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第30話 王都からの書状

 エルデンから馬車で二日。ラスティカに戻った。


 冬の丘陵が白く霞んでいる。街壁が見えた瞬間、シアが「帰ってきました」と小さく笑った。二日離れただけなのに、街壁の向こうの小さな屋根たちが懐かしい。


 ギルドの酒場に入ると、ドルクが待っていた。


 カウンターではなく、奥の応接用のテーブルに座っていた。禿頭に豊かな顎髭。樽のような体。だが、いつもの豪快さが控えめだ。テーブルの上に一通の封書が置かれていて、ドルクの太い指がその端に触れていた。


「お帰り。エルデンの件は報告を読んだ。見事だな」


「ドルク。その手紙は?」


「座れ。四人とも」


 四人が席に着いた。ドルクが封書を滑らせた。


 白い封筒。蜜蝋の封印。押されている紋章は、剣と天秤が交差する意匠。冒険者ギルド本部の紋章だった。


 封を切った。中から折り畳まれた羊皮紙が出てくる。インクが乾いた匂い。公式文書特有の重い紙質。


 読んだ。


「冒険者ギルド本部より、パーティ『ロスト・エデン』宛て。王都レグナシオン周辺における魔物の異常発生に対処するため、Bランク以上のパーティを王都に招集する。ロスト・エデンは辺境における不死型魔物の討伐実績及び教会関連の事案における実績を鑑み、本招集の対象とする。出頭は任意だが、本部はロスト・エデンの参加を強く希望する」


 任意。だが「強く希望する」。実質的には半強制の招集。


 ドルクの目がテーブルの向こうから俺たちを見ていた。


「断ってもいい」


 ドルクの声が、珍しく低かった。


「辺境のパーティが王都に行けば、色々と面倒ごとが増える。王都にはギルド本部だけじゃない。教会の本部がある。大聖堂がある。異端審問局がある。……悪魔契約者が教会の膝元に乗り込むことの意味は、分かっているな」


「ああ」


「お前さんたちはラスティカで十分にやっている。Bランクの依頼をこなして、街に貢献して、仕送りもできている。無理に王都に出向く必要はない。……俺はそう思う」


 ドルクの声が、いつもより一段柔らかかった。この男が柔らかい声を使うのは、本気で心配している時だ。


 四人で顔を見合わせた。


 ノアの声が外套の内側から聞こえた。小さな声。俺にだけ聞こえる音量。


「魔物の異常発生。霧喰いが辺境に流れてきた原因と繋がっている可能性がある。アリアが感知した南東からの魔素の流れ。エルデンの廃坑のレヴナント。……偶然にしては、点が多い。調べる価値はある」


 リーゼが最初に口を開いた。


「私は行きたい」


 碧い瞳が、迷いなく俺を見ている。


「Bランクのままじゃ、いずれ限界が来る。辺境の依頼だけでは、Aランクへの昇格は難しい。王都で実績を積めば、道が開ける」


 リーゼの声は実務的だった。だが、碧い瞳の奥に別の光もあった。王都には、父の冤罪に関する記録がある。エルデンの帰りに、リーゼがぽつりと漏らした言葉を覚えている。「シュタイン家の記録は、王都の裁判所にあるはず」。彼女には彼女の、王都に行く理由がある。


 メルティアがジョッキを傾けた。赤い瞳が酒の表面を見つめている。


「教会の膝元ねぇ」


 声は軽かった。いつもの調子。だが、ジョッキを置いた時の音が硬かった。陶器がテーブルに当たる、小さくて鋭い音。


「……面白いじゃない♪」


 ♪がついた。だが、赤い瞳は笑っていなかった。口元だけが笑って、目が笑わない時のメルティアは、本気で計算している時だ。千年の悪魔が、教会の本拠地に乗り込むリスクを、一瞬で測り終えたのだろう。そして、測った上で「面白い」と言った。それは、行くと決めたという意味だ。


