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セプテンバー・コール・アップ  作者: ヒポポクロス


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5 サイモン・ポーリー

「うるせえ! この黒犬ニガー!」

 サイモン・ポーリーは顔を殴られて、その場に突っ伏した。相手は白人の、同い年の少年である。

──なんで、肌の色が違うだけでこんな目に

 サイモンは悲しみを抑えきれなかった。

 そして、そのことで涙を流すと

「けっ、弱虫め。これなら良いや。おい、もっといじめてやろうぜ!」

と、白人の少年たちはさらに暴行を加える。

 胸、腹、背中。体の隅々まで殴られ、蹴られて、あざだらけで家に帰ることも多かった。


 生きているだけでこんな目に合うのなら、この世は地獄でしかない。

 いつしかサイモンは自暴自棄になり、路地裏で黒人同士、つるむようになった。

 たいてい、そこでやることは知れている。

 どこで拾ったのか知らないタバコを吸い、くすねてきた安酒をかっぱらって、気に入らないやつがいたら殴り合う。

 このころのサイモンにとって、整頓された地獄よりも、粗悪な天国のほうが居心地が良かった。


 そんなサイモンを見かねたのは、母のジミーである。

 ジミーは白人社会で雇われて生きてきた。そのせいか誇り高く、自分のルーツと、白人との調和とを大事にして生きている。

「あんた!」

 ジミーはサイモンが夜遅くに帰ってくるたび、大きな声で怒鳴った。

 毎日のように喧嘩をしたり、子供のくせに悪い大人の真似をして背伸びをした気になっているサイモンを叱るのは、大人として当然のことだった。

「うるせえな、クソババア!」

 サイモンは怒鳴り返した。

 ここで母親を殴って黙らせることもできたのだろう。だが、サイモンはそれができなかった。殴る()()はした。だが、振り上げた拳をおろせなかった。


 ジミーは厳格な親として、サイモンの行動にひるむことはしなかった。

 そうした仕草が、サイモンに殴ることを思い留まらせていたのかもしれない。

「あんたはいつも喧嘩ばかりして! 悪いことやって! まともに生きられないのかい!」

 ジミーの声は女性としては低い。腹に響くような質がある。体自体は細くて華奢きゃしゃなのに、どこにそんな力があるのか疑問に思う時もある。

「まともに? まともに生きてりゃ何があるってんだ!」

 サイモンは、世の中に溶け込むことをなかば諦めている。

 世の中に出たとして、あんな理不尽な扱いを受けるくらいならドブの中にいた方がマシだ。

「少なくとも、金は儲けられるだろう? 人に認めてもらえるだろう!? あんたが食うのに困らないように、あたしはこうやって忠告してるんだ! 大人しく聞きなさい!」

 サイモンはカチンときた。

──何が忠告だ。何が認めてもらえるだ。何が金を儲けられるだ。おまえみたいなやつは

「白人に魂を売った売女ばいため!」

 ジミーの顔が一瞬青白くなったのが分かった。


 サイモンも、自分がどんなことを言ったのかを分からないはずがなかった。

 だが、退くに退けない。その場に立ちすくんだサイモンの頬を、ジミーは平手で叩いた。

「あたしだってね、辛い思いはたくさんしてるんだよ。でも、この世の人間は、みんなそんなもんなんだ。それもわからないようなアンタみたいな奴は、差別をする奴よりも、クソにたかるハエよりも、よっぽど最低だよ」

 サイモンはそのまま、自分の部屋に入っていく母の背中を見るしかなかった。

 白人に虐められて作った傷よりも、母の平手打ちの方がよっぽど痛かったのは、きっと込められている思いが違うからである。


──・──・──・──


 それから、サイモンは自分が何をしたいのかを考えた。

 白人と一緒にいるのが辛くて学校を辞めた。だから、学は全くと言って良いほど無い。

 体を動かすのはもっぱらケンカの時で、何か特殊な技術を身に着けているわけでも無い。

──サイモン、お前は何をやりたい?

