⑤真夏のスケッチブック
取材を終え、ポスター制作の日々を送るさくらと日向。
ポスター作りを通してお互いのことを知り、2人の距離は縮まっていく。
そんなある日、さくらの家の居間でポスター制作をしていると、玄関先から聞き慣れた声がして…
それから、私たちのポスター制作の日々が始まった。
とはいっても一日中作業をしているわけではなくて、午前中は各々のやることに時間を費やすことが多かった。
私は、主に夏休みの課題と畑の手伝い。
日向くんは実家の海苔養殖の手伝いに加え、町おこしや祭りの準備、役所とのやりとりに奔走していた。
ポスター制作は昼下がり、私の家の居間でやることが多かった。
用事を終えて家に来る前、必ず日向くんはLINEで連絡をくれた。
「今から行ける?」
短いメッセージに添えられる、おどけた魚のキャラクターのスタンプ。
ホーム画面に表示される向日葵のアイコンを見るたびに、思わず小さな笑みがこぼれた。
「さくらの高校って、いわゆる普通科というか、大学受験を前提に勉強する感じ?」
ある日の昼下がり。ラフ案をブラッシュアップしていると、おもむろに日向くんが口を開いた。
「…そんなかんじかな。バイトも禁止だし」
「へえ、やっぱ俺んとことは全然違うなぁ」
日向くんの話によると、日向くんの通う高校は水産科と普通科に分かれているらしい。漁業の道に進む生徒は水産科で、それ以外の生徒は普通科を選ぶのが普通だった。
「―俺はハルカと同じ普通科だけどね。大体は公務員とか観光業とか、地元で就職する奴が多いかな。ハルカは地味に頭もいいし、親も公務員だから、たぶんそっち方面に進むと思う」
「そうなんだ」
日向くんはたしか、実家が海苔の養殖をやっていたはず。夏休みも午前中はほぼ毎日、進んで家の仕事の手伝いをしている。
そんな中、あえて普通科を選んだのに、何か理由はあるのだろうか。そのことについて口にすると、日向くんは、
「…それについてはまあ、おいおいかな」
と、少し困ったような笑みを浮かべて言った。
その含みのある言葉は、胸の片隅に小さく引っかかるように残った
居間の広いガラステーブルを囲み、スケッチブックと向き合う日々。
祖母は頑張る若者は気持ちいいわねぇと笑いながら、作業に没頭する私たちにお茶やジュースを持ってきてくれた。
ポスターに関する役所とのやりとりは、全て日向くんがやってくれた。任せっきりで申し訳ないと口にすると、顔がきく俺がやる方がスムーズだから、さくらは絵に集中してと笑って返された。
こうした制作ややりとりを続けるうちに、いよいよラフ案の提出日がやってきた。
ラフを提出する前日は、正直緊張で一睡もできなかった。が、案を見せた時の課長さんや観光課の人たちの反応はとてもよく、内心ほっと胸を撫で下ろした。
それから2日後、ラフ案の選考結果が返ってきた。いくつか提出したラフの中では、最初に書いた案1が採用された。
鯛のキャラクターを中心に据えた、ストレートなデザインのものだ。
ラフ案の採用を聞いて、私たちは喜んだ。と同時に、祭りの一端を担う責任をひしひしと感じて、身が引き締まる思いがした。
「やっとカラー版の制作だね」
日向くんが通販で取り寄せた絵の具を、どんとテーブルの上に置く。テーブルの上には新聞紙が敷いてあり、いくら絵の具がはみ出しても大丈夫になっている。
こういうわかりやすい構図の絵は、ストレートだからこそ配置や色遣いをバチっとはめないとダサくなるから、気合い入れないとね、と日向くんは言った。私は黙って深くうなづいた。
「―俺はタイを塗るから、さくらは背景を塗ってくれる?」
「わかった」
日向くんは私と違い、ポップなイラストが得意だった。
この町のモチーフである鯛のキャラクターは、お世辞にもあまり可愛らしいデザインとは言えなかったけれど、日向くんの手にかかると、ちゃんとそのキャラクターの個性は残りつつ、万人受けする愛らしさを持ち合わせたものになった。
「ウロコはこうやって陰影をつけて…」
「そんな塗り方がするんだ」
「うん。あえて反対色を隣同士にしたりして、遠目で見た時に映えるようにするんだ」
日向くんは感覚で描きつつ、理論も学んでいた。それなのに美大を目指さないのかな?と一瞬思ったけど、なにか事情があるのかもしれない、と、私はあえて聞かず胸にしまった。
