3 ジェイコブ・フューリー
今回と次回は、非常に長くなります。
読者の方御自身の調子に合わせて、様々に読んでいただけますとよろしく存じます。
戦地から還ってきた後のことである。
ジェイコブは、野球に対する情熱を失ってしまった自分の姿を見た。
いつも立っていた1塁ベース。そして様々な角度から見えるグラウンドの景色。
その全てに、色彩を感じなくなっていた。
──もしかして、野球が好きではなくなってしまったのか
そう考えたということは、ジェイコブにとって大きなショックだった。幼少期から親しんでいた行為に対して新鮮味も、興奮も覚えない。
むろん、ひとつを極めようとして行くと倦怠期はいつか来るものだし、自分も味わったことがある。
だが今度の、何か憑き物が取れてしまったような感覚は、初めて味わった。
もしかしたら「老い」というものなのかもしれない。
しかしジェイコブは、老いるのには早い。まだ45にもなっていない。
いつもの通り、自分が愛用しているバットを手に馴染ませようとした。
グリップの部分に手を添えて、軽く揺らす。本来なら脳裏で試合が始まる。
ピッチャーが投げてくる動作を取り、自分がタイミングを取る。投げてきたボールを、ヒッティングする。
動作を、感触を、自分は鮮明に思い出せるだけの技術も経験もあったはずなのに、なぜか枯れている。
なぜ、こんなことになってしまった。
戦争に出る前、もう37歳だったジェイコブは、チーム内で選手の面倒を見る側の立場に立っていた。
出征した仲間も多かった中で、戦時中の観客を楽しませる為にグラウンドで躍動した。
しかし自身も兵士となるため、残り少ないキャリアを捨てて、兵士服を着ることになった。
数年間を戦場の近くで過ごして、本土に帰ってきたころには41歳になっていた。
──もう、選手として戻れないだろう
ジェイコブはそう考えた。球団側も
「指導者として戻ってきてくれないか」
と連絡をしてきたのだから、自分を選手として見ていないことは明白だった。
たぶん、その時にジェイコブは情熱を失った。
自分が先頭を切って結果を残す。そのことに意気を感じていたから、人の後ろに立って、人を動かしていくことに興味が無かったのかもしれない。
ともかく、自分は切り開く側の人間ではなくなったのだ。だから静かに、腰を落ち着けざるを得なくなった。
それからのジェイコブは野球以外の職を見つけた後も、家でぼんやりと過ごすことが多くなった。
やりたいことがないのなら、そうして過ごすしかない。
しかし、最初のうちは頭を空にできても、次第に考え事が増えていく。
ある時、ふと思った。
──あの時の仲間は、今はどうしているのだろう
昔を懐かしむ気持ちが出てきたとき、自分が随分と老け込んだことを意識した。
この時のジェイコブは、考えるだけで何も行動を起こさなかった。
きっと、かつての仲間たちは息災なのだろう。そう軽く考えるだけだった。
ジェイコブが選手時代、持ち得ていたフレンドシップが発揮されることは、この時は無かった。
──・──・──・──
1942年、ひとつの訃報が届いた。サイモン・ポーリーが亡くなったのだという。
ジェイコブは47歳。50歳を目前にして、かつての仲間の死を聞くというのは、少なからずショックだった。
連絡を入れてきたのは球団職員として、よくロッカールームに姿を現していたゲーリック・トラバースだった。
電報を使って
「球団の本部に来てくれないか」
と、ジェイコブに直接知らせてきたのである。
妻のスーザンが言った
「絶対に行ったほうが良い」
という言葉に従ってジェイコブは、クロークハッチ・チェッカーズの球団本部に行った。
事務所の中に入ると、入り口の近くにゲーリックが待っていた。
「やあ、来てくれたか」
「ああ。近郊に住んでいるから、すぐだったよ」
軽く挨拶を済ませた2人は、ポーリーの葬儀について話を始めた。
「病気だったのか?」
「いや、それがな……」
「あまり気張らず、教えてくれ。元のチームメイトとして無碍に扱わない」
ゲーリックは軽く頷いた後、ジェイコブの方を向いた。
「サイモンは、殺されたんだよ」
「なんだと!?」
ジェイコブは思わず声を上げた。周りにいた人間が、一斉に2人のほうへ向いた。
「声がでかい」
ゲーリックに注意され、茫然から気を取り直したジェイコブは、改めて問い直した。
「サイモンが殺されるなんて、そんな恨みを買うような人間じゃなかっただろう?」
「まあ、俺もその通りだと思う。でも過去につるんでいたごろつきから、強盗に遭ったそうだ」
「そんな……」
サイモンは心の優しい、真面目な人間だった。
そんな彼が、人を殺すようなロクで無しと関りがあったなんて信じられない。だが考えてみると、確かに過去のことを話したがらない人間でもあった。負い目があったのだろうか。
「さあ、葬儀の場所に向かおう。ホテルを取ってある」
ゲーリックに言われたジェイコブは、ゲーリックの運転する球団の車に乗って、サイモンが葬られる墓地へと向かった。
車内では過去の話になった。
同じ空間にいた者同士、会話は弾んだ。
しかし話の筋は、過去のチームの内情よりも、サイモンとの思い出のほうが多くなった。
その中で、当然のごとく出てくる名前がある。
「カーターは、今頃どうしているんだろうな」
ジェイコブは、カーターがある意味で、サイモンに対して特別な感情を抱いていることを知っている。
ゲーリックは
「ああ……」
と、小さく返事をした。
ジェイコブは、内情を知っているのだと、すぐに察した。
「2人の間に、なにかあったのか?」
ジェイコブはゲーリックが話し辛くならないように、柔らかい口調でそう問いかけた。
「実はな……」
ゲーリックは、サイモンがカーターに約束事をしていたのだ、と話した。カーターから受けた仕打ちを忘れたかのように、ずっと気遣っていたのである。
「サイモンも、だいぶ変わり者だな」
ジェイコブは言葉に、怨みをすべて流し去ろうとしてしまうサイモンの精神性へ、感動と呆れを含ませた。
「そうだろう?」
ゲーリックも同様に思っていたのか、ジェイコブへ即座に同意した。
「だが……彼の意思を、蔑ろにすることはできないよな」
ジェイコブは会話終わりにひとり、そう付け加えていた。
サイモンがカーターを想っていたという事実がある以上、自分たちもカーターを粗雑には扱うまい。彼は霊となってなお、自分たちを見ているはずである。
ゲーリックも、言葉には出さなかったが
──それが良い
と思っていると、明白だった。
「カーターとサイモンには、お互いに連絡が取れるように気を配っていたんだがな」
ゲーリックは話の筋の中で、カーターとサイモンの関係について言及した。
「──言ってはいたんだが、一向にそれをしなかった」
ゲーリックはそう言った。ジェイコブには、カーターの気持ちがわかる。
かつて自分が迫害したと認識している相手に、自分から話しかける。よほどの勇気が無ければできない。それは、自分の過去を振り返る時間が長いほどに顕著になる。
世の中では戦争があった。その間に生まれたブランクが、カーターをそうさせているのだろう。
「報復が怖かったんだろうな」
ジェイコブは真っ当に評価した。
カーターのような人間が抱えている臆病さは、ある程度の理屈でわかる。
「そうだろうな。だがサイモンはそんなこと、まったく思っていなかった」
つくづく優しすぎる男だ、と思った。何故そこまでして、敵と言える人間に構えるのか。
「サイモンはな、カーターが会いたくないなら私から会うこともありません、と言ったんだよ。そんなこと、親友同士でもなかなか言えることじゃない」
ゲーリックはジョークっぽく言ったが、言葉に宿っている確かな強さに感嘆している様子でもあった。
2人の、息が揃った。
「マクドナルド監督は、みんなのことを気にしていたよ」
ゲーリックが突然、ゲイリー・マクドナルドの名前を出したことに驚いた。
「どうしたんだ? 急に」
ジェイコブは、思わず言葉の真意を訊ねた。
「いや。2人の関係性を見て、ふと思い出したんだよ」
「たしかに、監督は優れた人だったな」
「ああ。ジェイコブたちは知らないだろうが、マクドナルド監督は病を患った後も精力的だった。ロッカールームに行くたびに1人ずつの名前を出して、無事でいてくれと、願掛けしていたもんだよ」
「そうか」
ゲーリックの想起したことにも納得がいく。
サイモンもまた、仲間との時間を大切にしていた。相手から求められていなくても、相手のために尽くそうとする。
マクドナルド監督に通ずるものがある。
2時間のドライビングを経て、ホテルの前に着いた。
「到着だ」
車から降りたジェイコブは、長時間閉所に押し込められて縮こまった体を伸ばした。
「ありがとう」
ゲーリックに、気休め程度の感謝を述べた。
そして、2人でホテルの中に入った。
チェックインの手配はゲーリックが済ませ、ジェイコブはその手から鍵を受け取った。
部屋番号は405。
──5か、ポーリーの背番号だな
ジェイコブは部屋へ向かった。
──・──・──・──
翌日、忙しなく葬儀会場に向かった。
近くにある公営墓地に、サイモンが葬られている。歩いて25分ほど。気分を落ち着けるにはちょうど良い距離だった。
葬儀の会場には、先んじて来ている人影があった。
墓の前に立っている子供連れの夫人は、たぶん、喪主を務めているポーリーの妻である。
子供はまだ幼かった。
ジェイコブも、妻のスーザンとの間に子供が1人いるが、ジェイコブたちがだいぶ若いうちに産まれたから、ここまで小さくはない。
だが
──こんな小さい子供を残していくなんて、可哀そうだ
と思った。まだまだこれからが、子供を育てる楽しみの増えていく時期だったはずだ。
そして、ポーリーの墓から少し離れたところに、喪服を着た、背格好のはっきりした男がいた。
ジェイコブは、男の名前がすぐに分かった。
「カーター。久しぶりだな」
「ああ……」
ジェイコブは自然体で声をかけたが、カーターは気が抜けた様子だった。
「サイモンのこと、残念だったな」
カーターとポーリーとの間に、ゲーリックが言うような関係があったのか。確かめたくなったジェイコブは、探りを入れた。
カーターは黙っていた。そういう素直さを、なぜポーリーが存命のうちに出せなかったのか。責めたい気持ちもあったが、あれから時は過ぎているのだ。
サイモンが死んだいま、ジェイコブはカーターの口から出る言葉を、信用する他ない。
「サイモンとは、約束をしていたんだ」
カーターがやっと口を開いた。やはり、ゲーリックが言う通りの繋がりはあったらしい。
「戦争に行く前だったかな。また一緒に野球をしようと言われた。俺は、それを拒み続けた」
独白を始めた人間の言葉を止めることは、ジェイコブにとって好ましくない。そっぽを向いているように見せかけて、確かに聞いていた。
「それが、こういう形で終わるとは、正直思ってなかった」
カーターの言葉尻から力が抜けていくのを聞いて、
──こいつも老いたな
と思った。昔のカーターだったら、癇癪でも起こしていたのではないか。
ただジェイコブは、カーターがどこか自惚れていたらいけない、とも思って
「もっと早く、正直になっていれば良かったな?」
と釘を刺してみた。
「そうだったな」
カーターが深く悔やんでいる様子を横目で見て
──心配しなくても、大丈夫だろう
と、確信した。
時間が経つと他の参列者に交じって、かつての仲間たちが何人か、葬儀会場に現れた。
ほとんどが現役から退いている。ただタイラー・オーニールだけは、いまだに現役らしい。
