残念な生き物事典
「そういえばビジネス館にお嬢の姿が無かったね」
「あいつは今の時間は雑誌館だよ。それから文芸→文庫→実用と10分刻みで移動していく」
俺たちはかち合わないように移動している。あんな変態を有夢につき合わせるわけにはいかない。さながらマリオ3のステージ移動である。
「次はどちらへ向かっているのですか?」
「児童館」
「わあ、楽しみですね」
アオイも先ほどの息苦しい空間とのギャップから何やら笑顔である。
……まあ、客として行く分には平和なとこだよな。
全体的に明るい装飾。低い棚。所々から聞こえてくる電子音。そして何より子どもたちの無邪気な声。
新星大学書店部第三販売部。通称児童館。
平和なナリして雑誌館について売り上げの高い、書店部の生命線の一つである。
「店の業績に関わってくる重圧で胃を痛めながらも子どもの要望にニコニコして受けなければならない、ある意味で人の人生の縮図とも言えるな……」
「もう大学生の言うセリフじゃないよ……」
流石に妹ですら『兄様……』と顔を覆う始末である。驚いただろう? でもこんなとこの責任者を今お兄ちゃんは任されてるんだぜ? もう狂うしかないよ。
「などと小粋なジョークで和んだところで」
そこからは極めて真面目に児童書の売り場を有夢に案内する。高校の頃から少しは嗜んできた分野ではあるが、二乃舞に重役を任命されたにあたり一通り勉強し直したので十分な説明が可能なのだ。
ちなみに子どもが多いということでここは部員も多めだ。こちらに奇異の視線を送ってくる人間も多いので手早く済まそう。
「冒頭の話と重複するが、児童書はかなり儲かる分野だ。いくら書籍に電子化の波が迫っているとはいえ幼児にはやはり紙の本が主流だし、親や祖父母からしてもプレゼントするなら絵本や図鑑が安パイだからな」
ついでに言うと徹底して価格破壊が起きていない。40ページにも満たない絵本が1620円とかしたり、ピアノや車のエンジンなどの音の鳴る絵本に関しては2000円台するのが割と普通だ。それでも12月23日前後には飛ぶように売れていく。思いやりって素晴らしいな。
「最近は学習漫画に人気キャラクターを起用して子どもにも馴染みやすくしたシリーズとかが好調だ。昔より学習という概念に親がフランクになってきた印象がある」
「一方で小学校で英語教育が始まったりプログラミングの授業があったりして昔よりも学びの分野が広がったとも言われているね。中高一貫校なども増えて早めの教育という考えは増加の一途さ」
聞けば円城は児童・学参の版元が主催する教育の勉強会などにも出席したことがあるらしく、知れば知るほどこの分野のスペシャリストであった。もはや俺が児童館に配属されて円城が加入するまでが筋道のようにすら思えてきた。
乳幼児から小学校高学年くらいまで、それぞれの年代における人気商品の傾向なども実地で教えることができるのは将来書店部に入る人間だったら最良だろう。まあ有夢に関してはこの大学に入るかどうかすら未定なのだが。
……それと、ここの本(ないし知育玩具)を説明するに際し、約一名が「子どもの頃に遊んでいました」「子どもの頃に」とちょくちょく介入してくるのだが、ここではあえて割愛させて頂く。結局この館で一番テンションが高かったのは華宮パイセンであることを本人に自覚させたくないからである。
一通りの説明を終え、数分の間後輩二人に自由に店内を見て回る時間を与えた。
その間に俺と円城は少しばかり計画の話を進める。
「やっぱりこの区画を潰す感じになるね」
「ああ、矢代さんが頑張って作った看板とかは他で使えるようにしないとな」
「うん。それと、隠し場所だけど」
「布被せて事務所の端に積んでおけばばれないっしょ」
高校時代にそれで大量の不健全図書がほぼ(・・)ばれずにいたからな。今回に関してはそういった類のものではないし、見つかってもどうとでも言える。むしろ変にこだわって隠して見つかった方が不正を歌がれてしまうから。
間もなくして二人を呼び戻し、有夢に児童館の感想を聞いてみる。
「他と違って遊びと発見の場としての側面があると感じました。それは子ども本人のためでもあるし、親御さんにもお子さんのそういう瞬間を見つけることでその商品の必要性を感じることができるのではないでしょうか」
「模範的回答。愛い奴」
「えへへ」
ほんとそれな、と言わんばかりである。後輩の前だろうが丁寧に頭を撫でる俺。
「一方で親の大変さも垣間見える場所だよ。子どもが熱心に本を読んだり読ませたりしているところに無暗に親が行きたい文庫館とかには連れ出せないからね。結局その日は諦めて高い絵本を買い与えて帰るか、大声で泣く子どもを無理やり抱きかかえて帰るかの二択を迫られるお父さんお母さんばかりだから」
この辺りの下りを聞いているアオイは、明らかに内心で『今日はパパとママにケーキを買ってあげよう』と思っている顔をしていた。普段から気を使っている有夢は真剣な表情だったがね。
ということで児童館もつつがなく終了。後輩二人も公私共に学ぶことが多かったようでお兄さんも大満足です。
「なあ、あれ……」
「え、マジ? 関係修復したのか」
――児童館を出る間際、元同級生の男二人が俺たちを見てそんな会話をしていた。
……別に俺とアオイはもう仲直りとかそういう気は持ってはいけないと思っているので、浮ついた心を少し窘めることにした。
…………。彼らの視線が俺とアオイではない人間に向けられていた気がするが、その疑念は瞬間凍結して心の暗黒宇宙へと投げ込んだ。




