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第33話 地下水脈の異変

 緊急招集がかかったのは、王都に来て三日目の朝だった。


 ギルド本部の酒場に鐘が鳴り響いた。三連打。緊急依頼の合図。酒場にいた冒険者たちが一斉に掲示板の方を向いた。


 受付嬢が声を張り上げる。


「王都地下水脈に魔物が出現。水源汚染の危険あり。Bランク以上のパーティは至急受付に集合してください」


 水源。王都五十万人の飲み水を供給する地下水脈。それが汚染されれば、街の機能が止まる。緊急度が違う。


 受付に走った。既に五つのパーティが集まっている。白銀の牙もいた。リーダーの大柄な男が俺を見て、一瞬だけ顎を引いた。挨拶ではない。だが、無視でもない。


 ヘルムートが応接室から降りてきた。銀髪のオールバック。黒のフロックコート。灰色の目が集まった冒険者たちを素早く見渡した。


「状況を説明します。王都の地下水脈は三系統あり、それぞれが城壁内の水道に接続しています。今朝、南系統の水道から黒く濁った水が出た。調査の結果、南系統の地下洞窟に魔物が発生していることが確認されました」


 ヘルムートが地図を広げた。王都の地下に広がる洞窟系の断面図。三つの水脈が枝分かれしている。


「六パーティを二組に分けます。入口から中層までの掃討班と、最深部の調査班。……ロスト・エデンは最深部を担当してください」


 最深部。指名された。ヘルムートの灰色の目が俺を見ている。不死型の浄化実績がある聖属性使い。全属性の対応力。選ばれた理由は分かる。


「了解した」



 ◇



 地下水脈の入口は、王都の南区にある石造りの給水塔の地下にあった。


 鉄格子を開けて、石段を降りる。十段。二十段。三十段。降りるにつれて空気が変わっていく。地上の喧噪が遠くなり、代わりに水の音が近づいてくる。壁が湿っている。指で触れると、ぬめりのある苔が指先にこびりついた。


 五十段を過ぎた辺りで、石段が終わった。


 洞窟が広がっていた。


 天井が高い。松明の光が届かないほど上まで伸びている。壁面を水が伝い落ちていて、光を反射して銀色の筋を無数に描いている。足元に水が溜まっている。くるぶしの深さ。冷たい。革靴を通して、足先の感覚が奪われていく。


 音が特殊だった。水滴が天井から落ちて水面に当たる音。ぽたり。ぽたり。その音が洞窟の壁に反響して、四方から同時に聞こえる。どこから来た音なのか判別できない。自分の足音すら、壁に跳ね返って別の方向から聞こえ直す。


 匂い。苔と鉱物の匂い。地上では嗅いだことのない、地球の内側の匂い。冷たくて、古くて、何千年もここに溜まり続けてきた空気の匂い。


 そして、その古い匂いの奥に、別の何かが混じっていた。


 腐敗ではない。もっと鋭い、金属的な匂い。魔素の匂い。アリアが辺境で感知した「南東からの魔素の風」と同質のものが、この地下からも漏れ出している。


「深いわね」


 メルティアの声が洞窟に反響した。赤い瞳が暗闇を見ている。


「水脈に沿って下っていく。最深部はここから更に二百メートルほど下。……行くわよ」


 洞窟を進んだ。水位が少しずつ上がっていく。くるぶしから脛へ。水の色が変わり始めていた。透明だった水に、黒い濁りが混じっている。下流に行くほど濃くなる。汚染源が最深部にあることを示していた。


 シアの手が光り始めた。白銀の聖属性。無意識ではない。シアが自分の周囲に薄い浄化の膜を張っている。黒い濁りがシアの足元だけ薄くなっていた。


「シア、それは?」


「……濁りの中に、魔素が溶けています。触れると肌が痺れる。聖属性で弾いておかないと、長時間の接触は危険です」


 俺の左腕の魔印が反応していた。鎖骨の上で微かに脈動している。だが、痛みではなかった。共振に近い。この黒い魔素と、魔印の中の魔が、微かに呼応している。


 嫌な感覚だった。



 ◇



 最深部。


 洞窟が巨大な空洞に開けた。天井まで三十メートル以上。地底湖だった。暗い水面が松明の光を受けて、不気味に揺らいでいる。


 水の色が完全に黒かった。


 そして、湖の中央に、何かがいた。


 黒い霧を纏った巨体。水面から頭部だけが出ている。爬虫類に近いシルエット。だが鱗はなく、表面が粘膜のように光っている。体長は推定十メートル以上。体表から黒い瘴気が漏れ出していて、水面に触れた瘴気が水を汚染していた。


