第23話 俺の流儀
砂煙が晴れた。
俺は立っていた。レクスも立っていた。
二人とも無傷ではなかった。俺の外套は左肩が裂けて、聖剣に掠められた傷から血が滲んでいる。レクスの聖別の鎧は胸の紋章部分に焦げ痕があり、白銀の表面が煤けていた。
五メートルの距離。二人の間に、焼けた枯れ草の匂いが漂っている。
レクスの呼吸が荒い。肩が上下している。聖剣を握る右手が震えていた。全力の斬撃を何度も振った代償が、体に蓄積している。
俺の呼吸も荒い。視界の端で色が滲んでいる。青が匂いに変わりかけている。感覚侵食の第二段階。判断力が鈍り始めている。体が重い。五属性の連続使用は、体に鉛を流し込んだような負荷を残していた。
このままでは消耗戦になる。消耗戦になれば、俺の方が先に限界に達する。レクスには聖剣がある。教会の加護が出力を底上げしている。一振りの重みが違う。
――別の手が要る。
ノアの声が、外套の内側で囁いた。
「蝕を使え。光と闇の融合。対象の魔力を一時的に封じる」
「……聖剣の聖別を、封じられるか」
「聖別は外付けの魔力強化だ。外から足された力なら、蝕で一時的に無効化できる。教会の加護を剥がせば、あの聖剣は本来の出力に戻る」
本来の出力。つまり、ラスティカでオーガにすら苦戦した、あのくすんだ灰色の光。
「ただし、光と闇の同時制御は難易度が高い。今のお前の状態で使えば、感覚侵食が確実に第二段階に到達する。戦闘の続行が困難になるかもしれん」
「一発で決めればいい」
「……馬鹿が」
ノアの声に、呆れと、微かな信頼が混じっていた。
レクスが聖剣を構え直した。金色の瞳が俺を射る。
「まだやるか、カイト」
「ああ」
「お前がどれだけ属性を並べても、聖剣には届かない。教会の加護がある限り、この剣は折れない」
「……そうだな。教会の加護がある限り、は」
レクスの眉が動いた。俺の言葉の意味を測っている。
右手を開いた。光を呼ぶ。
光を灯すと、嘘がつけなくなる。全てが晒される怖さ。掌の上に白い球体が生まれた。純粋な光。眩しい。だが、温かくはない。真実の光。
左手を開いた。闇を呼ぶ。
闇を纏うと、誰にも見つからない。孤独と安堵が同居する。掌の上に黒い球体が生まれた。光を呑む闇。深い。底がない。
右手の光と、左手の闇。
対極の属性を同時に制御する。体の中で二つの力が衝突して、意識が引き裂かれそうになる。光が全てを暴こうとし、闇が全てを隠そうとする。その二つを、ぶつけるのではなく、重ねる。
融合。
蝕。
両手を合わせた。光と闇が混ざり合った。白と黒が渦を巻いて、灰色ではない、もっと深い色になった。日蝕の色。太陽が月に隠される瞬間の、あの禍々しい光輪の色。
掌の間で、蝕が脈動していた。
視界が歪んだ。感覚侵食の第二段階に突入した。色が音に変わる。枯れ草の茶色が低い唸り声に聞こえる。空の青が高い笛の音に変わる。世界が、目と耳が入れ替わったように混線している。
だが、手の中の蝕だけは見えていた。光と闇の融合体。これだけが、歪んだ視界の中で確かな形を保っている。
「何を——」
レクスが異変に気づいた。俺の掌に生まれた光を見て、反射的に聖剣を構える。
遅い。
放った。
蝕が飛んだ。日蝕の光が弧を描いて、レクスの聖剣に向かう。
レクスが聖剣で斬ろうとした。爆炎を斬った時と同じ動作。だが、蝕は炎ではなかった。
蝕が聖剣に触れた。
音が消えた。
世界から音が消えたのではない。聖剣から音が消えたのだ。聖属性の魔力が発する微かな高周波。聖別を受けた剣が常に纏っている、あの聖なる唸り。それが、ぷつりと途切れた。
聖剣の白銀の光が、掻き消えた。
教会の紋章が刻まれた鎧の発光が消えた。聖別の加護が、一時的に無効化された。蝕の効果。対象の魔力を封じる融合魔法。
レクスの手の中に残ったのは、光を失った聖剣だった。
