⑧海風と夕立
ーー
「…さくら、行く?」
私は思いを巡らせる。
…日向くんと2人きり。デート。
心臓が、どくんと高鳴る。
日向くんは黙って考え込む私を、屈託のない表情で見つめる。
…ここ最近はポスター作りを頑張ってたし、せっかく完成したなら、ご褒美に行ってみてもいいか。…あくまで、ご褒美だし。
私はそう言い聞かせ、笑顔で相槌を返す。
「…じゃ、いこっか!」
日向くんもまた、明るい笑みを浮かべてそう言ったー
ーー
―翌日。
朝から日向くんとポスターの作業をしていた私は、日向くんに対し、どこかぎこちなかった。
昨日のことで、変に意識してしまってるせいだろう。
「さくらってさ、」
「…なんでもない」
あの時日向くんは何を言おうとしていたのだろう。
思い出すたびに、胸の奥がそわそわと落ち着かなくなる。
暫定版の締め切りが迫る中、私は妙な気まずさを抱えながらも、黙々と筆を動かし続けた。
「…できた」
「…やったー!」
ちょうど時計の針が正午を回る頃。ポスターの暫定版が完成した。
「…いい出来じゃないか」
通りがかった祖父が、ポスターを見下ろしながら満足げに言う。
「メインの塗り、さくらが担当してよかったぁ」
絵の具を片付けながら、日向くんがにこにこと笑う。
その無邪気な笑顔に、思わず心臓がきゅっとする。
「俺が最初塗ったタイ、主張が強すぎて浮いてたもん笑」
結局、話し合いの末にメインの色塗りはほぼ私が担当することになった。日向くんは陰影などの微調整にまわり、私が主導で作業を進めたのだった。
「…このポスターが、さくらの夢の足がかりになればいいなと思う」
日向くんはそう言って、目を細めながらポスターを見つめる。
その優しい眼差しと言葉に、確かなぬくもりと勇気が胸の奥に宿った。
「週明けには課長さんたちに見せに行こう」
そう言って、日向くんがにっと歯を見せながら笑う。
「…気に入ってもらえるといいな」
そう呟きながらも、内心、私は手応えを感じていた。
―この出来ならきっと、大丈夫。…でもやっぱりほんの少し、怖いけど。
そんな私の満足げな表情が伝わったからか、日向くんは悪戯っぽくほい、と手のひらを見せてきた。それに応えるようにおずおずと手のひらを向けると、日向くんは勢いよくハイタッチをしてきた。私は内心気恥ずかしさを抱えながらも、満面の笑みを浮かべる日向くんにつられ、顔を見合わせて笑い合った。
私は片付けをしながら、完成したポスターをしみじみと眺める。
胸の中に押し込め、形をなくしていた夢が、ほんのり像を結びつつあるのを感じた。
片付けを終え、解散しようとしていると、祖父がおもむろに声をかけてきた。
「日向くん。さくらに島を案内してやってくれないか」
「へ?」
急な提案に戸惑っていると、祖父が言葉を続ける。
「昔行ったきりで、長いこと行ってないんだ。色々変わったこともあるだろう。せっかくポスターも完成したんだし、気分転換にいいと思うんだ」
祖父の言葉を黙って聞いていると、日向くんが振り向き口を開く。
「…さくら、行く?」
私は思いを巡らせる。
…日向くんと2人きり。デート。
心臓が、どくんと高鳴る。
日向くんは黙って考え込む私を、屈託のない表情で見つめる。
…ここ最近はポスター作りを頑張ってたし、せっかく完成したなら、ご褒美に行ってみてもいいか。…あくまで、ご褒美だし。
私はそう言い聞かせ、笑顔で相槌を返す。
「…じゃ、いこっか!」
日向くんもまた、明るい笑みを浮かべてそう言った。
ーー
その後私たちは高速船に乗り、日間浦の沖にある向日ヶ島に向かった。
島は直径4キロほどの小さな島だが、日間浦同様、海水浴場として栄え、最近では観光地化が進んでいるとのことだった。