それぞれの塗りに集中していると、不意に互いの手が軽くぶつかり合う。
「あ、ごめん」
「ううん、私も…」
軽く触れただけなのに、なぜか小指の側面がひりりと熱い。
指先の熱が日向くんに伝わっていないかとどぎまぎしていると、不意に日向くんがあっ、とつぶやいた。
「…さくらの顔、絵の具がついてる」
「えっ」
驚く私に対し、日向くんが私の左頬を指で指す。
「とってあげる」
そう言っておもむろにウエットティッシュを取り出し、私の頬を優しく拭う。
目の前には日向くんの、くりっとした大きな瞳。
まばたきをするたびに、ふさふさの長いまつ毛が揺れる。
そんな日向くんの息遣いが間近に伝わるほどに、頬が熱くなって仕方なかった。私は思わずギュッと目をつぶる。
「はい、とれた」
目を開けると、日向くんはいつものようにニコッと笑ってみせる。さっきの距離感でドギマギしていた私と違い、日向くんは特に何とも思っていないようだ。
ほんの少しの寂しさが顔を出す。
だが、かすかに芽生えた身勝手な感情を、即座に振り払った。
―日向くんはこの夏限りの友達。
特別な感情を持っちゃいけない。
そう思いながらも、隣で真剣に筆を走らせる横顔に、胸の奥が揺れるのを抑えられなかった。
その後も黙々と作業をしていると、不意にチャイムが鳴った。
「はーい」
買い物に行っている祖父母の代わりに返事をすると、聞き慣れた声が玄関先に響き渡った。
「さくらちゃーん!私、ハルカ!」
「ずっと籠ってんのもあれだからさ、海行こうぜ、海!」
「何で俺まで付き合わされてんだよ」
「イツキさん今スランプなんでしょ、気分転換だよ!」
どうやらハルカちゃんとトウマくんとイツキさんのようだった。
「お前ら呑気だなぁ。こっちは締め切りがあるんでぇー」
「でも進捗は順調なんでしょ?課長さんが言ってたよ」
「ハルカお前、課長さんに失礼な態度はとんなよ?」
海水浴…か。炎天下で体を壊さないといいけど…
少しの不安を胸に抱きながら会話を聞いていると、不意に日向くんが私の方に向き直った。
「さくら、急な誘いだけど、大丈夫?」
「うん。大丈夫」
「無理はしちゃダメだからね?」
私の体調のことを知ってか知らずか、日向くんは心配そうに眉を下げてこちらを見る。余計な心配をかけて申し訳ない気持ちと、日向くんの思いやりに胸がきゅっと掴まれたような心地になった。
「おっ、そこのお二人、そういう感じですかぁ?」
「ばっ、ちげーし」
「さくらちゃん、嫌なら無理しなくていいからね」
軽口を叩きながらもさりげなく気を遣ってくれるハルカちゃんの優しさに、胸のつかえが軽くなるのを感じる。
…この人たちとなら、行ってみてもいいかもしれない。
「…大丈夫。気分転換にもなるし、私もいきたい」
扉のそばに吊るされた風鈴が、優しく音を立てる。
まるで臆病な私の背中を、そっと押してくれてるようだ。
「おー!嬉しい!じゃあ片付け終わったらいこう!」
ハルカちゃんは、満面の笑みを浮かべ、抱えていた浮き輪を嬉しそうに振り回した。
「―ところでさくらちゃん、水着もってる?」
「えっと…持ってきてない」
「えー!日間浦来るなら水着はマストでしょ!じゃあ今から買いに行こ!」
「うん…」
「じゃあ俺らは先に海に行っとくよ」
「あーいい、一緒にいく。コンビニより海の家の方が可愛い水着多いから」
「じゃあ行くか!」
こうして私は皆と向日ヶ浜のビーチに向かった。ビーチに着くと、男の子たちは先に更衣室に向かい、私とハルカちゃんは海の家の売店コーナーに立ち寄った。
「ここの海の家、何気に可愛い水着が多いんだよねー」
天井にずらっと吊るされた水着は、なんというか…セクシーなビキニが多くて、日向くんに見られることを思うと、なんだか恥ずかしい気分になった。
「さくらちゃんは希望とかあるー?」
「あんまり体を露出したくないかも…」
「おっとぉ、このラインナップからそれを探すのは難しいな笑」
そう言いつつも、ハルカちゃんは水着の海をかき分けるようにして探してくれた。
「ね!これとかどう?」
そう言って差し出されたのは、青と白のストライプ柄のワンピース型水着と、白地に赤の水玉柄のワンピース型の水着。
「これなら露出は背中だけだし、ワンショルダーで大人っぽさもあるし、どう??」
