第27話 Bランクの壁
交易路で商隊が襲われた。三件連続。
ラスティカから南に馬車で半日の街道。辺境の街と近隣の都市を結ぶ主要な交易路だ。ここ二週間で三つの商隊が被害に遭っている。荷物が散乱し、馬車が転倒し、御者や護衛が意識を失った状態で発見された。死者はいない。だが、全員が「霧の中で何かに噛まれた」と証言していた。
ギルドのBランク依頼として発注された。
「霧喰い(ミスト・イーター)。群体型の魔物。個体はスライムに近い弱さだが、群れになると霧そのものが意志を持つ」
リーゼが依頼書を読み上げた。酒場のテーブルに依頼書と地図を広げている。碧い瞳が情報を走査している。
「交易路のこの区間は、冬になると朝霧が発生する。霧喰いはその霧に擬態して獲物を待つ。個体数は百から数百。面で来る」
「百……」
「個体一つ一つは弱い。Eランク相当。だが群体になると、霧そのものが牙を持つ。視界を奪い、音を吸い、匂いを消す。五感を塞いだ上で、全方向から同時に噛みつく。……Bランクの依頼になるのは、個体の強さではなく規模の問題ね」
リーゼの分析は的確だった。単体の火力で倒せる相手ではない。百体を一体ずつ殴っていたら日が暮れる。面で制圧する必要がある。
Bランクの壁。それは、個人の力だけでは解決できない規模の脅威だ。
◇
翌朝。交易路。
冬の朝は霧が出る。
街道の両側に枯れた草原が広がっていて、その上に白い霧が溜まっている。低い霧。膝の高さ。朝日が霧の上端を照らして、金色に光っている。美しい景色だ。だが、この霧の中に数百の口が隠れている。
四人で街道を歩いていた。商隊の護衛ではなく、霧喰いの群体そのものを駆除する任務。
「来るわよ」
リーゼが囁いた。剣の柄に手をかけている。
霧が動いた。
風がないのに、霧が流れ始めた。膝の高さだった白い層が、ゆっくりと這い上がってくる。腰の高さ。胸の高さ。首の高さ。
数秒で、視界が白に呑まれた。
見えない。
手を伸ばしても、自分の指先が見えない。白い世界。密度の高い霧が、体に纏わりついている。冷たい。だが、ただの冷たさではない。霧の中に微かな粘りがある。空気を吸い込むと、肺の中に膜が張るような感覚。
音が消えた。
自分の足音が聞こえない。リーゼの鎧が擦れる音が聞こえない。声を出した。「リーゼ」。聞こえたのは、三メートル先まで届かない小さな音だった。霧が音を吸収している。振動そのものが霧に飲まれて、減衰していく。
匂いが消えた。
冬の草の匂いも、土の匂いも、隣にいるはずのリーゼの髪の匂いも。何も感じない。霧が嗅覚を塞いでいる。
五感のうち三つが潰された。残っているのは触覚と味覚だけ。
そして、噛まれた。
右腕に鋭い痛み。小さい。虫に刺されたような。だが、次の瞬間、左脚にも。背中にも。肩にも。一ヶ所ではない。霧の中から、無数の小さな口が同時に噛みついてきた。
歯を食いしばった。
火を呼ぼうとした。右手に炎を灯す。オレンジ色の光が霧を照らした——が、すぐに霧が炎を包み込んだ。火が酸素を奪われて弱まる。群体が炎の周囲に集まって、空気ごと吸い込んでいる。火が使えない。
風を起こした。突風で霧を吹き散らそうとした。三メートルほど霧が割れた。だが一秒で戻った。吹き散らしても、群体が再集合する。風では一時的にしか散らせない。
雷。紫電を放った。光が霧を走る。だが、個体が散開して電流を逃がした。群体には固定の体がない。雷の通り道を作らない。
これが、Bランクの壁か。
単体の属性では通じない。火は消され、風は戻り、雷は散る。一属性ずつでは、群体の規模に対応できない。
