神狼
遠く、青白く光るキノコがぽつりぽつりと生えているだけの、広大な暗い洞窟だった。
天井は高く、光はほとんど届かない。湿った空気が重く沈み、足音ひとつが遠くまで反響する。地面には古い爪痕が幾重にも刻まれ、石床の一部は抉れ、砕けた破片が散らばっていた。ここが、生き物の巣であることは、説明されずとも分かる。
配信画面には沢山のコメントが流れる。
:無理無理無理
:逃げて!!
:回復職一人じゃ無理だって
:誰かいないの!?
:終わった……
フェンリルが一歩踏み出す。
巨体が沈み、床が軋む。石が砕け、乾いた音が洞窟に響いた。
空気が凍る。
唸り声ひとつで、ルナの呼吸が乱れる。胸が浅く上下し、杖を握る手が震えていた。逃げようとしても、足が動かない。獣の殺気が空間を満たし、視界が狭まる。体が重い。まるで空気そのものが絡みついて、自由を奪ってくるようだった。
フェンリルの後ろ足が沈む。
次の瞬間、跳んだ。
空気が爆ぜる。画面がぶれる。
「きゃぁぁッ!!!」
ルナの悲鳴が配信に乗る。
その瞬間。
画面の端を、何かが横切った。
黒い影。
空気を裂く鋭い音が洞窟内で反響し、フェンリルの巨体が横へ弾き飛ばされた。岩壁に激突して、石床が砕け、粉塵が舞い上がる。
ルナの視界が揺れる。
粉塵の向こうに、誰かが立っていた。
細身の男。擦り切れた黒いマントが揺れている。装備は最低限。片手には短い抜き身の刃だけが握られていた。光を吸い込むような鈍い短剣。
配信コメントが一瞬止まる。
:
:
:
:
数秒後にはコメントが加速する。
:誰
:は?
:今の何
:こんなところに人いるの!?
:まさか、ソロ?
男は振り返らない。
ただ、フェンリルを見据えていた。
「……危ねぇぞ」
興味の薄い声。そして、地面を蹴ったと思えば、影が消える。
次に現れたときには、フェンリルの目と鼻の先だった。
振り払われた前足を、男は跳び越える。回避というより、ただ通り過ぎたような動き。そのついでのように、短剣が振るわれる。
右の大きな瞳に、短剣が深く突き刺さった。
「グァァァアアア!!!」
絶叫が洞窟を震わせる。
男はフェンリルが顔を振ったと同時に後方へ飛び退いた。無駄のない距離。ちょうど届かない位置で止まる。
フェンリルが口を開く。
喉奥に青白い光が集まる。空気が渦を巻き、魔力が圧縮されていく。
重い。
空気が張り詰めて、肺が凍りそうな程に冷たくなった。
フロア全体が殺気に満たされる。
その殺気は人の感覚まで干渉する。まるで見えない重力が落ちてきたように、ルナの体が地面に押し付けられた。
「ぐ、へ!」
可愛くない声が漏れる。呼吸が潰れる。肺が押し潰され、息ができない。
だが、男は何事もないように立っていた。
短剣を指先で放り上げる。くるりと回る刃。空中で遊ばせるように、何度も投げては受ける。
その光景に、フェンリルの怒りがさらに増す。
歯が鳴ると、青白い光に黒色が混ざる。喉奥で圧縮された魔力が唸る。息を大きく吸い込む。
ブレスが放たれる、その直前。
男が動いた。
空中にあった短剣を、軽く投げる。
短剣が一直線に飛ぶ。
放たれた短剣は、フェンリルが反応するより早い。
口内に突き刺さり、喉を貫通する。後頭部の首筋から短剣が飛び出した。
血が霧のように吹き散る。
同時に。
男の姿が消える。
次の瞬間には、男は空中に飛び出した短剣を掴む。そのままフェンリルの首を踏み台にして、クルッと前宙しながら眉間へと短剣を突き立てる。
鈍い音。
巨体がぐらりと揺れて、フェンリルの瞳から光が消えた。
フェンリルの体が地面に倒れると、洞窟が揺れる。
再度コメントが止まった。
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:
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コメントが、遅れて流れ出す。
:今の……
:人間業じゃねぇ
:速度強化のスキルを使ったんじゃないか?
:何も見えなかった
:動作のタイミングは華麗と言えばいいのか
:洗練されてたのよ
男は死んだフェンリルの頭に乗りながら短剣の血を軽く振り払った。
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