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セプテンバー・コール・アップ  作者: ヒポポクロス


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24/30

1 タイラー・オーニール

 希代の人物が現れるときは、世の中が変わる時である。様々な分野でそのことは言えるだろう。

 政治、経済、娯楽。さらには部屋の間取りに至るまで変えてしまう魔力がある。


 野球においても、そういった存在がいる。

 例えば、あまりに高い打率を残す選手がいたら、人々はヒットを狙うようになる。

 例えば、たくさんのホームランを打つ選手がいれば、人々は長打を打ちたくなる。

 例えば、剛速球を投げる選手がいたら、人々はキャッチボールをするときに力を籠めるようになる。


 そんなことを何故するのか、と言われれば、ひとえに憧れと虚栄心があるからだ。

──あの人に近づきたい、自分をもっと大きく見せたい

 そう思うことは、人として決して劣等な感情ではない。むしろ健全で、成長するには必要な感情である。


 野球界に一躍、旋風を巻き起こしたタイラー・オーニールだって、最初はそういう感情からボールを投げ、バットを振り始めた。

 ただ、一切の妥協をしなかった。そこが他とは違う部分だったのかもしれない。


──・──・──・──


 タイラーの野球の源流は、兄のジェイソン・オーニールにある。

 4歳違いの兄は、弟から見てスターだった。

 優しさもある。厳しさもある。人の中心に立てるような存在感もある。そして、そういった大人びた部分を見なくても、とても足が速くて力持ちだった。

 タイラーは幼少期、いつも兄の後ろについて歩いていた。


 兄は努力家だった。頭も良かった。

 勉強では学年でも1、2を争うような成績を残したし、クラブチームに入ってやっていた野球でも、練習を人一倍やった。

 兄がチームでの練習に参加する時、タイラーは母親と一緒に見に行き、いつも真っ暗になってから帰った。

 タイラー少年にとっては、それが楽しかった。兄の輝く姿を、間近に見られたからである。


 無邪気なタイラー少年は、兄の懸命な姿を見て喜び、はしゃいでいた。

 しかし、幼心にも兄がそうならざるを得なかったのはわかっていた。

 オーニール一家はタイラーが生まれたばかりの時に、父親が交通事故で死んだ。

 家の中で大人といえる存在は母1人だけになり、兄は父親の代わりになって、タイラーの面倒を見るしかなかった。


 兄のジェイソンは、決して子供らしい心が無かったわけではない。むしろ、そういった面では元来、底抜けに明るかったのかもしれない。

 ただ、この家庭環境はジェイソンに

──俺が、家族を支えなくちゃならない

という意識を植え付けたことは間違いなかった。それはジェイソンが、タイラーに言った

「お前は心配するなよ。好きにやってれば良い」

という言葉の中の悲しい響きとして、感じ取ることができた。


 それでもタイラーにとって、ジェイソンは間違いなく憧れの存在だった。

 憧れの存在の行動を真似て、その人に近付こうとするのは当然である。タイラーも勉強を頑張り、なおかつ兄と同じように野球を始めた。


 ジェイソンは優秀な選手だった。だから、チーム内でも

──その弟なら

と、期待する感情は大きかった。

 実際、タイラーは同年代の選手よりもよく考えて、よく練習した。

 近くにいる兄のジェイソンの行動にならって、誰よりも遅くまでグラウンドに残った。

「痛くない?」

 手の平にマメを沢山つくれば母は心配したが、タイラーは痛みを我慢して笑顔を作った。

 ここで「痛い」と言っていたら、上に昇れない。上に昇れないまま、憧れの存在に近づくことなんてできない。

 自分の兄はそういった存在なんだと、8歳のタイラー少年は思っていた。


──・──・──・──


 タイラーが11歳のころ、ジェイソンが怪我をした。 

 1ヶ月や2ヶ月で治りきるような怪我じゃない。一生影響を残し続けるような、大きな怪我である。


 タイラーはジェイソンがうなだれている姿を、何度も見た。

 片親で、弟がいて。自分が束縛されない世界がグラウンドにあっただけに、それを失ったのは、ジェイソンにとって大きなショックなのだ。

 慰めることは、簡単にはできない。ただ、ひとつ救いを求めるのならば。

 タイラーはジェイソンの抱いていた将来像を、自分が見せるためにつとめようと思った。


 タイラーは今まで以上に努力した。

 クラブチームでの練習以外にも、朝にはピッチングの練習をして、夜には素振りをした。

