或る夢の話
有夢の独白多めです
児童館の後も、兄様と華宮先輩、そして兄様の元同級生の円城先輩に連れられ、文庫・実用・雑誌と様々な売り場を見せて頂きました。特に目当てでもあった受験勉強用の参考書選びの際は、現役の書店員三人に囲まれているということもあって物凄い数の本が飛び交いました。結局兄様が薦めてくれた英文法の本を買うことにしたのですが、購入の際には華宮先輩が会計をして下さり、代金は兄様に払って頂いてしまいました。
帰宅したら値段分をお渡しするつもりですが、兄様は恐らく受け取ってくれないことでしょう。それを踏まえて後日お三方にはお礼をしたいと思います。
そのような有難い気持ちに満たされながら、今は最後に文芸館を案内して頂いているところです。
「本屋といえば文芸書……要は四六判サイズくらいの正に本って大きさの読み物のことだな」
「大抵は千円以上するし大きくてかさばるから昔ほどのシェアは無いけれど、未だに毎年多くの話題書を輩出しているよね」
他の館と同様に、入り口で兄様と円城先輩によるアウトラインの説明が入ります。お二人の会話はとても自然で、たまにボケとツッコミ役が入れ替わったりして面白いです。
恐らくは附属高校の頃から兄様と円城先輩はこのようにして助け合ってきたのだな、と感じさせられました。
――そこに玲菜お姉ちゃんもいたであろうことを考えると、少しだけ胸がきゅうっとなります。
「ここはまだ健全な領域だから自由に見て回るといいよ」
ある程度の説明して頂いた後、残された10分あまりは自由時間となりました。最早兄様と円城先輩が案内する場所を吟味している理由(不健全?)も気にならなくなり、私はさっそくどのような本が並んでいるのだろうとわくわくしながら店内を歩き回り始めました。
「センパイ」
とある棚の前で華宮先輩が棚から本を取っていました。声をかけた途端に感電したかのように背筋を伸ばしていましたが、驚かしてしまったのでしょうか。
「あ、有夢」
「すみません、びっくりさせてしまいましたね」
華宮先輩は兄様以上に表情豊かな方なので、驚いたこともそれを取り繕うと平静を装っていることも分かってしまいます。その裏表の無さが先輩の良いところで尊敬すべき点です。
「何を読まれていたのですか?」
「え……いや」
そんな先輩には、私も自然と厚かましくなってしまいます。先輩が赤面するような本というのがどういう物なのか気になります。
「『大人の……』」
「こ、こら、駄目です」
とっさに後輩の私にも敬語が出てしまうほど先輩は焦っているようなのですぐに止めました。
「円城先輩たちには内緒よ?」
「はい。すみません」
本を後ろ手に隠して華宮先輩が口元に指を当てます。先輩には失礼ですがとても可愛らしい所作です。
そこでのやりとりは話には出さず、その後は先輩と二人でお店の中を回りました。こうして並んで歩いていると、去年までの高校でのことが思い出されます。
池袋にある私の通う新星大学付属エリシアは附属で唯一の女子高で、兄様の附属高と同様に書店部がありましたが部員はあまり多くはありませんでした。附属随一のお嬢様学校と良くも悪くも揶揄されるだけあり、生徒の多くは高校生のうちから働くことに抵抗を感じていました。
私も書店部には籍を置いていませんでしたが、生徒会に在籍していた関係で各種販促イベントや備品購入の手続きなどで書店部の方と話をする機会は何度かありました。
附属より応援でこちらに来ていた華宮先輩と縁ができたのはその関係によるものです。
初めて生徒会室に先輩が現れたとき、全員が息を呑んだことを覚えています。糸を引く飴細工の連なりのような鈍色に輝く銀髪は元より、大きく切り開かれた瞳は今まで見たあらゆる人の目つきよりも強い印象を放っていました。
どうやら先輩も大いに驚いていた(私に?)ようですが、話をしているうちに兄様のお知り合いということも分かって次第に打ち解けていきました。
とはいえ、初めはなかなか上手く話ができませんでした。
当時の兄様は方々に多大な迷惑をかけた挙句に書店部を辞め、部屋に閉じこもっていましたので、私は附属の書店部の方に会うたびに深々とお詫びをしてきました。
大抵の方は笑いながら許して頂けましたが、先輩だけは私が瀬名悠里の妹であることを知り、そして兄様が附属高書店部の皆様に迷惑をかけたことを謝罪しても、何も答えては頂けませんでした。私は直感的に先輩が兄様と仲が良かったのだと感じ、その後も何とか(贖罪の意味も込めて)華宮先輩にお近づきになろうとしました。
結局、私が無理をしてでも踏み込もうとして危険な目に合いそうになったことで優しい先輩は根負けし、今の関係に至りました。
その過程で、先輩が兄様を私と同様に心から慕っていたこと、そしてその兄様が先輩を突き放すようにして部活を辞め、一度も口をきいてもらえていないことを教えて頂きました。
……理由は、何となく察しています。
兄様と玲菜お姉ちゃん……深千代玲菜先輩との間に、また何かあったのだと思います。
私を入れて三人は幼い頃からよく一緒に遊ぶ仲でしたが、中学の頃に二人の間に何かがあったようで、その時にも兄様は母様と二人で学校に呼び出されるほどの問題を起こしていました。
高校においてもお二人に、かつてと同様の何かが起きたのだと思っています。兄様と玲菜先輩は私の前ではある種の仮面をかぶっておられるので、私も遠慮してしまってその真相には至ることができません。
母様は『多感な時期によくあること』としか教えてくれませんでしたが、私は二人の関係に悲劇の舞台の登場人物のような『呪い』に似た何かを幻視していました。
ある日、私は華宮先輩と生徒会室でチラシのコピーを取っているときに、兄様との関係を回復してもらえないか尋ねたことがありました。その頃には私は先輩とかなり親しい存在になったと感じており、兄様と先輩のためにも何とかお二人の関係が好転して欲しいと強く思っていたのです。
――しかし先輩は、
『私は、大人にならないといけないから』
とだけ言って、以降この話に関しては何も言ってくれなくなりました。
私はその瞬間の先輩の表情が忘れられません。夕暮れに照らされた部屋の中、幼い印象が強かった先輩が見せた胸が詰まるようなあの表情を……。
その後間もなくして秋に先輩が部活を引退し、瀬名家には奈留先輩と和佐先輩がやってきて兄様に荒療治したり(私が激怒して止めたり)して、今に至ります。
兄様は何とか復調しましたが、附属の頃の不義理を知る大学書店部員の方は多く、今日の様子を拝見していると、どうやら肩身の狭い思いをされているようです。
母様も過去の二つの件を鑑みて、玲菜お姉ちゃんが大学本部に在籍する大学二年生(円城先輩と同じ役職のようです)であることを兄様には隠しています。
――そんな折、期せずして今日は兄様と華宮先輩をかつてないほどに接近させることができました。
会話こそほとんどありませんでしたが、もうひと押しあれば仲直りできるような気がしたのは、私が舞い上がってしまっていたからでしょうか。
「これは、何でしょう?」
先輩の後ろについて文芸の棚を眺めていると、奥の方に少し毛色の違う書籍が陳列されているのが目に入りました。
「……ああ、ここは。円城先輩たち、あえて説明しなかったのかな」
私は首を傾げます。
そこに並んでいたのはアニメ調の絵柄が表紙の本。開いてみると多分に挿絵がある小説のようで、後ろにバーコードがついていませんでした。
「この大学には同人館っていう、日本でもここにしかない売り場があるのだけど、これはそこで売っている自主製作本の一部よ」