口の中に鉄の味が広がった。三属性の連続使用。属性酔いの第一段階。焦りが判断を鈍らせかけている。
「カイト!」
声が聞こえた。小さい。だが聞こえた。リーゼの声。
白い光が灯った。
シアだ。白銀の聖属性の光が、霧の中に球状に広がった。聖属性の光が触れた範囲だけ、霧が薄まる。群体が聖属性を嫌っている。白銀の光の圏内では、噛みつきが止まった。
安全圏。
光の中に、リーゼとシアの姿が見えた。シアが両手を突き出して聖属性を維持している。紫の瞳が集中で細まっている。額に汗。安全圏の維持に魔力を消費し続けている。
「カイト、ここに!」
リーゼの声が、聖属性の圏内では普通に聞こえた。走り込んだ。白銀の光の中に入った瞬間、霧の粘りが消えた。音が戻る。匂いが戻る。肺の膜が剥がれる感覚。
メルティアも圏内にいた。赤い瞳が冷静だ。
「カイト。一属性ずつじゃ無理よ。群体型には面で制圧するしかない」
「分かってる。だが火も風も雷も——」
「リーゼ」
メルティアがリーゼの方を見た。赤い瞳が、指揮を委ねている。
リーゼが頷いた。碧い瞳が、安全圏の外の白い霧を見つめている。
「群体型には核がある。群れを統制している個体。それを潰せば群体が瓦解する。……メルティア、影で核を探れる?」
「影は霧の下の地面にも繋がっているわ。地面の影を伝わせれば、群体の魔力が一番集中している場所を見つけられる」
「やって。シアはこの安全圏を維持。私はシアの護衛。カイト——」
リーゼの碧い瞳が俺を見た。
「核が見つかったら、この霧ごと凍らせて。水と風の融合。氷嵐。霧は水蒸気よ。凍るはず」
水と風。氷嵐。広範囲の凍結・減速。難易度★★★。融合魔法の中でも範囲が広い。だが、消費も大きい。
「……やれる」
「やれる、じゃなくて、やりなさい」
リーゼの声が、迷いなく響いた。指揮官の声だ。
メルティアが両手を地面に触れた。影が広がる。白銀の安全圏の外、霧に覆われた地面を、黒い影が蛇のように走っていった。
数秒。十秒。二十秒。
メルティアの赤い瞳が動いた。
「見つけた。南東、三十メートル。核は一体。他より一回り大きい。霧の底に沈んでいるわ」
「方角は確実か」
「影は嘘をつかないわよ♪」
南東。三十メートル。
水を呼んだ。水を紡ぐと、思考が澄む。冷たく、深く、どこまでも透明になる。
風を呼んだ。風を纏うと、体が軽くなる。自由。束縛からの解放。
二つの属性を同時に制御する。水が霧に同調する。風が水を凍結点まで冷やす。二つの力が掌の中で重なって、白い渦になった。
氷嵐。
両手を広げて放った。
白い渦が安全圏の外に飛び出した。霧の中に突入する。水蒸気と氷の結晶が衝突して、連鎖的に凍結が広がっていく。
音が変わった。
霧が、悲鳴を上げた。群体の数百の個体が同時に凍りついていく音。ぱきぱきぱきぱき。氷が膨張する音が四方から押し寄せてくる。白い霧が、白い氷に変わっていく。
景色が変わった。
さっきまで白い霧だった空間が、氷の結晶の森になっていた。空中に凍りついた霧の粒子が、朝日を受けて虹色に光っている。地面には氷の薄膜が張って、枯れ草が氷漬けになっていた。
そして、三十メートル先。
霧の核が凍っていた。他の個体より一回り大きい、半透明の塊。内部に黒い点が見える。群体の意志を司る核。それが、氷の中で動きを止めていた。
リーゼが走った。安全圏から飛び出して、氷の地面を駆ける。凍った霧の破片を蹴散らしながら、核に到達する。剣が一閃した。
核が砕けた。