島に着くと、そこには昔ながらの民宿やお店に混じって、今風のカフェやレストラン、ショップが建っていた。
若者向けの戦略に力入れてんだよね、と日向くんは言う。
その声からはほんの少しの悔しさも滲み出ていて。
俺たちも負けないようにしなきゃな、と、私に向けて笑顔を向けた。
その後私たちは腹ごしらえにと、島で有名な老舗食堂に向かった。昼過ぎだからか空いていて、スムーズに席に座ることができた。
「うまっ!」
「…おいしい」
午後の光が差し込む食堂で、私たちはタコ定食に舌鼓を打った。
プリッとしたタコに箸を進めるたび、日向くんも同じくらい夢中で箸を動かしている。ふと目が合うと、彼は少しだけ笑みを零した。その力の抜けた自然体な笑みに、ほんの少しだけ、心臓が跳ねるのを感じた。
食後のデザートには、町の小さなアイス屋で、名物のタコ型アイスを買って食べた。
いちご味のシャーベットが口の中に広がり、ほてった体を涼しくしてくれる。
「…なんか、モニュモニュする」
「ゼリーかな?笑」
「たぶんそう」
日向くんはタコのはちまき部分を口に入れ、顔をしかめる。
まずそうに口を尖らせる姿はまるでタコのようで、私は思わず吹き出す。
「…なんだよ!」
「だって表情が、おかしくて」
「さくらも食ってみろよ!」
「もう日向くん食べちゃったでしょ」
こうして軽く小競り合いをしながら笑い合う私たちの間に、島の穏やかな風がすっと通り抜けた。
島の開放的な空気は、私たちを自然体に―ほんのちょっぴり大胆にもした。
「さくら、写真撮ってもいい?」
海沿いの道を歩いていると、不意に、日向くんが少し恥ずかしそうにスマホのカメラを構えた。
「…いいよ」
私は、はにかみながらもにっこりと笑顔を向ける。
「ちょっと、首をかしげてみて」
日向くんの指示に従い、少し顔を傾けてみる。
―思ったよりも、楽しいかも。
気づけば、さっきより自然に笑えている自分がいた。
―いつの間にか、少し慣れてきたのかな。
「―うん、いい感じ」
日向くんがスマホから視線を外し、私を見つめながら優しい笑みを浮かべる。
日向くんの視線が私にだけ注がれているのを感じて、胸がほんのりと熱くなった。
「…あ、待って」
カメラに向かってピースをしていると、ふと日向くんがスマホを下ろす。
「…髪にゴミがついてる」
そう言って日向くんが近づき、風に揺れる髪にそっと手を伸ばす。
そのやさしい仕草に、思わず息を呑む。
「…よし、とれた」
視線を上げると、日向くんが安堵をたたえた優しい笑みを浮かべる。
その温かな笑顔に、心臓がとくんと音を立てる。
だが、出会ったばかりの頃ほどの緊張はない。
ファインダー越しに注がれる、日向くんの視線。
それはどこまでも優しくて、あたたかくて。
私だけに向けられる視線に自然と笑みが溢れるのを感じながら、カメラに向けてにっこりと笑顔を返した。
その後私たちは島のあちこちを回り、写真を撮りあった。
日向くんは、カメラマンのように私に指示をしながら様々な構図の写真を撮る。
その指示がやたらと細かくて、笑いながら軽く日向くんにつっこむくだりもあった。
「さくら、もっと視線外して!そう、もっとエモく!」
「もっとエモくって、意味がわからないよ笑」
時に照れ、時に戯れ合いながらも、私たちは島の美しい風景をたくさん写真に収めた。
こうして島の開放的な空気を満喫した私たちは、楽しかったねと笑い合いながら、高速船で島をあとにした。
港に着いてからも、お互いになんとなくすぐ解散する気にはなれなくて、立ち止まっておしゃべりしたり、海辺を散歩したりして過ごした。
