第46話 Aランクの資格
アリーナの空気は、鉄と石と獣の匂いがした。
ギルド本部の五階。屋上に設えられた石造りの闘技場。天井はなく、冬の終わりの空が灰色に広がっている。壁は五メートルの高さの石壁で囲まれていて、上端に観覧席がぐるりと並んでいた。
観覧席にギルド幹部の姿が見える。ヘルムートが銀髪のオールバックで最前列に座っていて、灰色の目がアリーナを見下ろしている。その隣に、白金の髪。エリシア。今日はインクの染みのないブラウス。碧い瞳がノートではなくアリーナを見ている。
審査官席に三人。
一人目。白銀の牙のリーダー。大柄な男。腕を組んでいる。この男の目にはまだ「次は負けない」の意地が残っている。
二人目。顔を知らない中年の男。ローブを纏った魔法使い。ギルド本部の顧問らしい。
三人目。
長い黒髪の編み込み。鋭い切れ長の目。左頬の刀傷。
イレーネ・ヴァルトシュタイン。「鉄騎の盟約」のリーダー。推薦状を書いてくれた女騎士。
イレーネの目がこちらを見た。頷きも笑いもしなかった。審査官の目。公正な目。推薦した相手だからといって、甘くする気はない。
アリーナの中央に立った。四人。リーゼが右前。剣を抜いている。碧い瞳が正面のアリーナの壁を見つめていた。壁に鉄格子のついた門が一つ。その奥に、何かが息をしている気配がある。
シアが左後ろ。白銀の光が両手の間で微かに揺れている。紫の瞳が集中で細まっている。
メルティアが右後ろ。赤い瞳がアリーナ全体を走査している。足元の影が、微かに揺らいでいた。準備はできている。
「では、Aランク昇格審査を開始します」
審査官席から声が響いた。中年の魔法使い。事務的な声。
「制限時間内に、審査用の魔物を討伐してください。——放てっ」
鉄格子が上がった。
◇
門の奥から、獣が出てきた。
大きい。体長三メートル。獅子型の四足獣。だが通常の獅子とは異なる。たてがみが灰色だった。灰色の金属質。鉄に似た光沢を帯びた毛の束が、首から肩にかけて逆立っている。体表全体に灰色の硬質な毛が密集していて、甲殻に近い防御力を持っている。
灰鬣獅子。Aランク相当。
鉄甲蟲の甲殻が「鉄」なら、灰鬣獅子のたてがみは「鋼」だ。物理攻撃にも魔法攻撃にも高い耐性がある。
獅子が咆哮した。衝撃波ではない。だが空気が震えた。腹に響く低音。アリーナの石壁が振動している。観覧席のギルド幹部たちが身を乗り出した。
いつもの型で行く。
「リーゼ、前衛で注意を引いて。メルティア、影で脚を。シア、魔法耐性を弱めてくれ。俺が仕留める」
「了解」
リーゼが走った。獅子の正面に飛び出す。剣を構えて左右に揺さぶる。獅子の赤い目がリーゼを追った。注意がリーゼに集中する。
シアが白銀の光を獅子に向けて放った。聖属性が灰色のたてがみに触れる。鋼質の毛が、微かに軟化した。聖属性が魔法耐性を一時的に弱めている。
メルティアの影が地面を走った。獅子の後脚に絡みつく。動きが鈍る。前脚で踏ん張っているが、後脚が固定されて突進できない。
火と風を呼んだ。爆炎。圧縮した炎の螺旋を獅子の側面に叩き込んだ。シアの聖属性で軟化したたてがみに、炎が食い込んだ。獅子が悲鳴を上げた。たてがみの一部が焼け焦げて剥がれ落ちる。
露出した急所にリーゼが突っ込んだ。剣が肩口から深く刺さった。獅子の巨体が傾いて、石の床に倒れた。
沈黙。
一体目、討伐完了。教科書通りの連携。四人の役割が完璧に噛み合った。
観覧席から小さなざわめきが起きた。「速い」「あの連携、練度が高いな」。だが、審査官席の三人は動かなかった。イレーネの切れ長の目が、まだ何かを待っている。
中年の魔法使いが首を振った。
「連携は完璧です。ですが」
声が静かだった。
「Aランクの審査は、『想定外への対応力』を見ます」
背後で、別の鉄格子が上がる音がした。
振り返った。
天井——いや、天井はない。開けた空。その空から、影が降ってきた。
翼。巨大な翼。体長二メートルの鷲型の魔物。ただし、通常の鷲とは違う。四本の脚。尾が蛇のように長い。嘴が鉄のように光っている。
飛行型。名前は分からない。だが、Aランク相当の気配がある。
灰鬣獅子の死骸があるアリーナの中に、飛行型が急降下してきた。嘴が空気を裂く音。鋭い。矢よりも速い。
「散れ!」
四人が飛び退いた。飛行型の嘴がさっきまで立っていた場所の石を砕いた。石の破片が散る。
想定外の複合戦闘。地上の獅子と空中の鷲。同時に二体。
——いや。
灰鬣獅子の死骸の横を見た。鉄格子が開いている。門の奥から、もう一体。二体目の灰鬣獅子が、低い唸り声を上げながら歩み出てきた。
二体同時。地上と空中。
