⑥夢を打ち明ける夜
海ではしゃいでいるうちに、あっという間に夜がやってくる。
夕食を食べ仲間と別れたあと、さくらは日向に、線香花火をしないかと誘われるー
―夜。
着替えや片付けを済ませ、海辺の食堂で夕食を食べた後、私たちは浜辺で手持ち花火をして遊んだ。
闇を照らす火花のシャワーは眩しくて、皆ではしゃぐこの瞬間を象徴しているようだった。
トウマくんが小型の打ち上げ花火を持ってきたものの、打ち上げに失敗し、お腹を抱えて笑う一幕もあった。
「…また来年も、こうして集まれたらいいね」
線香花火をしながら、ハルカが静かに呟く。
こうして皆と一緒に時間を過ごせるのは、今だけ。
だから、せめてその短い時間を大切にしなきゃ。
私はただ、黙ってハルカに微笑みを返した。
その後、ハルカは彼氏の家に泊まりに行くからと言って海辺を後にした。トウマくんは部活の仲間とオンライン通話があると足早に家路につき、イツキさんは祭りのテーマソングのデモを作らなければと、トウマくんと反対方向に帰っていった。
私と日向くんだけが、海辺に残される。
「…この後ちょっとだけ、時間ある?」
日向くんが優しい声で語りかける。
スマホの表示を見ると、21時を回っていた。
「帰り、送ってくからさ」
海辺から祖父母の家までは歩いて20分ほど。
…21:30くらいまでなら大丈夫かなと思い、ゆっくりとうなづいた。
前を歩く日向くんの背中を見つめながら歩く。
砂にまみれたアスファルトが、ざらついた音を立てる。
…心の奥底に、小さな期待と冷静な思考が入り混じる。
「…線香花火。なんかあれだけじゃ物足りなくてさ」
海辺の防波堤にのぼると、日向くんはポケットからライターと線香花火のセットを取り出した。
さっき芽生えた小さな期待がしゅんとしぼんでいく。
…当たり前だ。一体何を期待してたんだ。
「…線香花火、好きなの?」
「うん、好き。…一瞬しか咲かない感じが、なんか儚くて」
日向くんは目を細め、まだ火がともっていない線香花火を見つめながら微笑む。その水面のように揺れる眼差しに、日向くんの心の繊細な部分を覗き見た気がして、心がざわつく。
私は日向くんに促され、か細い紐を手に取る。
日向くんは手際よく紐の先端に火をつけた。
手元で、美しい炎の花が弾ける。
暖かなオレンジの灯りが、日向くんの表情を照らし出す。
日向くんは目を細め、どこか寂しげな笑みを浮かべながら火花を見つめている。
そんな日向くんの表情に、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
炎の花はみるみるうちに大きくなり、満開の美しさを放つ。
火花がぱちぱちと音を立てるたびに、熱をはらんだ丸い火種が、今にも地面に落ちそうに危うげに震えている。
すぐそばには、私を見つめる日向くんの顔。
頬が熱い。緊張で手元が震える。
日向くんに伝わらないよう、指先に力を入れる。
だが先端が大きく揺れた瞬間、しゅっと音を立てて火花が消え、あっけなく火種が地面に落ちた。
「…さくら、落とすのはやっ」
「…だって、難しいもん」
私は顔の火照りに気づかれないよう、拗ねたそぶりをして視線を逸らす。
朽ちた花火を片手に眺めていると、ほんの一瞬、心が沈む。
隣の日向くんの小さな炎は、静かに揺らめきながら燃え続けていた。
「…俺さ、この町のことがほんとに好きなんだよね」
小さく燃える火花を見つめながら、おもむろに、日向くんが口を開いた。
「綺麗な海があって、田んぼや畑もあって。町のみんなはあったかくて、食べ物も空気もすごく美味しい」
炎がしゅっと消える。だが日向くんの瞳は、なお月の光を反射して煌めいていた。
「俺さ、この町が外から来る人にとっての休憩場所であってほしいんだよね。来ただけで、心が安らぐ。祭りや人々のにぎわいに、心が躍る。そんな場所であってほしいんだ」
「…素敵だね」
ひとつひとつ、丁寧に言葉を紡ぐように語る日向くん。
日向くんの町への、人への愛情が言葉の節々から伝わり、心がじんわりと温かくなる。
「…昔、さくらみたいにこの町に来た子がいたんだ。来たばかりの時は顔色が悪くて、誰とも話したくない雰囲気がすごかったんだけど、俺や友達と遊ぶうちに、みるみるうちに元気を取り戻していって」
目を伏せ、嬉しそうに笑う日向くん。
ひと夏の間でも、日向くんがその子を本当に大事に思っていたことがひしひしと伝わって、心に暖かな灯火が宿った気がした。
