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第113話 催促状

 蹄の音が、診療所の前で止まった。

 四番目の結び目に失敗した、その翌日のことだった。アリアの風読みではない。本物の馬と、本物の伝令。だが、前線から来た男とは、装いが違った。

 白い法衣。胸に、教会の紋章。聖印を象った、金色の刺繍。

 戸口に立った使者は、感情のない声で、用件を告げた。

「灰原カイト殿。王都より、書状を届けに参りました」

 差し出されたのは、一通の封書。重い封蝋で、固く閉じられている。封蝋には、教会の紋章が、深く刻まれていた。蜜蝋の匂いが、わずかに鼻をかすめる。だが、その匂いは、いつものメルティアの紅茶の蜜蝋とは違う。冷たく、形式的な匂いだった。

「確かに、お渡ししました。……御返答は、書状の通りに」

 それだけ言って、使者は馬首を返した。前線の伝令のような、責める色も、苛立ちもない。ただ、命じられたことを、命じられた通りに。それが、かえって不気味だった。

 ◇

 診療所のテーブルで、封を切った。

 硬い羊皮紙が、乾いた音を立てる。中の文面を、リーゼが読み上げた。碧い瞳が、一行ずつ、文字を追っていく。

「『灰原カイト、ならびにその一党へ』」

 碧い瞳が文字を追いながら、リーゼの声が淡々と続いた。

「『聖戦への非協力、ならびに穢れた術式の行使につき、王都・大聖堂への出頭を、ここに命ず』」

 穢れた術式。蝕のことだ。あるいは、ユイの目で結び目を解く、あの行為のことか。どちらにせよ、教会は、俺たちの「治療」を、穢れと呼んでいる。

「差出人は」

 俺が問うと、リーゼの碧い瞳が、文面の最後で止まった。

「……審問局長、ヴィクトル・ルミエール」

 その名が、診療所の空気を、重くした。口の中の鉄の味が、ふいに濃くなった気がした。

 大聖堂の最上階で、穏やかに微笑んでいた男。穢れを浄めることが救いだと、本気で信じている男。聖剣で魔印が止まったことを、想定外だと言って、駒を引き直した男。その男が、今度は、俺たちを呼びつけてきた。

 ◇

「これは、ただの呼び出しじゃないわ」

 リーゼが、羊皮紙をテーブルに置いて、碧い瞳を上げた。

「召喚そのものは、合法よ。聖戦令の下では、教会は、関係者に王都への出頭を命じる権限を持つ。……『穢れた術式の行使』という名目があれば、なおさら。拒否する法的根拠は、こちらには、ない」

「拒否したら、どうなる」

「『逃亡』と、みなされる」

 リーゼの声が、低くなった。

「出頭の命令を拒んで姿を消せば、聖戦令の下で、追討の対象になる。大陸中の聖騎士と、教会の勢力が、私たちを追う。……逃げ場が、なくなる」

 行けば、ヴィクトルの待つ大聖堂。行かなければ、追討。どちらの道も、ヴィクトルが敷いたものだった。

 マルクスが、銀縁の眼鏡を押し上げた。

「巧妙です。王の裁定を、覚えていますか。あの時、王は、カイト殿への直接の浄化を、禁じた。聖戦下であっても、ヴィクトルは、勝手にカイト殿に手を出せない。……だから、こうして、合法な手続きを踏んでいる」

 銀縁の眼鏡の奥で、マルクスの目が細くなった。

「正式な召喚に応じさせ、教会の総本山に呼び寄せる。そこでなら、『出頭してきた者を、正規の手順で裁く』という形が取れる。王の裁定を、犯さずに。……ヴィクトルは、法の枠の中で、私たちを追い詰めようとしています」

 ◇

 メルティアが、赤い瞳で、羊皮紙を見ていた。

 その表情に、♪はなかった。窓の外の、遠い空を見るような目。千二百年を生きた者だけが浮かべる、静かな警戒。

「ヴィクトルは、私たちを、王都に呼び寄せたいのよ」

 メルティアが、口を開いた。

「聖剣で魔印が止まったことが、よほど想定外だったんでしょうね。穢れを穢れで治すなんて、教会の理屈では、ありえない。……だから、自分の目の届く場所で、確かめたいの。何が起きたのか。私たちが、何をしたのか」

「罠か」

「罠とは、限らないわ」

 メルティアの赤い瞳が、俺を見た。

「でも、安全でもない。大聖堂は、ヴィクトルの庭。教会の聖属性が、満ちている場所。……私のような悪魔には、空気そのものが、刃になる場所よ。あそこに踏み込むのは、こちらが、不利」

 メルティアの言葉が、診療所に、静かに沈んだ。

 窓の外を、見た。東の空。前線では、レクスが、まだ戦っている。冥渦が、広がり続けている。そして、王都では、ヴィクトルが、盤の向こうで、駒を動かしている。

 止まった時計を抱えたまま、俺たちは、選択を迫られていた。行くか。逃げるか。だが、どちらの道も、ヴィクトルの手のひらの上にある。

 左腕の、四番目の結び目を、思った。解けなかった、あの一本。残り四つの結び目は、今までのやり方では、解けない。なのに、平衡は、長く保たない。なのに、ヴィクトルは、俺たちを呼びつけてくる。

 時間が、足りなかった。あらゆる方向から、足りなかった。

 羊皮紙の上の、ヴィクトルの名前を、もう一度、見た。

 盤の向こうの男が、静かに、駒を進め始めていた——


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