第24話 真実の開示
戦いの翌日。
感覚侵食はまだ残っていた。視界の端で色が微かに揺れている。匂いが時々映像に変わる。だが昨日よりはましだ。シアの聖属性治療のおかげで、回復が早まっている。
宿の部屋で、ノアが口を開いた。
「カイト。昨日の戦闘で、一つ気になることがあった」
外套の中から響く、千年の魔導書の声。普段よりも慎重な声色だった。
「蝕がレクスの聖剣に触れた瞬間、私は聖剣の魔力構造を走査した。聖別の加護を無効化する際に、剣そのものの内部構造が一瞬だけ露出したのだ」
「……内部構造?」
「聖剣というものは、通常は使い手の魔力を増幅して攻撃力に変換する。だが、あの聖剣の構造は通常とは異なっていた」
ノアが言葉を区切った。沈黙。千年を生きた魔導書が、言葉を選んでいる。
「あの聖剣には、使い手の魔力を増幅する機能に加えて、もう一つの機能がある。……近くにいる者の魔力を、吸収する機能だ」
一瞬、意味が分からなかった。
「吸収?」
「正確には、聖剣の使い手の近傍にいる人間の魔力を、微量ずつ吸い取り、使い手の魔力に上乗せする。寄生とも言える。使い手本人は気づかない。吸収される側も、よほど鋭敏な感覚がなければ気づかない。日に日に少しずつ、気づかないほどの量を」
脳の中で、断片が繋がっていった。
聖剣が、近くにいる者の魔力を吸収する。
三年間。俺はレクスのパーティにいた。レクスの近くにいた。毎日。戦闘でも、移動でも、野営でも。
俺の魔力量は、規格外だった。外れスキルの荷物持ちと蔑まれていたが、魔力の総量だけは異常に大きかった。それはメルティアとの契約後に判明した事実だが、契約前から存在していた素質だ。
つまり。
「……レクスの強さは」
「その通りだ。レクスの聖剣が発揮していた出力の一部は、お前の魔力を吸い取った結果だった。お前という規格外の魔力源が隣にいたから、聖剣は本来以上の力を発揮していた」
「カイトが追放された後、聖剣の出力が落ちたのは——」
「魔力の供給源を失ったからだ。レクス自身の魔力だけでは、聖剣の出力を維持できなかった。結果、Aランクの力がBランクに落ち、オーガにすら苦戦するようになった」
部屋が静かだった。窓の外で鳥が鳴いている。日常の音。だが、今聞いた言葉は日常からかけ離れていた。
三年間の全てが、塗り替わっていく。
レクスが俺を追放した理由。「調子が狂う」と言っていた。あれは比喩ではなかったのか。聖剣がカイトの近くで震えていたのは、魔力を吸収している反応だったのか。レクスはそれを不快感として感じ取っていて、だがその正体が分からず、カイトを遠ざけることで解消しようとした。
追放の本当の理由が、そこにあった。
「レクスは知っていたのか」
「おそらく知らない。聖剣の吸収機能は、使い手にも自覚がない仕組みだ。教会がこの機能を知っていたかどうかは不明だが、知っていたとしたら意図的にレクスに黙っていた可能性がある」
「……教会にとっては、強い勇者がいた方が都合がいいからな」
「そういうことだ」
リーゼとメルティアとシアが、俺の後ろで聞いていた。誰も口を挟まなかった。
メルティアの赤い瞳だけが、静かに光っていた。この事実を、彼女は最初から知っていたのかもしれない。千年の悪魔が、聖剣の構造を見抜けないはずがない。だが、聞かなかった。今は、聞く時ではない。
◇
レクスたちは、ラスティカの南門の外に設営した野営地にいた。
聖騎士たちは既に撤収を始めている。敗北した討伐隊に、留まる理由はなかった。教会の旗は降ろされ、銀の鎧は荷馬車に積み込まれていく。
俺は一人で野営地に向かった。
