第21話 愛の味
力なく、ディエーゴは倒れた。
腹部には小さな刺し傷があり、そこからダラダラと血が流れている。
鉄のにおいが、鼻をゆがませた。
口は死ぬ間際の魚のように、パクパクと口を動かしている。
そんな彼の前にいたのは、ゼーラだった。
カラン。
血濡れたナイフを、地面に投げる。
「ごめんね、ディエーゴ」
びちゃり。
血の池を突き進み、ダリアの前に立つ。
息は荒く、頬も赤かった。
「ダリア...これで二人っきりだね」
安堵の表情を浮かべ、ダリアを覆うように抱きしめる。
ふわりとした甘い香りと鉄のにおいに、吐き気を催した。
彼女の手には血。
ヌルリとした感触が、頬を支配した。
「もう妨げるものも...邪魔するものもないね」
マリアのように、優しく呟く。
ダリアはただ、目の前のソレを凝視していた。
あまりの衝撃に、声すら出ない。
「昔から、私は壊れてた」
光のない、濁った目で見つめる。
「だけどダリアのおかげで、私は冷静でいれた。優しい少女でいれた」
だけど。
目を細める。
憎しみと苛立ちがこもった、そんな視線だった。
「だけど、ベリルが私を遠くに追いやった。そのせいで、私の殻は壊れ始めちゃった」
締め付けるように、抱きしめる。
もう逃がさない。もう手放さない。
執念に近い愛情が、ダリアを囲んでいた。
「だけどおかげで、こんなに強くなったんだぁ。ベリルには感謝しないと」
「......」
そこで、ようやく正気を取り戻す。
目の前にある、うつろな目をしたソレ。
不快感に、思わず嘔吐した。
「大丈夫、落ち着いて。私がいるよ」
背中をさすり、ダリアをなだめる。
次第に強くなっていく不快感。
ダリアは胃液が空になるほど、嘔吐した。
「落ち着いた...?」
息を荒くしながら、ゼーラは尋ねる。
ダリアは、間の前に広がる吐しゃ物を見つめ続けた。
どうして?なんで?
疑問が消えて、また湧く。
「さあ、後は邪魔する人たちを倒して終わりだね」
ダリアの頭を、優しく――。
ガラスを振れるように、すっと撫でた。
その感触が、やけに心地いい。
「行こっか」
ズサリ。
向こうから、一つの足音。
ディエールだ。
はぁはぁ。と息遣いを荒くし、目の前に広がる光景をまじまじと見つめる。
「だ...ダリア?」
「...!」
はっとする。
目の前に広がるソレら。
怒りと憎しみ。ありとあらゆる感情が、遅れて飛び出した。
「う...うわぁぁぁぁっ!」
ドガッ!
ダリアは、ゼーラに手をかざして吹き飛ばした。
壁にめり込むゼーラ。
彼女の背からは、水のように血が流れていた。
「あ...」
鼻につく、鉄のにおい。
ゆっくりと、彼女の元へ歩く。
薄ら笑いを浮かべる彼女。
その瞳には、純粋な愛だけが映っていた。
「ふふ...ようやく、ようやく私を受け入れてくれた」
「...え......?」
震える腕で、ダリアの頬に手を伸ばす。
温かく、そして愛おしい。
熱い何かが、彼女の中からこみあげてきた。
「ダリア...大好き」
カクンッ。
糸が切れた人形のように、ゼーラは目をつぶった。
最期に、笑みを添えて。
しばらくの静寂が、あたりを包む。
肌が、やけに冷たいようか気がした。
コンッ。
背後から、靴音が響く。
「ダリア...」
口を動かして、すぐ止めた。
血に濡れた、ダリアの姿。
無力感にかられた、少年のそれだった。
――過去の自分。
弱いところを突かれた気分だった。
「...ねえ、これってどういう状況?」
後ろから、ぞろぞろと仲間が集まってくる。
目の前に広がっていた、地獄。
肉塊と、ゼーラの前に立つダリア。