ジェイコブも、そのことは売店に置かれた新聞で目にしていた。
ジェイコブはタイラーの姿を認めると、心の中に重たいものを感じた。
その正体が何なのか、彼を見た一瞬の内には知ることができなかったが、しこりとして、確かに存在している。
湧き上がるまではいかない、後悔に似た気持ちだった。
きっと、タイラーに対して後ろめたい気持ちがあるのだと、ジェイコブは理解した。
ひととおり追悼の儀礼が終わった後、ジェイコブはカーターと顔を再び合わせた。
ジェフ・オーガスタと言い合いになりかけた場面もあったが、ジェイコブが事情を話して、何とか収めた。
「どうだ、カーター。気分は」
漠然と問いかけた。何も話さなくても良いし、話詰めても良い。それくらいの気持ちを持っていた。
「まあ、そうだな……」
カーターは少し考えこんだ後
「良いとも言えるし、悪いとも言える」
と、ジェイコブの質問と同じような曖昧さで答えた。
ジェイコブは、当然だろうと思った。胸中の複雑さは、カーターにしか解らない。
「良い面は?」
ジェイコブはカーターに、あえて質問をしてみた。カーターの心の機微を、自分の尺度で試してみたかったのもある。
「久しぶりに、皆に会えた。そして、避けたほうが良いと思っていた相手が、声をかけてくれた」
ポーリーの妻子とカーターが話し合っているところを、ジェイコブは見ていた。カーターの表情が一瞬だけ明るくなったことも、見逃さなかった。
「そうか。悪い面は?」
間髪を入れなかった。カーターは言い淀むことなく答えた。
「自分の臆病さを、思い知らされたことだ」
ジェイコブは同意しそうになりつつも、思いとどまった。
「自分の臆病さを知ることは、悪いことじゃないだろ」
ジェイコブは、むしろカーターの成長分なのだと言いたかったが、カーターは、そうだな、とは言わなかった。
「臆病さの原因が無くなった時に知っても、意味がない」
カーターは後悔するばかりである事を恨んだのだろうが、あまりに前と違って自省的になった姿に、魂を抜かれた気分にもなっている。
「だいぶ変わり果てたな。おまえは」
ジェイコブは思わず言った。
昔のカーターだったら、仲間の誰が死のうと関係が無い、と言い張りそうだったのに、何があってこうなったのか。
変わり果てた、という言葉が一番しっくり来た。
「まあ、そうせざるを得ないようになったんだよ」
カーターは溜息を交えながら、それだけを答えとした。
「……自分たちは、このまま雲散霧消してしまうんだろうか」
カーターとの会話がひととおり終わった後、ジェイコブは誰に聞いてもらうでもなく呟いた。
かつてのチームメイトのうちでも、戦争から帰ってきてから、聞いていない名前は多い。
思えば、生死もわからない。そして、その中でも聞き馴染みがある名前が、ひとつ消えたのだ。
この声は、思ったよりも大きかったらしい。
隣にいたカーターは、すぐに反応した。
「俺たちが忘れなければ、そんなことも無いんじゃないか」
その通りだとも思うが、自分たちがいなくなったら、こんどは誰が思い出すというのか。
少し上を見た。数秒、黙っていると、ジェイコブは閃光が走ったような感覚を覚えた。
自分のいた場所を、形として残せるのではないか。
自己満足でも良い。疎まれても良い。とにかく、かつての「チェッカーズ」の名前を、残すことができるんじゃないのか。
「カーター。自分は待ちすぎていたのかもしれない」
人は何か大きなインスピレーションを得た時、恍惚とすることがある。この時のジェイコブは、正しくそんな状態だった。
「そうか。俺も感じたよ」
カーターも、ジェイコブのような逆上せかたはしないまでも、同じようなことは思っていたらしい。
「少なすぎると思わないか。そこまでバラバラだったかな、と思ったんだ」
ジェイコブは噛みしめるように口にした。
「……サイモンはどう思っていたんだろうな」
カーターはぶつけるべき答えを、サイモンの名前に託そうとしていた。
「サイモン・ポーリー……たぶん、純粋に野球を楽しみたいと言う気がする」
ジェイコブは素直に、思っていたことを伝えた。
カーターはサイモンの言葉を直に聞いていた分、すぐに同意した。
「そうかもな……なあ、なかまたちを訪ねられないか?」
カーターはジェイコブの意見に乗ってか、思い付いたことを言っている。
「仲間たちを? どういう意味だ?」
ジェイコブは、チェッカーズでの思い出でも書き記してみようとは思っていたが、実際にかつてのチームメイトに直接会おうとまでは、思っていなかった。
「少しな」
ジェイコブは、その通りだとは思わなかった。
ジェイコブにとってはこだわりも強い。カーターのように抽象的である気にはならない。少なくとも、都合の良い物事の見方をしたくはない。
ジェイコブはそう思ったから、カーターに疑問を投げかけた。
「過去に縋りたいのか」
「そうじゃない。ただ、あの時に抱えていた大事なものを思い出したい」
言葉には、カーターの持つ驕りを感じなかった。
それは極めて感性的な、オカルティックな部分もある受け取り方だった。論理的に説明できないが、ときに第六感を重んずるのも必要な事がある。
今がその時だろう、と感じたジェイコブは
「そうか。……自分も付き合ってみようかな」
と、カーターの言葉に賛同した。
会話が途切れた時、2人の横から、ゲーリックが話しかけてきた。
「俺も、協力して良いか?」
2人は自分たちの世界に閉じこもっていたせいで、このわずかな言葉にビックリしてしまった。
ビックリしたといっても声にではなく、ゲーリックの方から協力を申し出されたことに驚いたのである。
「なんで、そんなことを?」
そう問いかけた2人に、ゲーリックは
「生きていた証を、ちゃんとこの目で見届けたいんだ」
と、明快に答えた。
──・──・──・──
3人は、自分たちの意見が一致しているのだということを確認しあった。
かつてのチェッカーズの姿を、どこかに残したいという一心があった。
ジェイコブは、チェッカーズでのキャリアを何らかの形で残すことを提案し、カーターは各人を訪ねることを提案した。そしてゲーリックは、その各人が立っている現在地を確認したがった。
なら、やることは決まっている。
3人はそれぞれ、葬儀に参列していた、かつての仲間たちのもとに近づいた。
ジェイコブは、ジェフ・オーガスタのもとに向かった。
ジェフは気の短い質だからか、すでに帰り支度を始めていた。
「おい、ジェフ」
「なんだ?」
ジェフは他人が見れば、焦っているとしか見えない態度で、ジェイコブの呼びかけに返答した。
「話がある」
「手短にな」
「協力してほしいことがあるんだ」
「俺にできることは、ほとんどねえよ。それに、いまさら頼みごとをしあう仲でもねえだろ?」
「そう言うなよ」
ジェイコブはジェフの、上がり気味な口調に乗せられないように、気分を落ち着ける砕けた言葉遣いをした。
「まあいいか。じゃあ、何に協力すればいいのか教えてくれよ」
「戦前のチェッカーズのチームメイトを、訪ねようと思っているんだ」
「なんだ、昔を懐かしみたくなったのか?」
「そんなところだな」
「ジェイコブがそんなことを言うのか。珍しい」
「珍しくても良いだろ? とにかく、過去のチームメイトに会う予定を立てたい」
「ふうん。で、いったい何人に声を掛けるんだよ? 雑に言われたって解りゃしねえ」
「そうだな。だいたい数年間の間、ずっと優勝していた期間があっただろう?」
「ああ、黄金期とか持て囃されてた気がするな」
「その間、メンバーはまず変わらなかったよな?」
「そいつらだけで良いのか? それを決めた所で何をどうするってんだ?」
「そこは、後で考える。とにかく情報を集めるにも、実際にあいつらの処へ行くのにも、協力者が欲しいんだ」
「はあん、まあ面白そうだな。わかった、一枚噛ませろ」
ジェイコブとジェフはお互いに握手を交わした。
ジェイコブは笑顔を見せながら
「途中で逃げるなよ?」
と、軽口を叩くと、ジェフは笑顔を返しながら
「俺の性格は知ってるだろ? 嘘はつかねえよ」
と言って、握った手を強くした。
カーターはジム・マクニールのもとに近付いた。
ジムは今のカーターからは顕著に判るほど、嫌そうな表情を見せた。
「何の用だ?」
「久しぶりに集まったんだ。少しでも近況を話し合いたいと思ったんだよ」
「ふん」
ジムは不快そうに鼻息を鳴らした。
カーターは最初、自分の存在が彼を不快にさせているのかと思ったが、目線がそうは言っていない。
ならば、何を不快に思っているのだろうか。カーターは障りが無いように言葉を探した。
「あの頃のチェッカーズでの野球は、楽しかった」
それはカーターにとっては軽く、話の入り口として言っただけの言葉だった。
だが、それを言った途端、ジムの目が泳いだのが分かった。
「もう良い」
そう言って立ち去ろうとしたジムを、カーターは目の前に立って引き留めた。
「どうした。なんでそんなに怒ってるのかぐらい、話してくれないのか?」
「話す義理はないだろ?」
「ない。だが、俺としては聞かないといけないことだ」
カーターはあえて、表情を厳しくした。
自分が臆病だった分、人が臆病になった時にはすぐにわかる。
「……野球の話はするな、とだけ言っておく」
「何があった?」
ジムにとっては聞かれたくないことだろうが、カーターにとっては聞く義務がある。
ジムの中に迷いがあるのなら、それを解消させたい。それはジムの為というよりも、自分たちが果たすべき目標のため。利己を隠すことはできない。
「誰かに、俺たちと関わることを止められでもしているのか? それとも、自分がいちゃいけないとでも思っているのか? まあどちらにせよ、俺には関係ない」
「もう良いだろう? 俺は帰る」
「ああ……止めはしないが──」
カーターは、帰ろうとしたジムを腕で制した。
「連絡先ぐらいは置いて行ってくれ。俺たちは、これからなかまを訪ねるんだ。いつかお前を連れ出す時も来る」
この言葉を聞いたジムは
──そんなことができるかよ
と言いたげな表情で
「連絡先ぐらい球団にでも置いてあるだろう? 自分で調べろ」
と、カーターの横を通り過ぎた。
カーターはジムの後ろ姿に
「ある程度集まったら、連絡を入れるよ」
と声を掛けた。ジムは何も言わず、少し足を止めただけで立ち去って行った。
ゲーリックは、タイラー・オーニールの傍に肩を並べた。
しばらくは何も言わなかった。
普段から選手と球団職員として、よく顔を合わせている。だから特段、交わす言葉も見当たらない。
「なにか、御用ですか?」
タイラーはゲーリックに意図があることを察して、言葉を掛けた。
「ああ」
ゲーリックが肯定すると、タイラーは
「なら、早く教えてほしいですね」
と言って、ゲーリックのとった茶を濁す態度を批判した。
「すまん、すまん」
少し笑いながらタイラーの言葉をいなしたゲーリックは、本題を切り出した。
「これから自分たちは、戦前にチェッカーズに在籍していた選手たちに会いに行こうと思っている。実を言えば、君のような人間をこちらに巻き込みたかったんだ」
──少し、悪い言葉の使い方かな
ゲーリックは思ったが、タイラーの反応は良いものだった。
「賛同します。自分も、かつてのチェッカーズを懐かしんでいる」
「そうか、そう思ってくれているのか」
「ただ……」
「ただ?」
「自分はまだ現役ですから、プライベートな時間を充てることは難しい。それにチェッカーズにいることで皆が、還ってこれるようにと、思って行動していますから。活発に動き回ろうとも思っていません」
「そうか、お前もそんなことを考えていたんだな」