連携が乱れかけた。リーゼが飛行型に対応しようとして、背後の獅子に気づいて体を捻った。シアの障壁が飛行型の急降下を弾いたが、その隙に獅子が距離を詰めた。メルティアの影が二方向に分かれて、どちらも拘束力が足りなくなっている。
型が崩れている。一体を相手にする型では、二体同時に対応できない。
だが——全属性がある。
「リーゼ、獅子を任せる! シアはリーゼの障壁! メルティア、影を獅子に集中!」
指示を切り替えた。獅子は三人に任せる。飛行型は俺が獲る。
空を見上げた。飛行型がアリーナの上空を旋回している。天井がない。空が戦場だ。
雷を呼んだ。世界が一瞬だけ止まる。刹那の中の永遠。
紫電を放った。稲光が空を裂いて飛行型に向かう。だが、飛行型は旋回して避けた。空中の機動力が高い。直線的な雷では当たらない。
——なら、逃げ場を塞ぐ。
土を呼んだ。足元が揺るがなくなる。アリーナの壁面から石の突起を隆起させた。壁の上部に石の棘が並ぶ。飛行型の旋回軌道を狭める。旋回半径が縮まる。
風を呼んだ。体が軽くなる。上昇気流を作った。飛行型の翼が気流に煽られて姿勢を崩す。一瞬、動きが止まった。
雷。
二発目。今度は逃げ場がない。紫電が飛行型を直撃した。翼が痺れて、体が落ちた。アリーナの床に激突する。
土。着地点の石が隆起して、飛行型の四本の脚を拘束した。石の手錠。動けない。
「リーゼ!」
「もう終わってるわ!」
振り返ると、二体目の灰鬣獅子が倒れていた。シアの聖属性で軟化させ、メルティアの影で拘束し、リーゼが仕留めていた。俺が飛行型を相手にしている間に、三人で片付けた。
飛行型が石の拘束の中でもがいている。嘴で石を砕こうとしている。
火。拘束された飛行型に、至近距離から火球を放った。羽毛が燃えた。悲鳴。動きが止まった。
口の中に鉄の味。四属性の連続使用。雷、土、風、火。属性酔いの第一段階。視界の端が微かに揺れている。第二段階の入口に触れている。だが、超えてはいない。
アリーナが静かになった。
灰鬣獅子二体。飛行型一体。全て討伐。
息が荒い。膝に手を当てた。汗が額から顎に流れ落ちて、石の床に落ちた。春の風がアリーナの壁を越えて吹き込んできた。冬の終わりの匂い。雪解け水と、泥と、微かな草の匂い。寒くはない。体が熱い。
審査官席を見た。
中年の魔法使いが、白銀の牙のリーダーと目を合わせた。白銀の牙のリーダーが、黙って頷いた。悔しそうだったが、認めていた。
イレーネが立ち上がった。切れ長の目がアリーナを見下ろしている。
「……合格。文句なし」
短い。だが、イレーネの簡潔さには一語一語に重みがある。
観覧席が湧いた。ギルド幹部たちが拍手している。エリシアが碧い瞳を輝かせてノートに何かを書き殴っている。ヘルムートが灰色の目で頷いた。事務的な頷き。だが、口元が微かに緩んでいた。数字が、この男を満足させたのだろう。
◇
ギルド本部の一階。掲示板に新しい通知が貼り出された。
「パーティ『ロスト・エデン』。ランク評価をAに昇格。審査における灰鬣獅子二体及び飛行型魔物一体の同時討伐を高く評価。想定外の状況への即応力、パーティ連携の完成度、全属性魔法の応用力はAランク水準を満たすと判断」
酒場が湧いた。麦酒と焼き肉の匂いが、Bランク時代と同じ密度で漂っている。ランクが変わっても、酒場の匂いは変わらない。
「辺境のBランクがAランクだってよ」
「あの審査で二体同時を処理したの、初めてらしいぜ」
「想定外の飛行型を雷と土と風の三段で落としたって。全属性使いは格が違うな」
四人分のジョッキがテーブルに並んだ。リーゼが「やっと追いついたわね。王都の水準に」と言い、シアが「おめでとうございます」と微笑み、メルティアが「Aランクの麦酒は味が違うかしら♪」と赤い瞳で笑った。
麦酒を啜った。味は同じだった。Bランクの時と同じ、王都のぬるい麦酒。だが、ジョッキの重さが違う。Aランクの看板を背負ったジョッキは、少しだけ重い。
酒場の入口に、イレーネが立っていた。銀の鎧。切れ長の目。こちらを見ていた。
近づいた。
「ありがとう。推薦状のおかげだ」
「推薦状は紙切れよ。合格したのは、あなたたちの実力」
イレーネの切れ長の目が、酒場の奥のリーゼを見た。リーゼがジョッキを持ったまま、こちらを見ている。碧い瞳。イレーネが微かに口元を緩めた。
「あの子のシュタイン流、審査で見せてもらったわ。……錆びてないわね。磨かれてる」
イレーネが背を向けた。酒場を出ていく。
去り際に、振り返らずに言った。
「言った通りでしょう。遅いくらいよ」
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