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⑨亀裂

ーー





「…地元を言い訳に夢を追うのを諦めた日向くんに、そんなこと言われたくない!」



心にもない言葉が口をついて出る。

空気が一瞬にして凍りつく。

しまった、と思った時には、もう遅かったー




ーー








翌日。

昨日大雨に降られたせいか、37度台の熱が出た。

祖母は心配そうにしながら、時折部屋を訪れ看病してくれた。

私は申し訳なさを抱えつつも、おとなしく部屋のベッドに横になっていた。



「…はぁ」

布団の中で天井を見つめながら、あの日の母の言葉を、頭の中で何度も反芻する。



―夏休みが終わったら、勉強に集中しなさい。

―絵を描くのはいいけど、ほどほどにね。



クマのぬいぐるみをギュッと抱え、ため息をつきながら寝返りを打つ。

当たり前のことのはずなのに、胸の奥が詰まって仕方がない。

目の前のサイドテーブルには、ポスターのラフ案を収めたスケッチブックが置かれている。



「…さくらの夢はなに?」



あの夜の日向くんの言葉が、頭の中でこだまする。

…たしかに、夢はある。

でも。



「絵ではまともに食べていけないわよ」



―それを実現できるかは、全く別の話だ。



視線を落とした先には、古びた花柄のカーペットが広がる。

終わりなく繰り返される単調な模様にだんだんと息が苦しくなり、耐えかねた私は、目の前の思いから目を逸らすように再び寝返りを打った。




それから2日後。

土日が明け、今日はポスターの暫定版について、観光課や実行委員の人たちからフィードバックが返ってくる日だった。

幸いにも熱は下がったが、気持ちは晴れないままだった。



「…さくら、大丈夫?」



役所に向かう途中、日向くんが心配そうに私の顔を覗き込む。



「…うん、大丈夫」


私は、虚な感情を抱えたまま、淡々と返事をした。



役所のロビーでは、課長さんをはじめとする様々な課の職員さんたちが、待ち侘びていたかのように私たちのことを迎えてくれた。

完成した暫定版のポスターを役所の人にみせたとき、課長さんの反応は上々だったが、他の職員さんの中には、少し首を傾げるようなそぶりをみせる人もいた。



日向くんは気にしていないようだったが、私は疑問を抱くかのように目を合わせていた2人の職員さんの姿が頭を離れなかった。



役所を出た時のことだった。

突如、日向くんのスマホがけたたましく鳴り響いた。



「…え、ばあちゃんが骨折した?……わかった、すぐ行く」



スマホを耳に当てた日向くんが血相を変える。

通話を終えた後、日向くんは心配そうな顔で、私の方に向き直った。



「…ばあちゃんが転んで、足を折ったみたい。病院に運ばれたらしいから、すぐに行ってくる」



そう言って日向くんは足早に役所を後にする。

私は、役所の前に1人残された。




その後、もやもやした気分を変えようと、役所の裏手に座り、丘から見える海を軽くスケッチしていると、さっきの職員さんたちが裏口からでてきた。



思わず木の影に身を隠し息を潜める。

黙って座り込んでいると、タバコの匂いとともに、職員さんたちの話す声が聞こえた。



「…あのポスターさ、ラフはよかったんだけど、いざ完成するとちょっとぼやけた印象に見えるんだよな」

「わかる。エモさはそれなりにあるけど勢いが足りないっつうか」

「去年の絵よりはマシだったけど、所詮は学生クオリティかねぇ」



心臓が、どくんと嫌な音を立てる。

冷たい汗がこめかみをつたい、スケッチブックにぽたりと落ちる。



「課長はあの子に期待してるけど、夢追う勇気もなくて地元に逃げただけの学生崩れだろ」

「口だけ立派で、結局どれも中途半端なんだよな」



職員さんたちが嘲笑する声が聞こえる。

私は耐えきれなくなり、思わず木陰を飛び出した。



空は押し付けがましいほどに青く、蝉の鳴き声がじりじりと脳を侵食する。

私はふらふらと歩きながら、頭の中でさっきの職員さんたちの言葉を繰り返していた。



(いざ完成すると、ちょっとぼやけた印象に見えるんだよね)



…たしかに、綺麗にまとめすぎたかもしれない。

だけど、大切なお祭りのために、丁寧な作品にしたかっただけなのに。



(北川の絵って赤ちゃんのらくがきみたい)

(北川さんの絵は上手いけど、なんかこじんまりしてるよね)




…あのポスターの色塗りのメインは、最終的に私だった。

私の塗りが悪かったせいで、全体の完成度が落ちた。

職員さんの言葉がかつて周りに言われた言葉と重なり、頭の奥がぐらぐらする。




(…口だけ立派で、結局どれも中途半端なんだよな)