くすんだ灰色の刃。ラスティカでオーガに苦戦した時と同じ光。カイトの魔力供給を失い、教会の加護も剥がされた、聖剣の素の姿。
「な……っ」
レクスの金色の瞳が見開かれた。聖剣を見つめている。灰色の刃を。光を失った刃を。
手が震えていた。聖剣を握り直そうとするが、力が入らない。聖別の加護が消えたことで、レクスの体にも影響が出ている。加護が支えていた体力の底上げが消えて、本来の消耗が一気に押し寄せている。
膝が折れかけた。
だが、レクスは立った。
歯を食いしばって、震える足で立って、灰色の聖剣を構え直した。
「……まだだ」
声が搾り出すように低い。
「聖別がなくても……俺は、勇者だ……!」
踏み込んだ。灰色の剣を振る。力は弱い。速度も遅い。教会の加護なしのレクスの一撃。
風。
突風でレクスの体勢を崩した。剣が空を切る。レクスの体が横に流れた。
土。
足元の地面を隆起させた。レクスの足が引っかかる。体が前のめりに倒れかける。
水。
地面に薄い水膜を張った。レクスの足が滑った。膝が落ちた。片膝。
三つの属性を、攻撃ではなく、制圧に使った。傷つけるためではなく、動きを止めるために。
レクスが片膝をついた。聖剣を杖のように地面に突き立てて、辛うじて倒れずにいる。灰色の刃が乾いた地面に刺さって、鈍い音を立てた。
俺はレクスの前に立った。
三メートル。
レクスの金色の瞳が、俺を見上げていた。汗と砂にまみれた顔。教会の紋章が消えた鎧。光を失った聖剣。
三年前、追放を告げた時のレクスは、焚き火の前で見下ろしていた。今、見上げているのはレクスの方だ。
だが、その逆転に快感は感じなかった。
感じたのは、悲しみだった。この男は、三年前も今も、同じ場所にいる。借り物の力で虚勢を張って、それが剥がれた時に膝をつく。何も変わっていない。変わったのは俺の方だ。
「……殺せよ」
レクスの声が、乾いていた。
「お前にはその力がある。俺を殺して、全部終わりにしろ。悪魔の力で、勇者を殺した男になれ」
「…………」
「それがお前の望みだろう。三年間、俺を恨んでたんだろう。今がその時だ」
レクスの金色の瞳が、真っ直ぐ俺を見ていた。挑発ではなかった。本気で言っている。殺されることを、どこかで望んでいる。敗北を受け入れるよりも、死んだ方が楽だと思っている目。
追い詰められた人間の、最後の逃げ道。
「……レクス」
俺の声は、静かだった。感覚侵食で世界が混線している。色が音に聞こえ、匂いが映像で見える。だが、レクスの金色の瞳だけは、正確に見えていた。
「お前を殺す理由がない」
レクスの瞳が揺れた。
「お前がやったことは許さない。追放も。教会と結託して討伐隊を連れてきたことも。俺の仲間を脅かしたことも。全部、許さない」
言葉が、一つずつ、重みを持って落ちていく。
「だが、殺すのは俺の流儀じゃない」
レクスの顔が歪んだ。怒りでも恐怖でもない。もっと根の深い感情が表面に出てきていた。理解できないものを突きつけられた人間の顔。殺されることを覚悟していたのに、殺されないと言われた。その方が、刃で斬られるより深く刺さっている。
「……なぜだ」
レクスの声が震えていた。
「なぜ殺さない。俺はお前を追放した。お前の居場所を奪った。お前を否定した。それなのに——」
「それでも、お前は俺にとって三年間のリーダーだった」
口から出た言葉は、自分でも意外だった。
だが、嘘ではなかった。三年間の全てが憎悪ではない。荷物持ちだった。雑用係だった。だが、あのパーティで戦場に立ったのは事実だ。レクスの背中を見て歩いた三年間は、俺の一部だ。それを否定すれば、今の自分も否定することになる。
「お前を殺したら、その三年間まで殺すことになる。俺はそれを望んでない」
レクスの金色の瞳から、涙が一筋流れた。
この男が泣くのを、初めて見た。
