青い経験
「いやーホント助かったよアオイ」
電車の中、目の前の座席に座っているアオイに向け、俺は改めて感謝を伝える。
「…複雑です」
「ん? 何が?」
俯いていたアオイは、俺の言葉を聞いてゆっくりと視線をこちらまで上げてきた。しかし、その表情は正に複雑といった感じで、目元には覇気がなく口は尖っている。
「先輩はああいう格好を普段からしているのですか?」
「…しないしない。持ってると便利なスキルの一つさ」
履歴書には書けないけどね。
玲菜の真似事なので胸も張れないし。
アオイの銀髪は電車の中でも際立っているようで、周囲の乗客はチラチラとのぞき見ていた。
おまけにこの顔だもんな。どっかの大正義女とは性格的に似ても似つかないのだが、こいつにも「~の花」という二つ名が贈られるべきだ。
「…はあ。なんか、尊敬していたミュージシャンが薬物で捕まったような寂しい気持ちです」
「おいおい、そこまで一目置いてもらっていたことは嬉しいけど、あの変装はそこまで店長株を落とす行動だっのか?」
「やっぱり、先輩の中で女装することは割と日常的な認識なのですね」
そう言って再びため息を吐くアオイ。
ん? 俺は何かおかしなことを言ったかな?
別に俺も変装することに抵抗が無いわけではない。玲菜じゃあるまいし。ただ、前にそういう経験があったから多少慣れているだけで。
…とは言っても、純真なこの後輩には刺激が強いものだったのかもしれない。かつての玲菜ほどではないが、こいつも相当な箱入り娘のようなので、もしかしたら女装=変態という認識なのかもしれない。
いや、少し自己を正当化し過ぎかな。高校生にもなって女装は変態的かもしれない。その認識の欠落に関してはアオイの指摘の通りかもな。
「…悪かったよアオイ。ただ、俺は決してこの特技をやましいことに使ってきた訳じゃないんだ。昔、ちょっと取っつきにくい幼なじみがいて、そいつの為にやむなく変装していたんだよ」
「……」
アオイは足元を見つめたまま何も答えない。
電車は間もなく、俺が向かっている目的地への乗換駅に到着する。しかしアオイの家はその駅から二つ先にあるので、程なくして彼女と別れなければならない時間である。
「ホントごめんな。やっぱりこんなことは気心知れたお前であっても見せるべきじゃなかったな」
「…別に謝っていただくことはないのですが」
「いや、俺もデリカシーが欠如していたよ。反省してる」
ちょうどその時、電車が乗り換える駅のプラットホームに滑り込んでいくところだった。
…仕方ない。アオイには帰宅してからまた連絡して理解を得よう。
「とにかく今日は悪かった。今度埋め合わせするから。ゴメンな、アオイ。夜にまた連絡するよ」
そう謝って、俺は開いたドアから電車を降りようとする。
「え、先輩?!」
俺が電車を降り、間もなくして発車の音楽が鳴りだしたのと同時に、後を追うようにしてアオイが電車から急いで降りてきた。
「え、どうしたんだアオイ?」
「ど、どうしたじゃありませんよ。何で降りること教えてくれないんですか?」
「それは…って、お前も俺の行先に一緒に来るのか?」
「…だって、先輩に放課後ヒマか? って言われて呼び出されたので…」
胸に手を当てて呼吸を整えているアオイ。
そうだった。俺は合流する口実の為に放課後の誘いの電話をしたのだが、そこら辺もしっかり説明していなかった。自身の自分勝手さに途方に暮れてしまう。
電車はもう出発してしまったし、アオイは俺の変態ぶりを目にしてもこうして付き合ってくれると言っている。
なら、ここはアオイにも楽しんでもらえるように少し予定を偏向しよう。
「悪い悪い、そういえば今日の目的地を言ってなかったな。実は遊びとか買い物とかじゃなくて、書店部の自主トレみたいなものなんだけど、それでもいいかな? 一応飲食ができて落ち着けるところもあるけど」
「あ、はい。私は別に、先輩の行くところについていきますから」
それなら…と、俺はアオイと連れ立って駅の改札を出て、バスに乗り換えた。目的地はこれに乗って25分ほど行ったところだ。
運賃を払い、吉祥寺行きと書かれたバスに乗車する。
アオイを二人用の席に座らせ、俺はその前の手すりに捕まって立っていることに。
「先輩? 座らないのですか?」
「あ、うん。いいよ俺は」
首をかしげる後輩は無邪気そのものである。
…いやまあ、俺が無駄に意識し過ぎなところもあるが、どうも同年代の異性と二人がけの席に座ることは緊張してダメだ。何より相手に悪い気がしてさ。
バスが発車するまでまだ五分ほどあり、その間にも駅からは続々とこちらを目指してくる人々の姿が見える。
こんな時間でもたくさん乗ってくるんだな。さすが東京。
「混んでくるみたいですよ。こちらに座って下さい」
「いや、でも…」
刹那の間迷う俺であったが、アオイの『座って』というまっすぐな視線に根負けし、隣に腰掛けることにした。
アオイは俺が座ると、スカートを少し直して足を窓側へ少しずらした。
……。
そして静寂。
俺はアオイと触れている肩と腕に妙に神経を使ってしまって言語障害が起きているからだが、アオイの方は携帯を眺めるのに夢中になっているからのようだ。
こんなこと悟られたら、それこそ先輩の威厳丸つぶれだ。故に何としても平常心を死守する。
間もなくしてバスは発車した。車内は割と混んでおり、確かに俺が座らなければ迷惑になっていたことだろう。
たかだか30分足らずだ。それくらいの時間理性をコントロールできなければ玲菜打倒なんて無理な話。よし、やってやるぜ!