 自分で練習をするときにはジェイソンも付き合い、練習がしやすいように補助をしてくれた。


 母は

「野球ばっかりで困った子ねえ」

と言っていたし、ジェイソンは

「あまり無理すると、体を壊すぞ」

と心配していたが、2人ともタイラーに大きな目標があるのだと信じて疑わなかったから、むしろ微笑みを浮かべながら、タイラーの練習する姿を見ていた。


 その練習のおかげだろうか。タイラーは立派な、いや立派すぎる選手になった。

 投手としても、野手としても、アマチュアの中では抜けた実力を持っていた。

 それだけに、彼を注目していたプロチームは

──投手か、野手か

ということで頭を悩ませていたが、ただ1チームだけは、違う方針を打ち出した。

「投手としても、野手としても、育てる」

 言ったのは、クロークハッチ・チェッカーズである。


 最初、チェッカーズの方針は「古い」と言われた。

 投手と野手は分業しようという流れが出てきていたのに、なぜ旧来の手法を持ち込もうとするのか。

 それが、ほかのチームの首脳部からするとわからない。


 現場にいる人間がそう思うのだから、外から見てても思う人はいる。

──世間の注目をひきたいんだろう

 とか

──選手に無茶をさせて何になる

とか、そういう意見が飛び交ったが、チェッカーズ側の意見は変わらなかった。


 そして晴れて、"Two-way(二刀) Player()" として入団すると、タイラーに対する評価は一変した。

 投げて良し、打って良し。足も速いし、外野守備もうまい。

──完璧じゃないか

 と思ったのは、チェッカーズの試合を見ていた観客、記者、関係者の全てである。


 チェッカーズ側も、タイラーに不必要な労を負わせないように気を使った。

 投手のローテーションを組みなおして、登板に十分な間隔を空けられるようにし、野手として出場するときも途中交代を活用して、疲れを溜めさせないようにした。


 稀代の才能を潰さないよう丁寧に使えたのは、周りのチームメイトや監督、コーチも十分に気を使っていたからである。

 周囲の人間には、この素晴らしい選手の登場に心を躍らせていたせいか

──()()()しやがって

と思う人間はいなかった。

 それは場にいる人間が全員、野球という競技を愛していたからに他ならない。


 タイラーも、その心を分からないはずが無かった。

 皆から支えられるということは、皆を支えるということに直結する。タイラーは他の野球人と比べても、圧倒的といえるパフォーマンスを発揮した。

 ヒットを打ち、スチール(盗塁)し、ホームランを打ち、フィールドを駆け回って好捕をし、強肩でランナーを刺し、K(奪三振)の文字を並べ、勝つ権利を絶対に譲らない。

 タイラーは野球そのものだった。

 そういう存在感は、他には見られないものだった。


 そんな活躍を続けていれば、球界全体から見ても注目度は上がっていく。

 タイラーはまだ若い。まだ若いが、チェッカーズといえばタイラー・オーニール。タイラー・オーニールといえばチェッカーズという図式が出来上がっていた。


 彼のような圧倒的な存在に、世間は熱狂する。

 野球を習い始める子供が増え、子供たちはタイラーを目標にする。

 1人の聖なる存在は、世間を巻き込んで努力を助長した。

 しかし、それでも

──彼のような存在は後にも先にも登場しない

などと思えるほどに、タイラーは野球界を牽引する存在になった。


──・──・──・──


 タイラーは当時のチェッカーズの主力選手で唯一、戦争に参加しなかった。

 本人は

「俺も国民の一人なんだろう? なら、行かせてくれ」

と言っていた。それは、ただ愛国心から来るものというよりも

──みんな全員行ってるのに、なんで自分だけ

と思う、責任と孤独によるものだった。


 それでもタイラーが出征することは、チームが、ファンが、許してはくれない。

 戦争が始まり、チェッカーズのメンバーが続々と戦争に向かうようになってくると、ひとつの署名活動が起こった。

 チェカーズの、いや野球ファンによる、タイラーの兵役免除の懇願こんがん活動である。


 タイラーは最初、この特権の受け取りを拒否しようかと思った。

 だが、チェッカーズのフロントは

「タイラー。お前がいなくなってしまえば野球界は一気に冷え込む。どうか、残ってくれ」

と言って譲らなかった。


 タイラーにとって、聞き捨てならないものだった。

「ほかのメンバーは行っても良いって言うんですか! 死んでも良いって言うんですか!」

 そう激怒して、会議場の机を投げ飛ばしたりもした。


 しかし、それでも

──タイラーを絶対に戦争に行かせるな!

