愛情の半分は優しさじゃない
「お待たせしました」
二乃舞の気配を感じて文芸館の外で待機していた俺と円城は、周囲を注意深く確認したうえで、買い物を済ませた有夢とアオイと合流した。見つかると強制的に戦闘開始だから何としてもスルーしたいのだ。
「何買ったんだ?」
「えっと、秘密です」
有夢は参考書に続いて文芸書も買ったらしい。胸元で紙袋を大事そうに抱えている。
結構駆け足で各館を回ってきたが、それでも主要分野を紹介するだけで一時間を要してしまった。陽もかなり傾いてきており、明日も早起きして登校する有夢はそろそろ先に帰さなければならない。一方の書店部三名はこれからが本番である。
「どうだった、大学の本屋さんは?」
最後は雑誌館に併設されたカフェで座りながらだべりたいところだったが、各々予定があるので立ち話のまま締めくくることに。
「得られたことがたくさんありました。馴染みの薄い分野でも面白そうな本を見つけられたりして見識が広がった気がします」
またしても模範解答を披露する妹。本屋や図書館の良さはそういう発見ができることに尽きるよね。
「……部活としてはやっぱり大変さが目立ちました。どの建物もあれだけ本を置いているのに、各館毎日数百冊近い本が入荷してくるなんて……」
「まああの山積みの段ボールはビジュアル的にきついものがあるよね。でもみんなで分担できるし、正直言うと結構そのまま返すことも多いよ(笑)」
いわゆる品出しという作業、入荷した本を店頭に出す、は慣れれば誰にでもできる作業である。そこから魅力ある売り場を作ったりとか、売れる本を返品せず残したりといったプラスアルファの取り組みには経験やセンスが必要というだけで。
「とにかく、これだけ大きな職場だからな。百人の遅れは百人でカバーできるよ」
……俺が言うとすごく滑稽だけどね。
「有夢が来てくれたら、二年くらいは私や先輩たちと一緒に部活できるよ」
アオイの幼い言い回しに、俺以外の二人の顔にも笑みがこぼれる。結局高校ではアオイが先輩として働く姿を見ることがなかったから、今日はつくづく目頭が熱くなる日だ。
「今日の経験も踏まえて進路を考えてみたいと思います。本当にありがとうございました」
その後、間もなくして有夢と別れ、書店員三人が残ることとなった。
二人と比べてスーツもセーターも着ていない俺は少し肌寒く感じる。
「いいね、妹さん。是非うちに来て欲しい逸材だよ」
「ただ店を見学させただけでそこまで褒めるか」
新入生のスカウトに来たスポーツ強豪校の副部長のような物言いである。
「目立つからね、有夢ちゃんは。終星同人会で進めている女子大生ファッション誌の創刊号の表紙に推薦したい」
「そんな本も出す予定なんですか」
ああ、そういう役割も想定しているのか。身内が本の表紙とか恥ずかしいからこっそり返すぞ。
「それじゃあ僕たちも持ち場に戻ろうか」
「そうだな」
気が付けば出勤時間ギリギリだった。アオイに関しては、確か40分くらいしか時間を取れなかったはずなのに大きく超過させてしまった。
……さすがにしっかりお礼を言わないと。
「アオイ、今日はありが……」
「失礼します」
言葉が最後まで出ないうちに、アオイはペコリと頭を下げて元々いた雑誌館へと踵を返してしまった。俺は思わず立ち尽くしてしまう。
……これが今の普通なのだと、この40分を越えた時間の内に、俺は忘れてしまっていた。
「ありゃりゃ、良い感じだと思ったのに」
……。
円城の軽いノリのおかげで少し姿勢を崩すことができた。
たまに、どうして俺は平然とこの世界に戻ってくることができたのだろうと、漆黒の砂漠をさ迷っているような途方もない気持ちになることがある。具体的には夜中だったり、部活で今みたいな状況に遭遇したときなどだ。
「……店長?」
別に、夜中だったらいつかはまどろんでうやむやになるし、部活中なら必死に仕事に打ち込めば忘れることはできる。
だけど、やはり痛みや悩みは出口を求めなければ、いつまで経っても心に爪を立てたままなのだろうか。
――それは辛いな、と、何とも悲しい苦笑いが顔に浮かんでしまう。
この痛みから、一体どんな逃げ方ができるのかな。
「……っ!」
小さく叫んだのは、彼女。
頬を鳴らされたのは俺だった。
「やめなよ……」
円城が、少女の顔をしていた。
俺の顔を叩いたその右手を、壊してしまったかのように大切に抱いていた。
「言っておくけど、僕は君に優しくするためにここに戻ってきたわけじゃない」
……そんなこと分かっている。
実習生との姦淫疑惑、不登校、業務妨害、不登校、暴行未遂……。奇跡的に前科も保護処分もつかずに生きてこられただけのこの俺に、一体誰が手を差し伸べてくれるのか。
……いや、それでは奈留たちに不義理が過ぎる。彼女たちは相当なリスクを負って今の俺の傍にいてくれるというのに。
「……悪い。やっぱり」
「さあ、行くよ」
円城、と苦し紛れに名前を呼ぶも、彼女の引く手の強さに負けて、俺は口を噤む。
彼女が大人なのか、俺が幼稚なのか、それとも何か未知の感情なのか。この時の俺には分からなかった。
……しかし。
後になってから、叩かれた後の円城の言葉を思い出すと、何故か胸に温かいものを感じるのであった。