 半グレの一員として行動をしているときも、そんな問いかけが頭の中を巡った。


 ふと思った。

 母からあの言葉を言われて以降、自分の感性が正しいと思えなくなった。

──白人はクソだ

 そう思っていた。

──差別する奴はクソだ

 そう思っていた。だがそれらを憎みすぎるがあまり、自分はそれよりも劣った存在になっていた。


──もしかしたら、俺みたいなやつが一番クソなのか

 サイモンはそう思うと、それ以来、口を効かなかった母の部屋の前に立った。

「母さん。俺は心を入れ替えたい。何をすれば良い?」

 その問いかけに、母はドアの向こうから

「会ったことのない人の居る所に行きなさい」

と、答えた。


 このあたりにいる悪い奴らとは、大体が顔なじみである。

 だから知らない人の居る所というと、自然と路地裏から、主街道に近い場所へ移らなければならなかった。

 ふと、サイモンの頭の中にはグラウンドで野球をする子供たちの姿が浮かんだ。

──これだ

 サイモンは、そのグラウンドに立ち寄った。

「なんだ、見てるだけか? 道具を貸してやるから、一緒にやらないか?」

 眺めていたクラブチームのコーチに言われて、サイモンは野球を始めた。

 そこまで裕福ではないから、野球道具をおいそれとは買えない。だからクラブで貸し出される道具を使って、しばらく野球をした。


 数か月もすると、サイモンの天性の気質が現れた。

 何かにたるときのサイモンは、しごく真面目で、しごく熱心なのである。

──見込みがある

 コーチは、当時15歳のサイモンにバットとグラブを与えた。


「物に恵まれれば、少なくともそれに心配せずに済むだろう?」

 サイモンはコーチの言う通りに心が楽になり、さらに野球に打ち込めた。

 誰かから嫌悪の目で見られなくなったわけではない。

 だがサイモンは、それが気にならなくなるほど野球に熱中した。


──・──・──・──


 19歳になったサイモンは、腕前を買われてプロチームに入団した。

 学校を経由せずにプロになれたのは、それだけサイモンが卓越した技量を持っていたからである。


 プロとしてのキャリアをスタートさせたサイモンは、その身体能力をもって

──華のある選手じゃないか

と評価されるようになった。

 その評価には

──黒人のくせに

という目線も混じっていたが、彼に与えられた「5」という背番号からは、そういった匂いは感じられなかった。


 そんなサイモンと反りが合わない、というよりも、一方的にサイモンを嫌っているチームメイトがいた。

 カーター・フレイマンである。白人こそが一番、という考えを持っていた。それも、だいぶ過激なものだった。


 サイモンをことあるごとに「黒犬ニガー」と呼び、サイモンの近くにいることすら嫌った。

 以前までのサイモンなら、カーターとは殴り合いのケンカを演じていたかもしれない。だが野球と出会ってから、嘘のように人格が変わったサイモンにとって、カーターには

──どこか、悲しい人間だな

と、同情する心があった。


 サイモンも自分の暗い感情と対話する時間があった分、人の抱えている負の感情には敏感だったのかもしれない。

 それ故に、サイモンはカーターと関わることを止めなかった。どれだけ嫌われようと、どれだけ無碍むげにされようと、手を払われた時だって

──きっと、どうにかなるさ

と思わずにはいられなかった。


 ある日、ロッカーが隣のジム・マクニールに、こういった質問をされた。

「お前はどうして、そんなにカーターに構おうとするんだ? あんなやつとは絶交すれば良いじゃないか」

 それは、ジムにとっての優しさだった。

──あんなに罵倒されながら、付き合う意味が分からない。お前もだいぶんイカれてるな

 という意図も含んでいる。


 サイモンは

──それは、違う

と言いたくなった。ただ、それだけではないことも自分で分かっている。


 自分なりにひり出した答えは、少し空想が入りすぎていた。

「自分は、自分と同じように野球を愛している人間が悪い奴に思えないんだよ。きっと、仲良くなれると。信じてやまないんだ」

 ジムは納得していないような顔をしていたが、それでも笑顔で言ったサイモンを見て

──まあ、納得しないといけないな

と、出かかった言葉を飲み込んだ。


 この頃になると、サイモンは選手として人々を魅了していた。

 チェッカーズの三塁手として、強肩巧打でチームを勝ちに導いていた。

