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第26話 戦後の日常

 冬が来ていた。


 ラスティカの街路樹が葉を落として、灰色の枝が空に骨のように伸びている。朝の風が冷たい。息が白い。市場の屋台では焼き栗と温かいシチューが主役になって、香ばしい匂いが冷えた空気の中を漂っていた。石畳に霜が降りていて、踏むたびに薄い氷が割れる音がする。


 討伐隊との戦闘から一ヶ月が経っていた。


 依頼を受ける。こなす。報酬を受け取る。次の依頼を選ぶ。Bランクの日常は、Cランクの頃とリズムは同じだが、中身が違った。依頼の規模が大きい。報酬が厚い。それに伴って、危険度も上がっている。


 だが、それを四人でこなせている。


 今日の依頼は、ラスティカ東の農村で出没するオークの群れの討伐だった。十二体。畑を荒らし、家畜を殺し、農民を脅かしていた。


 農村に着いた時、畑の土が掘り返されていた。豚の血の匂いが冬の空気に混じっている。納屋の壁に爪痕。農民たちが怯えた顔で俺たちを見ていた。


 オークの群れは農村の裏手の林に潜んでいた。足跡が泥に残っている。大きい。成体が少なくとも十体、若い個体が二体。


「リーゼ、左翼から回り込んで逃げ道を塞いで。メルティア、影縛りで先頭の三体を止めてくれ。シアは農村側に聖属性の障壁。俺が正面から叩く」


 指示を出すまでもなかった。全員が既に動いていた。半年間の連携が体に染みついている。


 リーゼが林の左側を駆け抜けた。銀の髪が冬の薄い日差しに光る。碧い瞳が獲物を捉えている。メルティアが両手を広げると、オークの足元の影が膨れ上がった。三体の巨体が、足を縫い止められて倒れかける。


 火と風。爆炎ブラスト。圧縮した炎の螺旋を林の中に撃ち込んだ。枯れ葉が燃える匂い。オークの悲鳴。二体が倒れた。残りが散開する。


 散開した先にリーゼがいた。剣が三度閃いた。三体が膝をつく。急所を正確に突いている。致命傷だが、即死ではない。苦しませないように、すぐに二撃目を入れる。リーゼの剣は無駄がない。


 残りの四体が農村の方に逃げようとした。シアの白銀の障壁が、金色の壁のように立ちはだかる。オークが壁に体当たりして弾かれた。その隙に俺が雷を二発。痺れて動きが止まったところを、リーゼが仕留めた。


 若い個体二体が林の奥に逃げ込んだ。メルティアの影が追った。影が二本の腕のように伸びて、若いオークの足首を掴んだ。転倒。俺が風の刃で気絶させた。殺さなかった。若い個体は教化して山に返すことができる。ギルドの方針だ。


 二十分で終わった。Cランクの頃なら一時間はかかった規模だ。


 口の中に微かな鉄の味。二属性の同時使用を複数回。第一段階の属性酔い。軽い。すぐに消える。


 農民のおばあちゃんが焼き芋を持ってきた。「ありがとうねぇ、冒険者さんたち」。四人で焼き芋を分けた。冬の空の下で食べる焼き芋は甘くて温かかった。シアが「おいしいです」と笑って、リーゼが「悪くないわね」と認めて、メルティアが「焼き芋は文明の至宝よ♪」と大げさに言った。



 ◇



 ギルドの酒場に戻ると、リタが受付で手を振った。


「おかえり。報酬、金貨八枚。はい、書類はちゃんと書いてね」


 報酬袋を受け取った。重い。Cランクの頃は銅貨の束を数えていた。今は金貨を数えている。


 報酬の一部をユイの仕送り用の袋に移した。習慣だ。稼ぎの中から生活費と装備費を引いて、残りの半分をユイに。薬代だけでなく、栄養のある食材も一緒に送っている。仕送りが安定している。半年前には考えられなかったことだ。


 ドルクが酒場を通りかかった。樽のような体で、カウンターの端に立つ。ジョッキを一気に半分空けてから、俺の方を見た。


「オーク十二体、二十分か。報告書を読んだ。Bランクの標準が三十分だから、上出来だな」


「四人の連携が良くなってるだけだ」


「それを言えるのが、リーダーの器だ」


 ドルクが笑った。豪快に。だが、笑いの後で声を落とした。


「カイト。最近、お前さんの名前がラスティカの外でも聞こえるようになってきた。商人が噂を運んでいる。近隣の街だけじゃない。もっと遠くまで」


「……どんな噂だ」


「『辺境で教会の討伐隊を退けたBランクパーティ』。『悪魔契約者が率いる四人組』。『全属性の魔法使い』。良い噂も悪い噂も混じってるが、名前が広がっていることは確かだ」