そして吐しゃ物と鉄のにおいが、鼻を曲げた。
「お前らか...これはな」
言葉を上ずらせながら、ディエールは説明をする。
ダリアの弁明だ。
しかし...。
「ダリアが、この二人を殺したのね?」
冷たく、オリベルが言い放った。
死体の横に置かれたナイフ。
ダリアの戦闘スタイル。
ゼーラの前に立つダリア。
それらが、言葉よりも雄弁に語ってしまっていた。
全員が、口をつぐむ。
否定しようにも、できなかった。
「とりあえず、ダリアはこのまま学園に連れ帰るわ。そのあとに、私自らの手で拷問する」
背中を向けるダリアに、光の輪が腹を占める。
ぎゅう。
それでも声一つ上げず、ただ下を向いていた。
「...色々話してやりたいところだが、後にしようか」
ダリアをゆっくりと浮かせ、オリベルたちはダンジョンから去って行く。
1人を除いて。
ディエールは、ただ立ち尽くしていた。
その背中は、妙に小さいように見える。
「行かないの?」
オリベルが尋ねる。
穏やかに息をつき、ディエールは目を伏せた。
「なに、現場検証さ...お前たちは先に行っててくれ」
「...そう。それじゃあ、あなたたちも行くわよ」
平坦な声で返し、踵を返す。
去っているときでも、ダリアはピクリとも動かなかった。
徐々に小さくなっていく生徒たちの背中。
やがて、その背中姿は消えた。
ドガッ。
壁を、強くたたいた。
拳一つ分の穴が、くっきりと残る。
「くそっ...俺が早く着いていれば」
抑えらなかった後悔。
それが全身を渡って、力が入る。
(...いや、違うな)
知っている。
なぜ、こうもタイミングが悪いのか。
「......ひでぇよな、運命ってのは」
力なく、息を吐く。
重たくて、罪悪感を抱えた...そんな息だった。
コツン。
靴音が響くとともに、大きな気配を感じる。
「やっぱり、お前だったんだな」
フードをかぶる男に背を向けながら、ゆっくりと言う。
男はニタリと笑い、嘲るように言った。
「俺も、お前が教師をやっているとは思っていなかったな」
「...随分と態度がでかくなったな。散々俺に負けたくせに、よくもまあ俺の前に立てるものだ」
息詰まるような緊張感が、あたりを支配する。
静寂を、ディエールが切り裂いた。
「あいにくだが、俺はお前と戦う気はない」
踵を返しながら、鼻で笑う。
「...これは『代理戦争』だ。俺が手を出すわけにはいかないだろ」
背中姿を、男はただ見ていた。
薄れゆく姿。
ぽつりと、言葉をつく。
「...見苦しいな」
と。
!
翌日、学園長室。
ディエールは優雅に紅茶を飲むオリベルを見つめ、ため息をつく。
斜陽が、目にあたった。
「なあ、賭けのことを覚えているか?」
「...ええ」
カコン。
コップを丁寧に置き、腕を組んだ。
「なんでも一つ言うことを聞く...だったわね......まさか」
目を細める。
冗談を受け付けない、鋭い目だった。
「今その賭けを使う気?」
「へへ...」
ディエールは足を組み、にやりと笑った。
「そういうことだ...拷問官は、俺がやる」
「だめよ。あなたは信用できない」
あたりの空気が、冷たくなる。
平然とした顔で、ディエールは続けた。
「少し、確かめたくてな。それには、拷問官という立場が必要なんだ」
いいだろう?
目的不明の教師による、提案。
オリベルはその首を、縦に振った。
「...わかったわ。でも、無茶な真似はしないで頂戴」
紅茶を一口。
穏やかに、そして優雅に飲む。
「教師は、多いほうがいいから」
「はは...」
冗談に見せかけた脅し。
ディエールは乾いた笑いをこぼし、両手を挙げた。




