べた。温かい。小麦の甘い味が口に残った。次にこの味を食べるのは、いつになるだろう。


 アリアが見送りに来ていた。亜麻色の髪。眼鏡。風読みの杖を手に持っている。杖の先端に結ばれた銀の鈴が、春の風に揺れて微かな音を立てていた。


「アリア。連絡網を頼む」


「任せて。ラスティカに残って、辺境の情報を送り続ける。前線の状況はアリア経由で全部届けるから」


 アリアの眼鏡の奥の瞳が、以前とは違っていた。影がない。笑った後に差す暗さが消えている。代わりに、自分が立つべき場所を見つけた人間の目。


「……今度は待つだけじゃない。私にできることをやる」


 待つだけ。かつてのアリアは待つだけだった。レクスのパーティにいた頃も。カイトが追放された後も。「空気を読みすぎて飲み込む癖がある」とは、アリア自身が認めた言葉だ。


 だが今、アリアは「待つ」のではなく「繋ぐ」役割を選んだ。ラスティカを拠点に、ユイの情報とカイトの戦場を風読みで繋ぐ。受動から能動へ。アリアの物語が、静かに次の段階に入っていた。


「頼んだ」


「うん。……気をつけてね」


 短い言葉。以前のアリアなら、もっと長い言葉で、もっと回りくどく伝えようとしただろう。だが今のアリアは「気をつけてね」だけ。言葉が短くなったのは、余計な言葉を飲み込んでいるのではなく、必要な言葉だけを選べるようになったからだ。



 ◇



 街道を歩き始めた。王都の大門を背にして、西に。山岳地帯の方角。


 前方の街道に、聖騎士団の隊列の後姿が見える。白い法衣の列が、街道を白い帯のように延びている。同じ方角に向かっているが、俺たちは教会の列には加わらない。距離を置いて、並行して進む。


 シアが隣を歩いていた。銀色の髪がフードから覗いている。紫の瞳が聖騎士団の後姿を見ていた。


「聖戦。……教会と一緒に戦うことになるんですよね。私を追放した教会と」


 声が小さかった。不安が滲んでいた。だが、震えてはいなかった。王都の審問廳で聖域に立ち向かった少女は、もう不安で動けなくなることはない。ただ、感じている。不安を。


「一緒に戦うんじゃない」


 言った。シアの紫の瞳がこちらを向いた。


「同じ敵を相手にするだけだ。教会は教会のやり方で戦う。聖属性で冥渦を押さえつけて、力で封じようとする。……俺たちは俺たちのやり方で戦う。調律で封印を直す。やり方が違う。組織が違う。目的だけが同じだ」


 シアの紫の瞳が、微かに揺れた。それから、頷いた。


「……はい。同じ敵を、相手にするだけ。……分かりました」


 リーゼが前を歩いていた。碧い瞳が街道の先を見ている。山岳地帯のシルエットが、春の霞の向こうに浮かんでいる。「見えてきたわ。あの山の向こうに、冥渦がある」。碧い瞳に、戦場を読む光が灯っていた。


 メルティアが赤い瞳で空を見上げた。


 春の空。青い空。雲がない。千二百年前にも同じ空があった。同じ戦争の始まりに、同じ空を見た。あの時は天使だった。白い翼があった。聖属性の金色の光を纏っていた。空を飛べた。


 今は地上を歩いている。赤い瞳で。悪魔として。翼はない。飛べない。だが、隣に人間がいる。千二百年前にも隣にいた人間と——同じではない。違う人間。違う時代。だが、同じ戦場に向かっている。


「……歴史は繰り返すのかしら」


 声に♪がなかった。だが、声に絶望もなかった。疲れた覚悟に近い色。千二百年分の既視感と、それでも足を止めない意志の間にある、名前のない温度。


 街道の両脇に、春の野花が咲いていた。黄色い花。白い花。ミルフィ村のユイが活けていた花と同じ種類。風が花を揺らして、甘い匂いを街道に撒いていた。花の匂い。戦場に向かう道に、花が咲いている。場違いな美しさ。


 振り返った。


 王都の城壁が小さくなっていた。大聖堂の尖塔が、春の霞の向こうで細い針のように空を突いている。半年前にラスティカを出た時と同じ構図。あの時は「小さな楽園が後ろに流れていった」と思った。


 今は違う。


 楽園を離れるのではない。戦場に向かうのだ。守るべきものが前にある。ユイ。ラスティカ。ミルフィ村。そして、大陸中の封印が崩壊しかけている世界。


 前を向いた。山岳地帯のシルエットが、近づいている。


 聖戦が始まった。千二百年の眠りから覚めた大地の傷が、口を開こうとしている。そして、その傷を封じる鍵を持つのは——聖でも魔でもない、両方を持つ者。


読んで下さりありがとうございました!

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