 街の隅で()()()()として生きていた少年は、いつしかチームメイトとファンに囲まれる、スターの1人になっていた。


──・──・──・──


 目立つ存在になったサイモンは、そのぶん厄介ごとに巻き込まれるようになった。

 特に、元々つるんでいた半グレ連中は、どこから聞いたのか、サイモンの家にまで押しかけるようになった。

「なあ、金を恵んでくれよ」

「良いだろ? お互い悪いことをやった仲じゃねえか」

 猫撫ねこなこえで言って、金を無心したかと思えば

「良いのか? 過去のことが知れても!」

「お前のママがどうなっても知らねえぞ!」

と、脅してくることもあった。


 だが、サイモンは聞く耳を持たなかった。

──お前らみたいなクズに、だれが金なんかやるか

 そう思っていたのもあるし、母のジミーから

「あたしを脅しに使われても、絶対に従がっちゃダメよ!」

と言い含められていたのもあった。

 あまりに相手がしつこい時には

「母さんに手ェ出してみろ。タダじャおかねェぞ」

と、昔の自分を思い出して相手を脅し返したりもした。

 そして、そういうつまらない相手に限って、面白くない顔をしながら捨て台詞を言って帰っていくものだった。


──あんな奴らと、自分はつるんでいたのか

 昔の自分のせいで、こうなったと考えると、過去が恨めしい。それでも、もう起こしてしまったものは仕方がない。

──清算をしながら生きていくしかない

 サイモンは心に決めて、生活を送っていた。


──・──・──・──


 戦争というものは、全てをバラバラにする。

 家族も、友人も、そしてチームも。

──愚かなもんだな

 そう思わざるを得ないが、思っている自分も、今は軍服を着て戦艦に乗っている。


 サイモンは西の方に向かっている。

 聞けば、西部戦線は極めて危険な状態にあるらしい。

 もしかしたら現地に着く前に、船ごと沈められるかもしれない。


 サイモンは兵士になる前、カーターとほんの少し、会話をした。

「カーター、自分も兵士として徴収されたよ」

「だからなんだ」

「チームメイトとしていったん、またな、と言いたくて。どうなんだ? カーターは、まだチームに残れそうか?」

「……」

「そうか……ああ、じゃあ、戻ってきたら、また野球をしよう。それくらいなら許してくれるか?」

「勝手にしろ」

「うん、そうするよ。じゃあ、またな!」


 あの時、カーターはぶっきらぼうに返事をしていた。

 だが、その言葉からは確かに、以前よりも優しい気配が漂っていた。

 兵士として出征する自分に、少しばかりは同情したのかもしれない。それか、すでに戦争に出て行った仲間を思い出して、皆の無事を祈っていたのかもしれない。

 いずれにしろ、カーターのそういった一面が見れたことが、サイモンにとって嬉しかった。

──必ず生きて帰って、またみんなで野球をしよう

 サイモンが戦争という行為に感じていた愚かさはともかくとして、また野球をしようと思っていた時のサイモンは、周りから見ても明るかった。

「どうして、そんなに笑っていられるんだ?」

 他の兵士から言われた時には決まって

「だって、自分の帰りを待ってくれる奴らがいるんだぞ?」

と、答えた。


 ただたむろっているだけの連中じゃなく、何かで通じ合った仲間がいることの嬉しさは、何物にも代えがたい。

 サイモンは少年期に辛い経験をした分、そのことが何よりも嬉しかった。


──・──・──・──


 サイモンの乗った戦艦は急遽、真西から西南に進路を変えた。

 何があったのかはわからない。だが何かやり取りがあって、配属先を変更する必要が出たらしい。

 サイモンたちは、いちばん激しい戦場から一転して、穏やかな地域に向かった。


 このおかげで、サイモンは無事に故郷に帰ってくることができた。

 命拾いをしたといっても良い。

 なんでも、この後の西部の戦線は苛烈化かれつかの一途をたどったというのだから、そこに向かわなくて済んだのは大きかった。


 3年ほどの軍役を終えたサイモンは、1935年の初めに故郷の地に帰ってきた。

 最初に向かったのは、もちろんチェッカーズの事務所である。

 帰ってきたサイモンの姿を見た球団の人間はみな

「よく帰ってきたな!」

と、サイモンの帰還を喜んだ。かつて無かった感情が込み上げてきたサイモンは、泣かずに笑った。


 そしてサイモンは、いの一番にこうたずねた。

「カーターは、カーター・フレイマンはどうしてますか?」

 周囲の人間は驚きを隠さなかった。

──なぜサイモンが、カーターを?