という民衆の声は大きく、最後には政府の人間まで来て

「タイラーさん、民衆の心を癒してあげてください。あなたの役目です」

と、たしなめられるような格好で、チェッカーズのロッカールームに残った。


 戦時中のタイラーはさいなまれた。

 次々とチームメイトが戦争に行き、その後の安否もわからないまま野球をし続ける。

 腕を振るのにも、走るのにも、気力が削がれた。

──それでも

 と、タイラーは思っていた。

 いつかメンバーが返ってくるかもしれない。その時のために、自分はチェッカーズという名前とブランドを、残し続けなくてはならない。

 今のチェッカーズに知っている顔は少なくなったが、それでも自分がいるだけで、彼らが帰って来れる。

 帰ってくる場所があれば、いつか、また共に野球ができる。タイラーだけが諦める理由は無かった。


 最初にチームメイトが兵役に出てから、実に8年間。タイラーは必死に動き続けた。

 還ってきたチームメイトもいた。還ってこなかったチームメイトもいた。もとのチームメイトが還ってきたと知ると、タイラーは帰還を大いに喜んだ。

 それでも、数年の内に辞めるチームメイトが多かった。

 そして大抵のチームメイトが、そのあと野球界に戻ってくることは無かった。


 タイラー自身、その連続に「空虚だ」とは感じない。

──自分がいることで、少しでも心が救われてくれれば良い

 そう思っていた。

 そして、その信念を持ち続けたままタイラーは1943年に、選手としては引退した。

──選手としては、やり切った

 と思ったからである。

 成績も下降線の一途で、もう自分の居場所は無いと感じていたせいでもあった。


 しかしタイラーは満足していなかった。

 まだ、チームメイトが全員、還ってきたとは言えない。タイラーはチームメイトが全員「還ってくる」まで、野球人生を終えるわけにはいかなかった。

 野球人としての、チェッカーズの一員としての大きな役割は、タイラー自身が道標になることだった。

 自分の名前を追えば、チェッカーズの名前のもとに集まれるようにしたかった。


 そんなタイラーにとって

「タイラー。チェッカーズのコーチになってくれないか」

と言われたことは、神からのたすけに思えた。

 タイラーは、ふたつ返事で要請を承諾した。


──・──・──・──


 それから、何年の月日が経ったか。

 ジェイコブ・フューリーが監督として、チェッカーズに帰ってきた。

 野手の中でも、リーダーシップを執っていた選手だ。


 はじめジェイコブが監督になろうというとき、1本の電話がタイラーのもとに掛かってきた。

「ジェイコブか。久しぶりだな」

 しばらくぶりに掛けた言葉は、そんな当たり障りのない言葉だった。

 タイラーは仲間たちとの思い出に浸るばかりで、会ったら何を話そうか考えていなかった。


「ずいぶん、声が老けたな」

 ジェイコブの声も、相応に年老いて聞こえた。

「どうだ。良い若手はいるか?」

 ジェイコブの問いかけに、タイラーは電話なのに首を横に振った。

「いいや。どうにも、あの頃のチェッカーズと比べてしまうんだ」

 タイラーは、自分のあまりにくもった眼をあざけった。

 あの頃のチェッカーズには、良い選手ばかりがいたのは確かである。だが指導者となった今、そんな風に今のチェッカーズを見てしまうのは、いけないことだと解っている。

「解っているが、どうにもな……」

 声を聞いたジェイコブはかばうことなく、タイラーをとがめた。

「今を頑張っている選手たちに申し訳が立たないだろう! お前がそんなだと、チームは弱くなる」

「そうだ、その通りだ」

 タイラーは肩を落とした。ジェイコブの言葉は厳しい言葉ではない。

──怒って当然じゃないか。女々めめしい

 タイラーは目蓋まぶたを閉じた。


「だが──」

 ジェイコブは言葉を詰まらせた。タイラーは息の詰まりを聞き逃さなかった。

「どうした。俺への説教はまだ終わってない」

 この言葉は間違いなく、タイラーの自虐じぎゃくだった。だが、もうひとつ意味を付け加えるとするのならば

──帰ってきてくれて、ありがとう

という言葉を覆い隠すための言葉である。

「チェッカーズを守ってくれたんだろう」

 ジェイコブがそう言ったとき、タイラーは大きく笑った。

「俺はそんなに待ってない。よく帰ってきてくれたな。待ってたぞ」

 向こうのジェイコブが、大きく頷いたのが分かった。


「それなら良かった。それと……」

「それと、なんだ?」

「今回戻ってこれたのは、実はカーターのお陰でもあるんだ。シーズンが終わったら、アイツに会わせてやるよ」

「そうか……アイツの悪癖あくへきは治ったか?」

「いや、どうだろうな。だが前よりも、だいぶ良くなってるよ」

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