ゲーリックは、タイラーの考えを尊重しようと思った。言い分に確かな理がある。
「すみません。ゲーリックさんが思ったような手の貸し方はできませんが──」
「いや、タイラーみたいな人間がいてくれるのは助かる。自分たちでは、果たせない役割だからな」
タイラーは、今やチェッカーズにおける金字塔である。彼のような存在が鎮座しているということ自体が、これからの自分たちにとっては大きい。
「これからも、頼む」
タイラーの肩を叩いたゲーリックはジェイコブたちと集まるために、サイモンの墓標の前へと向かった。
墓標の前には、エルヴィス・ホールトンが佇んでいた。
3人が集まるまで、図ったかのようにそこから動かなかった。
先に声を掛けてきたのは、エルヴィスのほうだった。
「3人とも、挨拶に来たのか?」
そういった彼の手の中には、小さな十字架が握られている。
「ああ」
答えたのはカーターだった。
「なら、ここの前から退くよ」
エルヴィスは手荷物を持って立ち去ろうとしたが、それをカーターが阻んだ。
「一緒に言葉を掛けよう。個別である必要も無い」
カーターから出たその言葉を、エルヴィスは不思議そうな顔をして聞いた。
「お前はいつから、そんなに分かった口を利くようになったんだ」
言葉の中には、かつての自分勝手なカーターの姿を思い出したせいで生じた、小さな怒りがあった。
だが、カーターは意にも留めない素振りをした。
「まあ良いじゃないか」
カーターはサイモンの墓標に向かい、正対した。
エルヴィスも十字架を擦りながら、口の中で文言を唱えている。
2人ともが祈りを捧げ終えると、カーターはエルヴィスに質問を投げかけた。
「お前が十字架を持っているのは初めて見たな」
チェッカーズのロッカールームで、エルヴィスが神に祈りを捧げる様子を見たことがない。そう思い出したのである。
「これか? ああ……」
エルヴィスは口籠った。
すぐに、横にいたジェイコブが口を出した。
「自分が縋れるものを見つけられたんだろう?」
エルヴィスは、ジェイコブの気遣いを肯定した。
「そうか」
カーターはそれ以上、深入りしなかった。そして、納得したという態度で引き下がった。
「エルヴィス。自分たちは、かつてのチェッカーズの仲間を訪ねようと思ってるんだ」
ジェイコブがこれからを切り出すと、エルヴィスは少し考えこんだ。そして
「その行為に意味があるのかな」
と、言った。
ジェイコブは、エルヴィスならば少しは、好意的に受け止めてくれるだろうと思っていた。だが予測に反して、冷淡なものだった。
「ああ、自分はあると思っている」
心の中にある確信を言葉にして伝えたが、届いた気配が無い。それどころか逆に
「その決断は、無駄なように思う」
と、突っぱねられた。
「なぜ、そう思うんだ?」
カーターが思わず声に出した。
「自分たちは同じチームにいたといっても、結局は個人同士でしかない。それなのに、1人の思い込みで過去に縋って、人の傷を抉るようなことになったら、それは悪行じゃないのか?」
エルヴィスの反駁に、カーターは
──そんな風にはならない
と言いたそうにしたが、ジェイコブがすぐ目線で黙らせた。
「続けてくれ」
ジェイコブは、エルヴィスの反駁を快く受け入れていた。
「過去のチームメイトを訪ねるといっても、現状は様々だろう。君たちのように五体満足で生き延びている人間がいる一方で、傷付いたり、死んでしまった仲間もいる。サイモンもそうだ。そういう相手と、その家族に対して、君たちはどうするんだ? ずけずけと相手のもとに行って、昔は良かったと言って、自分たちの過去に酔うようなことでも言うのか? それとも相手を利他的にして、自分の益になるように行動させるのか? もし少しでも、そのようになる可能性があるのに決行するのであれば、全く傲慢というものじゃないか」
エルヴィスは淡々と、しかし強い口調で、ジェイコブたちを批難した。
カーターは少しばかり鬱憤を溜めた表情をみせたが、ジェイコブはむしろ
「その通りだな」
と言って見せた。そして、そのあとに
「おまえが言ったことを胸に留めて、行動するよ」
と、エルヴィスに告げた。
エルヴィスは
「じゃあ、これで」
と言って、早々に場から立ち去った。立ち去った後、ジェイコブたちに気が塞がるような思いが無かった、と言えば嘘になる。
今後、同じことが繰り返される予感は濃厚だった。
3人は、それぞれが声をかけた相手の反応を話し合った。
ジェフは協力的で、今後の協力を約束してくれた。
マクニールは協力を拒み、突っぱねられるだけで終わってしまった。
タイラーは協力的だったが、まだ自分のキャリアがある。積極的な協力は難しそうに思えた。
「前途多難、という感じだな」
ゲーリックはそれぞれの反応を顧みて、そう評価した。
「だが、これが普通なんだろう。あくまで自分たちは頼み込む側に過ぎないんだから、当然の結果といっても良いかもしれない」
ジェイコブは冷静にそう言いながらも、心のどこかでは
──さて、どうすれば良いかな
と、悩む気持ちを大きくした。
「俺たちが動かない以上はどうしようも無い。まずは情報を集めるところからだな」
カーターの言ったことは平凡だったが、それ以外に同意できることも無かった。
──・──・──・──
──まずは手近な所から始める
そう考えた3人は、墓地からゲーリックの案内に従って、チェッカーズの球団事務所に足を踏み入れた。
球団側からすると、ずいぶん突然の来客である。とうぜん、最初は
「部外者は立ち入らせることができませんよ」
と、拒まれそうになったが、今やベテラン職員になっているゲーリックが、入館管理をしている職員が部下であるのを良いことに
「あのジェイコブ・フューリーと、カーター・フレイマンだぞ? 良いのか?」
と、脅しに近い文言で入館を認めさせて、無理やり入った。
「球団資料室に、各人の住所と安否を書き留めた書類がある」
ゲーリックは言った。
膨大な書類が保管してある倉庫に入ると、ゲーリックはすぐさま、書類群の一角に手を伸ばした。
「これのはずだ」
ファイルの中を検めたゲーリックは
──うんざりする
という感情を隠さなかった。
「あいつら。自分に伝えず、書類の位置を勝手に変えたな……」
ゲーリックの言葉の深刻さは、2人にもわかる。ぱっと見ただけでも、これまでのチェッカーズの記録が書類の海となっているのが解った。
ジェイコブは、溜息をついたゲーリックの背中を叩き
「根気なら、自信はある」
と伝えた。
3人はこの膨大な量の書類の中から、当時のチェッカーズの選手の記録が入ったファイルを、探すことになった。
倉庫内の見分はジェイコブとカーターが行い、書類の行方の手がかりを集めるのにはゲーリックが当たった。
ただ、ゲーリックがいくら尋ねようとも、確信を持てる情報は聞けなかった。それほどに、単純な日付や氏名が羅列された記録物は、重要視されない問題がある。
思わず舌打ちをした3人だったが、虱潰しに探すことになった。
ジェイコブやカーターは2人して
──スウジツ、カエレヌ
という電報を、家に向かって入れてもらった。
資料探しは当然のごとく深夜にまで及び、ぐったりしたままソファーで眠った。
翌朝になると備え付けのシャワーを浴びて、また資料探しに没頭した。
昼頃になり、やっとある程度のかたまりで、1920年代の選手氏名が書かれた資料を見つけることができた。
そこにはしっかりと住所も記されている。が
「たしか、マイクとかは度々引っ越していたよな……」
というジェイコブの一言で、1930年代の資料も必要だろうと気が付き、また血眼になって書棚を探し始めることになった。
結局、1930年代の資料が見つかったのは3日後の深夜だった。
たった4、5日とはいえ、大量の書類をめくりながら調べるという行為に、3人はかなり疲弊していた。
「よし。ここまで来たら、あとは載っている連絡先に片っ端から、連絡を入れていくだけだな……」
ジェイコブはそう言うと、昨日寝たソファに体を沈み込ませた。
「あとは、自分がやっていくよ。2人とも、もう大丈夫だ」
ゲーリックはジェイコブとカーターに、とりあえず家に帰って休むことを提案した。
「夜中だぞ」
カーターは目を擦りながら、ゲーリックに呆れた声を掛けた。ゲーリックは
──そうだ、そうだった
という顔をしながら、オフィスにあったティーバッグを使って、人数分の紅茶を淹れて差し出した。
紅茶を飲みながら、3人は今後の予定を話し合った。
「これからは載っている住所を頼りにして、各人に連絡を取っていくんだろう?」
「ああ。これに関しては自分が仕事に託けて、伝書でも送るのが良いと思う」
ゲーリックの言い分には理があった。特に反対する謂れはない。
ジェイコブとカーターは肯いた。そして
「それが上手くいったら、今度は俺たちが直接たずねてみようか」
というカーターの意見に、他の二人は賛同した。
──・──・──・──
翌日の午前中、ゲーリックが帰宅すると、妻のスーザンはそれを出迎えた。
「まったく……心配したのよ?」
そう言いながら玄関で、ジェイコブの顔をまじまじと見たスーザンは、ひとつの異変に気が付いた。
「あなた、顔色が良いわね?」
ジェイコブは、その言葉に若干の棘があることに気が付いた。その原因が家を空けていた数日間にあることだけはわかった。
「ああ。チェッカーズの事務所で、ちょっと用事をすることになってな」
「ふうん、どんな用事?」
その言葉で、ジェイコブはスーザンが何を怪しんでいるのかを察した。
「浮気だと思ってるのか?」
自らの推測を口に出してみると、スーザンの表情は「その通りだ」と言っている。
──馬鹿馬鹿しい
ジェイコブは思ったが、女の嫉妬は怖いと感じて
「だったら、球団かカーターに連絡すれば良い。すぐにわかる」
と、スーツの胸ポケットに突っ込んでおいたそれぞれの連絡先を、スーザンに渡した。
「なら、さっそく連絡するね」
遠慮なくメモを受け取ったスーザンは、そのまま奥の部屋に入っていった。
スーザンが居なくなった後、リビングの椅子に腰かけたジェイコブは、これから始まる自分たちの旅程を想像した。
葬儀の時に感じた距離感が、他の仲間たちにもあるとするのならば、相当な期間を要する。これは間違いない。今は、自分たちだけが勝手に突っ走っている状態で、彼らが付いてくるとは限らない。
エルヴィスの言っていたことに、間違いは無い。
「わたし、郵便局に行ってくるから」
スーザンが奥の部屋から戻ってくるなり、そう言って外出した。
──落ち着きがないな
と思ったが、良く言えば果断だということなのだろう。
息を大きく吐きながら、まだ眠気が残っている体を背もたれに寄りかからせた。
2か月のち球団から、ゲーリック・トラバースの名前で封書が届いた。
何人かの住所が特定できたのだという。各人のリストが、何枚かの紙の束になって同梱されていた。
──どれどれ
ジェイコブは1枚1枚、書かれていることを確認した。
こうして見てみると、いま現在でちゃんと連絡を取れる人物は少ない。
テーブルに書類を広げていたジェイコブに、スーザンがコーヒーを淹れてきた。
彼女の抱いていた疑いは、あのあと数日のうちに晴れている。
「届いたんだ。私にも見せてくれる?」
好奇心の強いスーザンは、ジェイコブの返事を待たずに書類を手に取った。
「もとの位置に戻しておいてくれよ」
「わかってる」
2人で黙々と書類を読み進めていると、スーザンはふと思ったことを口にした。
「懐かしいね」
ジェイコブにとって懐かしい面々というのは、球界に入る前からジェイコブと共に生活をしていたスーザンからしてみても、懐かしさを感じる相手である。