耳奥で響き渡る、日向くんを嘲笑う声。

視界がぼやけ、涙が頬をつたう。

―日向くん、あんなに頑張ってたのに。

私に才能がないせいで、日向くんまで馬鹿にされた。



あまりのやるせなさに、唇をぎゅっと噛み締める。

頬から流れ落ちた塩味に鉄の味が混じり、口の中いっぱいに広がった。




帰宅後、私は気分が悪くなり、玄関先にへたり込んだ。

慌てて祖父母がやってきて、私の体を支える。

祖父母に助けられ、なんとか居間のソファに身を横たえた。



その日から息苦しさが止まらなくなり、外に出られなくなった。重い体をベッドに横たえ、ぼんやりと天井を見上げているうちに1日が終わる。

―日向くんたちからの連絡の通知は、見ないふりをした。




役所に行ってから3日後。

飲み物をとりに一階の居間に降りていると、何やら玄関先が騒がしい。



「…さくら。お友達が来てるみたい」



祖母が、少し複雑そうな表情で私に声をかける。

―おそらく、日向くんたちだろう。



「…体調が悪いって、言っといて」


私がぽつりと呟き、階段をのぼろうとしたその時だった。



「…さくら!」



日向くんが大声で呼ぶ声が聞こえる。

びくりと肩を振るわせ後ろを振り返ると、見慣れたシルエットがすりガラスの扉越しに見える。



「…さくら。話がある」


日向くんの声は低く、その響きは重々しかった。

普段の優しい声とはあまりにも違うトーンに、私はただ言われるがまま、踵を返し、扉を開けるしかなかった。



「…さくら、大丈夫?」

「さくら、心配したんだぞ?」



ハルカとトウマくんが眉を下げ、心配そうに声をかける。

そんな2人とは対照的に、日向くんはきっと口を結び、毅然とした表情を浮かべていた。



「―さくら。」



日向くんがおもむろに口を開く。



「返事、なんで返さなかったの?」



日向くんの低い声が、頭に重くのしかかる。

私は黙って俯いたまま、口元を結ぶ。

風鈴が揺れ、静まり返った玄関口に冷たい音が鳴り響く。



「―役所の人たちに、なんか言われた?」



心臓がどきりと音を立てる。

おそるおそる視線をあげると、日向くんは表情ひとつ変えずこちらを見つめていた。



「…やっぱりそうなんだね」



日向くんの眉がぴくりと動く。

私は何も返せないまま、俯き、日向くんの言葉に耳を傾けるしかなかった。



「…そんなことで落ち込んでていいのかよ。

さくら、グラフィックデザイナーになりたいんじゃないの?

プロになったら描いた絵を批判されることなんて沢山あるんだぞ」



日向くんの声に怒りとやるせなさが滲む。

私は唇を噛み締め、ブラウスの裾をギュッと握りしめる。



日向くんの声に胸が締め付けられる。

全部正しい。…だからこそ、痛い。

手のひらがじんわり汗ばみ、握りしめたブラウスの裾が手のひらに食い込む。



「あのポスターはさくらとじゃなきゃ意味がないんだ。

…さくら、殻破れよ。自分で決めた夢から逃げんな!」


やるせなさと黒い感情が、喉元までせり上がる。

―私のせいで、日向くんまで悪く言われてるのに。

―日向くんだって、美大を諦めたくせに、なのにー



「…地元を言い訳に夢を追うのを諦めた日向くんに、そんなこと言われたくない!」



心にもない言葉が口をついて出る。

空気が一瞬にして凍りつく。

しまった、と思った時には、もう遅かった。



「さくら!」

「おい、流石にそれは言い過ぎだぞ」

「…ちょ、日向!」



日向くんは踵を返し、そのまま走り去っていく。

ハルカとトウマくんが慌てて追いかけようとするも、全力で駆け抜ける日向くんに追いつくことはできなかった。



こわばっていた体の力が抜け、へなへなと玄関先にへたり込む。

冷たい涙が頬をつたう。

砂利のざらつきとひんやりとした空気が、胸の奥まで染み込むようだった。

玄関の景色がぼやけ、視界の端で小さな光の粒が揺れる。



「…さくら」



一部始終をみていた祖母が、玄関口で呆然と呟く。

立ち尽くす私の背後から、祖母が砂利を踏みながら近づく音が聞こえる。

私は力が抜けたようにへたり込み、顔を覆って声を殺し、ひっそりと泣くしかなかった。















ここまで読んでくださりありがとうございます!

次回:「⑩迷いの波間で」 9/6 21:00 更新予定

お楽しみに!しおり&ブクマで待っていてくださると嬉しいです✨

これまでの経緯を振り返りたいときは「シリーズ一覧」ボタンをどうぞ。


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