レクスは涙を拭わなかった。片膝をついたまま、灰色の聖剣を握ったまま、金色の瞳から涙を流しながら、俺を見上げていた。何も言えなかった。言葉が見つからないのだろう。初めて、本当に初めて、レクスの仮面が全て剥がれた顔を見た。
勇者でもなく、リーダーでもなく、教会の先兵でもない。借り物を全部剥がされた、ただの男の顔。
俺は背を向けた。
◇
戦場が静まっていた。
聖騎士たちが武器を下ろしていた。レクスの敗北を見て、戦意を失ったのだ。味方の冒険者たちも攻撃をやめている。傷ついた者同士が、茫然と立ち尽くしている。
リーゼがガルドの前に立っていた。ガルドは仰向けに倒れている。鉄盾が横に転がっている。胸の鎧に二本の切り傷が走っているが、浅い。リーゼが急所を外している。
「……負けた」
ガルドの声が震えていた。
「レクス様も……負けたのか」
「ええ」
ガルドの大きな目から、涙が溢れた。子供のように。この男は子供なのだ。大きな体の中に、自分で考えることを覚えなかった子供がいる。
リーゼは何も言わなかった。剣を鞘に収めて、背を向けた。碧い瞳が、一瞬だけ伏せられた。勝ったことへの安堵と、斬らなければならなかったことへの苦さが、同時に瞬いて消えた。
シアが戦場を走り回っていた。白銀の光を手に纏って、味方の冒険者たちの傷を治療していく。止まらなかった。味方が終わると、倒れている聖騎士の元へ向かった。
「シア。敵の聖騎士まで治療してるぞ」
赤ら顔の冒険者が驚いた声で言った。
「傷ついている人に、敵も味方もありません」
シアの紫の瞳が、聖騎士の顔を見下ろしていた。白い法衣の男。シアを追放した側と同じ服を着た男。その男の傷を、シアの聖属性が塞いでいく。
聖騎士が目を見開いた。自分たちが追い詰めに来た相手が、自分たちの傷を治している。理解が追いつかない顔をしていた。
「……なぜ」
「理由なんてありません。痛いのは嫌でしょう?」
聖女の声だった。教会に追放されても消えなかった、本物の聖女の声。
メルティアが俺の横に来た。赤い瞳が俺の顔を見ている。
「感覚侵食、第二段階ね」
「……分かるのか」
「あなたの瞳の焦点が合ってないもの。色が音に聞こえてるでしょう」
「……草の色がうるさい」
「休みなさい。シアちゃんに治療してもらうまで」
メルティアの手が、俺の背中に添えられた。支えるでもなく、押すでもなく。ただ、ここにいるよ、と伝える手の温度。
南門の方から、人の声が聞こえてきた。
ラスティカの住人たちが、恐る恐る門から出てきていた。戦場を見ている。砂煙の残る広場と、散乱した武器と、座り込む聖騎士たちと、片膝をついたままの金髪の男を。
俺はもう一度、レクスの方を見た。
レクスはまだ片膝をついていた。灰色の聖剣を地面に突き立てたまま、金色の瞳は伏せられている。ガルドが這うようにその隣に座って、「レクス様」と呼んでいた。レクスは応えなかった。
アリアは、隊列の最後尾にいた場所から一歩も動いていなかった。亜麻色の髪が風に揺れている。眼鏡の奥の瞳が、全てを見ていた。レクスの敗北を。カイトの慈悲を。自分の報告がもたらした結末を。
その瞳から涙が流れているのが、ここからでも見えた。
秋の日差しが、戦場を照らしていた。枯れ草の焦げた匂い。鉄と血と汗の匂い。聖属性の残滓が風に溶けて、少しずつ薄れていく。
左腕の魔印が脈打っていた。肩まで広がった黒い紋様。今回は魔を使わなかった。魔印は広がっていない。だが、感覚侵食の代償が体に残っている。世界がまだ歪んでいる。草の色が低い音で鳴り続けている。
それでも、足は地面を踏んでいた。立っていた。
勝った。
だが、勝利の味はしなかった。口の中にあるのは、血の味だけだった。
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