第102話 帰還
南門の見張りが、旅人の帰還を告げる鐘を二度鳴らした。
俺は宿を出て門へ向かった。リーゼもメルティアもマルクスも続き、今朝アリアと一緒にミルフィ村から来ていたユイも、痩せた足でついてくる。門の向こうに、見覚えのある人影が立っていた。一ヶ月前、同じ門から出ていった茶色の外套の背中だ。
だが、出発した時とは何かが違っていた。
その人影の周りに、薄い光が漂っている。教会の白銀でも、悪魔の赤黒でもない。白銀と金色のちょうど間の、温かそうな光が、外套の輪郭をなぞるように静かに揺れていた。
フードが上がり、紫の瞳が覗いた。
「ただいま」
シアの声だった。けれど出ていった時の、決意で固められた声とは違う。何かを置いてきたような、あるいは確かに何かを掴んできたような、ほどけた響きがそこにあった。
「おかえり」
俺が言うより先に、別の声が割り込んだ。ユイだった。痩せた体で、それでも全力で駆け出して、シアの胸に飛び込んでいく。
「シアちゃん! おかえりなさい!」
シアはユイをしっかりと抱きとめた。一ヶ月前なら、ユイの勢いに少しよろけたかもしれない。今のシアは微動だにせず、ユイの背中に手を回して、その頭の上で穏やかに微笑んでいる。
「ただいま、ユイちゃん」
メルティアが近づいてきて、赤い瞳でシアの周りの光をじっと見つめた。
「……その光」
「はい」
「習得したのね♪」
「メルティアさんのおかげです」
メルティアの赤い瞳が、一瞬だけ揺れた。千二百年前に自分が失った光を、シアが取り戻して帰ってきた。その意味を噛みしめるように、メルティアはしばらく何も言わなかった。
やがて、ゆっくりと手を伸ばして、シアの肩に触れる。
一ヶ月前、この門でシアを送り出した時、メルティアは肩に触れようとして、寸前でやめた。あの時は触れられなかった手が、今は迷いなくシアの肩に置かれている。
「おかえりなさい、シアちゃん」
その声に、♪はなかった。
◇
宿に戻ると、久しぶりに暖炉の前の椅子が全部埋まった。
ずっと空いていた席にシアが座り、メルティアが紅茶を淹れる。三つしか並ばなかったカップが、今日は四つ。湯気の立つカップを受け取ったシアは、一口飲んで小さく息を吐いた。
「……あったかい」
たった一言に、一ヶ月の旅の疲れが滲んでいた。俺たちは誰も口を挟まず、シアが紅茶を飲み終えるのを待った。
カップを置くと、シアは顔を上げた。
「カイトさん。手を、見せてください」
左腕をテーブルに出し、袖をまくる。手首から肩へ、そして首筋へと伸びる黒い紋様が、暖炉の光に晒された。シアが手を伸ばすと、その掌に白銀と金色の間の光が灯る。温かく、柔らかいその光が、俺の左腕の紋様にそっと触れた。
次の瞬間、いつもと違う感覚が背筋を走った。
これまでシアの浄化の光が魔印に触れると、紋様は必ず反発した。チリチリと棘を立てるように、魔印が「敵」を感じて身構えた。だが今は、その反発がまるでない。調和の光は紋様の上を撫でるように流れていき、魔印はそれを警戒もしなければ、敵とも見なしていなかった。
そして、黒い紋様の脈動が、ふっと弱まった。
いつもドクドクと脈打っていた感覚が、嘘のように静かになる。完全に止まったわけでも、消えたわけでもない。それでも確かに、弱まった。
「……っ」
思わず声が漏れた。常に首の奥に居座っていた疼きが引いて、舌に張りつく鉄の味まで、ほんの少し薄くなっている。
シアが紫の瞳で俺を見た。
「調和の光は、魔印を刺激しないんです。浄化は魔を敵だと見なすから、魔印が反発する。でも調和は、魔を敵だと思わない。ただ在るものとして受け入れる。だから魔印も、反応しないんです」
シアの手が離れると、魔印の脈動が少しずつ戻ってきた。けれど今、この紋様が誰かの力で確かに弱まったのを、俺は初めて目にした。
「三者同時操作」
シアが言った。紫の瞳には、もう迷いがない。
「できます。ユイちゃんの目が結び目を視て、私の調和が暴走を抑えて、カイトさんの蝕が均衡を保つ。三つが揃えば、結び目を解けます」
部屋が静まり返った。リーゼの碧い瞳も、メルティアの赤い瞳も、ユイの紫がかった灰色の瞳も、みんなが俺の左腕を見つめている。
マルクスが銀縁の眼鏡を押し上げた。
「データ的に言えば、成功確率は算出不能です」
いつもの口調だが、その声には熱がこもっていた。
「三つの力を同時に使った記録など、どこにもない。前例がない以上、シミュレートのしようがありません。……ですが」
ノートを閉じて、銀縁の奥の目がまっすぐ俺を見据える。
「やるしか、ないでしょう」
三つの力が、ようやく揃った。シアの調和、ユイの目、俺の蝕。あとは実行するだけだ。
その時、窓の外を白い法衣がよぎった。
セドリックだった。穏やかな顔のまま、ガラス越しにこちらを見ている。まるで、俺たちが何かを掴んだことに気づいてしまった——とでもいうように。
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