ノースレッド
「もう会うこともないんだ。ほっとけば、自然と落ち着いてくる」
俺は壁にもたれ、浮かびっぱなしの配信ウィンドウをぼんやり眺めながら言った。空間に浮かぶ映像は、すでに別の話題に流れ始めている。炎のように燃え上がったものほど、冷めるのも早い。
いつもそうだった。
「そうかな〜」
うさぎは腕を組み、納得していない顔で首を傾ける。
「それに配信とか、市民権も持ってない俺たち奴隷には関係ねぇよ」
投げやりに言うと、うさぎの眉がぴくりと動いた。
「またそんなこと言って。私たちは奴隷に落ちたわけじゃないんだよ。市民権を持ってないだけ!」
「そう。俺たちは空気『最底辺』」
自嘲気味に笑う。
「配信もできない。ギルド登録もできない。パーティーも組めない。市民や貴族に殺されようと反撃もしてはいけない。……俺たちは人じゃないんだ」
諦めた言葉が続いた。暮らしにくい。この部屋の石壁の冷たさが、やけに現実味を帯びてくる。
うさぎはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「そうだよ。でも、もう少しで一億貯まるよ」
顔を上げる。
「ソルにぃにが市民になれば、すぐに大金持ちになれる。そうしたら、私たちが憧れてた普通の生活が待ってるよ。頑張ろ」
その言葉は、部屋の空気を少しだけ軽くした。俺は苦笑する。
「うさぎが妹でよかったよ。ありがとう」
「どういたしまして、めんどくさいソルにぃに」
うさぎは肩をすくめたあと、少し真面目な顔になる。
「でもダンジョンの中の人、今三百万人くらいいる。だからダンジョンの全員に見られたと思って生活してた方がいいよ」
「まぁ、そうだな」
「私、今日は十階層で出店開いてくる。あっ! しばらくは目立つ行動しちゃダメだからね。貴族に目をつけられたらどうなるかわかってる?」
「はいはい、早く行ってこいよ」
「ん〜、行ってくる」
うさぎは何か言い足りない顔をしていたが、結局そのまま部屋を出ていった。扉が閉まると、展開していたウィンドウも閉じ、静寂が戻る。
「やっと出て行った……」
小さく息を吐く。
「しばらくは、って……昨日結構潜ったからな。今週は休みにするか」
そう呟いた瞬間、奥歯を強く噛み締めていたことに気づく。
「市民なら、こんなことで時間を無駄にしなくてもいいのに……。なんでこの世界は、こんなにも生きづらい」
拳もいつの間にか握られていた。
コンコン、と扉を叩く音がする。
「うさぎ? 俺、鍵は閉めてないぞ」
そう言った直後、取っ手が回ると、
ガチャリ。
扉が開いた瞬間、清らかな風が舞い込んだ。
閉ざされていた部屋の空気が揺れる。石壁にこもっていた湿気が押し流され、冷たい空気の中に、かすかな花のような香りが混ざった。
開け放たれた入口に、一人の少女が立っていた。
肩口で揺れる銀髪が、室内の光を受けて淡く輝いている。整えすぎない自然な流れの髪は、風に触れるたび柔らかく揺れ、頬に触れてはスルリと滑り落ちる。薄暗い部屋の中でも、その銀色はほのかに青みを帯び、清楚な存在感を放っていた。
瞳は透き通る青。
深い湖の底を思わせる色だった。視線がこちらに向いた瞬間、驚いたようにわずかに見開かれ、すぐに控えめに伏せられる。
白い肌は外の光をまだ残しているように柔らかく、頬にはほんのりとした赤みが差していた。小さな顔に整った鼻筋、結ばれた唇。強い主張はないのに、目を引く控えめな美しさがある。
華奢な肩にかかるローブは少し大きく、布の中に身体が隠れているように見えた。袖口から覗く指先は細く、扉のドアノブをそっと掴んでいる。
銀髪がふわりと揺れ、少女はためらうように一歩踏み出した。
小さな靴音が鳴る。
「あの……」
消え入りそうな声だった。
青い瞳がこちらを見上げる。
不安と緊張が混じった視線。
「……失礼します」
「え……!?」
拒む言葉が頭に浮かんでこなかった。
楽しかった! 続きが気になる! という方は☆☆☆☆☆やブクマをしていただけると嬉しいです!
作者のモチベーションの一つになりますのでよろしくお願いします!