レクスは天幕の前に座っていた。地面に直接。灰色の聖剣を膝の上に置いて、光を失った刃を見つめている。教会の聖別鎧はもう脱いでいた。ただの革鎧。金色の髪が汚れて、額に汗の跡が乾いている。
ガルドが横にいた。大きな体を丸めて、不安そうにレクスを見ている。
アリアは少し離れた場所に立っていた。亜麻色の髪。眼鏡。俺の姿を見た瞬間、唇が震えた。だが、何も言わなかった。
「レクス」
呼んだ。
レクスが顔を上げた。金色の瞳が俺を見た。昨日の涙の跡は乾いていたが、瞳の中の何かが乾いていなかった。まだ壊れかけの表情をしていた。
「……何の用だ。まだ殴り足りないか」
「殴りに来たんじゃない。伝えることがある」
俺は、ノアから聞いた聖剣の秘密を話した。
近くにいる者の魔力を吸収する機能。レクスの強さの一部が、カイトの魔力を吸い取った結果だったこと。追放後に出力が落ちた理由。
一言一言、ゆっくりと。
レクスの表情が、聞くにつれて変わっていった。
最初は不審だった。「何を言っている」という顔。だが、言葉が重なるにつれて、不審が震えに変わった。否定しようとする目。だが否定できない目。思い当たる節がありすぎる目。
聖剣が、カイトの近くで震えていたこと。
カイトを見るたびに感じた不快感。「調子が狂う」と感じていた正体。
追放後、急激に落ちた聖剣の出力。
全てが、一本の線で繋がっていく。
レクスの顔から、色が消えた。
「嘘だ」
声が掠れていた。
「嘘だろ。俺の力は、俺の力だ。聖剣に選ばれたのは俺だ。勇者として、俺の力で——」
「レクス。お前自身の力がなかったとは言ってない。聖剣に選ばれたのはお前だ。それは変わらない」
「だが……お前の魔力を吸っていたと。俺の強さの一部が、お前から……」
レクスの手が、膝の上の聖剣を掴んだ。灰色の刃。光を失った聖剣。この剣がずっと、隣にいた男の魔力を吸い続けていた。
レクスの体が、震え始めた。
「俺の……俺の強さは……お前のおかげだったっていうのか……!」
声が裂けた。叫びに近い声。だが怒りではなかった。底が抜けた人間の声だった。
最後の支えが折れた音がした。
勇者の称号は失い、Aランクの看板も失い、教会の後ろ盾も戦闘で無力と証明され、セレナに去られ、そして今、自分の強さの根拠すら奪われた。
レクスが聖剣を地面に叩きつけた。
鈍い音。灰色の刃が乾いた地面に突き刺さった。柄がゆっくりと傾いて、枯れ草の上に倒れた。
レクスは聖剣を見なかった。両手で顔を覆って、そのまま動かなくなった。肩が震えている。声は出ていない。声の出し方すら忘れた人間の震え方だった。
ガルドが「レクス様」と呼んだ。返事はなかった。ガルドの大きな手が、レクスの肩に伸びかけて、止まった。触れていいのか分からなくて、宙に浮いたまま。
俺はそれ以上何も言わなかった。
真実を伝えたのは、慈悲ではない。復讐でもない。レクスが今後どう生きるかは、レクス自身が決めることだ。だが、嘘の上に立ち続けることはできない。聖剣の秘密を知らないまま、「俺の力が足りない」ともがき続けるのは、レクスにとっても地獄だ。
真実は痛い。だが、嘘の上に建てた家よりはましだ。
背を向けた。
◇
「……カイト」
声が追いかけてきた。レクスの声ではなかった。
アリアだった。
亜麻色のセミロング。眼鏡。その奥の瞳が、真っ赤に腫れていた。泣いていたのだ。昨日からずっと。
「話があるなら聞く」
「……ありがとう」
アリアの声が震えていた。野営地から少し離れた場所。枯れ草の丘の上。秋の風が、二人の間を吹き抜けていく。
「レクスの元を、離れることにしたわ」
その言葉に、驚きはなかった。アリアの目を見れば分かった。もう決めた目をしていた。
