彼女は仕切りなおす
昔、ある人に言われた。
『君の悲劇性は誘蛾灯の灯』
当時はその言葉の真意も、先生がそんなことを言い出した理由についても考察の余地などなかった。幼馴染は変わってしまったし、俺は俺で、爛れて、不安定で、世界なんか滅んでしまえばいいと思っていたから。
高校生になり、とある縁で絡んでくるようになった文芸部の部長から逃げるようにして書店部に入り、そこで誘蛾灯が蛾などの虫を火の明かりでおびき寄せて焼き殺す照明器具だと学んだ。つまるところ俺は情けをかけて寄ってきてくれた人に不幸を伝播させる上級疫病神だと、先生はあの時言いたかったのだろうか。
……このような結論に至ったのは、当然そのようなかたちで一つの物語が幕を下ろしたからである。モノローグの中であっても語ること能わずなヘヴィー過ぎる黒歴史。
とにかく、俺に関わった人は俺の背後に得体の知れないモノを幻視し、やがて身を滅ぼす。そんな非現実じみた例えを信じたつもりはなかったが、結局高校三年間において様々な関係を築きながらもついぞ恋愛なんてものに明るくは無かった。
だから、大学に入って最初の冬、しかもクリスマスの夜に、あの亜理亜を抱きしめているという状況は今でも信じがたい心境である。
先ほども述べたが、彼女が俺に関わる動機は罪悪感によるものだ。これは亜理亜が酔い始めると導入みたいなノリで毎回語り始めるので間違いないと思う。
そして俺の籠城を漢鳴の大号令で一気に突破して何とか高校を卒業させ、あまつさえその後の受験勉強まで見てくれていたわけだが、どうやらお嬢はそういう感じで特定の異性と二年近く長きを共に過ごしたことが無かったようで、次第に同情から愛情に変っていったとのことだった。これは亜理亜が酔いが回ってきた場合に決まって話してくるので、これも間違いないと思う。
とはいえ、最初にこの告白をされた時は驚く半面、例の誘蛾灯のくだりが思い出されて複雑な気持ちになった。元々高校時代に他人との関わりを断絶させた一因だったわけで、今の俺は別にふっきれたわけでも克服したわけでもなく、元の場所に戻ってきただけなので相変わらず言葉の呪いには耐性なんてないのだ。
だから俺は一歩後ろに下がったのだ。
だけど亜理亜は二歩詰め寄ってきた。
『付き合ってよ』
その亜理亜らしくない言い回しが、かえって彼女の心の奥から滲み出てきたのだと感じた。
正直なところ、附属高校に乗り込んできたあの時からこの瞬間まで、亜理亜とのこういう結末……終わりだと告白された直後は認識していた……は想像だにしていなかったのである。
でも、不思議なもので、そういう雰囲気がこちらの顔に出てしまったのか、亜理亜の瞳にどんどん滴が溜まっていって決壊寸前の様子を見たら、一気に彼女に惹かれていってしまったのだ。女の涙に弱いというのは俺みたいな屑にも通じる説だったようだ。
それから交際が始まったことになるのだが、その実内容は空虚に等しい。書店部の中心的存在の亜理亜と何でも屋の俺には単純に日中の時間的余裕がなく、かといって夜は大抵至流や奈留とつるんでいるので二人だけになるのはこの両者がアルコール合戦に勝ち残った場合のみなのである。
……ここから分かるように、交際は周囲にも秘密にしている。俺はともかく亜理亜は普通に公言しそうなものだが、その真意はいまだくみ取れていない。
ついでに亜理亜の家は大学生ながら門限に厳しいので至流のアパートの前まで車で親御さんが迎えにくることもしばしばなのだ。だから正直に話すとキスもしていない。なんてこった。
……それでも、部活の合間にしてくる目くばせとか、四人でこたつを囲んだ時に敷物の下で握ってくる手とかは何かこそばゆいものがあって悪くない。
最後にのろけてしまって何とも締まりが悪いが、回想を終わる。
「いった、痛い」
「少しは、反省しなさい」
数分間真冬の路上で抱き合ってドラマチックな感じだったのに、気づけば亜理亜は俺の腹を右手でどついてきていた。インパクトの後に鼻から息が抜けていくのがなんかエロい。
「私が待っていた時間は、悠里が私のことを考えていなかった時間ですわ」
「ああ、悪い。片付けに夢中になっていたよ」
要は奈留たちが児童館にたどり着いた少し後には亜理亜もここに到着していたけど、こんな辺りも暗くなって寝静まるような時間になるまで自分のことを心配してくれなかった俺の非情さを糾弾しているのだ。確かにそれは他人ならともかく彼氏ならあってはならないことだ。
俺の仕事に夢中発言がより亜理亜の心を逆なでしたらしく、もはや両手を駆使してのポカポカパンチ状態である。
「いてて……。けどさ、普通外で待ってるかもなんて想像できないぞ?」
罪だらけの俺の、唯一の正論であってほしい発言である。
「はあはあ……。だって、今日はクリスマスでしょう?」
息も絶え絶えにとんでもないことを言われた。およそ書店部員として大いに尊敬していた二乃舞亜理亜から発せられた発言とは思えない。
「な、お前、12月25日は一年でも売り上げの高い日で、かつ部員のシフト作るのにも苦労する日以上、だろ」
「ふっ!」
とどめといわんばかりの牙突ゼロスタイルからの渾身の右拳は、流石に差し入れのピザの居場所が心配になるぐらいに体内をかき乱した。ああ、そういえば亜理亜はそれすらあやかれていないのか……。
「……私は、いつだって入り口に立ってあなたを待ってきたのよ」
「……そう、だったな」
そしてようやく真意に気づく。10か月近く俺の家を訪ねてきては門前払いを受けていた亜理亜は、いつも家の門の前から俺の部屋を見つめていた。付き合い初めてもお互いに口に出したことはなかったが、聖なる今日この日にその共通認識をかたちにして大切なものへと昇華したかった、ということか。
「今日は特別な日、なの」
「ああ、分かったよ」
再び亜理亜を抱き寄せた。恋愛事に不慣れだけど芯が強くて愛情も深い彼女だからこんな場所で一時間以上立ち続けていられてしまったのだろう。その強さは弱さだと思った。
風も出てきて、これ以上亜理亜を寒い場所にいさせたくないので、俺は間もなくしたら彼女を友人たちの元へ案内するつもりだ。その際にはまたお互い同級生としての外面を装うことになる。それはちょっと寂しい気持ちがするな。
心の弱い俺はそんなことを思うばかりで、この後に見せる亜理亜の真の強さなぞ推し量る由もなかった。




