第128話 セドリックの問い
「……猊下」
声がした。
俺たちの後ろから。案内役として控えていた、セドリックの声だった。
俺は振り返った。金髪の若い聖騎士が、青い瞳を揺らしていた。いつもの穏やかな表情に──初めて、ひびが入っている。
「猊下。……一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
セドリックの声は硬かった。何か確かめずにいられない、という響き。ヴィクトルが穏やかに頷いた。
「なんですか、セドリック」
セドリックは一度、唇を引き結んだ。それから、絞り出すように問うた。
「真実を隠すことも……救いなのですか」
その問いが、大聖堂の静寂に落ちた。
「人が死ぬことも……救いのためなら、許されるのですか。……あの方の父上のように。無実の人が犠牲になっても……それは、救いのためなら正しいのですか」
白檀の香が、その問いの余韻を包んでいた。
◇
ヴィクトルの穏やかな目が、セドリックへと向いた。
弟子を見るような、慈愛の眼差し。だが、その奥には揺るがない確信があった。
「セドリック」
ヴィクトルの声は優しかった。
「あなたは、まだ若い」
その言葉には、諭すような響きがあった。
「救いとは──時に厳しいものです。目の前の小さな痛みに囚われては、大きな救いを見失う。……あなたには、まだその全体像が見えていない。だから迷うのです」
ヴィクトルがセドリックに微笑みかけた。父が息子を諭すように。
「信じなさい。私を。……私はあなたを、正しい道へ導いてきた。これからも、そうします。あなたはただ、信じていればいい。……それが、あなたの救いにもなるのです」
その言葉は優しく、そして絶対的だった。疑うな。考えるな。ただ信じろ。ヴィクトルはセドリックに、そう告げていた。
◇
セドリックは俯いた。
ヴィクトルの言葉を受け止めようとしているのか。あるいは、受け止めきれずにいるのか。その金髪の頭が、わずかに揺れていた。
俯くセドリックを見ながら、俺はこの若い聖騎士のことを思い出していた。ミルフィ村で対峙した時のこと。セドリックは本気だった。俺を浄化しようと。だが、その目に悪意はなかった。ただ本気で──俺を救おうとしていた。歪んでいたが、その根っこには確かに、人を救いたいという純粋な想いがあった。
「……セドリック」
俺が名を呼ぶと、セドリックが青い瞳を上げて、俺を見た。
「あんたは、本気で人を救いたいんだろう」
俺はまっすぐ、セドリックを見た。
「ミルフィ村でも、そうだった。あんたは本気で、俺を救おうとしてた。……その気持ちは、嘘じゃないはずだ」
セドリックの青い瞳が揺れた。
◇
「でも」
一度、言葉を切ってから、俺は続けた。
「あんたのその『救い』は──あんた自身が考えたものか?」
その問いに、セドリックが息を呑んだ。
「浄化が救いだ。穢れを祓うことが正義だ。……それ全部、ヴィクトルから教わったことだろう。あんたはそれを、疑いもせずに信じてる。……でも、それはあんたの『救い』じゃない。ヴィクトルに借りた『救い』だ」
セドリックの顔が強張った。
「あんたは一度でも、自分の頭で考えたことがあるか。本当に浄化が救いなのか。本当に穢れを祓うことが正しいのか。……人が死んでも、真実を隠しても、それが『救い』なのか。……ヴィクトルの言葉じゃなく。あんた自身の目で」
口の中にかすかな鉄の味を感じながら、俺はセドリックの青い瞳を見つめた。
「あんたの、救いたいって気持ちは本物だ。……だからこそ聞くんだ。その気持ちを借り物の正しさに預けたままで──本当に、いいのか」
◇
セドリックは答えなかった。
いや、答えられなかった。青い瞳が大きく揺れている。俯き、そしてまた、顔を上げる。何かを言おうとして、言葉にならない。彼の中で何かが、初めてひび割れる音が聞こえるようだった。
信じているから、穏やかだった。疑わないから、揺るがなかった。その信仰の土台が──今、初めて疑問に晒されていた。
そのセドリックの動揺を見ても。
ヴィクトルは──余裕を崩さなかった。
「無駄なことを」
ヴィクトルが静かに言った。穏やかな微笑みは、そのままに。
「言葉で若い者を惑わせる。……哀れな抵抗です。ですが、セドリックは揺らぎません。彼は正しい信仰の内にある。あなたのまやかしの言葉など──すぐに忘れるでしょう」
ヴィクトルの澄んだ目が、俺を見た。慈愛と確信を湛えたまま。
「さあ──話は終わりです。灰原カイト殿」
その手がゆっくりと持ち上がった。金色の法衣の袖が揺れる。
「浄化の、時間です」
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