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セプテンバー・コール・アップ  作者: ヒポポクロス


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65 ジム・マクニール

 懐かしむ、という行為をうとむ人がいる。その人が言うには

──懐古という行為は発展性がない。古びた人間の妄想

らしい。


 ジム・マクニールは、その言葉に従ってきた。

 昔を懐かしんでいては、前に進めなくなる。前に進めなくなった人間は、時代の流れに取り残される。

 正しい言葉である。

 自分勝手をいましめることもできる、優れた批判である。


 ただ、ジムは最近になって、その「懐古」という行為が本当に疎むべき行為なのか、自分に問いかけるようになった。

 自分にとって、益のない行為なのだろうか。

 人にとって、害のある行為なのだろうか。

 ある時、そのことを思い知らされた。


 「懐古」という行為を恐れなくなったのは、仲間と、記憶が、ジムを導いてくれたからである。


──・──・──・──


 ジムは幼少期から、とにかく肩肘が強かった。

 川原で仲間と石を投げて遊ぶ時には、友人の誰よりも遠くに投げることができた。

 しかし、その投げ方には友人が

「おまえ、ちょっと変だな」

という言葉を投げかけるほどの特徴があった。


 友人たちが腕を斜めに振って投げていたのに対して、ジムは真横から手を出す投げ方をしていたのである。

 こんな投げ方をし続けていると、いつか脱臼だっきゅうでもしそうなものだったが、ジムは不思議と怪我をしなかった。

 関節がよく動き、筋肉がしなやかだったからこそ、できたのだろう。


 自分の得意なことには身が入る。

 ジムは投げるという行為が得意になってくると、手に握るものは川原の石から野球ボールへと変わっていった。

 そうするとジムの少年時代が、次第に色彩豊かとなっていく。


 ジムは特徴的な投げ方と肩の強さで、投手に指名された。マウンド上から傾斜を使って投げ込むと、威力は格段に増した。

 球速だけの話ではない。石は重すぎて曲がらなかったが、ボールは面白いくらいに曲がった。

 ただ普通に投げるだけで、利き手の方向に鋭く変化する。そのおかげで何本のバットを折っただろうか。

 ジムにとって、その光景が普通だったから数えたことはない。


 特殊なボールを投げるせいで死球も多かったし、そのぶん争いも起こった。だが彼を育てたコーチは

「お前の持ち味なんだ。変える必要はない」

と言って、ジムが矢面に立つのを防いでくれたりもした。

 この特徴はプロに入ってからも変わらなかった。

 ともすれば、ジムがたどってきた歴史とは、守られてきた歴史でもある。


 周りの人間と、才能に恵まれてきたジムは、順調に野球選手になるよう誘導された。

 彼のような才能を野球界から去らせてしまうのは損失ではないかと、たずさわる人間は皆が思ったのだ。

 ジムも、自分が得意としていることを辞めようとは思わない。

 よっぽどの事が無い限りは続けようと思っていたのは、彼も同じだった。


 ジムの快進撃は、年齢を重ねていっても変わることはなかった。むしろ経験と技能が加わっていくにつれて、加速度的に良くなった。

 心の中では

──自分の球は、速いぞ

と、自慢げに思っていたが、マウンド上では表すことはなく、何度でもチームを救った。


 ジムは当然、プロになった。

 「クロークハッチ・チェッカーズ」というチームにスカウトされて、入団早々から優秀な投手として頼りにされた。

 投手としての手駒が足りなかったのではない。独特の投げ方と球の威力に、信頼を置かれたのである。


 ジムもその気になって、やってやろうという気持ちになったが、はじめの内は打ち込まれることも多かった。

──なんでだよ

 苛立いらだつことも多かったが、これがアマチュアとプロの違いなんだと思い知った。


 球が速いだけの奴は、実はごまんといる。

 それを配球し、コントロールし、味方がカバーすることで、初めてアウトがひとつ完成する。

 今までは勢いだけで抑えきっていた彼も

──野球っていうのは、あやういスポーツなんだな

と考え直して、それから頭も使うようにした。


 結実したのは案外、早かった。1922年のシーズンである。

 シーズンの防御率を0点台に抑えて、そのまま完走したことがある。

 このころ、同じようにシーズン0点台で投げ切ったザック・ドイルと並んで称賛された。


 ジムからすると、ザックは偉大な存在である。

 年齢の違いは4歳ばかりだったが、差はあまりに大きいと感じていた。

 4年では絶対に埋まらないほどの圧倒的なポテンシャルと、技量と、頭脳がある。

──そういう人間には、悩みも多そうだ

 そうも思ったが、それが逆に羨ましい。

 ジムも1年目から活躍した、類稀な選手であることには変わらなかったが、プロに入ってから鼻っ柱をまず折られたのは、ザックの存在を認知した時だった。


 ジムはザックと、よく会話をした。

 仲良くなりたいとか、その人に食って掛かりたいとか思う気持ちもあった。

 だが一番は、ザックから学びたいという気持ちだった。