「そういえば、これから先向かっているところってどこなのですか?」
「ああそれは。……っ!!」
着いてからのお楽しみだ、と言おうとして、俺は言葉を飲み込むハメになる。
ーーアオイ、顔近い!
「?」
ついでに首まで傾げてくる後輩。
なんか星がキラキラしてそうなクリクリした目が、一直線でしかも超至近距離からこちらを見つめている。僅かに揺れる髪からはアオイに合った甘い匂いが漂ってくる。
ぶりっ子がやっても騙されちゃいそうなシチュエーションを、純度100パーの少女がしてくるので大変に魔的である。
「…着いたら教えるよ。せっかくだからそこまでは内緒」
「えー、気になります」
少し唇を尖らせて抗議の目をしてくるアオイ。後輩特有の超絶萌えスキル発動である。
無意識の恐ろしさたるやかくもありなん。これはこいつにファンが増えるのも時間の問題だな。
その後もアオイの問いに何とか平常心を保って答える俺。
そして残り五分ほどのところで、停留所から一組の老夫婦らしき人たちが乗り込んできた。
男性の方は杖をついており、電話より揺れの激しいバスで立っていることはなかなか困難なはずだ。ここは席を譲ろう。
俺が席を立つと、アオイも合わせて立ち上がった。夫婦二人で座らせてあげるつもりらしい。
老夫婦に礼を言われた後、俺たちは出口付近の手すりに捕まって立っていることにした。
…えっと、あちらで聞く事と調べる事を確認しておくか。
老夫婦の後にも何人か乗車客がおり、一方でここまでほとんど降りる人はいなかった為に車内は結構な混み具合となっていた。
俺は周囲に巻き込まれないよう、無意識にアオイを自身の内側に誘導する。何かアオイが言った気がしたが、目的地に近づいてきてより一層考え事に没頭していた俺は、後輩の言葉をスルーしてしまっていた。
えっと、名前しか知らないからどんな奴か確かめないと。あとは雑誌の管理方法とかも聞かなきゃいけないし…。
そうこうしている内に、バスは俺たちの目的地付近へと到着した。
俺はアオイの手をとって人をかき分け降車する。
「いやー混んでたなー。ああいうの見るとバス会社って儲かってるんだろうなって思っちゃうよな」
「……」
…ん? アオイの様子が変だ。熱があるかのように頬が紅潮していて、キラキラしたいつもの目線は少しぼやけている。
「さてはアオイ、混雑したバスは初めてだったのか? 大人になったらあんなの茶飯事になるらしいぜ? それってキツいよな」
「…先輩?」
「ん?」
突然、妙に語尾を上げたいわゆる猫なで声を出すので少しびっくりした。
そして、その微熱で夢うつつのような表情のまま、アオイは俺の腕の制服についたボタンを掴みながらこんな事を言いだした。
「アオイを先輩専用の抱き枕にしませんか?」
…………。
いかん。一人称から何からツッコミ所が多すぎる。
どうやら圧縮されたあの空間は、初体験のアオイには短時間であれ相当刺激が強かったらしい。
俺は、アオイが書店でミスをした時にたまにやる『頭をわしわしする刑』を強めに執行した。
途端に涙目になりつつも正常に戻ったアオイを引っ張り、俺たちはようやくして目的地の「新星大学附属 中央高等学校」に到着した。
……。
過程がすっ飛んでるのは俺自身も多分に動揺していたからなんてことは断じて、ない…。
続