「その子が最後の日、言ったんだ。『ここにきてほんまによかった。お前らと会えてほんまによかった』って。…それを聞いた時に決めたんだ。この町のいいところを広めよう、ここに来てよかったと思えるように、町を素敵にしようって。父さんの作る海苔も大好きだったし、将来は海苔漁師になって町の良さをよう。…そう思ってた」
日向くんの声に翳りが滲む。
伏せた瞳からは光が消え、漆黒の海の色を映し出していた。
「…中2の時だったんだ。姉ちゃんが急に、東京に行くって言い出して。父さんも母さんも大反対だったよ。でも姉ちゃんは、もっと広い世界が知りたいって、皆の反対を押し切って東京に進学したんだ」
「―その時初めて、俺の中で何かが揺らいで。…ちょうど修学旅行で東京の美術展に行ったのがきっかけで、現代アートにも興味が湧いてたんだ。」
日向くんの瞳が揺らぐ。それはまるで、夜の波間を映し出しているようで。
遠くから聞こえる波のさざめきは、私たちを見守るようでいて、どこか静かに語りかけているようだった。
「…正直、かなり悩んだ。俺も東京に行ってもっと広い世界を見るべきじゃないかって。本気でアートをやりたいなら、ちゃんとしたところで勉強して、経験を積むべきじゃないかって。―結局、進路選択の時期までに決められなくて、どっちでも潰しが効くように、普通科に行くことにしたんだ」
日向くんは俯き、苦虫を噛み潰したかのような表情で、とつとつと話を続ける。
日向くんが普通科を選んだ理由に、今の宙ぶらりんの私の状況が重なる気がして、胸が苦しくなる。
「…父さんは呆れてた。養殖家としての覚悟が足りないって、ろくに口もきいてくれなかった。だから俺は、ハルカたちと一緒に町の魅力を発信することに没頭した。そうしてるうちに少しずつSNSのフォロワーも増えて、インスタをきっかけに町に来る人も増えた」
日向くんが視線を足元から、少し沖の方に向ける。
波のさざめく音が、静かに私たちを包み込んでいた。
「ー嬉しかった。だけど、自分が本当にやりたいことから逃げてるみたいで、後ろめたくもあった。そんな時、漁の手伝いをしながら音楽活動をしてたイツキの曲が、TikTokで軽くバズったの。テレビでも取り上げられて、この町のことも紹介された。」
ハルカちゃんたちの言葉を思い出す。
あの後検索したイツキさんの曲は、ヒップホップをベースにしながら自然の豊かさを感じさせ、とても素敵だった。
イツキさんの紡ぐ旋律を思い出していると、日向くんは霞がかった夜空に視線を向けながら言葉を続けた。
「…そのときイツキは言ったんだ。『日間浦で生きる俺らにしかできないアートがある。お前もそう思わねえか』って。…頭を殴られたみたいだったよ」
「…この町にいながらも自分らしいアートは発信できる。地元を大事にすることも、自分らしさを磨くことも、両立できる。そう思ったんだ」
日向くんの声は静かだが、力強く、決意に満ちていた。
潮風が、前を見据える日向くんの髪を力強くなびかせる。
日向くんの芯の強さに、心が揺さぶられる。
だが同時に、いつまでも生き方を決められない弱い自分と直面させられ、心が沈んでいく。
「さくらに、見てほしいものがあって」
そう言って日向くんはおもむろにスマホを取り出し、自身のインスタのアカウントを見せる。
他の奴らには見せてないけどね、と気恥ずかしそうに言う日向くんのスマホの画面には、流木や貝殻、石でできたアートの数々が映し出されていた。
日向くんの独特のセンスが反映された、幾何学的な配列。だけど同時に、一つ一つの対象に自然の息遣いを感じる、生き生きとした世界。
そのフォロワー数は、2000人を超えていた。
目を丸くする私を見て、日向くんは照れくさそうに笑う。
そしてスマホの画面をオフにし、伏目がちに水面を見つめながら続けた。
「…今では父さんも俺のことを認めてくれてる。母さんも、心配しながらも俺のやりたいことを見守ってくれてる」
そう言って、ゆっくりと私に視線を向ける。
日向くんの表情は今まで見た日向くんの中で1番優しく、愛おしいものを見るような微笑みをたたえていた。
青白い月の光が、日向くんの横顔を柔らかく照らし出す。
「…ねえ、さくらの夢はなに?」
胸の奥がどくんと震える。
―私の夢って、なんなんだろう。
頭の中で言葉がぐるぐると交錯する。
―本当は、わかってるんじゃないの?