「でも、これだけしかわからないんだ……」
スーザンは寂しそうな声を上げた。書類には「行方は捜索中」とか、「すでに死亡」とかの文言も多い。
「まあ、ひとりずつ当たるしかない」
ジェイコブは静かに言った。スーザンは、その言葉を聞いて
「そうだよね。あきらめちゃダメだよ」
と、ジェイコブにエールを贈った。
──・──・──・──
最初に動いたのはカーターだった。
遠く離れたところにいる、リック・ハートの家族のもとに向かったのである。
距離が距離だけに旅費もかかるが、パトロンともいえるニック・ウィルソンが金を半分は工面してくれた。
玄関口のチャイムを鳴らすと、中から小柄な男が1人出てきた。
──リックによく似ている
そう思ったカーターは
「失礼。ハートさんのお宅ですか?」
と、その男に訊くと
「そうですが」
という返答が返ってきた。
「実は、リック・ハートのことを訊ねようと思って来たんです」
カーターの言葉に、男は冷淡さをもって
「兄は戦争で死にました」
と答えた。
──そうか、あいつの弟か
そう考えながら、言葉の響きに悲しさを感じたカーターは
「お悔やみ申し上げます」
と、弔意を示した後で
「自分は彼が所属していたチームで、チームメイトだった者です」
と告げた。
「チェッカーズで?」
男の言葉に、カーターは頷いた。
「お名前は?」
「カーター・フレイマンです」
「ああ……」
男は少し考えこんだが
「失礼ですが、お引き取りを」
と言って、ドアを閉めようとした。
「待って」
カーターは閉じられかけたドアを押さえた。
「何をするんですか」
声が強まっている。カーターは
「やらなきゃならないことが、あるんだよ」
と跳ね返すように言った。
──乱暴な
とうぜん、男はそう思ったのだろう。
「警察を呼ぶぞ!」
カーターに向けて言い放ったれたが、カーターは物怖じをしなかった。
「呼びたきゃ呼べ。それでも、リックのことを皆に伝えるために来たんだからな」
「俺には、あんたが押しかけにしか見えねえよ!」
「半分正解だよ。だが、俺は知らなきゃならねえんだ」
カーターがドスを効かせた「知らなきゃならない」という言葉に動揺したのだろうか。男はドアを閉めようとする力を弱めた。
周りを見ると、言い争いを聞いたのか、通りすがりの人々がこちらを見ている。
「入れ」
男はドアを開けた。これ以上騒ぎを広めたくなかったのだろう。
「失礼」
カーターは誘われるままに、家の中へと入っていった。
「そこに座れ」
口調を聞くに、男はカーターを憎みかけているらしい。
カーターは男の猜疑心を和らげるために、手提げからひとつのファイルを取り出した。
ファイルには、1924年から1928年までの黄金期に活躍した、26人の選手たちのチェックリストと
──なにかあれば、こちらまで
と書かれた名刺が挟まれている。
渡された書類に目を通した男は
「噓だったら、ただじゃ置かない」
と、前置きしてから
「何が望みなんだ」
という質問をした。
──そうだな……
カーターは即席で
「リックにまつわる物品がないか、見せてくれないか」
と答えた。
男は、見せるだけという約束で、1通の手紙をカーターに差し出した。
「これは?」
カーターが問うと
「兄の遺書だ」
と、男は答えた。
カーターは中身を読んだ。読みながら、目の前にいる「リックの弟」に様々な質問をした。
どこから送られてきたのか、いつ送られてきたのか、そして、他の家族の姿が見当たらないがどうしているのか。
男はカーターの質問に、言い淀むこと無く答えた。
戦時中に出征先で書かれたもので、リックと同じ隊に所属していた人物が持ち帰ってきた。
この手紙を書いた後、リックは行方不明になり、その後に遺体が発見されたことで、これが実質的な遺書となったのだという。
そしてリックの両親、特に母親はしばらく心を病み、回復こそしたが先年、2人ともが亡くなった。
「いま、血縁は俺だけだ」
カーターのことをまっすぐと見ながら、男はそう言った。
「そうか。苦労したな」
カーターの言葉に男は是非の感情を表さなかったが、目の奥が燃えているように見えた。
「ありがとう。読ませて貰って」
カーターは男に手紙を返した。
「良いのか? 返して」
男は、カーターのことを未だに疑っている。
「もちろん。これはハート家のものだろ?」
少し笑って言葉を砕けさせ、カーターは言った。
男は帰り支度をするカーターの姿を見て、あっさりとした態度に少し驚いたらしい。
「そうだ」
カーターは思い出したように声を上げた。
「なんだ?」
「名前を聞いてなかったな。聞かせてくれないか? ……今後、連絡がいるかもしれないしな」
「……ジョンだ」
「ジョン・ハート?」
「そうだ」
「わかった。なかまにも伝えておくよ。じゃあ、また」
カーターはそう言うと、足早にハート家を後にした。
──・──・──・──
ジェイコブはゲーリックと共に、マット・テイラーの家族に会いに行った。
いまは小さな田舎町で、こじんまりとした診療所を開いているらしい。
交通の便が悪く、車でしか行けないようなところである。
2人で交代しながら、日を跨ぐ長いドライブの末に所在地にたどり着いた。
車から降りた2人は、深呼吸をした。さすがというべきか、空気が澄んでいる。
きっとマットの家族は、この地の空気を見込んで移住したのだろうと推測した。
道を往く人を見かけたゲーリックは
「テイラー診療所はどこですか?」
と、尋ねた。
その人は訝しみながら、ゲーリックの問い掛けに、指で方向を指し示すことで答えた。
「ありがとうございます」
2人はそれを信じて、差された方向へと向かった。
数分歩くと、赤い屋根の民家が見えた。
カーテンは閉まっているが、玄関口の横には
「テイラー診療所」
と書かれた看板が提げられている。
2人は玄関の鍵が開いていることを確かめると、ゆっくりとドアを開けて中に入った。
薬品の臭いが強い室内で、看護婦の格好をした若い女性が近付いてきた。
「どんな不調がお在りですか?」
という質問に、ゲーリックは
「我々は患者ではありません。だいぶ前に、電報を入れさせてもらったゲーリック・トラバースです。院長のベン・テイラー氏に会いに来ました」
と答えた。
女性は
──そんな連絡あったかしら?
と思ったのか、口を尖らせながら
「ちょっと待っててくださいね!」
と言って、奥に向かっていった。
「ベン先生! ゲーリックさんって方がご用事ですって! そんな連絡ありましたっけ?」
姿が見えないながら、丸聞こえになるほどの声量で、女性はベン氏に確認した。
返事は聞こえなかった。だが、奥から還ってきた女性は嬉しそうな顔をしていた。
「院長、お会いになるそうです!」
女性から告げられた2人は、奥の診察室に入っていった。
「改めて、ゲーリック・トラバースと言います。ベンさん。連絡から日にちが立ってしまい、申し訳ありません」
ゲーリックの言葉に、ベン氏は首を横に振った。
「そんなことはありません。後ろにいるのは、ジェイコブ君ですね?」
手で差されたジェイコブは、自分の名前を知っていることに少し驚いたが
「はい」
と、静かに返事をした。
「遠慮なさらず、腰をお掛けください」
ベン氏は設えられてる椅子を指し示し、2人を座らせた。
腰を落ち着けたところで、ベン氏の方から会話が切り出された。
「おふたりは、何のために来られたのですかな?」
連絡を入れた当事者であるゲーリックから、事の次第を話した。
「戦前のチェッカーズの仲間たちを、訪ねることになったんです。そうすることで、彼らが生きた足跡を残す。その助けになればと」
「そうですか。そういえばチェッカーズの方は、息子の葬儀にも何人か出てくださりましたね。監督さんと、タイラー君と……」
「いえ、その節は──」
「もう10年は前の話ですから」
ゲーリックの喉から出かけた言葉を、ベン氏は遮った。
「ジェイコブ君は、その頃どうされていたんですか」
ジェイコブは、ベン氏の言葉に答えた。
「自分は、32年に戦役に出ました」
「そうですか。お互い、苦労しましたな──」
侘しさのあるベン氏の言葉に、ジェイコブは俯いた。
ゲーリックは沈黙を嫌うように、ベン氏に話しかけた。
「……話を戻してしまいますが──」
「ああ、マットのことですよね?」
「私たちは、彼のことを聞いて、書き記し、後世に伝えたいという思いを持っています」
「それは、親として有難いことです」
「ベンさんにも、マットさんに関連した話を聞こうと。そう思ったのです」
この言葉を聞いた時、ベン氏の表情が曇るのが見えた。
「わたしは──いえ、ベン・テイラーという男は、父親として酷い人間です」
「は? どういう意味ですか?」
「わたしは彼を応援せず、自分の生活から追い出した。そのことを今でも後悔しています」
ジェイコブは、落胆の表情を隠さないベン氏を気遣った。
「そんな。マットはあなたのことを、悪く言ったことはありませんよ」
「たとえそうであっても、やってはならないことをしたのは確かです」
ベン氏は目線を落とした。
「自分は、あなたがそういう人間には見えません」
「……息子の夢を貶す発言をし、家から追い出し、それから会話をすることなく死に目にも会えなかった。息子は大切な存在だったと言う権利がありますか? あなたの言う、そういう人間ではないと言うことができますか?」
ジェイコブは父親としてのベン氏に、何か自分を認められる材料を与えられないかと考えた。
マットの言葉を思い出せば、何か手掛かりはあるのではないか。
「とにかく、わたしは老いました。小さな田舎で小さな診療所をやりつつ、慎ましやかに過ごすことしかできない老人です。お話しできることは、何も」
ベン氏が言葉を紡ぐ内にも、ジェイコブは記憶の引き出しを開け続けた。そして
「……医師だけは、辞められませんでしたがね」
と、皮肉としてベン氏が呟いたのを聞いて
──これだ
と思った。
「マットは、そんなあなたを羨ましがっていましたよ」
「そんな訳が、ないでしょう」
「いえ。ロッカールームで、いつも話していました。自分は野球の力を信じているが、父が医療の持つ力を信じるほどには、まだ至っていないと」
「息子は、そんなことは思っていないはずです。むしろ、わたしが医療を妄信していると感じていたのでは」
「そんなことを思う人間が、自分が身命を賭しているものを引け合いに出して例えることなんて無い。あなたが医療を妄信しているのなら、マットだって野球を妄信していた。マットが野球に挑む姿勢は、誰よりも真剣でした。それこそ、使命を持った人間でした。自分は近くで見ています。マットは、いつのまにか自分を父親に重ねていたんです。人命を救うために懸命になるあなたと、人々の感動の為に真剣になっていたマットと、その高貴さに何の違いがあるんですか」
「それは、どうでしょうね……」
「今のあなたのように悩むこと自体が、答えなんだろう思います」
ベン氏は大きく息を吐き出すと、何かを思い直したのか、ジェイコブの顔を見て
「……わかりました。家族で、マットとの思い出をいま一度、整理しようと思います」
と言い、ゲーリックとジェイコブの申し出を承諾した。
「お願いします」
ジェイコブは手を差し出した。
ベン氏はそれに応えて、2人で握手をした。そして去り際、ジェイコブは念を押すように
「ベンさん。あなたは紛れもなく、マットの父親です」
と、告げた。
──・──・──・──
ゲーリックは、テイラー診療所のある田舎から帰ってきた。
