瀬名子
どうやら、玲菜は高嶺の花という肩書きを返上する気はないようである。
例え全校生徒に自らの恋模様を披露する事態となっても、彼らの前では常に余裕を持って優雅であることを決め込んでいるらしい。
…じゃなきゃあんな、余裕たっぷりにキス(のフリ!)なんかしてくるかよ。
「だ、団長…」
「落ち着け圭太。それはかつての夜の名だ」
一時間目の休み時間。周囲にチラつく視線を感じながらも、俺は気にせず圭太と雑談を始めた。
「やはりお前の求心力は本物だったんだな。正に夜の王!」
ーーザワザワ。
相変わらず声がデカい友人である。おかげでギャラリーは余計に誤解を深めてしまったようだ。
クラスメートは俺と玲菜をガチな恋愛と認定したらしく、最早大半のクラスメートは俺たちに質問してくることはなくなった。一部のお調子者は例外だが。
後は、彼らの身内の中で話題が広まっていくのみである。まあ噂っていうのは往々にしてそういうものだ。
くそ、奈留は再び黙りっぱなしだし、残るは圭太くらいしか事情を知っても気軽に話せる奴いないのに…。
教室で孤立無援の極限状態を実感させられた俺であった。
「…もういい。話しかけて悪かったな圭太」
「謝らずにもっと二人のプライベートを教えてくれよ瀬名」
…ダメだ。やはり朝の一件が刺激的過ぎたらしく、頼みの圭太でさえ頭のネジがイかれてしまったらしい。
孤立無援…極限状態…。
俺は耐えきれず机にうつ伏せてしまう。
「その姿勢! はっ! まさかお前朝の余韻で…!」
ああ、声響く親しき友人は厄介な実況者となってしまった。
俺は、大海に漂う海産物になりたかった…。
そして三時間目の授業中。眠りこけていた俺は、ふいに背中をつつかれ覚醒させられた。
「……?」
振り向くと、斜め後ろの玲菜が無言で何かを渡そうと右手を差し出していた。
予想通り、それは折り畳まれた手紙だった。
……マジかよ。
攻撃の手を緩めない玲菜は、間髪を入れず次の「手紙交換作戦」を実行してきた。
真後ろの奈留が、「貴方達授業中ですよ?」と言わんばかりのインテリヒステリックな目線で俺たちを見ていた。
お前玲菜から事情聞いているくせになんでそんな態度なんだよ?
せめて口ぐらい聞いて欲しいと切望する俺。
「はあ」
ため息をつきながら手紙を開けると、『明日の角山文庫の新刊、各10追加注文』と書いてあった。
…もうこれ手紙で回す意味ねえじゃん。
今日の部活の時に部室の掲示板にでも書いといてくれよ。
周囲の奴らのシャーペン持つ手が止まっちゃってるだろうが。
およそ百害あって一利なしな玲菜の行動に、俺は書店の売上がそこまで大切なのか疑問になってしまった。
手紙は、その後送られてくることはなかった。
そして昼休み。今日は幸か不幸か放送委員の仕事がない。
俺は久しぶりにどこか人気のないところで静かに昼飯を食べたい気分だった。
今度こそ奈留を誘って…!
そう思い振り向くと、後ろの文芸部員は今までの不満顔から一変して、凍りつくような微笑をたたえていた。
お前はそんな顔までできるのかと感心する反面、何故そのような表情になったのかがこれまた恐ろしかった。
「悠里」
…見るまいとしていた斜め後ろから、不意に声をかけられる。
ここ数日で最近数年分の会話を交わしている幼なじみが、何やら手に重量級のある包みを抱えている。
何となく、その包みの中身は二つに別れていて、多分加工食品が入っているんじゃないかな、と思った。
俺は瞬時に脳内CPUの処理速度を限界ギリギリまで上げた。
その結果、普段は導けないはずの未来の光景が脳裏にはっきりと映し出された。
『はい、あーん』
『モグモグ…うわあ、玲菜の料理は最高だよー』
『ふふ、当然でしょ?』
『いやあ、幸せだなあ』
『悠里の好きなピーマン、ナス、しいたけで作ったお弁当ですもの』
『もう何も言えねえ、何も言えねえよ』
『うふふふふ』
……。
「悠里、お昼だけど今日はあなたの…」
「ぴ、ピーマンなんか食ってたまるかぁぁぁぁあ!!」
一瞬見えたイメージを俺は信じ、一目散に教室を飛び出した。
玲菜ならやり兼ねない! どうせ食事中でも俺への精神攻撃を仕掛けてくることは十分あり得る。あいつはそれが生きがいなのだから!