 目が合った。


 黄色い目。縦に割れた瞳孔。知性はない。だが、侵入者への反応はある。黄色い目が、松明の光を反射してぎらりと光った。


「あれが汚染源か」


「間違いないわね。あの瘴気が水脈を汚している」


 メルティアの赤い瞳が魔物を見据えている。


 ノアの声が聞こえた。


「カイト。あの瘴気を分析した。……魔属性に近い。だが、悪魔由来ではない。自然発生の魔素汚染だ」


「自然発生?」


「大地の奥から魔素が噴出している。あの魔物自体が魔素の発生源ではなく、噴出した魔素を浴び続けて変異した水棲種だろう。本来は無害な生物が、魔素によって凶暴化し、肥大化した。……辺境の霧喰いと同じ構造だ」


 辺境の霧喰い。南東の山脈から流れてきた異常な魔物。あれも、大地の魔素が不安定になって生態系が乱れた結果だった。


 同じことが、王都の地下でも起きている。


「原因は同じか」


「高い確率で、そうだ。大陸規模で、地下の魔素が不安定化している」


 考えている暇はなかった。魔物が動いた。


 水面が爆発した。巨体が飛び出す。黒い水飛沫が四方に散った。肌に触れた瞬間、痺れが走る。魔素を含んだ水。


 「散れ!」


 四人が飛び退いた。魔物の尾が水面を叩いた。衝撃波が洞窟に走る。壁が揺れた。天井から岩の破片が落ちてくる。


 水中戦。最悪の条件だった。地底湖の水深は不明。魔物は水中に潜れる。俺たちは水上でしか戦えない。


 だが——水属性がある。


 水を呼んだ。水を紡ぐと思考が澄む。冷たく、深く、透明になる。


 地底湖の水に意識を伸ばした。黒く汚染された水。だが、水は水だ。属性の力で、水の流れを感じ取れる。魔物がどこにいるか、水の動きで分かる。


「左から来る!」


 叫んだ。魔物が水中から左側面に突進してきた。リーゼが剣を構えて横に跳ぶ。水面を割って現れた頭部を、リーゼの剣が叩いた。粘膜の表面が裂けたが、浅い。すぐに再生する。


「再生するわ! 瘴気が治癒を促進している!」


 メルティアが叫んだ。影を水面に走らせるが、水中の影は薄い。松明の光が水面で反射して、影が安定しない。地下水脈では影魔法の精度が落ちる。


 雷。水中に紫電を放った。水は電気を通す。雷が水中を走って魔物に到達した。魔物が痙攣する。動きが止まった。


 だが数秒で回復した。瘴気が雷のダメージを中和している。


「瘴気を先に何とかしないと、ダメージが通らない!」


「シア!」


「分かっています!」


 シアが両手を水面に向けた。白銀の光が水面に広がる。聖属性が黒い水に触れた。浄化が始まった。黒い濁りが、シアの光が触れた範囲だけ透明に戻っていく。


 だが範囲が足りない。地底湖は広すぎる。シアの聖属性で湖全体を浄化するのは不可能だ。


「全体じゃなくていい。魔物の周囲だけ浄化してくれ。瘴気の膜を剥がせば、攻撃が通る」


「やってみます!」


 シアが聖属性を集中させた。魔物の方向に向けて、白銀の光を帯状に放つ。光が水中を走って魔物に到達した。黒い瘴気が白銀の光に触れて、灼けるように薄まっていく。


 局所浄化。レヴナント戦で確立した戦術の応用。


 瘴気が薄まった瞬間を逃さなかった。


 水を操った。地底湖の水流を制御して、魔物の体を水の渦で拘束する。水属性が「味方」になる。水中の敵を水で縛る。矛盾しているようだが、水の流れを支配できるなら、水そのものが檻になる。