心の奥底にしまい込んできた本音が、日向くんの優しい声に導かれ、徐々に輪郭が見えてくる。
―日向くんなら、笑わずに受け止めてくれるんじゃないか。
でも。
―日向くんにまで否定されたらどうしよう。
テトラポットの先には、深く暗い水面が白波一つ立てずにゆらめいている。―このまま何もせずにいたら、呑み込まれて一生浮かび上がれないかも知れない。
泣きそうな顔で視線を上げると、日向くんは変わらず穏やかな表情でこちらを見ている。その優しい眼差しに見つめられているうちに、温かな安堵感が押し寄せる。
―日向くんならきっと、私の夢を肯定してくれる。
私は意を決して、口を開いた。
「…昔、クラスメートや部活仲間に絵を馬鹿にされたことがあって。…親も、私が絵を描くことに対していい顔をしなくて」
自らが発した言葉に、胸の奥がぎゅっと詰まる。
日向くんは黙って頷き、じっとこちらを見つめる。
「…でも、描くことはやめられなくて。描いてる間だけは、全てを忘れて没頭できて」
喉元がしまり、目の奥がじんわりと熱くなる。
日向くんはそんな私を、逸らさずまっすぐに見つめてくる。
「…何度心が折れそうになっても、さくらは描くことをやめなかった。それがさくらの才能で、さくらの絵の魅力に繋がってるんだと思う」
黙って聞いていた日向くんが、ゆっくりと口を開く。その声は静かで、でも確かな意思がこもっていて。―私は、グッと涙を堪えて続けた。
「…私、本当は絵の仕事がしたいの」
静寂が私たちを包み込む。
聞こえるのは、静かな波の音と、心臓が胸を打つ音だけ。
自ら発した心からの本音に、胸の奥が締め付けられて仕方ない。
真剣だった日向くんの表情が、ふっと柔らかくなった。
「…いいじゃん。ポスターのデザインみたいな感じ?」
「…うん。…グラフィックデザイナー、かな」
「へえ、いいじゃん!」
日向くんの優しい声に、肩の力がふっと抜けていく。
胸の奥でぐっと詰まっていたものが、少しずつ解けていくような心地がする。
早鐘を打っていた鼓動が、ゆっくりと鎮まり、心に小さな温もりが広がった。
「なれるよ、絶対」
「…ありがとう」
日向くんが力強く笑みを返す。
胸の奥がじんわりと温かくなり、安心感に包まれていく。
初めて口にした夢は、重くて、それだけ切実で。
そんな思いを真正面から受け止めてくれたことに、心からの安堵を感じた。
「…さくらはさくらの道をいけばいい。俺は俺の道をいくから」
日向くんは眉を下げ、穏やかな笑みを浮かべながら言う。
日向くんの前向きな言葉に優しく背中を押され、勇気が湧いてくるのを感じる。
ーでも、遠回しに「俺たちは別の道」と告げられたようで、胸の奥に小さな寂しさがひそむ。
「…俺はこの町の魅力を発信しながら、日本イチの海苔養殖家にでもなろうかな」
不意に日向くんが伸びをし、冗談めかした口調で言う。
その言葉は、私の心に小さな棘を残した。
日向くんの描く未来に、確実に私は存在しない。
それは、私の未来も同じこと。
…わかってはいるけれど、いざ真正面から突きつけられるとつらい。
淡々と繰り返される波の音は、そんな私の心のざわめきを映し出すようだった。
「…日向くんなら、なれるよ」
胸の奥がちくりと痛むのを隠しながら、精一杯笑ってみせる。
冷たい夜風が髪に絡みつき、熱を帯びた頬が徐々に冷たくなっていく。
暗闇の中でも海と空の境界はくっきりとしていて、あたかも私たちの未来を隔てるかのようだった。
ここまでまで読んでくださりありがとうございます!
今回のお話では日向の過去やさくらの夢が明らかになり、2人の距離もグッと縮まる一方で、彼らの間に横たわる現実にも直面させられます。
果たして2人は今後どうなっていくのでしょうか。
よければ次回もお楽しみに!




