第40話 異端審問の召喚状
盾を得た翌朝に、嵐が来た。
宿の扉を叩く音で目が覚めた。朝日が窓から差し込んでいる。冬の低い日差し。壁に長い影を作っている。
扉を開けた。
白い法衣の男が立っていた。胸に金の十字架。顔に表情がない。教会の使者。形式的な訪問だと分かる佇まい。感情ではなく、手続きとして来ている。
男が羊皮紙を差し出した。蜜蝋の封印。教会の紋章。
「異端審問局より、悪魔契約者・灰原カイトに対し、異端審問への出頭を命ずる。三日後、大聖堂審問廳にて。出頭なき場合、王都全域に追捕令が発布される」
声に抑揚がなかった。暗記した文面を読み上げている。使者の目は俺を見ていなかった。俺の顔ではなく、俺の左腕を見ていた。魔印を。袖の下に隠れている黒い紋様を。見えないはずだが、この男には教会の訓練で培われた感覚がある。魔の気配を嗅ぎ取っているのだろう。
「……受け取った」
羊皮紙を受け取った。使者が頭を下げて去っていった。白い法衣の背中が、宿の廊下を歩いていく。足音が規則的だった。感情の匂いがしない人間の足音。
扉を閉めた。
手の中の羊皮紙が重かった。紙の重さではない。書かれた文字の重さだ。
隣の部屋から、三人が出てきた。リーゼが碧い瞳を鋭くしていた。メルティアの赤い瞳から笑みが消えていた。シアの紫の瞳が青ざめていた。壁越しに使者の声が聞こえていたのだろう。
「読んで」
羊皮紙をテーブルの上に置いた。四人が囲んだ。蜜蝋の封印を割った。教会の書体。格式ばった文語。だが、書いてあることは単純だった。
悪魔契約者・灰原カイト。異端審問への出頭を命ず。三日後。大聖堂審問廳。拒否すれば追捕令。
「罠よ」
リーゼが最初に言った。碧い瞳が冷たく光っている。
「審問廳は大聖堂の中にある。大聖堂そのものが聖属性の建造物。そして審問廳にはヴィクトルがいる。出頭した瞬間、聖域の中に閉じ込められる。力を封じられた状態で審問を受けることになる」
「拒否すれば追捕令」
メルティアが腕を組んだ。赤い瞳が天井を見ている。考えている。
「追捕令が出れば、王都全域で聖騎士に追われることになるわ。街中での逃走戦。住民を巻き込む。ギルドも庇いきれない。……厄介ね」
シアは何も言わなかった。テーブルの縁を両手で握っていた。指が白い。紫の瞳が召喚状を見つめている。教会の審問がどういうものか、シアは身をもって知っている。白い廊下を歩かされた記憶が、この少女の中に今も生きている。
四人の目が、俺に集まった。
「出る」
リーゼの碧い瞳が瞬いた。メルティアの腕が解けた。シアの指が、テーブルの縁を更に強く握った。
「教会の膝元で逃げたら、永遠に逃げ続けることになる。追捕令が出れば王都にはいられない。王都を出れば、国王の保護も届かない。辺境に戻っても、教会の追手は来る。……逃げ道はない」
「でも、出頭すれば聖域の中に——」
「だからこそ出る」
リーゼの反論を遮った。碧い瞳が驚いて、そして理解した。
「マルクスが言った。教会より上位の権力を味方につけろと。国王の目に留まれと。……出頭して、堂々と審問を受けて、教会の不正を衆目に晒す。公開の場で、教会が悪魔契約者を力ずくで浄化しようとしたという事実を、王都中に知らしめる。それが最も有効な手段だ」
ノアの声が、外套の中から低く響いた。
「賭けだな」
「ああ」
「だが、悪くない賭けだ。逃げれば確実に追い詰められる。出頭すれば、政治的に戦える可能性がある。……お前らしい選択だ」
ノアの千年の知恵が、賭けを肯定した。
◇
エリシアに連絡を取った。
ギルド本部経由でエリシアの研究室に書状を送ると、二時間後にエリシア本人が宿に来た。息を切らしている。白いブラウスにインクの染みがいつもより多い。走ってきたのだ。王女が。
「召喚状を見せてください」
テーブルの上の羊皮紙を読んだ。碧い瞳が文面を三回往復した。読み終えて、顔を上げた。
「出頭するのですか」
「ああ」
「……分かりました。なら、私が立会人として同席します」
エリシアの声に迷いがなかった。碧い瞳が真っ直ぐ俺を見ている。学者の目ではなかった。王族の目だった。
「王族の立会人がいれば、教会は非公開審問にできません。公開の場で行われれば、不当な処分はしにくくなる。……教会法第三十七条。審問への立会い権は、王族に与えられた特権です。教会もこれを拒否できない」
