背負う気持ち
それから一時間ほど、たまにある小話を除いて黙々と片付け作業に着手する書店部とコンサルタント一名。もはや暖房もぶん回しているのでちょっとした夏の室内状態である。真冬に汗かくのって損した気分にならないか。
「よし、ちょうどいい時間だから一回休憩しようぜ」
「ちょうどいい?」
「終電が出発しました」
「なるほど、区切りだね」
腕をまくったりタンクトップになったりと各々が動きやすい格好で作業していたが、無事に退路を断たれたタイミングで差し入れを頂くことにした。ちなみに誰がどんな着こなしなのかは一切言及しないので自由に合理的に想像してほしい。
店の備品を汚すわけにはいかないので、返品用のコンテナをひっくり返し、その上に廃棄予定の装飾に使った布をかぶせて小さなテーブルを設えた。至流たちの差し入れはペットボトル数本と手ごろなお菓子……とパーティーサイズのピザと八個入りのアイスクリーム。
「……休憩するにしてはコストオーバー過ぎる」
「く、クリスマスだったからつい」
俺は単に売り上げの高い日程度の認識だったのだが、普通に大学生している三人はステータス異常:パリピになっていたようだ。こういう日はテレビやスマホからの情報を一切遮断して心を無に保つのが書店員の基本的な心構えだというのにまったく。
「とかいって一番最初にピザたいらげる店長」
「すみません。飲み会参加してなかったので……」
「仕方ないなぁ。一本だけお酒買ってきてあるから飲んでいいよ、悠里」
そう言って自分のバックから頭悪そうなアルコール度数の缶酎ハイを取り出す奈留。いや、二人もドン引きしてるじゃん。お前にストロング系の酒は一番合わない組み合わせなんですけど。
「なるっちお酒飲めなくない?」
「そうだよ。だからこれは主に悠里の緊急脱出用」
もう意味が分からない。友人の精神衛生のために度数強い酒を常備する女子なんて逆に異世界探してもいないと思うよ。だってポーションとかよりどぎついもの。
「もー分からないかなー和佐くんと店長には。これは乙女心案件だよ」
「ハァ?」
「弱らせてからモンスターボールを投げるんだよ」
乙女心がターン制バトルとか意味が分からん。
もうめんどくさいので九州男児的なノリで流すことにした。
……。
「それで、三人の目論見は成功ってことでいいの?」
ピザの最後の一切れを体のデカい至流がたいらげたのは宴が始まって一時間ほどした頃。これで小休憩とか笑っちゃうよね。
「まあ売り上げは予想値を超えたし、過激な反対派も全くいなかったし計画通りではある」
「あとはしかる場所に成果を報告して有用性を勝ち取れば、書面上残るのは良い事柄だけさ」
最悪の場合は児童書および文庫・文芸館の各主要部員が乗り込んできて商品を奪い取っていくことも想定していたけど、そういった激しい抵抗は皆無だった。前情報では自分たちの売り上げに影響があると知ってかなり反発を表明していたグループがいたはずなのだが。
「案外、児童書売り場っていう環境に助けられたのかもね」
と、奈留の推測。確かに、クリスマスの家族の買い物のひと時に学生運動よろしく暴動じみたパフォーマンスは人道に反するかもね。
「年が明けたら文庫館の配属に戻ってまた雑用と面倒ごとの始末係だ」
「僕はどうしようかな」
再び上着を羽織った円城が天井を眺めつぶやく。
奈留は少し眠たそうに目をこすっていた。
「お前は本部に戻れよ。今回の成果持って帰れば昇給確実だろ」
あまり俺とつるんで円城のコミュニティに支障を来すのも良くない。今回の件のお礼はちょっと怖いけど後日清算するとして、お互い元の位置に戻るのが最善だろう。
「うーん……」
それでも円城は迷っているようだった。世話になったので何か手助けしたいところだ。落ち着いたらまたこの話題を振るとしよう。
そこでふと時計に目をやる。時刻は既に、当にクリスマスの日付を跨いで何でもない日に変っていた。
……三人がやってきてから、三時間くらいか。
…………。
「悪い。ちょっと外出てくるわ」
「コンビニ?」
そんなとこ、と言いつつ立ち上がり、買ってきて欲しいものがあったらLINEしてと言い残して俺は児童館の外に出た。
途端に容赦ない冬の冷たさが去来して、その寒暖差に頭痛まで来るかのような錯覚を覚える。
