表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
120/140

第120話 剣を置く

 数日が経つと、レクスは、寝台から起き上がれるようになった。

 完全な回復では、なかった。両腕の灰色は、消えていない。指は動くが、握力は、戻らない。だが、支えがあれば、立てる。少しずつ、歩ける。数週間で朽ちるはずだった体が、確かに、生きようとしていた。

 その朝、天幕には、外から流れ込む土と朝露の匂いが、満ちていた。レクスは、天幕の隅に立てかけられた、一振りの剣を、見つめていた。

 勇者の剣。かつて、魔王を討つはずだった、白銀の刀身。柄には、聖なる紋章が、刻まれている。前線に来る時、レクスが、腰に佩いていたもの。だが今、その剣は、鞘に収まったまま、静かに、立てかけられている。

 レクスの、灰色の手が、その柄に、伸びた。

 握ろうとする。だが、指が、震えた。柄を、しっかりと、掴めない。灰色の手は、剣の重さを、支えられなかった。

「……やっぱり、駄目か」

 レクスが、掠れた声で、呟いた。自嘲では、なかった。ただ、静かに、事実を、確かめる声だった。

 ◇

「なあ、そこの兵隊さん」

 レクスが、天幕の入口に立っていた、若い兵士を、呼んだ。

 昨日から、レクスの世話を、任されている兵士だった。まだ、二十歳そこそこだろう。緊張した面持ちで、レクスの前に、進み出た。

「は、はい。何か、御用でしょうか。レクス様」

「様、はやめろ。……お前、名前は」

「ダン、と言います」

「ダン、か」

 レクスが、立てかけられた剣に、目をやった。

「この剣を、お前に、やる」

 ダンと名乗った兵士の目が、大きく見開かれた。

「え……勇者様の、剣を……ですか?」

「俺はもう、振れない」

 レクスが、自分の灰色の手を、見下ろした。

「この手じゃ、握ることも、ままならない。……でも、この剣は、誰かを守るために、打たれたものだ。振るう者もなく、鞘の中で、眠らせておくのは……もったいないだろう」

 ダンは、戸惑った。剣と、レクスの顔を、交互に見て、後ずさりそうになる。

「で、でも……勇者様の剣なんて、俺なんかが……! そんな、恐れ多い……」

「勇者かどうかは」

 レクスの声が、静かに、遮った。

「剣が、決めるんじゃない」

 レクスの赤黒い瞳が――以前より、少しだけ人間の色を取り戻した瞳が、ダンを、まっすぐ見た。

「誰を守るかで、決まるんだ。……お前には、守りたいやつが、いるか」

 ダンが、息を呑んだ。しばらく、俯いて、それから、小さく、だが、はっきりと、答えた。

「……います。故郷に、妹が。……あいつを守るために、俺は、兵士に」

「なら」

 レクスが、笑った。不器用な、だが、確かな笑みだった。

「お前が、勇者だ」

 ◇

 ダンが、震える手で、剣を、受け取った。

 勇者の剣。白銀の刀身が、天幕の隙間から差す光を、受けて、鈍く光る。ダンは、その重さを、確かめるように、両手で、握りしめた。剣を握れる手で。まだ、命の色を失っていない、その手で。

「……大事に、します。この剣も、この……勇者って、名前も」

 ダンの声が、震えていた。レクスは、頷いた。

「ああ。……頼んだぞ」

 ダンが、深く、頭を下げて、天幕を、出ていった。剣を、抱えて。新しい勇者が、前線へと、戻っていく。

 レクスは、その背中を、見送った。それから、長く、息を吐いた。

「……やっと、肩の荷が、下りた気分だ」

 レクスの声に、憑き物が落ちたような、軽さがあった。

「勇者、勇者って……ずっと、その名前に、縛られてた。魔王を討たなきゃ、みんなを救わなきゃって。……追放されて、全部失っても、その重さだけは、消えなかった。……でも、やっと、手放せた」

 レクスが、灰色の手を、開いて、閉じた。もう、剣を握らない手を。

「……ただの、レクスに、戻れた気がするよ」

 ◇

 俺は、レクスの隣に、腰を下ろした。

 天幕の中は、静かだった。ダンの去った後の、穏やかな時間。レクスの、生きる時間が、静かに、流れている。

「なあ、カイト」

 レクスが、ふと、口を開いた。

「お前、俺を、殺さなかったよな」

 その言葉に、俺は、レクスを見た。

「あの、噴水の広場で。俺が、空っぽになって、笑ってた時。……お前は、剣を抜けた。あの時の俺なら、抵抗もできなかった。殺せたはずだ。……でも、お前は、殺さなかった」

 レクスの赤黒い瞳が、俺を、見つめている。

「あの時、お前、言ったよな。『お前を殺す理由がない』って。……あれ、ずっと、引っかかってたんだ」

 レクスが、灰色の手を、膝の上で、握った。

「なんで、殺さなかったんだ、カイト。……お前を追放して、仲間を見下して、散々なことをした、俺を。……なんで」

 その問いが、天幕の静けさの中に、落ちた。

 噴水の広場。雨上がりの石畳。空っぽに笑う、かつての勇者。あの時、俺は、確かに、剣を抜くことも、できた。だが、抜かなかった。その理由を、レクスは、今、問うている。口の中に、かすかな鉄の味が、滲んだ。

 俺は、しばらく、その問いを、受け止めていた。


読んで下さりありがとうございました!

★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!

Youtubeにて作品公開中!

http://www.youtube.com/@mizukara-h2z

ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