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第108話 教会の正義

 朝日が、ミルフィ村の畑を金色に染めていた。

 その光の中を、白い影の列が進んでくる。朝露を含んだ土と、刈り取り前の麦の匂いが、開けた窓から流れ込んでいた。診療所の窓から見ても、白い影ははっきりと数えられた。聖騎士十名。揃いの白い法衣に、銀の肩当て。陽を受けた鎧が、規則正しく光を弾いている。

 先頭に立つのは、金髪の若い男だった。セドリック。

 穏やかな笑みは、いつもと変わらない。だが今朝のその顔には、これまでなかった硬さがあった。使命を帯びた者の硬さ。ヴィクトルの命を、その背に負っている。

 俺は診療所を出て、村の入口へ向かった。リーゼが横に並び、メルティアが半歩後ろにつく。シアは診療所に残った。ユイのそばを離れられない。昨夜の手術で熱を出したユイは、まだ寝台で眠っている。

 ドルクが、いつの間にか先回りして立っていた。腕を組み、聖騎士の列の前に、壁のように立ちはだかっている。

 二つの集団が、畑の間の道で向き合った。口の中に、鉄の味がせり上がってくる。魔印のせいか、それともこの張り詰めた朝のせいか、もう区別もつかなかった。

 ◇

「灰原カイト殿」

 セドリックの声が、朝の空気に通った。穏やかで、よく響く声。

「聖戦令に基づく、緊急浄化権限を行使します。あなたの魔印は、危険な段階に達している。教会の聖域にて、正規の浄化を受けていただきます」

 穢れを祓う、という意味だ。蝕も、契約も、この左腕に刻んだ三つの希望も、まとめて消し去るという。千二百年前、調律者を浄化して全属性を奪ったのと、同じやり方で。

 リーゼが一歩前に出た。碧い瞳が、まっすぐセドリックを射抜く。

「その権限の行使は、認められません」

 懐から取り出した証明書を、セドリックに示す。王家の印章。

「灰原カイトは、王権の保護下にある冒険者です。エリシア殿下の署名がある。王権の保護を受ける者への強制的な浄化は、明白な王権侵害に当たります」

 セドリックの笑みは、揺らがなかった。

「聖戦令は、王権の認可を受けた教会の権限です」

 淀みのない声で、セドリックは続けた。

「聖戦の最中における緊急措置は、王権の保護に優先する。聖戦令第七条。……これは、私の独断ではありません。局長の、ヴィクトル猊下のご判断です」

 リーゼの碧い瞳が、わずかに細まった。法の条文を、頭の中で素早くたどっている。聖戦令第七条。緊急措置の優先条項。それは確かに存在する。リーゼの法の盾と、セドリックの聖戦令が正面からぶつかり、どちらも一歩も動かない。法の言葉だけでは、この対峙に決着はつかなかった。

 ◇

 ドルクが、太い声を割り込ませた。

「この村も、ラスティカと同じくギルドの管轄だ」

 腕を組んだまま、聖騎士の列を見下ろす。

「教会の権限は、教会の中だけで振り回しな。よその庭に土足で上がり込む権利は、誰にもねえ」

「ギルドマスター殿」

 セドリックの声は、あくまで穏やかだった。

「聖戦令の下では、ギルドの自治権にも制限がかかります。ご存じのはずだ。……争うつもりはありません。我々は、苦しむ者を救いに来ただけです」

 救い、という言葉を、セドリックは本気で口にしていた。そこに嘘はない。この男は、心から俺を救うつもりで、ここに立っている。だからこそ、止まらない。悪意ある敵なら、まだ説き伏せようもあった。

 聖騎士の一人が、列を離れて、俺の方へ足を踏み出した。

 その瞬間。

 リーゼの剣が、鞘を払った。

 抜き身の刃が、朝日を弾く。碧い瞳が、氷のように鋭くなった。

「これ以上、彼に近づくなら」

 切っ先が、踏み出した聖騎士の喉元へ向く。

「ギルドのAランク冒険者として、あなたを排除します」

 聖騎士の足が、止まった。リーゼの構えに、一切の隙がない。元騎士の太刀筋を、白い法衣の男も察したのだろう。

 空気が、張り詰めた。

 その時、メルティアの赤い瞳が、光った。

 血のように赤い光が、瞳の奥で揺れる。次の瞬間、あたりの空気が、ずしりと重くなった。見えない圧が、畑の上に降りてくる。朝の光さえ、急に色を失ったように感じられた。

 悪魔の、威圧。

 聖騎士たちの顔から、血の気が引いていく。剣の柄を握る手が震え、一人、また一人と、無意識に半歩後ずさった。本能が、目の前の存在を「格上の捕食者」だと告げている。人間が、抗えるものではなかった。

 だが。

 セドリックだけは、動じなかった。

 青い瞳が、まっすぐメルティアを見据えている。後ずさりもせず、顔色も変えず、ただ静かに立っている。

「悪魔の威圧ですか」

 その声に、震えは微塵もなかった。

「恐ろしいとは、思います。私とて、人間ですから。……ですが、私は信仰に従う。恐怖よりも、果たすべき使命が、私を立たせている」

 メルティアの赤い瞳が、すっと細まった。千年の悪魔の威圧を、信仰一つで受け止める若者を、見定めるように。

「……厄介な子ね」

 その呟きには、♪がなかった。

 朝日の下で、二つの集団が睨み合っている。

 白い法衣の正義と、それを拒む者たちの正義が。どちらも、自分が正しいと信じている。

 ミルフィ村の畑の真ん中で、二つの正義が、真正面から噛み合っていた。


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