 ドルクのジョッキが空になった。


「名前が広がるのは、良いことでも悪いことでもある。実力に見合った依頼が来る。同時に、実力を試しに来る奴も来る。……気をつけろ」


「ああ」


「まあ、お前さんなら大丈夫だろう。今日も焼き芋もらって帰ってきたんだろう? この街の爺さん婆さんに好かれてるうちは、何も心配いらん」


 ドルクが豪快に笑って、酒場を出ていった。



 ◇



 酒場の奥のテーブルに、亜麻色の髪の女がいた。


 アリア・ロスヴァイン。眼鏡。地味な革鎧。一人用のテーブルに座って、依頼書を広げている。書き込みが細かい。メモの字が几帳面で、依頼の条件と報酬額と危険度を一覧にしていた。


 俺たちのテーブルとは三つ離れた場所。近すぎず、遠すぎない。


 アリアがラスティカで暮らし始めて一ヶ月になる。Cランクの冒険者として登録し、個人で受けられる依頼をこなしている。風属性の実力はAランク相当だが、パーティを組んでいないため受けられる依頼に制限がある。それでも、着実に依頼をこなしていた。


 目が合った。アリアが小さく頭を下げた。俺も頷き返した。それだけ。毎日そうしている。


 受付のカウンターで、リタがアリアに書類を渡していた。二人で何か話している。リタが肩を竦めて笑い、アリアが困った顔をしながらも口元が微かに緩んだ。リタが何かからかっているのだろう。アリアの頬が少し赤くなっている。


「あの子、リタと仲良くなったのね」


 メルティアが言った。ジョッキを傾けながら、赤い瞳でカウンターの方を見ている。


「いいことじゃないか」


「ええ。いいことよ。……でも」


 メルティアのジョッキがテーブルの上で止まった。赤い瞳が、アリアの背中を一瞬だけ見つめた。視線がすぐに戻る。だが、ジョッキを持つ指が、わずかに力を込めていた。


「あの子、まだ自分を許せていないわね」


「……なぜ分かる」


「笑い方よ。口は笑っているけれど、笑った直後に視線が落ちる。一秒もない。でもある。自分が笑っていいのか分からないって顔。……あの種の後悔は、他人に許されても消えないの。自分で折り合いをつけるしかない」


 メルティアの声は穏やかだった。だが、「自分で折り合いをつけるしかない」と言った時、赤い瞳の奥に何かが浮かんで消えた。千年の存在が知っている何か。後悔の手触りを、自分も知っているから言える言葉。


 聞かなかった。今は聞く時ではない。



 ◇



 夜。宿の部屋。暖炉に火が入っている。薪が爆ぜる匂い。


 シアが、ミルフィ村から帰ってきたところだった。白い息を吐きながら部屋に入ってきて、頬が冬の風で赤くなっている。銀色の髪に雪の結晶が数粒残っていて、暖炉の熱で溶けていく。


「ユイちゃん、今日はご飯を全部食べられました。お粥じゃなくて、普通のご飯。おかずも。診療所の先生が驚いていて」


 シアが嬉しそうに報告した。紫の瞳が柔らかく光っている。


「魔素の活動が抑制されていて、臓器への負荷が減っているそうです。……完治は難しいけれど、このまま治療を続ければ、日常生活には支障がなくなるかもしれないって」


 日常生活に支障がない。


 その言葉が、胸の奥に温かく沈んだ。ユイが普通にご飯を食べて、普通に眠って、普通に朝を迎えられる。それだけのことが、半年前はどれだけ遠い目標だったか。


「シアちゃん、顔が冷たいわよ。こっちに来なさい」


 リーゼが暖炉の前の椅子を引いた。シアが「ありがとうございます」と座る。暖炉の火が銀色の髪をオレンジ色に染めた。


「……ありがとう、シア」


「お礼はいりません。私がやりたくてやっていることですから」


 シアの声は変わらない。でも、「やりたい」の中に、最初の頃にはなかった確信がある。自分がここにいる理由を、もう迷っていない目。


 メルティアが紅茶を四つ淹れてきた。暖炉の前に四つのカップが並ぶ。湯気が上がる。


「メルティア、料理の次は紅茶か」


「焼くのと淹れるのは得意なのよ♪」


「それは料理とは言わない」


「淹れ方にはこだわりがあるのよ。千年分の」


 紅茶を啜った。温かい。少し渋い。千年のこだわりにしては普通の味だが、それがいい。


 暖炉の火が爆ぜた。四人が暖炉を囲んでいる。冬の宿。温かい空気。紅茶の湯気。薪の匂い。


 これが日常だ。追放されて、悪魔と契約して、教会と戦って、勇者を退けて。その果てに辿り着いた場所が、辺境の宿の暖炉の前だった。大それた楽園ではない。小さな温かさの連なり。


 だが、これが俺にとってのロスト・エデンだ。失った楽園の、小さな再建。


 窓の外で、雪が少し強くなっていた。白い粒が暗い夜空を舞っている。


 この街の外では、ロスト・エデンの名前が独り歩きしている。「辺境で教会の討伐隊を退けた四人のパーティ」。「悪魔契約者が率いるBランク」。「全属性の魔法使い」。噂は商人の馬車に乗って街道を走り、近隣の街を越え、やがて王都にまで届くだろう。


 名前が、俺たちより先に、遠くへ歩き始めていた。


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