第108話 やりたいこと
美術の学校の話があってから、私は何となくクラスから浮いていた。今までもそうだったけど、今回の件がより拍車をかけた感じになった。それでもあきちゃんは今までと同じように私に接してくれた。私は休み時間になるとあきちゃんと話をしたり絵を描いたりして過ごした。時々あきちゃんに迷惑をかけていないか不安になったけど、あきちゃんはそのたびに全力で否定してくれた。あきちゃんの優しさと笑顔に私は救われていた。ただ、だからこそ余計に悩んでいた。
あきちゃんがいるから絵が描ける…。でもあきちゃんがいなかったらたぶん無理…。誰も味方がいない…、むしろお互いにライバルだから敵かもしれない人がいる場所で、心のこもった絵なんて描けない…。
私の心は深い霧の中にいた。
「あかり。お願いがあるんだけど。」
土曜日の夜、私の部屋にお母さんが来た。お母さんが私に『お願い』をするのは珍しい。というより私の家族はみんな自分のことは自分でやってしまうから。
「どうしたの?」
私の問いかけた声にお母さんは少し悩むしぐさをした。
「実は明日の老人ホームでのコーラスの発表、あかりにも出てほしいんだけど。」
お母さんは地域のコーラスやママさんバレーなど様々な活動に参加していた。最近では『地域を花で飾る会』という会に入って最寄り駅の花壇に花を植える活動を始めたばかり。私から見ても『スーパーお母さん』だった。
「コーラスって、人が足りないの?」
「そうなの。このあいだまでいた人が引っ越しちゃって代わりの人を探したんだけど見つからなくて。」
お母さんが悩む顔を見せるのは珍しい。断る理由もないし…。
「私はいいけど。歌うパートは?」
「いいの?よかった。じゃあ、これがアルトパートの楽譜、こっちが録音したもの。お願いね。」
お母さんは満面の笑みで部屋を出ていった。私が断らないと思っていたみたいで準備は完璧だった。私は歌う曲を一度聞いて、次に自分の歌うアルトパートの音を聞いた。私はというより私の家族はずっと音楽に接しているせいもあってか曲を一度聞けば大体の流れは頭に入る。だから曲の流れと自分の歌う音の流れを把握できればすぐに歌える。
「コーラス…。歌うのは好きだし…。」
私はそんな独り言を呟きながら一度曲に合わせて歌ってみた。ちゃんと歌えている。きれいに低音を合わせられている。何回か歌ってみて気づいた。
歌なら、コーラスなら才能とか関係なく音楽が楽しめる気がする…。コーラスはみんなの声をひとつにするし…。一人が目立つ必要もないし、むしろ目立ったらいけないはずだし…。コーラスなら…、コーラスなら!
私の中で何かが光った気がした。私は何度も曲に合わせて歌った。きれいなメロディになるように。何度も何度も…。夜遅くまで…。
「あかり~。行くよ~。準備できた~?」
「は~い。」
お母さんの呼ぶ声に返事をしながら私は鏡を見た。服装も髪型もちゃんとしている。失礼のない姿のはず。あとは失礼のない笑顔…。鏡に向かって笑ってみた。そして驚いた!
「私、笑えたんだ。こんなにちゃんと。」
ずっと悩んでた顔しか鏡で見ていなかった。昨日発見した自分の進む道。何も気にせずに楽しめる道。それがわかったから、だから笑えたんだと思う。
「よし。」
私は気持ちを声に出してから鏡を見てもう一度笑ってみた。ちゃんと笑えてる。うれしい。玄関からお母さんの呼ぶ声が聞こえた。私は急いで階段をかけ降りた。
「娘のあかりです。今日一日よろしくお願いします。」
老人ホームでお母さんが私を紹介した。私はコーラスの人たちに深々とおじぎをした。
「あかりちゃん、よろしくね。」
私は笑顔で迎えられた。それが嬉しくて私は笑った。お母さんたちと一緒に準備をしてリハーサルを二回ほどしてから舞台に立った。たくさんのおじいさんとおばあさんの顔が見える。私たちに拍手してくれているのが見える。
失礼のないように…。私、笑えてるかな?ちゃんと笑顔で歌えるかな?
指揮者の手が動きピアノの伴奏が響く。私は息を吸って、声を飛ばした。まわりの音に合わせて、みんなの出す音が手を繋ぎひとつになるようなイメージで。
あっ、きれいな音…。私が好きな音…。
曲はあっという間に終わり次の曲へ。アンコールも含めて5曲だった。私はその全ての曲で気持ちを込めて心から歌った。心から歌えた。
「あかりちゃん。きれいな声だね。一緒に歌ってて楽しかったよ。」
コーラスメンバーの人たちが口々にそう言ってくれた。私はそのたびに「ありがとうございました。」とお礼を言った。
「あかり。楽しそうだったね。」
帰り道、お母さんが私を見て言った。私は大きくうなずいて、大きな声で思いを伝えた。
「お母さん。私、コーラスやりたい。今日みたいなきれいな歌をみんなと一緒に歌いたい。」
「じゃあ、頑張りなさい。やりたいことを見つけたら頑張ってやること。それが私たち家族の決まり。」
お母さんが笑顔で、でも真剣な目で私を見た。私は「はい。」と大きな声で返事をして、そして笑った。
次の日、私はあきちゃんにそのことを報告した。あきちゃんは「よかったね。」と何度も繰り返した。私も何度もうなずいた。
「じゃあ、あの推薦の話は断るの?」
あきちゃんが急に持ち出した私立中学への推薦の話。私は小さくうなずいた。
「まだわからないけど、たぶん。」
「そっか。そうだね。あの中学に入ってまでコーラスをやる必要はないしね。」
私はまた小さくうなずいた。あきちゃんはにっこりと笑って私を見た。
「あかりちゃん。私、応援するよ。あかりちゃんのコーラス。頑張ってね。」
私はうれしくて何度も首を縦に振る。二人で秋の空を見ながら笑った。
私がコーラスをやることが噂で流れた。あきちゃんが流したのではないからたぶん老人ホーム関係の人からだと思う。その噂のおかげなのかはわからないけど、クラスの私の立場が少しずつ変わっていった。少しずつ話せる人も増えたし、美術の中学校の話題も出なくなった。今までどこかギクシャクした雰囲気も少しずつだけど改善した。私はこのまま平穏に過ごせることを願った。たぶんクラスのみんなもそう願っていたはずだった。
しかし、その願いはある出来事がきっかけで簡単に崩れ去った。
私はそれを思い出しては後悔する。後悔し続けている。