 疑問を感じるのは、これまでの関係性を知っていた人間なら当然だった。

「彼と、また野球をしようと約束したんです」

 球団職員たちは更に驚いて、そして

「カーターは去年、兵役に出た」

と、伝えた。

「ああ……そうですか……」

 サイモンは残念がった。それだけではなく

「それなら、彼が帰ってくるまで待たなくては」

と言葉を続けて、そのままチェッカーズの事務所を出て行った。


 後日、正式にチェッカーズに

──引退したい。カーターが帰ってきたら連絡を

と申し出たサイモンは、故郷で夜遅くまで営業を続ける小売店を始めた。

 思い付きでの行動だったが、真夜中まで物品を融通ゆうづうするサイモンの店は繁盛はんじょうした。

 売店は、母のジミーと、戦争から帰ってきた後に結婚した妻のケリーと一緒に切り盛りしていた。

 ケリーとの間には、娘のオリヴィアもいる。

 サイモンにとっては一生分の幸せが一度に訪れたような、そんな気分だった。


 今日も食料品を買い付けに、いろいろな客が来た。

 サイモン自身の知名度も高かったせいか、遠くから来る客もいた。

 サイモンにとって、そういった人が来た時には、自分の聞いたことのないような話が聞ける機会である。

 母親から、あの時に言われた

──会ったことのない人

が、今は向こうから会いに来て、自分の視界を広げてくれる。


 自分の道が正しかった、とは考えたくない。むしろ訪れた人たちが、自分を導いてくれている。

──野球選手よりも、こっちのほうが天職だったかな

 と考えると、自分でもおかしかった。


 この日は晴れて、星がよく見えた。

 人気ひとけも少なくなった夜中に外に出て吸う空気と、小さな光の点が心を癒してくれる。

 少しばかりタバコをふかして店の中に戻ろうとすると、みちの奥のほうに人影が見えた。

──だれだろう?

 そう思いながら影を注視していると、少しずつ、街灯に照らされて姿が見えてくる。


「お前か……」

 サイモンは顔を険しくした。

 かつて半グレの一員として、行動を共にしたジーンという男だった。

「やァ、久しぶりだな、サイモン」

 ジーンは明るい表情でサイモンに話しかけた。

 サイモンはもう、そういった連中とは手を切っている。だからジーンにも、まともに取り合う気はなかった。

「何もない。帰れ」

「いヤいヤ、そう言うなッて。お前と俺ン仲だろ?」

「どうせカネだろ。無い。帰れ」

「少シだけ。1セントでも良いんだよ。ナ?」

「うるせえ」

 サイモンは腕を掴んできたジーンの手を振り払って、店の中に戻ろうとした。


「そう言うんじャねエ!」

 そう語気を強めたジーンは、サイモンの首に冷たいものを突き立てた。

 金属製だが鋭さはない。むしろ筒状の──銃だ。


「そんなことをやっても、何の足しにもならねェぞ」

 サイモンは動きを止め、ジーンを睨んだ。

「うるせェよ、俺はもう後戻りできねェんだ。カネ出せ、カネ」

 ジーンは興奮していた。だが

──これに屈するわけにはいかねえ。家族が危険にさらされる

と思っていたサイモンは、堂々とした態度でジーンに対していた。


「で、なんでこんなマネしようって思ったんだ?」

「ギャンブルでスっちまってな。胴元から借金して、このトーりってわけよ。ヘヘッ」

──きたねえ

 いきどおる気持ちがあった。昔の自分を見ているようで、しかし、それよりも薄汚い存在を見て、胸糞が悪くなる。

 様子から見るに、ドラッグもやっているのかもしれない。なおさら、汚らわしい。


「だからァ、カネくれねェとブチ殺すぞてめェ!」

 ジーンはサイモンの胸ぐらを掴み、銃身を突き付けた。

「やってみろよ? 街中だ、すぐにサツが来るぞ?」

「……そうか、そうかわァッたよ──」

 ジーンがサイモンを掴んだ手を放し、すこし体を離した瞬間だった。


 パンッ


 乾いた音と共に、サイモンの体を何かが突き抜けた。


 パンッ パンッ


 何度もその音が鳴るたびに、サイモンは体に痛みを感じた。


「サイモン。おめェがワリィんだ」

 そう言ったジーンが店のレジから金をるところを見ながら、サイモンは事切れた。

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