そして自宅に帰るとすぐに、アイク・ウィリアムスの家族が住む場所を確認した。
住所はチェッカーズにいた時から変わってはいない。クロークハッチ市街の変わらぬ場所に、今でもアイクの妻子が住んでいる。
──ここからは近い、が
以前と今とでは状況が違う。アイクが居ないということに、少しばかりの不安があった。
本当はチームメイトでもあった、ジェイコブやカーターに行って貰うべきなのかもしれないが、思い出のある選手だっただけに、自分の目で現状を確かめたい欲がある。
ともすれば自分勝手だが、ゲーリックの中には強い情念があった。
自分のことを引き上げてくれた、かけがえのない友人なのだ。
腹ごしらえをし、歯を磨いて、すぐさまウィリアムス家の住所に向かった。
一軒家の玄関に付いたノッカーを叩いて、中からの返事を待った。
返事は、少しの間を置いてから返ってきた。ドアの向こうから
「どなた?」
という、女性の声である。
「ああ、チェッカーズ職員のゲーリック・トラバースと言います」
チェーンを掛けたままで玄関のドアが開くと、中からアイクの妻であるメリーが顔を覗かせた。
「……もしかして、トリー?」
トリーとは、ゲーリックのあだ名である。親しい友人との間で使っていたもので、アイクもゲーリックを呼ぶときに使っていた。
「はい。ちょっと、用事がありましてね」
「なに? 夫がいないのは知ってるでしょ?」
「知ってますよ。彼の安否をチェッカーズの関係者で最初に聞いたのは、私ですから」
「なら、いまになって用事があるものなの?」
「あります」
「……聞くわ。あなたなら、まだ信頼できる」
「ありがとう」
ゲーリックはウィリアムス家の中に入ると、木製のダイニングチェアに座らされた。
むかし来た時に比べると、部屋の中が暗い。ゲーリックはメリーに訊ねた。
「普段から、こんな感じなんですか?」
メリーは平然として答えた。
「子供がいるときは電気をつける。でも自分1人のときは、これくらいが落ち着くの」
「そうですか」
ゲーリックはギャップを感じた。かつてアイクは、メリーのことを「明るい人」と言っていたし、以前会った時はこんな雰囲気ではなく、確かに陽気な人だった。
あの陽気さを持つメリーが、こんな薄暗い部屋を好むようになるだろうか。
疑問を抱えながら、ゲーリックはメリーが目の前に着座する姿を見た。
目線がひどく冷たい。やはり、以前とは人格が変わっている。
「なに?」
メリーの冷めた言葉遣いに、ゲーリックは体を強張らせた。
──そういえば
と、ゲーリックはメリーの言動を思い出した。ドアの向こうから、「まだ信用できる」と言われた。
メリーは人間不信になってはいないか。
──言葉には注意が必要かもな
ゲーリックは咳払いをして、メリーに話しかけた。
「最近、お子さんはどうですか」
ゲーリックは、いきなり本人同士の話にすると口が回らなくなると思い、ウィリアムス家の子供の話をした。
「元気よ」
「年頃で、大変では?」
「ええ。わがままで困るわね」
メリーの表情は相変わらず暗い。
少しばかり遠回りしすぎたか。ゲーリックは、少しだけ切り込んでみた。
「私の子供は、もう成年しましてね。手が掛からなくなったのは良いことですが、案外寂しくなるものです」
「そう。私にもそんな時が来るかしら」
「どうでしょうね。ただ──1人になったときなんかは、特に」
「私がそんなに寂しそうに見えた?」
メリーには皮肉に聞こえたらしいが、ゲーリックにとっては興味をこちらに惹ければ、それで良かった。
「……アイクが居なくなってからの心労は、察するに余りあります。私も付き合いがあった身として、彼がいなくなった時の衝撃は大きかった」
「そう?」
「もちろん。彼は私を最初に引き上げてくれた人ですから」
「ふうん。でも…」
メリーはゲーリックの目を見て、淡々と話し始めた。
「夫を奪われて子供を1人で育てる女の気持ちが、男ごときにわかるの?」
ゲーリックは黙り込んだ。
──悲しいもんだな
というのが、ゲーリックの抱いた素直な感情である。かつての陽気だった女性が、ここまで堕ちてしまうものなのか。
ゲーリックは口調を落ち着けて、泰然とした姿勢で言った。
「少なくとも、彼の足跡を共有することはできます。私たちは彼に関する資料を提供できる。その代わり、あなたからは彼の持っていた人間性を教えてほしい」
ここで感情的な話をすれば、無駄な刺激になる。ビジネスライクな話に落ち着ければ、聞き容れてくれるかもしれない。
「結局、情報が欲しいだけなのね。金儲けでもするつもり?」
「どうとでも、思ってください」
「……帰って。資料なんていらない」
「そうですか」
ゲーリックは躊躇わず、帰り支度をした。
その最中、横目でメリーがポケットの中から懐中時計を取り出して、時間を確かめているのを見た。
メリーとしては
──さっさと帰らないかしら
と思って針を確かめていたのかもしれない。だが、ゲーリックからすれば
──その針を進めさせなければ
と決心させるため、神が自分に見せた光景に思えた。
──・──・──・──
ジェイコブがテイラー家から帰ってきた後、数週間の後のことである。
妻のスーザンと共にマイク・ロッティに会いに行こうとした。
スーザンは街角で、他の婦人と与太話をする癖がある。そのおかげか、マイクが薬物で収監されていたことを、よく知っていた。
「そうとう話題になったんだよね」
どこか嬉しそうに話すスーザンに、ジェイコブは釘を刺した。
「これから訪ねる相手に、そんな姿は見せるなよ?」
「わかってるよ」
スーザンは、不満そうに頬を膨らませた。
少し前、ジェイコブがマイクと会うための日程を立てている最中、スーザンは何か考え事をしていた。
──何か気になることでもあったのか?
そう思って声をかけてみると
「マイクの所には、今のまま行っても意味ない気がするんだよね……」
という答えが返ってきた。
「理由を聞かせてくれないか?」
「いや、だってさ……いちど逮捕されたのに、仲間に顔を合わせられるような人には思えないんだもの」
確かに、マイクは世間的に見れば、浮ついた話題で紙面を飾ることが多かったが、野球や仲間に対する真摯さがあった。
マイクに女性が言い寄ってくることが多いのも、実は彼自身の人格が優れていたからだと、ジェイコブは感じていた。
「……門前払いを食らっても、困るな」
「でしょ? だから、妙案は無いかと思ってね」
2人はしばらく黙りこくった。
ふとジェイコブの頭に、1人の女性が思い浮かんだ。
「……メリンなら、どうにかしてくれるんじゃないか?」
「メリンって、マイクが付き合っていた、あの活動家?」
「ああ」
「ほかの人じゃダメなの?」
「良いとは思うが……メリンの時だけは、別れた時にかなりショックを受けていたからな」
「……いまも割と有名じゃない? 彼女、会ってくれるかな?」
「善は急げだ。行ってみる価値はある」
ジェイコブはさっそくメリンと会えないか、その方法を模索した。
メリンがどこに住んでいるのかは、すぐに分かった。
今でも知る人ぞ知る人間である。いろいろなメディアを参照するだけで、居場所が分かった。
公衆電話を使って連絡を取り、会う約束を取り付けると、車でメリンの住む郊外の町に向かった。
家に着き、チャイムを鳴らすと、小綺麗な格好で出てきたメリンは
「ご夫婦で、よくぞいらっしゃいました」
と、2人を快く迎え入れた。
「それで、夫婦関係でのご相談ですか? それとも、もっと公的なご相談?」
微笑みながら語りかけてきたメリンに、ジェイコブは本題を切り出した。
「マイク・ロッティのことで──」
ジェイコブがマイクの名前を出した瞬間、メリンの作った笑顔が少し固まった。彼女にとっては、出されたくない名前だったのかもしれない。
だが、沈黙は少ない。
「マイクですか。彼とは、すでに赤の他人ですよ? スクープだって散々撮られましたしね?」
言葉の中には、恨めしそうな語気が含まれている。
そう感じたジェイコブは、すぐさまメリンを擁護した。
「心配しないでください。あなた方の関係は良い物だったと知っています。だから自分たちに、過去をとやかく言うつもりはない」
そしてジェイコブは、自分たちの名前と来歴、マイクとの関係を明らかにした。
メリンは聞いた言葉の数だけ、納得の色を強くした。
「でも、なんで今、マイクの名前を私に?」
「自分たちは今、戦前のチェッカーズを尋ねる旅をしています。その中でマイクと会おうとしていますが……おそらくご存じでしょう? マイクは薬物で捕まった経歴がある」
「馬鹿なことをしたものね……」
メリンの口調が思わず砕けた。ジェイコブはそれを気に留めつつ、話を続けた。
「マイクは、とても真摯な人でした。世間では紙面を賑わせたような人物でしたが、実際は違う。そのことは、あなたも知っているでしょう?」
「……ええ。彼はプレッシャーにも弱いし、自分では何もできない。でも、それを自認している人でした」
「マイクは、あなたと別れてしまったことを非常に悔やんでいましたよ。世間の声なんて聞かなきゃよかったと、当時はよく言っていました」
「あの人は、弱い人ですね」
「もちろん。あなたと破局したことも、薬物に逃げたことも、自業自得です」
メリンが腕を組んだ。ジェイコブは、この動作にも何か意味がある、と思った。
「でも自分たちは、マイクとまた向き合ってみようと思っているんです。その為には、あなたの手を借りることが最善だとも」
ジェイコブの熱意は伝わったらしい。メリンはソファに深く腰を掛けて、自分の想いを話し始めた。
「私と彼は、互いに愛し合っていました。経緯はどうであれ、私は彼に惹かれていたし、彼は私のことをしっかりと見つめてくれていた。……私のような人間にはね、たくさんの人が言い寄ってくるんです。でもほとんどは私のことを尊奉したり、私の言葉によって生まれる利益を享受しようとしたり。当時の私は辟易としていました。そんな中で彼だけは、私の前で、名誉なんかいらないと言ったんです。そんなこと、言われたことがなかった。結局、周りの人は名誉が欲しかったのかもしれない。そう感じた私は、彼と付き合ってみることにしたんです。……彼といるときだけは、とても心が晴れやかになったのを覚えています。それなのに、あんなことになるなんて──」
ジェイコブは黙ってその独白を聞き届け、そして訊いた。
「彼、と言うんですね?」
「ええ。そうとしか言い表せないから」
「どうか繋がるための手掛かりを、与えてくださいませんか?」
「……なら、ひとつだけ。私のこと、放っておいたわね? と、伝えてください」
「わかりました。……何か、ジェイコブ・フューリーに申し渡しがあったりしますか?」
「いえ、特に。2人とも幸せそうですから。私は、人にとっての幸せを求めたいだけですよ」
「ありがとうございます。では、これからマイクに会ってこようと思います」
「お気をつけて」
去り際のメリンは、どこか晴れやかな表情をしていた。
──・──・──・──
エド・ウィーランドはツイていた。
胸元を打たれたのにも関わらず、急所を外れ、さらには弾は貫通していた。
傷痍兵として後方に遣られると、そのまま本土に帰還でた。
結局、傷口からの感染症で熱発はしたものの、命に別状は無いままで家に帰れたのだ。
この情報をもとに、カーターはエドのもとに向かった。住所もはっきりしているし、あとはタイミングの問題である。
近隣のモーテルに宿を借り、何日となく宿泊をして、日ごとにエドの家を訪ねた。
だが、エドは帰ってこない。いつまでも家は留守のままである。
──時間が悪いのか?