この時の俺は、幸運にも通学カバンまで持ち出していた。危機を察知した俺の本能的な判断だった。
「…もう今日は危険だ。今まで糞真面目に出席してきたんだから、たまにはエスケープしたっていいだろ」
学生としてこなすべき当然の日課を、俺はさも当然の対価であるかのようにサボることへの免罪符として転用した。
「そうと決まれば、早速向かうとするか」
俺はさっさと気持ちを切り替え、学校からの脱出を試みる。
ひとまずは靴を履き替えに下駄箱へ
今の時間はまだ正門から堂々と出ることはできない。下駄箱から直近の南門は今の時間教師が立っているし、そうなると自転車置き場の塀を越えるのが最も手っ取り早い。だが、不幸にもその自転車置き場は各教室の廊下に面している。
玲菜だけじゃなく剣崎先輩たち上級生にすら発見されるリスクを伴う脱出法なのだ。
そこ以外は塀まで鬱蒼とした草木で閉ざされていたり、そもそも物理的に昇りきれない高さであったりする為、実質体を痛めたりせずに安全に出られるのは先ほどの二通りしかない。
「チャリ置き場のリスクは不確定要素。玲菜や生徒会が通りかかる確率は低いはず」
そう思い足を踏みだした瞬間、脳裏に再び悪魔の微笑が投影される。
…いや、それじゃあ甘い。
今の玲菜は、恋人関係を免罪符に堂々と俺をロックオンしている。
恐らくは俺が午後の授業をバックレようとしていることも予測済みのはずだ。何よりカバン持って来ちゃってるし。
「となると、正面か?」
非常に危険極まりない。校門にたどり着くには砂地の校庭を突っ切らなければならず、その近辺には職員室や守衛さんの詰所がある。
感覚的には脱獄するのと何ら変わりない。しかも生徒会長を目指している俺ならば尚更だ。
「もしかして、玲菜はそこまで誘導する事すら計算済みか?」
疑ったらキリがないが、五時間目が始まれば校庭では体育の授業が始まるので逃げられなくなる。その点自転車置き場がチャンスとなるのだが、見つかると全校生徒の注目の的にされる最大のリスクがある。だって授業サボるような奴に生徒会長なんて任せたくないだろ?
「うーん、参ったな」
ここまで来てようやく頭の中に「教室に戻る」という選択肢が現れる。
恐らくは一番無難な選択肢なのだが、それはそれで玲菜の手の内で踊らされている気がして嫌なのだ。
…だから、やはり脱出だ。
「ん? よく見たら一年の下駄箱に靴がほとんど無いぞ」
去年まで使っていた下駄箱には綺麗に白の上履きが並べられていた。一年は午前授業なのか?
かと思えば、一クラスだけまだ誰も帰っていないクラスがある。
ああ、帰国子女が中心のG組か。
G組は例外的にクラス替えがなく、毎年大半の生徒が大学受験で有名大学に合格している実績を持つ。
アオイも確かここなんだよな。生意気にも。
「お、ちょっと待てよ」
何かの理由で一年が午前授業なのは間違い無い。そしてG組だって一クラスだけ居残りなんてスパルタはしないはずだ。
ということは、いずれアオイも下駄箱へやって来る。そしてあいつも今日の部活動はない。
「よし、これなら…」
俺は下駄箱の隅に隠れて後輩を待つことにした。
『もしもし、アオイ? 俺俺、瀬名ね。突然だけど今日ってこれから空いてる?』
『瀬名先輩? えっと、空いてますけど』
それだけ聞いて俺は終話ボタンを押す。そして下駄箱から出ようとしているアオイに後ろから声をかける。
「じゃあちょっと付き合ってくれよ。それと、バッチ貸してくれ」
「わ、瀬名先輩!?」
「し、ちょっとこっち来てくれ」
そう言って俺はアオイの手を取り、校舎裏まで彼女を連れ出す。
「え、あの、なんですか?」
「訳あってここから脱出したいんだ。お前の力を貸してくれスコフィールド」
「いや、そういう冗談は抜きで」
冷静なツッコミだが、顔はかなり赤い。というかこいつは元々が白いので余計に際立っているのか。
これはこれで後輩の男共が見たらブチ切れなシチュエーションなのかもしれない。
「抜け出したいのはホントだ。しかし俺は生徒会長を目指す身の上。できれば誰にもバレずにエスケープしたい」
「だったらしなければいいのに…」
アオイは壁に寄りかかってこちらを上目遣いで見つめてくる。
「今日はもう耐えられないんだ。アオイも知っているだろう? 俺と玲菜にかけられたあらぬ疑いと好奇の目線を。大人の関係に疲れ果てたんだ俺は」
「…はあ。でも、私が知ってしまっていますがそれは良いのですか?」
「ああ、お前だけは特別だ。俺とアオイで秘密を共有するってわけさ」
「秘密を…共有…」
申し訳ないが、玲菜に倣ってアオイの気を引きそうなワードを無理やり使わせてもらった。
案の定、後輩の瞳に星が煌めく。
「…仕方ありません。協力します。貸すのはバッチだけでいいのですか?」
「助かる! そうだな、あとアレ持ってない?」
「アレ?」
「えっとほら、ヘアピン!」
「え?! 先輩女装する気ですか!?」
こうして、校舎裏で俺たちは、少しの間ゴソゴソと怪しい企てを続けた。
ーーそしてその後、特に怪しまれることもなく、俺とアオイは無事に校門を通過した。
ツンデレ妹は伊達ではない。
大丈夫、こういうのは遠い昔に克服した。
…泣くのは全てが終わってからでいい。
続