 自分は明らかにザックよりも劣っている。そんな人間が謙虚に学ぼうとしなかったら、それはあまりに傲慢ごうまんだ。ジムはそう思った。

 だからザックと毎日のように言葉を交わし、それを自分に生かすことに努めた。

 もちろん、投げ方も生い立ちも違う2人には共通しないことも多い。それでも取捨選択をしっかりとして、自身に落とし込んだ。

 そういうことを繰り返したからこそ、防御率0点台という数字を残せたのである。


 シーズンが終わったあと、ジムはまずザックに感謝を述べに行った。

「ザックさんのアドバイスのおかげで、これだけの成績を残せたんです。ありがとうございます」

 喜色を隠さずにザックに告げた時、困惑したような顔をされた。

 ジムは不思議に思って

「どうか、一緒に喜んでください」

と言ったら、ザックは笑いながら

「俺の言葉のおかげじゃなくて、お前の努力のおかげだろ?」

と、ジムの肩を叩いた。


 ザックは人を()()()()()ような性格じゃない。

 この言葉は純粋に、ジム・マクニールという人間の頑張りを認める言葉なんだと感じた時

──やっぱり、この人にはかなわないなぁ

と、ジムは自分の頭をくことしかできなかった。


 ジムの能力が傑出していたことは間違いない。

 しかしながらジムと同等か、あるいはひとつの分野で見たときにサイモンより優れた人間は、チェッカーズに沢山いた。


 アイク・ウィリアムスには人格で勝てない。

 ジェフ・オーガスタにはスピードで勝てない。

 カール・フォスターには慎重さで勝てない。

 エルヴィス・ホールトンには頭脳で勝てない。

 ロールス・エイブラムスには気迫で勝てない。

 ジャスティン・ラッセルには器用さで勝てない。

 マイケル・ケイジにはコマンド能力で勝てない。

 ザック・ドイルには投手としての総合力で勝てない。

 タイラー・オーニールにはスター性で勝てない。


 ジムは常に、チェッカーズの投手たちにどこかで負けていた。

 もしも、自分が一番に優れているんだという感覚があったら、ここまで成長はできなかったかもしれない。もしかしたら人間として、堕落だらくすらしていたかもしれない。

 それを引き留めているのは、沢山の優秀な人間が集っている場所に身を置けている、という事実だった。


 しかし、ザック・ドイルと話していると、こんなことを言われもした。

「本当に、ジムの真摯しんしさには負けるよ」

 ジムにとって、これほど嬉しかった言葉も無かった。


──・──・──・──


 ジムはとにかく頑丈だったといって良い。

 よく出てくるし、出てくれば抑える。疲労によって球威が落ちることもない。

 しかし先発として投げているわけでもないし、ザックのように印象的な場面で登板をしていた訳でもない。

 新聞に活躍が記されることも少なく、チェッカーズを追いかけているファンからは人気があったが、他球団のファンからは認知度がいまいちだった。

「ジム・マクニールって誰だっけ」

 という声も聞こえてくるが、声に悪意は無いとも知っている。

 ただ単純に、知名度が低い。


 目立ちたがりな訳でもないが、ふと

──自分って本当に役に立てているのか?

と思うこともあった。

 ジムの果たしたはずの役割が数字や文面として表れていないと、わりあい不安になるものである。


 あるとき、ゲイリー・マクドナルド監督にいてみた。

「自分は時折不安になるんです。このポジションが、本当に向いているのか……」

 この言葉は「印象を残せないポジションは、本当は必要の無いポジションなんじゃないか」という不満を含んでいる。

 数字を残したことのない選手が言えば、ただの不安である。

 しかし、ジムのような傑出した選手が言うと、意味合いがそう変わる。


 マクドナルド監督も

──なるほどなあ

と思ったようだ。腕組みをして、ジムの目をじっと見つめた。

「なあ、ジム」

 マクドナルド監督が身を乗り出し、柔らかい表情で話し始めた。

「防御率も登板数も、素晴らしい数字じゃないか。でも、おまえの中には不満があるんだな?」

 ジムの立場からすると、肯定のしづらい問いかけだった。心のままに「そうだ」と言ってしまえば、チームへの不満になる。

 ジムが口籠っていると、マクドナルド監督は

「誰も聞いてない。1対1で話してるんじゃないか」

と、ジムの発言を促した。

「ええ、まあ……」

 心情を吐露するように、ジムは言った。

「そうだな……今の野球界にはリリーバーを評価する数字がない。その分、そう感じやすいのも当たり前だろうな」

 定まった指標が無い分、功績が目に見えることは少ない。

 そうなるとモチベーションが維持しづらいことを、マクドナルド監督もわかっているらしかった。


 こと、マクドナルド監督の野球は特徴的だった。

 先発投手が最後まで投げ切るのが当たり前だというのに、試合の途中から別の投手にスイッチすることが多々あった。

 そういう戦術を編み出したからこそ生まれた不具合を、より感じ取っているのか。

「そこでだ、ジム」

 マクドナルド監督は悪戯いたずらっぽい笑みをたたえると、棚の中から紙の束を取り出した。

「これが何か、わかるか?」

 ジムには見当がつかない。何やら紙の表面には、びっしりと書き込まれた跡がある。

「これはな、私が個人的につけている評価指数だよ」

──評価指数?