カーターは時間帯を、朝な昼な夜なと変えながら訪ねてみたものの
──いないじゃないか
と思うばかりだった。
結局、8日も待ってしまった。エドはそのタイミングで帰ってきた。
「はいはい」
聞き覚えのある声と、奥から迫ってくる足音。ドアから出てきたエドは、日焼けをしていた。
「ん? ああ! もしかしてカーターか!?」
素っ頓狂な声を出して、エドは驚いた。
カーターは唖然としたが、エドは構わず口を動かした。
「いやあ、久しぶりだな! おおい! 旧友が来たぞ! 家に上げてもいいか?」
エドは家の奥に向かって、問い掛けを放った。すると、奥のほうから女性の声で
「良いわよ!」
という声が聞こえた。
「さあ、上がってくれ。よく来たなあ」
カーターは呆気に取られたまま、ソファに着座した。
横にはエドが座り、キッチンからは若い女性が物珍しそうにこちらを見ている。
「ああ……エド。あの女は?」
「ん? 俺の妻だよ?」
どう見ても、若い。下手をしたらカーターたちの子供くらいの年齢である。
だが
──嘘だろ?
とも言い辛い。
「そ、そうか」
「ところで、なんで家に来たんだ? いまさら用事も無いだろう?」
「用事があるから来たんだよ」
「なんか、珍しいな。どんな?」
「かつてのチェッカーズの仲間の元を巡ってるんだ。俺と、ジェイコブと、ジェフと、あとはゲーリックでな」
「そうか。懐かしいが、懇親会でもやるのか?」
「そういうワケじゃないが、まあ、俺たちにとって印象深かった時代を、振り返りたいんだな」
「良いじゃないか! 確かに、おれも参加はしたくなるが……」
エドは少し口を結ぶと
「まだ、新婚なんだよ」
と、申し訳なさそうに小声で言った。
「嫁さんを放ったらかし、という訳にもいかないだろ? だから、すまん。しばらくは」
「ああ、良いよ。俺たちだって強制はしない。ところで、いままで家に居なかったのは──」
「新婚旅行に行ってたんだ」
「ああ、そうか」
──暢気だな
と言いたくなる気持ちを、カーターは堪えた。
「俺は最高にツイてるよ。綺麗な嫁さんと結婚して、旅行に行って、帰ってきたら懐かしい顔が訪ねてきた。お前もそうだったんだろう? 雰囲気が変わったし、前より良い顔をしている」
「そうか?」
ときに人は変わっていくものだ、ということを、エドは知っているのかもしれない。
2人で話し込むうちに、気が付けば夕方になっていた。
カーターを気遣って、ウィーランド夫妻は夕食と寝床まで提供してくれた。
そのまま一晩を過ごし、翌日になって充実したまま、カーターは帰路に就いた。
──・──・──・──
ゲーリックはメリー・ウィリアムスのケアをしながら、
──次はどこに行くべきかな
と、考えていた。
マイクと会う、と言っていたジェイコブからまだ連絡は来ていないが、自分も、関係者を捜索する手は止められない。
数か月がたって、手が止まるようになっていたとき
「ゲーリックさん、電話です」
と、職員から告げられた。
電話口に立つと、相手はジェイコブだった。
「マイクは大丈夫だったよ。メリーはどうだった?」
「ああ……だいぶ精神をやられていたな」
「そうか。その他で、新しい情報は何かあったか?」
「今のところはない。まだ待っててくれ」
「わかった」
電話が切れた。
簡易な通話だったが、ひとまず安心材料が増えたせいか、大きな吐息が出た。
──さて、次は……
情報収集を頼んでいた探偵事務所からの連絡を待つか、自分から探しに行くしかない。
頭を数度、搔いた。
──・──・──・──
あの後、1年もかかるとは思わなかったが、新しい情報が手に届いた。
定期的に4人で集まってはいたものの
──何も解らなかった
という報告をしあうだけになっていた。
だから、動きがあったのは紛れもない幸運である。
ジェイコブとジェフは、ロラン・バークライの子供である、ラルフの元に向かっている。
妻だったリリーにも連絡を入れようとしたが、通じなかった。
計算を間違っていなければ、ラルフは23歳のはずである。
2人は、子供の頃のラルフに会ったことがあるので
──時が経つのは早いな
と、感慨に耽っていた。
だがラルフのもとに着くと、その感慨は吹き飛ばされた。
「父は、自分たちを見捨てたんですよ」
あまりにも深い恨みがあった。でなければ「捨てた」なんて言葉が、出てくるはずがない。
「どういうことだ?」
ジェイコブは訊き返した。
「だって、おかしいじゃないですか。母が自分と一緒に家を出たというのに、父は何食わぬ顔でグラウンドに立ちました。いま思い返せばなんとなく解りますよ。母が苦しんだ原因は父に在る。母のことを大事に思わなかった、彼の原因です」
「そんなわけねえだろ……」
反論しかけたジェフを、ジェイコブは止めた。しかし止めたジェイコブも
── 同じ彼という単語の意味が、ここまで変わるものか
と、メリンがマイクに対して使った言葉とのニュアンスの違いで落胆した。
とりあえず、この日の2人は帰ることを選択した。帰り際に言われた
「俺は、目が醒めたんです」
という言葉に
──これは、厄介だぞ
と思いながらも、今はその時ではないと判断したのである。
──・──・──・──
ゲーリックが
──いちばん厄介かもしれない
と思っていたのは、ハリー・ボルドウィンと、その関係者の捜索である。
ハリー自身が孤児であったことは公然の秘密であったし、義理の父母であった夫婦は、生きていても相当な高齢になっているはずだ。
そして彼は独身でもあった。だから、妻子に接触するという手も使えない。
ゲーリックは、ハリーに直接係っていた人間よりも、その一回り外にいる人間から探ってみては、と考えを巡らせていた。
その考えに則って彼の育った地域を洗ってみると、子供時代の友人だった、という人間が見つかった。
男性は名前をローリングスといった。
物静か、といった様子の人物である。
ゲーリックは自らが向かう事と、当日の服装を伝えると、ローリングスの指定した待ち合わせ場所に向かった。
「ああ……」
こちらに気が付くとローリングスは言葉数少なく、ゲーリックに会釈をした。
ゲーリックも手で応えて、向かい側の席に座った。
待ち合わせ場所は、人気の少ない路地にあるカフェだった。
指定をした場所にしても、最初に交わした挨拶にしても、人付き合いが苦手そうな気配は強い。
「ゲーリック・トラバースです。よろしく」
「ローリングスです」
ローリングスというと、普通はファミリーネームのはずである。余程、プライベートな部分には敏感なようだった。
「今日はありがとうございます。過去のことで申し訳ないですが、色々聞かせてほしくてね」
ゲーリックは敢えて口調を砕けさせたが、ローリングスの返答は
「いえ」
とだけ言う、素っ気の無いものだった。
2人は注文したコーヒーが来ると、それをひと口飲んでから本題を始めた。
「私はチェッカーズで球団職員をやっていましてね。もと所属選手だった人間と一緒に、かつて選手として所属していた人物や、その関係者を尋ねているんです」
「そうですか」
「選手になる前のハリー・ボルドウィンと、係わりがあるとお聞きしましたが?」
「ええ、まあ」
「失礼ですが、どんな?」
「子供のころに、少しだけ」
「当時のことについて、質問してもよろしいですか?」
「はい」
ゲーリックは会話に若干の苦労をしながらも、当時のハリーのことを聞き出した。
養夫婦との仲や、友人との関係性。当時よくしていた遊びや、付き合っていた女子のことまでもを聞くことができた。
「よく、ご存じですね」
「……彼は、自分の恩人ですから」
「恩人ですか」
「ええ。当時、ある理由でいじめられていたんです。それを庇ってくれたのは、彼くらいで……」
ローリングスの顔が和らぐのを見て、ゲーリックは、彼にとって余程に恩義を感じる存在なのだと知った。
「あなたの話を聞いて、私たちもハリーとチームに携われたことを嬉しく思いましたよ」
「そうですか。自分にとっても、彼は忘れてはならない存在です」
「ええ。もし良かったら、チェッカーズの試合を見に来てください。連絡をくだされば、球場をご案内します」
「なら、いつか」
明るい表情になったローリングスと会話をしながら、ゲーリックは
──あいつは上手くいっているだろうか
と、離れた地にいるカーターのことを思い出した。
──・──・──・──
トーマス・レターマンの名前が見つかったのは、意外な場所だった。地方の展覧会への出品者の欄に、連名で入っていたのだという。
カーターは早速、その会場に向かった。
都会の一角にある小さいスペース。人が賑わっている。
──あそこか
察知したカーターは、その列の中に飛び込んでいった。
今回、同行者にはニック・ウィルソンもいた。
「付いてこなくても……」
と、カーターも最初は断っていたが
「個人的に興味があるんですよ。お願いしますって」
などと熱心に請われ、根負けして、行動を同じくすることになった。
展覧会の入口の看板には、
──戦争と犠牲、破壊の表現──
と書かれている。
──まあ、最近の流行りだよな
そう思いながら、カーターは中に足を踏み入れた。
中には、鮮血や戦火を表現したのだろう真っ赤な作品や、逆に不気味さや壊れた感情を表現するために黒いパステルだけで描かれた作品、そして人とも獣とも似付かない、おどろおどろしい彫刻もあった。
カーターも従軍した身として、作品に込められた意味はなんとなく分かる。
作品群を見ていると、端のほうに置かれた立体作品に目が行った。
宙に浮かんだタール色の球体から、人の手を象った黒色のモニュメントが無数に伸びている。
──なるほどなあ
などと思って作品名に目をやると
──「太陽」 トーマス・レターマン──
という表記があった。
──これを、トーマスが作ったのか
そんな目で見ると、作品が違った形状にすら見えてくる。隣にいたニックも
「良い作品を作りますよねぇ」
と、顎を擦っていた。
展覧会をひと通り見終わった後、2人は
「トーマス・レターマンに会いたいんですが」
と、開催委員に言った。すると
「今日は、この会場にいらしていますよ」
という言質を取ったので、呼んでもらうことにした。
トーマスは案外、すんなりと出てきた。
「芸術家は気難しいばかりである」と思っていたが、そうでもないようだ。
トーマスはすぐさま、目の色を変えた。
「なんでいるんだ?」
という問いかけに、カーターは
「なかまに会いたくてな」
とだけ答えた。
鼻で嗤ったトーマスは、2人を門前払いしようとした。
「邪魔だ。とっとと出ていけ」
「どうした。そんなに気性の荒い人間じゃなかっただろう?」
近くにいた人間は、やり取りを物珍しそうに見ている。
「なあ、奥に行かないか? ここじゃ目立つぞ」
カーターの発案を聞いたトーマスは、眼を鋭くしたまま、奥の控室に2人を案内した。
「何の用だ?」
トーマスは椅子に座って頬杖を突き、改めてカーターたちに質問を投げかけた。
「俺たちは、戦前のなかまを訪ねて回ってる。お前もその1人だったということだ」
「ふん。どうせ、懐古主義の類だろう? そんなことをやって、何の意味があるんだ」
カーターには、トーマスの変貌ぶりに驚いた気持ちもある。
だが、ここで引き下がれないとも感じた。
「はあ……こんなことを言うような奴だったかな……」
「まるで、お前のようじゃないか」
トーマスはにやりと嗤った。
──嫌な奴になったな
過去の自分を指摘されることは苦痛ではないが、変貌した仲間の姿は、見ていて心苦しい。
「何を気取ってるんだか知らないが、少しばかり協力してくれたりは──」
「しない」
トーマスの返答には、これからの掴みどころがない。
──何も成果は得られないな
カーターがその場を去ろうとしたとき、ニックが引き留めてきた。
「あの……」
ニックがトーマスに話しかけた。
「なんだ?」
「あなた、ここに出品しているということは、世に出るチャンスが欲しいと思っていますよね?」
「なぜ、そう思う?」
「だって、この展覧会は規模も小さいし、出品者も無名の方ばかりですよ。あなただって、例に漏れず頭角を現したい1人のはずです」
何も反応を示さないトーマスに構わず、ニックは話を続けた。
「ですが……あなたは他の出品者より、だいぶ年齢が高い。普通にしていたのでは、若さというアドバンテージがある彼らには敵いませんよ?」
トーマスは瞑目した。反応から見るに、どうも図星のようである。
「もしも、ですが。私があなたの創作活動を援助すると言ったら、応じてくれますか?」
「なに? 本当か?」
トーマスはさっきとは逆に、瞠目した。
「ええ。ただ」
「ただ?」
「隣にいる、大切な友人の手助けをしてくださるのなら、という条件で」
トーマスは歯噛みをしている。プライドが、容易く応じさせまいとしているようである。
「良いんですか? あなたのような立場の方なら、もうチャンスは得られませんよ?」
ニックはさらに、トーマスを揺さぶった。ここで逃すまいという執着すらあると感じる。
「……わかった」
トーマスは、語勢を衰えさせて答えた。
「契約成立、ですね?」
「ああ、わかった。呑む。」
「ああ! 良かった」
ニックはトーマスが条件を呑んだことを喜んで、無理矢理にハグをし、そしてカーターと共に会場を後にした。
帰り際、カーターはニックの素性を怪しんで
「普段、なにをしてるんだ?」
と質問したが、ニックはただ
「私はただの道楽人ですよ」
としか答えなかった。
──・──・──・──
それぞれの現在を調べていくと、「戦後に死亡した」という情報が舞い込んでくる場合もある。
グレッグ・ウィニーも、その1人だった。
しかも死因は「自殺」である。
ジェイコブは、信じることができなかった。
──あんなに明るいやつが、あり得るのか?