「うん、いいかも…!」
「色はどっちがいい?」
「じゃあ…水玉で」
「決まり!」
こうして私たちは海の家の更衣室でタオルにくるまり、水着に着替えた。
白地に赤の小さな水玉のワンピース水着は、思ったより肌触りが柔らかくて動きやすい。フリルの位置や肩のところのワンショルダーはちょっと恥ずかしいけど、泳ぐのには問題なさそうだ。海風に揺れると、思わず笑みがこぼれる。
「めっちゃ似合ってるー!」
「ありがとう。ハルカちゃんもすごく似合ってるよ」
「まじー?ありがとう!」
ハルカちゃんは、オレンジと黄色の色鮮やかなビキニに、ベージュのクロシェのニットを合わせている。
ハルカちゃんの小麦肌と華やかな顔立ちに、鮮やかな色合いがとても映えていて、可愛い。
「じゃあ、しゅっぱーつ!」
ハルカちゃんに手を引かれ、私たちはビーチへ繰り出す。
容赦なく照りつける日差しで少し肌が痛かったけど、そんなことも気にならないくらい、高揚感で胸がいっぱいだった。
「日向!トウマ!あ、イツキさんもいたんだった笑」
「こら、勝手に存在を消すな」
「おー!2人ともめっちゃかわいいじゃーん!」
トウマくんが大きく手を振りながら、目を輝かせる。
隣にいる日向くんは、青いトロピカル柄のハーフパンツを履き、前髪をかきあげていた。いつもは隠れていた眉が見えて、少し大人びて見える。細身なのに筋肉はしっかりついていて、普段とのギャップに動揺して、頬が熱くなった。
「日向ー、私が可愛すぎるからって照れてんじゃないよー?」
「は?ちげーし」
「じゃあさくらちゃんの方?笑」
「ばっ…とにかく暑いし海入ろ、海」
「ははーん、図星だな〜」
いつもは笑顔で真っ直ぐな目を見る日向くんなのに、今日は視線が合わず、どこかぎこちない。水際で立つ彼の肩が少しだけ緊張しているのがわかる。
―照れてるのは、日向くんも同じなのかも。
そう思うと、わかりやすく態度に出ている日向くんがなんだかおかしくなって、思わず私は水をかけた。
「ちょ、なにすんだよ!」
「日向くん、ぼーっとしてたから笑」
「なにをー!…おりゃっ!」
「きゃー!」
日向くんはムキになったのか、私の顔めがけて本気で水をかけてきた。
「あー!女の子の顔に水かけるとかデリカシーなさすぎー!」
「そうだぞ、メイク落ちたらどうすんだ!」
「……ごめん!」
日向くんはハッとしたように目を丸くし、あわてて両手を合わせて謝った。
「こうなったら水鉄砲で決着だな」
振り返ると、いつの間にかイツキさんがバズーカみたいな水鉄砲を抱えて登場していた。サングラス越しににやりと笑うその姿は、まるで映画のスナイパーみたいで、思わず吹き出してしまった。
「いいぞイツキさん、やったれ!」
「さくらちゃんの仇とって!」
「まってイツキ、それだけは本当に勘弁して」
「女の子の顔に水かけたんだってなー?」
こうして私たちは水鉄砲で水を掛け合ったり、沖まで浮き輪で泳いだり、砂浜でビーチバレーをしたりして全力で楽しんだ。
日向くんとハルカちゃん、トウマくんにイツキさん達は本当に仲がよく、幼い頃から同じ町で育ってきたからこその絆があるんだなとしみじみ思った。
「さくら、レシーブ!」
「あっ、」
「はは、どんまいどんまい!」
そんな彼らはよそ者の私のことも、あたかも同じ町の仲間のように受け入れてくれた。彼らのフレンドリーさと優しさに触れているうちに、心身の不調のことはすっかり忘れていた。
楽しい時間はあっという間で、気づいたら日は沈みかかっていた。
私たちはヘトヘトになりながらも笑顔で海から上がった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
さくらたちの青春の一幕、いかがだったでしょうか。
10代の仲間とのひとときは特別なもので、他の年代にはない煌めきを放っていると思います。そんなかけがえのない瞬間を、さくらの物語を通して描けたらと思っています。
次回は夜の防波堤にて、物語が大きく動き出します。
次回「⑥夢を打ち明ける夜」も、少しドキドキしながら読んでもらえたら嬉しいです。
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