第133話 表裏
金色の光の中で、俺は目を閉じた。
焼けた白檀の香が、肺を灼く。時間がない。メルティアは消えかけている。それでも──いや、だからこそ。俺は思考を加速させた。
何か、あるはずだ。
全部を守る道が。誰も失わない道が。
断片が、頭の中を駆け抜けていく。
◇
シアの言葉。あの、調和の力を掴んだ日の。
──聖と魔は、対立するものじゃないんです。一つの力の表裏なんです。
排除するのではなく、受容する。両方を受け入れて、均衡を保つ。それが調和。教会が異端として封じた力。
そして──目の前の、ヴィクトルの聖域。
あれは「否定」だ。穢れをこの世から排除する力。分けて、断って、祓う。教会の正しさの極致。
排除と、受容。その、対極にあるもの。二つの力が頭の中でぶつかり合った。
そして、レクスの声が蘇る。天幕で交わした、あの言葉が。
──教会は、お前を「穢れ」と呼ぶ。でも、お前は俺みたいなクズを、人間として扱った。どっちが、正しいんだろうな。
あの時、俺はこう答えたはずだ。
──正しさなんて、誰かが勝手に決めるもんだ。俺は自分の目で見て、決める。
穢れ。教会が線を引いて、切り捨てるもの。俺のこの左腕の黒い紋様も。メルティアという悪魔も。全部、「穢れ」として祓われるべきものだと。
だが、俺はそれを認めていない。メルティアは穢れじゃない。俺の契約も、この力も。全部、俺の一部だ。
◇
その瞬間、頭の中で、何かが──繋がった。
俺は目を見開いた。
「……シア」
俺の声に、シアが必死に調和の光を灯したまま、振り返った。
「調和は──何と何を、均衡させる力だ」
突然の問いに、シアが戸惑いながらも答えた。
「聖と、魔です。……対立する二つの力を排除せず、受け入れて共存させる。それが調和です」
聖と、魔。これまで、俺たちはその調和を──魔印に使ってきた。暴走する結び目を抑えるために。糸を解くために。
だが、魔印は症状だ。根っこじゃない。
「──シア」
俺は言った。声が震えていた。恐怖ではない。何か途方もないものに手が触れた、その震えだった。
「調和を──契約に、使えないか」
◇
シアの紫の瞳が、大きく見開かれた。
メルティアが、薄れゆく体で俺を見上げた。赤い瞳に、驚愕が走る。
「……カイト。何を言って……」
「聞け」
俺は早口で続けた。時間がない。
「俺の魂は『聖』の側だ。人間の魂。そして悪魔契約は──『魔』だ。教会は、その二つが混ざったから、俺を『穢れ』と呼ぶ。相容れないものが無理やり繋がってるから、歪みが生まれる。それが魔印だ」
左腕の黒い紋様。灼かれ続ける、その紋様。
「なら──その二つを対立させたまま、切り離すんじゃない」
俺はメルティアの赤い瞳を、まっすぐ見た。
「聖と魔を。俺の魂と、お前との契約を──調和させる。一つの力の表裏として。受け入れて、共存させる」
薄れゆく体で、メルティアが息を呑む。その反応を確かめるより先に、俺は続けた。
「そうすれば──契約は残ったまま、『穢れ』じゃなくなる。相容れないものが対立をやめる。歪みが消える。……魔印は、暴走する根っこを失う」
金色の光を裂くように、俺の声が大聖堂に響いた。
「メルティアは消えない。契約も解除しない。……魔印だけが、消える」
◇
沈黙があった。
金色の光が降り注ぐ中で。誰もが、俺の言葉を理解しようとしていた。
最初に声を上げたのは、シアだった。
「……できる、かもしれません」
紫の瞳が震えている。だが、その奥に光が灯っていた。
「調和は、聖と魔を共存させる力。……魔印にじゃなく、契約そのものに使えば。理論上は──ありえます。誰も試したことは、ありませんけど……!」
「そんな……そんなこと、聞いたことがないわ」
メルティアの声が掠れた。薄れた体で、俺の腕を掴む。
「千二百年、生きてきた。悪魔契約なんて、数え切れないほど見てきた。でも、契約を『調和させる』なんて、誰も──」
「誰も、やってないなら」
俺はメルティアの手を握り返した。
「俺が、最初になる」
メルティアの赤い瞳が、大きく揺れた。
その瞳の奥に、千二百年分の後悔と諦めがあった。「彼」を救えなかった、あの日からずっと。何をしても変えられないと。犠牲は避けられないと。そう思い込んできた、その目が。
今、初めて──希望に揺れていた。
◇
「ただし」
俺は周りを見渡した。リーゼ。ユイ。シア。レクス。アリア。マルクス。ノア。そして、腕の中のメルティア。
「一人じゃ、できない」
「ユイ。お前の目が要る。魔印の結び目じゃない──契約そのものの核を、視てくれ」
「……っ、うん!」
「シア。お前の調和で、場を作ってくれ。俺の魂と契約が共存できる、場を」
「……はい!」
「メルティア。お前の力も要る。契約の当事者として──お前の力を『敵』じゃなく、『味方』として俺の魂に馴染ませてくれ」
メルティアの赤い瞳から、涙が一粒こぼれた。千二百年、流さなかった涙だった。
「……ええ。……ええ、カイト」
俺は自分の左腕を握りしめた。
灼かれ続ける、黒い紋様。穢れと呼ばれ続けた、この力。
だが、これは──俺の、一部だ。
祓うものじゃない。
受け入れて、共に生きるものだ。
「全員で──やるぞ」
金色の光の中で。誰も試したことのない道へ、俺たちは踏み出そうとしていた。
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