と、思わざるを得なかった。
グレッグには妻子がいた。
情報をたどってみると、元の家からは引っ越しをして、いまは郊外の一軒家で暮らしているようである。
ジェイコブは、ゲーリックから伝えられた住所に向かった。
白く塗られた外壁の家が建っていた。
着いたのが週末の午前中だったからだろうか。屋外で水を撒いている婦人がいる。
「あの」
婦人がこちらに振り向いた。そして、少し見つめた後に
「ああ、もしかして、ジェイコブさん?」
と、その名前を呼んだ。
「覚えてくださっていたんですか?」
「ええ、もちろん。主人の大切なご友人ですから」
笑顔で出迎えてくれたシャロン夫人は、喜んで家に迎え入れてくれた。
家の中は良い香りがする。住環境や人に与える印象に気を遣っているのが解った。
ジェイコブは出された紅茶、それも質の良いものを飲みながら、シャロン夫人との会話に勤しんだ。
「庭のお手入れで忙しかったでしょう? 突然お邪魔してすみません」
「そんなこと、ありません。むしろ暇でしたよ?」
「しかし、息災なようで何よりです。戦前から15年ほどは経っていますから」
「そうですね……時間が経つことの、なんと早いことでしょう」
「……グレッグが亡くなってからは、何年でしたか」
「まだ、3年ほど」
「ああ──」
ジェイコブは痛悼する意思を示した。
シャロン夫人は目を伏せて、ひと口、紅茶を飲んだ。
「ご苦労なさいましたね」
「今では子供たちも育ってきましたし、そこまでではありません」
「……失礼ですが、亡くなる前のグレッグの様子をお聞かせ願えますか? 失礼は承知しています。ですが、かつての仲間を尋ねるうえで、どうしても聞きたいんです」
シャロン夫人はひとつ溜息をついたが、やがて決心した顔になった。
「ええ。よろしいですよ。わたしにとっても、良い機会になるかもしれないし」
「──自分たちから見たグレッグは、とても明るい青年といった感じでした。それは、変わりませんか?」
「ええ。わたしから見ても、とても明るい人でしたよ。ただ、戦争があってから別人のようになってしまいました」
「別人?」
「ええ。口から生まれたような人でしたけれど、それが嘘のように喋らなくなって。きっと、あのことが原因なんでしょうね」
「思い当たることがあるんですか?」
「幼馴染のチャックが戦死したんです。彼のすぐ近くで。2人はわたしから見ても羨ましいほどに仲が良かったですから、きっとショックも大きかったはずだわ」
「そうですか……それで、還ってきた後のグレッグは──」
「話しかけても返事をしない、出した食事も碌に食べない。家に引き籠りっきりで、仕事もできませんでした。それで、何年もそうだったから」
「それは、ご苦労なされた」
「わたしは痺れを切らして怒鳴ったんです。何年そうしているつもりなの!? 私だって人間なのよ!? って。彼は何も返事をしてくれなかったから、子供を連れて、家を出て……でも、頭を冷やすつもりだったんです。家族のこれからを、それなのに、帰ってきたら彼が」
体を震わせ始めたシャロン夫人を見て、ジェイコブは
「わかりました。もう、これ以上は」
と、言葉を止めようとしたが、シャロン夫人は話し続けた。
「ベッドのシーツに血が飛び散って、彼は死んでて、子供には見せまいとドアを閉めました。わたしは取り返しのつかないことをしたんです。グレッグは、わたしが殺したようなものなんです」
シャロン夫人は涙を流していた。
ジェイコブは黙って聞くことしかできない。そして、同情をすることしかできない。
シャロン夫人が泣き止むまでの1時間余りを、無言のまま過ごした。自分にはできることが少ないことを、ジェイコブは痛感した。
「ごめんなさい……」
シャロン夫人は平謝りをしてきたが、ジェイコブは気に留めなかった。むしろ、そこまで感傷的になることを正直に話してくれたことに、大きな意義がある。
ジェイコブは、冷め切った紅茶の最後のひと口を飲むと、シャロン夫人に伝えた。
「必ず、グレッグ・ウィーニーの名前を遺します。あなたのおかげで、自分のやるべきことが見えたような気がする」
──・──・──・──
1947年。かつてのチームメイトを探す活動を始めてから、4年半。
それぞれの事情。情報の混乱。
諸々が絡み合って遅々として進まない中ではあったが、交流する回数が増えたおかげで結束力は強まっていた。
そんな中、マイケル・ケイジの家族の居場所が分かったのは、春の花が爛漫に咲いているころだった。
外に出ると、甘い蜜の香りが風に乗って運ばれてくる。
ゲーリックは通話によって、マイケルの家族に会う約束を取り付け、クロークハッチ市街の廃アパートメントに向かった。
なんでもその廃アパートが、ケイジ家にとっては大切な場所なのだという。
着いてみると茶色く煤けたような色の外壁が、いかにもクロークハッチ・シティらしい雰囲気を感じさせる。
数十分ののち、1台の車が目の前に停まった。
ドアからは20歳そこそこの背の高い青年が出てきて、こちらの姿を見つけると、すぐに挨拶をしてきた。
「もしかして、あなたがゲーリックさんですか?」
活発な好青年、といった感じだった。言葉がはっきりしている。
「はい。私がゲーリック・トラバースです。君は?」
「マイケルの息子の、ウォルター・ケイジと言います。わざわざ呼んでいただいて、ありがとうございます。今日は父のことを聞きたいんでしたよね?」
「そうです。こちらこそ、場所まで用意してもらって申し訳ない」
「そんなこと無いですって! さ、中に入りましょうよ!」
2人は廃アパートの中に入っていった。
3階の一角、いちばん端の部屋こそが、ケイジ家の元居た場所である。
「鍵をお持ちなんですね?」
「今日だけ、もとの大家の方に借りてきたんです」
答えながら、ウォルターは玄関のドアを開けた。
──そこまでしてくれたのか
ゲーリックは感動しながら、部屋の奥にまで足を踏み入れた。
窓側の手前、右側にあるドアのまえでウォルターは足を止めると、指をさして
「ここが、父が生前最期に過ごしていた部屋です」
と教えてくれた。
ゲーリックは軽く会釈し、硬くなったドアノブを回してその部屋に入った。
中には備え付けのベッドが1台、寂しく置かれている。
「そこで、闘病していました」
ウォルターの言葉をなぞるようにゲーリックはベッドに触れ、目線の先にあった窓から外を眺めた。
「父も闘病中、ずっとその窓から外を眺めていましたよ。外にあるベンチにはいつも、カールスじいさんという風変わりな男性がいました。もう亡くなってしまいましたが──」
ウォルターの口調は、懐かしいという感情に溢れている。
ゲーリックもその言葉に連れられて、当時の景色を想像してみようとした。
遠くの煙突。公園に植わっている木々と草花。そしてベンチにいる「カールスじいさん」。
──これが、マイケルが見ていた景色か……
ゲーリックは窓際から離れると、物寂しい気分に襲われた。
2時間ほど中に滞在して外に出てくると、空気が澄んでいるように感じた。
「やっぱり、中は埃っぽかったですね」
ウォルターは困ったように笑っている。
──いやいや、そんなことは気にならない
そうゲーリックは言おうとしたが、口から出たのは
「本当に、ずっとは居られないな」
という気遣いの無い言葉だった。
ウォルターは不快になるどころか、気分を良くしたようである。
「また、機会があったらお会いしたいですね」
溌溂として言うと、大きく笑った。
「ああ。また聞きたいことがあったら、連絡をするかもしれない。その時はよろしく」
「もちろんですとも! 今度は、母も一緒に来ます」
別れの挨拶を済ませたゲーリックは、ウォルターの運転する車が去っていく様子を見ながら
──胸のすく様な体験をしたな
と、顔に笑みを浮かべた。
──・──・──・──
夏場、カーターは車でハイウェイを走っていた。
ダニー・ゴールドバーグを訪ねるためである。
今はクロークハッチから遠く離れた街で、ダイナーをやってるらしい。
──あいつが料理をなあ
と思うのは、現役時代の彼の体格やプレースタイルを考えると、なかなか想像がつきにくいからである。
ダニーが厨房でせっせと調理器具を振るう姿を想像すると、思わず失笑してしまう。
目的地としているダイナーに着いたのは、夕暮れが始まる頃だった。
目についた建屋のガラスが、太陽に照らされて赤く光っている。
車から降りたカーターは、建屋の入り口を見つけて中に入った。
ドアベルが鳴ってカーターの到来を知らせ、鼻腔に漂ってくる油の香りが、ここはダイナーであると訴えてくる。
調理場が、カウンターからよく見える。
奥にはこちらに背を向けて、ラジオを聴きながら皿洗いに勤しんでいる大柄の男が居る。
──現役の時より、若干太ったかな
と思いながら、カーターは声をかけた。
「ダニー、ステーキをひとつ頼む。ハーフポンドでな」
男は声に反応して、気怠そうに振り向いた。
顔を見た瞬間、カーターは男がダニーであることを確信した。
ダニーはカウンターに座ったカーターの姿を、呆れるでも驚くでもなく、ただ冷ややかな目で見た。
そして、口を開いたかと思うと
「用なんか無いだろう。出て行ってくれ」
と、カーターの存在を拒む発言をした。
──そうか……
カーターはダニーの冷えた視線を浴びつつ、言い分を考えた。
「今日はほとんど、何も口に入れてないんだ。金払って食事を提供して貰うくらい良いだろ?」
カーターの言ったことは事実である。朝から今まで、コーヒーを数杯飲んだくらいだった。
ダニーは大きく息を吐きだすと、何も言わずに調理場のほうに向かい、調理を始めた。
カーターは後ろから見るだけだったが、手際の良さはそれでもわかる。カーターの知っている野球選手としての姿ではなく、ダイナーの料理人としての姿がそこにあった。