 魔物が渦の中でもがいている。動きが鈍い。シアの浄化で瘴気が薄まり、水の渦で体が拘束されている。


 雷。


 渦の中心に紫電を叩き込んだ。水が導体になって、雷が魔物の全身を貫く。今度は瘴気の防壁がない。直撃。


 魔物が絶叫した。洞窟に反響する高い悲鳴。水面が波立つ。天井から岩片が降る。


 二発目。三発目。水の渦を維持しながら雷を連射する。口の中に鉄の味。体が重い。三属性の同時制御。水の維持と雷の発射。属性酔いの第一段階を超えかけている。


 四発目で、魔物の動きが止まった。


 黄色い目の光が消えた。巨体がゆっくりと水中に沈んでいく。黒い瘴気が体表から剥がれて、水中に溶けて散っていった。


 シアが残った瘴気を浄化した。白銀の光が地底湖に広がって、黒い水が少しずつ透明に戻っていく。全ての浄化には時間がかかるが、汚染源が消えた以上、自然浄化も進むだろう。


 膝に手をついた。息が荒い。視界がわずかに滲んでいる。感覚侵食の手前。ぎりぎり第一段階に留まっている。


「カイト。大丈夫?」


 リーゼが横に来た。碧い瞳が心配そうだ。


「……大丈夫。少し使いすぎた」


「少し、じゃないでしょう。水と雷の同時制御を何分やったの」


「三分くらい」


「三分も三属性を回し続けたの? 馬鹿じゃないの?」


 馬鹿だろうな。だが、他に方法がなかった。



 ◇



 魔物を倒した後、地底湖の奥を調べた。


 最深部の壁面に、何かが刻まれていた。


 松明を近づけた。岩肌に彫り込まれた紋様。円形。中心から放射状に線が伸びている。線の上に文字が刻まれているが、読めない。古い文字だ。表面が風化していて、輪郭が曖昧になっている。


 だが、紋様の一部が光っていた。微かに。赤黒い光。魔素の残光。紋様の中心から放射状に広がる亀裂が走っていて、その亀裂から魔素が漏れ出していた。


 ノアの声が変わった。


「これは……」


 千年の魔導書が、声を失いかけていた。


「古代の封印陣だ。千年以上前のもの。……いや、正確には千二百年前。聖魔戦争の時代に作られた封印」


「封印? 何を封じていた?」


「大地の魔素脈だ。千年前の聖魔戦争で、聖と魔の衝突が大地に亀裂を走らせた。その亀裂から魔素が噴出した。それを封じるために、各地に封印陣が設置された。……この封印陣は、そのうちの一つだ」


 ノアの声が、低く重くなった。


「だが、見ての通り、封印が劣化している。千二百年の歳月で、紋様が風化し、亀裂が入り、魔素が漏れ出している。あの魔物は、漏れた魔素を浴びて変異したに過ぎない。……本当の問題は、封印そのものが壊れかけていることだ」


「王都の地下だけの話か」


「いいや。この規模の封印陣が王都の地下にあるということは、大陸中に同様の封印がある。辺境の霧喰いが異常発生したのも、エルデンの廃坑にレヴナントが出たのも、各地の封印が同時に劣化しているからだ。……千二百年。封印の寿命が来ている」


 地底湖の水面が、松明の光を受けて揺れていた。黒い濁りは薄まったが、まだ完全には消えていない。壁面の封印陣の亀裂から、赤黒い魔素が細い糸のように漏れ続けている。


 魔物は倒した。水源の汚染は止められる。だが、封印の劣化は止められない。


 点が線になった。辺境の異変と王都の異変が、千二百年前の封印の崩壊という一本の線で繋がった。


 これが、魔物の異常発生の根本原因。


 壁面の封印陣を、目に焼き付けた。赤黒い亀裂。漏れ出す魔素。千年前の戦争の残滓が、今になって目を覚まそうとしている。


 王都の地下で、大陸の古傷が綻び始めていた。


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