「教会に悪魔契約のことを報告したのは、私。あなたを討伐しに来る口実を作ったのは、私の言葉。全部、分かってる」
「……ああ」
「レクスを助けたかった。幼馴染だから。勇者になる前の、あの頃のレクスを知っているから。でも、その結果がこれ。私の報告が、レクスを更に追い詰めた。あなたたちを危険に晒した」
アリアの声が途切れた。風が吹いた。亜麻色の髪が揺れる。眼鏡の奥の瞳から、涙がまた溢れた。堪えようとしていない。もう、堪える力が残っていなかった。
「あの時……三年前の夜。焚き火の前で。レクスがあなたを追い出した時」
声が震えている。
「私は立ち上がった。でも、止められなかった。レクスの一瞥で黙った。一言も言えなかった。ずっと後悔してた。ずっと」
アリアが頭を下げた。深く。銀の眼鏡が鼻先からずれて、涙がレンズの上を滑り落ちた。
「あの時、あなたを止められなくて、ごめんなさい」
風が吹いた。枯れ草が波のように揺れる。秋の空は高くて青い。
三年間、ずっと飲み込んできた言葉が、ようやく外に出た。アリアの声は小さくて震えていたが、嘘の混じっていない声だった。
「……アリア」
「なに」
「止められなかったことは、責めない」
アリアが顔を上げた。涙で歪んだ目が、俺を見ている。
「あの場で止められる人間は、ほとんどいない。レクスは勇者で、リーダーで、パーティの絶対権力者だった。お前が声を上げただけでも、俺には聞こえてた」
「……え」
「あの夜。お前が『ちょっと待ってレクス』と言ったのを、俺は聞いていた。止められなかったことじゃなくて、声を上げようとしたことを、俺は覚えてる」
アリアの涙が、止まった。
嘘ではなかった。あの夜、焚き火の前でレクスに追放を告げられた時、声を上げたのはアリアだけだった。ガルドは黙っていた。セレナは「仕方ないわ」と追従した。アリアだけが立ち上がって、途中で言葉を呑み込んだ。
止められなかったことと、声を上げなかったことは、違う。アリアは声を上げた。届かなかっただけだ。
「この先、どうするんだ」
「……分からない。でも、レクスのそばにはもういられない。あの人のことは嫌いになれないけど、これ以上ついていったら、私も壊れる」
「なら、しばらくラスティカにいればいい。辺境は事情持ちに優しい」
アリアが目を丸くした。
「いいの? 私は、あなたを——」
「アリア。お前は俺を追放していない。報告したのは事実だが、追放したのはレクスだ。お前を恨む理由はない」
アリアの唇が震えた。何か言おうとして、言葉にならなかった。代わりに、涙がまた流れた。さっきとは違う涙。痛みの涙ではなく、何かが解けていく涙。
「……ありがとう。カイト」
「礼を言うのは早い。ラスティカの宿は安くないぞ」
「……ふ。あなた、そういうところ変わってないわね」
アリアが泣きながら、少しだけ笑った。
◆
王都レグナシオン。冒険者ギルド本部。
掲示板に、新しい通知が貼り出された。
「パーティ『聖剣の導き』。ランク評価をCに降格。教会公認討伐任務の失敗により、Bランク維持の資格を喪失。また、メンバーの離脱(セレナ・フィオーレ、アリア・ロスヴァイン)に伴い、パーティの実質的な活動能力がランク基準を下回ると判断」
通知の前を通り過ぎる冒険者たちは、もう立ち止まらなかった。
Aランクの勇者パーティが没落する話は、もう誰もが知っていた。掲示板の紙一枚は、ただの事後処理だった。
王都の片隅で、金色の髪の男が安酒場のカウンターに座っていた。隣に巨体の男が一人。
二人だけ。
灰色の聖剣は、腰にあった。光はない。ただの鉄塊のように、鞘の中で黙っていた。
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