次第に立ち上ってくる香気に空きっ腹を抱えながら、カーターはじっと、その姿を見ていた。
皿に乗ったステーキが、無言のままのダニーから差し出された。
「ありがとう」
カーターはナイフとフォークを使って、そのステーキを食べ始めた。
店の中に他の客はいない。ただ1人の客と、1人の料理人が立てる音だけが店内に響いている。
腹を空かせていたカーターは、あっという間にステーキを食べ終えた。美味い料理が食べられたことに満足しながら、話すこともなく黙り込んでいると
「食べ終わったんだろ?」
と、ダニーが背中を向けたままカーターに言った。
「ああ」
「なら、出てってくれ」
──この様子だと、長居は無用か
カーターは席を立ち、入口に向かった。
「また、食いに来る」
そう言って外に出ようとしたとき、1人の老人がダイナーに入ってきた。
老人はカーターの顔を見ると、すぐさま
「なっ、黒人嫌いのカーターか!?」
と、大きな声を出した。
──・──・──・──
「ジャスティン・ラッセルが裁判で裁かれた」ということがわかったのは、1947年も暮れに入った時のことだった。
探すべき相手の手掛かりが少なくなり、戦後の情報を手当たり次第に調べていた時に、戦争犯罪者としてリストアップされている細々とした情報欄に名前がある、と連絡があったのだ。
その情報を俄かには信じられなかったゲーリックは、情報を持ち込んできた人物に事実の確認を要求したが、その人物は自信をもって
「あなたが探している人に違いない」
と、言い放った。
──ならば、行ってみよう
ゲーリックは、情報が誤りだったらタダじゃ置かない、と鼻息を荒くしながら、メモされていた住所に向かった。
思っていたよりも山の奥。途中からは車で乗り入れることすらできず、1時間以上の徒歩を挟んで、ようやく建屋を見つけることができた。
──面会は60分まで
ということを、警察へ問い合わせた時に聞いている。付き添いの警官が随行するということも、ゲーリックは承諾したうえで来た。
時間は短いが、話したいことを話すだけのことはできるはずである。
警官が建屋のドアを叩いた。
「どなた?」
という声は、ジャスティンのものではない。
「ジャスティンさんに、面会人の案内があります。ドアをお開けください」
口調は丁寧だが、威圧感がある。向こう側にいる人間もそれを感じたのか、すぐにドアを開けた。
「ご苦労様です」
声の主でもあった女性は、疑うような目で警官を見つめている。
「こちらのゲーリック・トラバースさんが、ご主人に面会を求めています」
「そうですか……」
求めに女性は何も反抗することなく、警官2人とゲーリックを、建屋の中へと誘った。
「ジャスティン。お客さんよ」
女性が暗い声でそう言うと、安楽椅子に座っていた男性がゲーリックの方に振り返った。
「珍しい。誰が来たんだ?」
暗がりになっていて、お互いの顔が見えにくい。男性も目を凝らしているようである。
「ゲーリック・トラバースさんですって」
女性がゲーリックの名を口にしたとき、男性は声を上げた。
「ああ……チェッカーズの! ニーナ、良いお茶を入れてくれないか」
そう言いながら近づいてきた男性の顔が見えたとき、ゲーリックは
──少し老けたが、ジャスティンに間違いない
と、確信した。
ジャスティンはこちらに椅子を向け、ソファに座ったゲーリックと向かい合った。
ゲーリックは茶が届く前に、会話の端緒を作ろうとした。
「災難だったな。お前がこんな風になっているなんて、思ってもみなかった」
監視されている中で言うのは、若干の勇気が必要だった。相手はあくまで、軟禁下に置かれている犯罪者である。
「そんなことはありません。慣れてみれば快適なもんです」
言いながら笑っているジャスティンの表情を見ると、昔とは全く違う人物に見えた。
彼の言った通り生活への慣れもあるのだろうが、それ以上に胆が据わっているように見えた。
「とにかく、元気なようで良かったよ」
横から茶が手渡された。ゲーリックが横を向くと、ニーナが顔を覗き込むように見た。
「ニーナ。この人には選手時代に世話になったんだ。今も球団で?」
ゲーリックは、いちど頷いた。
「だ、そうだ。お互いこうして会えるなんて、幸運ですね」
ジャスティンの説明を聞いて、ニーナも初めて警戒を少しだけ解いたようである。
「また、皆に会いたいな……」
そう言いながら気分を良くしているジャスティンに、ゲーリックは訊ねた。
「何年、こうしてるんだ?」
「10年です。あと10年、残っています」
ジャスティンは明け透けに答えたが、ゲーリックは深刻に受け取った。
「そうか……」
下を向いたゲーリックに、ジャスティンは明るい声で
「もし10年後まで皆が無事だったら、またグラウンドに出てみたいんです。離れてから長い時間が経ちましたが、いまでも夢に見る」
と言った。
──そう思ってくれているんだな
ゲーリックはジャスティンに、これまでの経緯を話した。
どれだけの仲間に声を掛けたのか、どれだけの仲間がいなくなってしまったのか、そのことを包み隠すことなく伝えた。
ジャスティンはただ、興味深そうに聞いていた。そしてゲーリックが話し終わると
「そこまで、してくださっているんですね。嬉しいです」
と、喜びを隠さなかった。
「ジャスティン。今のお前についても、仲間に伝えておくよ。頻繁な連絡はできないだろうが、気遣っている人が居ることを忘れないでいてくれ」
「もちろんですとも。こうして山奥にまで会いに来てくれたんですから、信じないはずがありません。あとは……10年後、自由に会えるようになったら会いに行きますよ」
ゲーリックは微笑みを見せた。
「ああ。10年後だな」
──・──・──・──
「今後、どうするべきなんだか」
カーターが、ジェイコブとゲーリックに問いかけた。
これまでで、自分たちを含めると22人の元選手の行方が分かったということになる。だが、これからのことを考えると不安ばかりが募っていく。
会ったとはいえ話を聞いてくれなかったり、協力を拒否した人物や関係者が4組。
未だに行方が掴み切れていない人物が6人。
1948年に入り6年という歳月。この状況はまずい気もする。
チェッカーズの事務所にほど近いバーで、ジェイコブはロックでウィスキーを、カーターは水割りのラムを、ゲーリックはウォッカをストレートで呑みながら、思考を巡らせた。
「──向こうから来てくれれば、なあ」
カーターは2人の答えを待たずに、ぼそりと呟いた。
「そんなに上手くいくかよ」
ゲーリックはカーターの発言を、にべも無く否定した。
カーターは赤らんだ顔に頬杖をついて、取り付く島も無いことに落胆の表情を見せたが、ただ1人、ジェイコブだけは2人とは違う表情をしていた。
「タイラーは、コーチだよな」
その言葉に反応して、ゲーリックがジェイコブの方を向いた。
「ああ、そうだな。将来は監督かもしれないが──あいつはそういうポジションが嫌いだとは聞いている」
「ふうん……」
ジェイコブがウィスキーに口をつけたとき、その横からカーターが口を挟んできた。
「ジェイコブが、いっそ監督になれば良いのになあ?」
カーターはグラスで2杯飲んだところで、既に酔いが回っているのだ。ゲーリックは
──何を言っているんだ
と、カーターを睨んだ。
「あのなぁ。チームも企業なんだ、人事ってもんがあるんだぞ? そう簡単に監督になんかなれるかよ……それにジェイコブも、いきなり監督だなんて嫌だろう?」
ゲーリックは再びジェイコブを見たが、ジェイコブははっとした表情をしている。
カーターはゲーリックに反論した。
「そんなこと言ったって、今のチェッカーズはボロボロじゃねえかよお。何年も最下位だし、選手も出てくし、采配も雰囲気も悪くて見てらんないんだよなあ」
「仕方ないだろう、適任者がいないんだから」
「だからジェイコブがやりゃあ良いんだよ! 強いチェッカーズを知ってるし、選手時代からまとめる側だったし、当時から頭脳と技術が両立してたんだから……ああ、ほら。ジェイコブも最近、野球をよく見てるみたいじゃないか。俺が近頃の野球の話をしても、付いてこれるくらいには」
ジェイコブは、その言葉を
「ただの暇つぶしだ。普通だろ」
と否定しようとしたが、カーターは
「いいや、それは違う」
と、明確に言い切った。
「俺はいま、指導者なんだ。子供たちが不自由しないように、球界の情報、様々な技術論、最新のトレーニング方法。なるべく頭に入れてる。お前にはそういう情報を交えながら話してるのに、反応に詰まったことがあったか? むしろ当意即妙ってもんだろ! それに、もともとの選手としての力量だってさあ……滅多に他の選手を誉めない、あのカーター・フレイマンが言ってるんだぞ? 信じろよ!?」
ジェイコブは、その熱量に気圧された。
たしかに、カーターとは専門的な話をすることも多い。ジェイコブはそれを
──野球をしていた以上、あたりまえだ
と思っていたが、カーターからすれば、そうではなかったらしい。
それに「あのカーター・フレイマン」と自称したことも、実は彼の傲慢さとは言えない。
プロリーグが発足してから70年ほどが経っているが、歴代の打率の順位付けをした時には、1位から3位は全て「カーター・フレイマン」だし、5位にも名前が出る。
歴代でも数の少ない、4割打者の称号を何度も手にしている彼の言葉には、一定の説得力が在った。
「そこまで言うなら、やってみるか?──」
酔いの回ってきたジェイコブは、何にも考えの無いままに言った。
ゲーリックはその言葉を聞いて
「なら、俺から具申してみるかな」
などと
──受け入れられるはずがないだろ
というニュアンスを含ませながら、独り言のように答えた。