 ジムには、とんと見当がつかない。投手は防御率と登板数だけで測られるものだった。

「点差を維持したまま登板を終えれば1ポイント。一打同点の可能性がある場面で同点にされなかったら1ポイント。勝ち負け関わらず2点差以内の場面で失点しなかったら1ポイント。どうだ? 案外単純だろう?」

 ジムは、マクドナルド監督の言ったことを頭の中で反復させた。


 確かに、革命的な評価の仕方に思える。防御率だけではわからないことが見えて来そうでもある。

 そして、その存在をジムに教えたということは、何を意味するのか。

「ジム。おまえはだな──」

 マクドナルド監督が紙をパラパラとめくって、ジムの成績が書かれている箇所を見つけた。

「ここまで62ポイントだ。これは相当すごいと思うぞ」

 集計の仕方がいまいちわかっていないせいか、本当にすごいのかは判断できない。それでも62という数字が誇らしい物のように思えた。


「言い忘れていたが、1試合で1ポイントとは限らない。0の時もあるし、3の時もある。チームはここまで100試合。このシステムはまだまだ練り上げなきゃならないだろうが……」

 マクドナルド監督はジムの方へと顔を向かせると

「どうだ。こうやって見てみると、自分の存在は案外捨てたものじゃないだろう?」

と、優しく言った。


 ジムにとって、監督のはげましは嬉しかった。独自の指標を作ってまで、選手のことを正しく評価しようとしてくれている。

 そこまでしてくれたのにも関わらず、疑いを抱いていたことが恥ずかしくなった。

「ありがとうございます。今後も、頑張ります」

 晴れた顔で言ったジムの肩を、マクドナルド監督はポンと叩いて

「お前はチームの一員なんだ。困ったら、ちゃんと周りに声をかけるんだぞ」

と、真正面からねぎらった。


──・──・──・──


 ジムは戦場にいた。兵士にならざるを得なかった。

 戦争が始まってから、国中の男が兵士になれるように訓練することになった。

 今まで使ったことのないライフルと、着たことのない軍服とで身を固めて、船に乗って西に向かった。


 ジムの投擲力はすぐに知れ渡った。

 ボールを投げる時と同様に、サイドから訓練用の手榴弾を投げてみると、130フィート(約40m)は飛んだ。野球のボールと比べると重量のある物体だったが、周りの兵士よりもずっと達者に投げた。

 戦場に出れば、手榴弾を目一杯に持たされて

「どんどん投げ込め」

とだけ言われた。


 銃声が鳴り止むのを待って身を乗り出し、投げなれたフォームで手榴弾を投げ込む。

 投げたらすぐに身を隠して、爆風と銃弾に当たらないようにケアをする。

 他の兵士と比べるとジムの動きは単純だったが、自身の能力で他の兵士の助けになったのは間違い無かった。


 何個投げて、何個が敵に届いたのかはわからない。

 だが、戦闘が終わるころには腕が()()()()として、その感触で大量に手榴弾を投げ込んでいたと知った。

 ジムは、帰ったらまた野球をしようと思っていた。

 チームメイトの皆に会いたかった。野球というものを通じて、また繋がれると信じていた。


 が、ある日、ジムの腕が悲鳴を上げた。

 いつもと同じように、手榴弾を投げた時だった。

 肘が痛み、上がらなくなった。


 そのあとは手榴弾を投げることなく、ライフルで応戦しつつ、ジムは故郷に帰還するまで戦い抜いた。

 だが、肘の状態が良くなることはなかった。

 帰省後、医者に肘の状態を見てもらうと、極めて冷静に

ひじけんが切れていますね」

と言われた。

──肘が……

 ボールは投げられますか、と訊いたが、無理だと言われた。

 野球はできますか、と聞いたが、バッターならできるかもしれないと言われた。


 片翼ががれるというのは、こういうことを言うのだろうか。

 ジムは絶望感に覆われた。少年期からの思い出が、過去になったのである。


──・──・──・──


 それから懐古をすることなく生きてきたが、ある日、昔の仲間から連絡が入った。

 サイモン・ポーリーの葬儀以来だろうか。

 ジムも、60歳に近くなっている。


 受話器越しの会話。

 その中で、思わず声を上げた。

「野球をしたい? なんで今更……」


──・──・──・──


 そして、20年は立っただろうか。

 妻も子供もいないジムは、独りで生活していた。

 体も動く。意識もはっきりしている。近くの公園を散歩するのが、今の楽しみだった。


 日差しはいつに増して明るい。

──今日も、歩こうか

 そう思って玄関から出ると、とたんに胸が痛くなった。


 締め付けられるような激痛に、体をうずくまらせた。

 そして悟った。


──自分は、死ぬんだ

 そう思った時、ジムはまず思った。


──良い過去があって、本当に良かった

 と。

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