「お前が同席したら、教会と王家の間に亀裂が入る。王女として、大丈夫なのか」
「亀裂は既に入っています。父上が教会の権力拡大を警戒している時点で。……私が立会うことは、父上の意向に沿います」
エリシアが羊皮紙をテーブルに戻した。指先が微かに震えていた。だが、声は震えなかった。
「それに」
エリシアの碧い瞳が、一瞬だけ柔らかくなった。
「全属性使いの魔力構造を解明する前に、浄化されては困ります。研究が途中なので」
リーゼが小さく噴き出した。「研究のため、ね」。メルティアが「正直なお姫様♪」と笑った。シアの指がテーブルから離れた。少しだけ、緊張が解けた。
◇
審問まで三日。
三日間で、できることをする。
リーゼが王都の書庫に通い始めた。教会法の法典を片端から読んでいる。碧い瞳が紙の上を走る速度が尋常ではない。没落貴族の教育が、ここで活きた。法律文書を読解する訓練を、リーゼは幼い頃に受けている。
「教会法第三十七条。審問への王族の立会い権。拒否不可。……第四十二条。公開審問における被告人の抗弁権。これも保障されている。第五十一条。審問中の暴力的処分の禁止。強制浄化は暴力的処分に該当する可能性がある。……使えるわ」
リーゼが法的な抗弁の骨子を紙にまとめていく。ペンが走る音が、夜の宿の部屋に響いていた。
メルティアとノアが、教会の内部構造を分析していた。
「審問廳は大聖堂の一階。天窓が聖属性の光を集める設計。部屋自体が微弱な聖域として機能している。だが、全力の聖域とは別物だ。審問廳の聖域は建物の構造に依存している。ヴィクトルが全力で聖域を展開すれば、建物の構造とは無関係に空間全体が金色に染まる。……二段構えということだ」
ノアの分析が続く。メルティアが赤い瞳で聞いている。千年の悪魔と千年の魔導書が、教会という千年の組織を解析している。
「弱点は?」
「聖域の維持には集中が必要だ。精神的な動揺があれば、聖域の強度が落ちる。……政治的な揺さぶりが有効だ。法的な指摘、世論の圧力、王族の介入。力ではなく、場の空気を変える」
シアは一人で部屋の隅に座っていた。目を閉じている。両手を胸の前で組んでいる。祈りの姿勢。だが祈っているのではなかった。
白銀の光が、シアの周囲に薄く揺れていた。聖属性の制御訓練をしている。
「シア?」
「……聖域への対策を考えています。ヴィクトルの聖域は金色。私の聖属性は白銀。同じ聖でも質が違う。マルクスさんの聖鎖の時と同じ……いえ、あの時より難しい。聖域は鎖のように形がないから、干渉するには、空間に直接白銀を浸透させないといけない」
「できるか?」
「……正直に言えば、分かりません。でも、やります。カイトさんが審問廳に立つなら、私にできることを全力でやります」
シアの紫の瞳が開いた。揺れていなかった。覚悟の目だった。
三日間。
リーゼが法で。ノアとメルティアが知識で。シアが力で。それぞれの武器を研いでいく。
俺はその三日間、依頼をこなし続けた。ギルド本部の依頼。王都南区の魔物駆除。北区の害獣掃討。数字を積み上げ続けた。ヘルムートが求めた数字。王都への貢献の実績。審問の場で「この男は王都に必要だ」と言えるだけの証拠を、一件でも多く。
三日目の夜。
宿の部屋で、四人が集まった。テーブルの上にリーゼの法的メモ。ノアの分析資料。シアの白銀の光が、小さく手の中で揺れている。
「準備は終わった」
リーゼが言った。碧い瞳が、全員を見回している。
「明日、大聖堂に行く」
俺が言った。
「カイトは自分を排除しようとする場所に、自分の足で歩いて入るのね」
メルティアの声は軽かった。だが、赤い瞳は笑っていなかった。
「ああ」
「……馬鹿ね」
「お前に言われたくない」
「でも」
メルティアの赤い瞳が、俺を見た。蝋燭の光が瞳の中で揺れている。
「嫌いじゃないわよ。そういうところ」
同じ言葉。ラスティカで教会の討伐隊を前にした時と同じ言葉。あの時と同じ声の色。だが、あの時より少しだけ、声が低かった。
窓の外で、大聖堂の尖塔が夜空に浮かんでいた。明日、あの塔の下に行く。
三日後。カイトは、自分を排除しようとする場所に、自ら歩いて入る。
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