⸻
夕陽が沈み、昼と夜の境界が空を支配する。
並んで堤防に腰掛け、澄んだ群青に染まる空に眺めていると、不意に視線を感じて振り向いた。
視線の先では日向くんが愛おしげに目を細め、私を見ていた。
私の視線に気づいた日向くんは、目尻を下げて優しく微笑む。
そんな日向くんのあまりに優しげな表情に、なんだか照れてしまって。―でも、あからさまに恥ずかしがるのも少し悔しいから、あえて笑顔で俯き、視線を逸らす。そうやって恥ずかしがるそぶりを見せながらも、口元からは自然と笑みが溢れてしまった。
「そろそろ帰る?」
「…そうだね」
そう言って立ち上がり、歩き出そうとした時だった。
不意にスマホの着信音が鳴り響いた。
「…ごめん。ちょっと外すね」
日向くんに背を向け電話に出ると、電話口から母の声がした。
「さくら、体調はどう?」
そう呼びかける母の声はいつものごとく、淡々としている。
「…だいぶマシになったよ」
私はぎゅっと締め付けられる胸を押さえながら、精一杯明るい声を作る。
「それはよかった。この調子なら新学期には戻れそうね。
夏休みが終わったら、勉強に集中しなさい。絵を描くのはいいけど、ほどほどにね」
「…はい」
そう返事をした途端、ぷつりと切れる電話。
―わかってる。わかってるけど…
黙って俯いていると、遠くから鈍い雷の音が近づいてきた。
「…大丈夫?」
日向くんが心配そうに声をかける。
「…私なら大丈夫。…帰るね」
そう言って日向くんに背を向け、足早に堤防を後にする。
―わかってる。私の夢は現実的じゃないことも。
母が、安定した将来を望んでいるのも。
…日向くんとの関係も、所詮この夏限りものでしかないことも。
日向くんは慌てて追いかけ、おもむろに私の手首を掴んでくる。
「送ってかなくて大丈夫?だいぶ暗いし雷も近づいてるし」
「…大丈夫。……ちょっと今は、1人で帰りたい」
手首を強く握る力に、肩が強張る。心臓が軋み、押しつぶされるように苦しい。
…今、日向くんといたら、きっと泣いてしまう。
「…そっか。気をつけて帰ってね」
そう言って、日向くんはそっと手を離す。
そのあっけなさに、全身の力が抜けていく。
自分から1人になりたいと言ったくせに、手を離された途端、心に冷たい風が吹き込む。雷鳴が遠くで低く唸り、湿った風が髪と頬を打つ。
「…ありがとう」
感情のこもらない声でぽつりと呟く。
日向くんは、何も言わなかった。
私たちは黙って、正反対の方向にある互いの家に向かって歩いていく。
重く湿った空気が息を詰まらせる。振り返り、日向くんがいないのを確認すると、心の奥で冷たく凍った何かがざわつく。
耐えきれず、私は駆け出した。雷鳴が頭上で響き、雨粒が頬を刺すように打ちつける。
息も絶え絶えに門の扉を開ける。その瞬間、強い光とともに雷鳴が鳴り響く。急いで玄関に入り扉を閉める。土砂降りの雨が家の屋根を激しく打ち付ける。そのけたたましい雨音は、不穏な胸のざわめきと重なった。
「大丈夫?」
「…大丈夫」
祖母の声が遠くから聞こえる。
激しい雨音が、私の心に冷たい傷跡を残す。
私はそっと肩をすくめ、雨に濡れた髪をかき上げる。
―あの島での日向くんの温もりは、雨粒と共に冷たく流れ去っていった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
楽しいデートから一変、母から現実を突きつけられるさくら。
2人の関係にも暗雲がたちこめ始めます…。
次回のお話は「⑨亀裂」9/5 21:00に更新予定です。
お楽しみに!
しおり&ブクマで待っていてくれると嬉しいです✨