瞬間、周囲の氷の中で凍りついていた個体が、一斉に力を失った。霧が霧でなくなった。ただの水滴に戻って、地面にぽたぽたと落ちていく。氷の結晶が太陽の熱で溶け始めて、街道が濡れた。
静寂が戻った。
鳥が鳴いた。遠くで。霧に覆われていた間は聞こえなかった鳥の声が、澄んだ冬の空に響いている。
口の中に鉄の味。体が重い。水と風の融合魔法。属性酔いの第一段階に加えて、融合の負荷。膝が少し笑っているが、立てている。
「……終わったわね」
リーゼが剣を鞘に納めながら言った。息が白い。頬が紅潮している。碧い瞳が満足そうだ。
「シア、大丈夫?」
「はい……少し疲れましたけど、大丈夫です」
シアが額の汗を拭った。聖属性の安全圏を数分間維持し続けた消耗。だがマルクス戦の時のように膝をつくほどではない。シアも、強くなっている。
メルティアが氷の破片を一つ拾い上げて、光にかざした。
「きれいね。氷嵐の結晶。カイト、あなた今の融合、前よりずっと安定してたわよ」
「……そうか」
「感覚侵食も出てないでしょう? 第二段階に入ってない」
確認した。視界の端で色が滲んでいない。匂いが映像に変わっていない。融合魔法を使ったが、第二段階には達していない。制御が良くなっている。
四人の連携。シアが守り、メルティアが探り、リーゼが指揮して突破口を作り、俺が面で制圧する。型が確立した。個人の力ではなく、四人で一つの「戦術」を構成する形。
これがBランクのパーティだ。
◇
ラスティカに戻った夕方、ギルドの酒場でリタに報告書を提出した。
「霧喰いの群体、殲滅完了。核の破壊で群体は消滅。交易路の安全は確保されました」
「お疲れ様。……ところでカイト、さっきアリアちゃんがあなたを探してたわよ。何か伝えたいことがあるって」
アリアを探した。酒場の奥のいつものテーブルにいた。依頼書を片付けて、俺を待っていた。
「カイト。今日の依頼、霧喰いだったでしょう」
「ああ」
「……気になることがあって。霧喰いは、本来この地域にはいない魔物なの」
アリアの眼鏡の奥の瞳が、真剣だった。
「霧喰いの生息域は南東の山脈。湿度の高い渓谷帯に棲む群体型。辺境の平地に出てくることは、通常ありえない」
「南東の山脈から流れてきた、ということか」
「そう。……私の風読み(ウインド・リーダー)で、ここ数日の魔力の流れを感知していたんだけど、南東の方角から微弱な魔素の風が吹いている。自然の風じゃない。大地の奥から漏れ出している魔素が、気流に乗って流れてきている感じ」
アリアの指が、テーブルの上に広げた地図の南東を指した。山脈。その向こうは、王都に続く平野部。
「何かが、南東の山脈の生態系を押し出している。霧喰いだけじゃない。最近、この辺りで本来見ない魔物の目撃情報が増えてるの。商人からも聞いた。……何かが起きてる」
アリアの声は静かだったが、確信があった。風読みというAランクスキルが感知した異変。俺の感覚では捉えられない情報を、アリアは「風」として読み取っている。
「……ありがとう、アリア。助かる」
「情報を伝えただけよ。……じゃあ」
アリアが立ち上がって、いつものテーブルに戻っていった。三つ離れた距離。だが今日、その距離が少しだけ縮まった気がした。
窓の外を見た。南東の空。冬の夕暮れが赤く燃えている。山脈のシルエットが暗い影になって、空と地面の境界を描いている。
あの山の向こうで、何かが動いている。生態系を押し出すほどの何かが。
辺境の魔物相が変わり始めていた。
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