 シアが最後に口を開いた。


 紫の瞳が、テーブルの上の封書を見つめていた。王都の紋章。剣と天秤。その向こうに、大聖堂の尖塔が透けて見えているかのように、シアの目が遠くを見ていた。


「……王都の教会は、私を追放した場所です」


 声が小さかった。だが、震えてはいなかった。


「大聖堂の白い廊下を歩かされて、門の外に出されました。『不安定要素』だと言われました。あの場所に戻るのは……怖いです」


 正直だった。怖いと言った。シアは嘘をつかない。感情を隠すこともしない。


「でも」


 紫の瞳が、俺に向いた。


「カイトさんが行くなら、私も行きます」


 四人の答えが出揃った。


 俺は窓の外を見た。ラスティカの冬の空。灰色の雲が低く垂れ込めている。街路樹の裸の枝が風に揺れていた。窓ガラスに結露が浮いていて、指で触れると冷たい水滴が流れた。


 教会の膝元。悪魔契約者が、自分を排除しようとする力の中心に飛び込む。危険だ。馬鹿げている。


 マルクスが言った言葉を思い出した。「次は私ではなく、審問局長が来る。私とは桁が違う」。あの合理主義者が「桁が違う」と言い切った相手が、王都の大聖堂にいる。


 だが、ノアが言う通り、魔物の異常発生は偶然ではない。辺境の霧喰い、エルデンのレヴナント、南東からの魔素の流れ。点が線になりかけている。その線の先に何があるのかは、王都に行かなければ見えない。


 そしてもう一つ。


 逃げ続けるわけにはいかない。ラスティカで証明したことがある。教会の討伐隊が来ても、逃げずに立ち向かって、勝った。あの日、南門の外で聖騎士の隊列と対峙した時に決めたことだ。守るべきものを守るために、逃げない。王都でも同じだ。逃げるのではなく、立って、証明する。


 左腕の魔印が、袖の下で静かに脈打っていた。鎖骨を超えた黒い紋様。この腕が動く限り、俺は立てる。代償は知っている。時間が有限であることも知っている。だからこそ、立ち止まっている暇はない。


「行こう」


 声が出た。静かな声だった。


「王都に行く。逃げ続けるわけにはいかない。ラスティカで証明したことを、王都でも証明する」


 ドルクが俺を見た。禿頭の下の目が、数秒間じっと俺の顔を見ていた。


「……お前さんらしいな」


 低い声。だが、呆れではなかった。


「気をつけろ。王都は辺境ほど優しくない。ドルク・グラニットの名前は、王都じゃ何の役にも立たん」


「十分役に立ったよ。ここで」


 ドルクが一瞬黙った。それから、豪快に笑った。いつもの笑い。酒場の空気が揺れるほどの。


「ったく。行って来い。死ぬなよ」


「死なない」


「帰ってこい。ラスティカはいつでもお前さんたちの街だ」


 ドルクが立ち上がった。樽のような体が応接テーブルの前から離れる。カウンターに戻りながら、一度だけ振り返った。何か言いかけて、やめた。代わりに片手を上げて、酒場を出ていった。


 あの背中を見送った。ラスティカに来た日から、何度も見てきた背中。この街を守ってきた男の背中。



 ◇



 出発の前日。アリアに会いに行った。


 ギルドの酒場の奥。いつものテーブル。アリアが依頼書を片付けて、俺を待っていた。リタから聞いたのだろう。


「王都に行くのね」


「ああ」


「……そう」


 アリアの亜麻色の髪が揺れた。眼鏡の奥の瞳が、複雑な光を帯びていた。


「私はまだラスティカに残るわ。……まだ、自分で歩く練習をしている途中だから」


 自分で歩く練習。アリアの言葉が、静かに響いた。レクスの隣で「声を上げられなかった」人間が、一人で立つことを学んでいる。


「でも、王都で何かあったら連絡して。風読みなら、距離があっても魔力の異変を感知できる。……微弱だけど」


「ありがとう、アリア」


「……気をつけて」


 アリアが俺を見た。眼鏡の奥の瞳が、一瞬だけあの日の丘の上と同じ光を帯びた。レクスに真実を告げた後の、枯れ草の丘。涙ではない。もっと静かな、祈りに似た光。


「カイト。あなたは、王都でも大丈夫よ。……根拠はないけど、そう思う」


「根拠がないのに言うのか」


「風読みは、数字じゃない風も読めるの。……たぶん」


 アリアが微かに笑った。初めて見る笑い方だった。口元ではなく、目が先に笑う。メルティアが言っていた「笑った後に影が差す」パターンではなく、目から始まる笑い。


 少しだけ、変わり始めている。


「行ってくる」


「ええ。行ってらっしゃい」


 三つ離れたテーブル。その距離は変わらない。だが、距離の意味が変わっていた。壁ではなく、それぞれの場所で立つための間合い。


 翌朝。ラスティカの南門。


 馬車が待っていた。冬の朝。息が白い。街壁の上からドルクとリタが手を振っているのが見えた。リタが「書類忘れないでね!」と叫んでいる。


 馬車に乗り込んだ。四人分の荷物。リーゼの剣。シアの法衣。メルティアの外套。俺のノア。


 馬車が動き出した。


 ラスティカの街壁が、少しずつ小さくなっていく。赤い瓦の屋根が霞んでいく。丘陵の向こうに消えていく。


 小さな楽園が、後ろに流れていった。


 ロスト・エデンは、辺境を離れて、王都に向かう。


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