クリスマスの魔法が解けた外の世界を表現したかったが、そもそもその魔法に長いことかかっていないのでいつもの無機質な深夜としか言い表しようがなかった。
…………。
そんな何もない、あるいは何も残っていない夜の帳の中で、
亜理亜は一人、校門に寄り掛かって空を見上げていた。
「なんで入ってこないかな」
口では茶化しながら、俺は不覚にも胸を掴まれたような気分だった。
亜理亜がこちらを振り返る。マフラーの直上にのぞく端正な鼻先は真っ赤だった。
「遅いわ……」
バツの悪そうな顔をして目を伏せる二乃舞亜理亜。
円城が本部勤務の内側のエリートなら、こいつはそれも含めての同年代の頂点にいる女だ。誰からも愛され、時に恐れられながらも尊敬され、規範となる。たまに雲の上の存在にすら思えるほど人としてのステージの違いを感じさせる完全性。
そんな彼女がどうしてこんなところで(恐らく)一時間以上立っていたのか。
俺はゆっくりと亜理亜の手を引き、自身の腕の中へと抱き寄せた。
そして彼女の体から冷たさが消えるまで、お互いに言葉を交わさなかった。
…………。
……これは、誰にも知られていない秘密。
書店部の一等星と星屑という最高落差の内部事情。
アイツ(...)と世界が分断された三年前の冬。ベッドから抜け出せなかった俺の元に最初に訪れたのは、実は奈留ではなく亜理亜だった。奈留では引いて躊躇してしまった俺との距離感を、こいつは最初に踏み縮めてきたのだ。
『ごめんなさい……』
締め切った部屋をこじ開け、開口一番に彼女はそう言って泣き崩れた。
高校二年のあの秋に、自分が附属高校にやってきて俺とアイツの関係を掘り返したりしなければ……と、彼女は言葉に詰まりながらも、そんなことを早口で泣きじゃくりながら告白した。
……それで、当時の俺というのが恐らく人として最も心に余裕の無い時期だったので、少しでも昔のことを聞くと動悸が激しくなる有様で。
気づけば再び部屋には暗黒と空しい静寂が戻っている。そして間もなくして、家の門が寂しくキィと閉じられる音が微かに聞こえてくるのだった。
そんなやりとりは一年後のクリスマスの日まで続いた。
きっかけは覚えていない。有夢が激怒していた気もするし、至流が笑っていた気もするし、奈留がすごく冷たい目をしていた気もする。そして亜理亜はやっぱり泣いていた。
唐突に元の生活に戻った俺を、亜理亜は当初贖罪の意味を込めて補助してくれていたという。どうあっても大学受験には間に合わず、卒業はかろうじて出来るものの内部進学は不可となった俺に日々勉強を教えてくれた。
そこに奈留や至流も加わって勉強どころじゃなくなる日も数知れず。予備校にも通わず俺は割と気楽に浪人生活を過ごしていた。
そんなある日、翌日は休みだからと一人で部活終わりに俺の部屋にやってきた亜理亜に、俺は英語長文読解を教わっていた。確か夏真っ盛りの八月のことだったと思う。
その日は家族は母方の実家に帰省しており、割と気を張ることなく深夜に英語の長文を目で追っていた。なので必然的に眠くなってうとうととしてしまっていた。俺は英語があまり得意ではなかった。
気がつけば俺はテーブルにうつぶせて眠ってしまっていた。そして気がつけば部屋の明かりが落とされていた。
正面に座っていた亜理亜の姿がなく、暗闇なので探すこともままならない。
――そう思っていた。
でも実際に探せなかったのは、首から下を動かせなかったのは、別の原因によるものだった。
……。
……昔、まだ有夢との身長差で俺の方が優勢だった頃。俺はよく妹を背負って家の中で遊んでいた。
大人しい妹はそうするだけで気づけば背中ですやすやと静かな寝息を立てていた。
だから、背負うという行為は安らかさを与えるのだと理解していた。
――でも、背中の亜理亜はそうではない。
静かな部屋の中に、彼女の控えめながら緊張した息遣いはとてもよく響いた。そして何より亜理亜の胸を通して聞こえる鼓動が、この静寂の中で一際異様で、頭の中をぐちゃぐちゃにさせた。
部活上がりだから、と距離を置いていたあいつが何故、こんなに傍にいるのか。
頭の中に浮かんだ様々な疑問符は、やがて一瞬で氷解する。それは俺の首元に回された亜理亜の腕を意識して気づいた。
――そうか、これは、背負っているんじゃない。
その未知の行為の意味を、抱きしめるという彼女の行動の意味を理解したとき、
俺と亜理亜はこそばゆい優しさに包まれたのだった。




