第109話 オーケストラ
「じゃあ、いってきます。また後でな。」
ある日曜日の朝、お父さんはそう言って家を出た。今日はお父さんが所属する地域のオーケストラの演奏会。しかもお父さんたちの方針で地域の小学生は無料。そのため私の学校からもたくさんの人が来る。私も毎年楽しみで家族みんなで聞きにいく。
「あかり~。あきちゃんも来たから行くよ~。」
「はーい。」
今年はあきちゃんを誘って行くことにした。あきちゃんは私の家に何度も遊びに来ているから家族とも仲が良い。
「あかりちゃん、おはよう。」
「あきちゃん、おはよう。」
笑顔で挨拶をしてみんなで出発。私はあきちゃんと話ながら歩いた。最寄りのバス停からバスに乗り、会館で降りるとそこにはすでにたくさんの人が来ていた。クラスメイトも何人か見える。
「すごい人だね。」
「うん。でもこんなにたくさんの人の前で演奏するんだからあかりちゃんのお父さんもすごいよね。」
あきちゃんの言葉にうなずいて笑った。私の自慢の家族だからほめられるとうれしい。
「あかり。あきちゃん。行くよ。」
お母さんに呼ばれ私たちは会館の中に入った。会館のホールは映画館のような作りで私たちはホールの階段を上りながら空いてる席を探した。前過ぎると全体が見えにくいし後ろ過ぎても…。運良く真ん中に家族とあきちゃんが座れるスペースがあり、私たちは席についた。私たちの3つ前くらいにはクラスメイトが7人くらい並んで座っているのが見える。たぶん友達同士で誘いあって来たみたい。その中には私が美術の中学に行かないことに怒っていた人たちもいた。
「みんなが怒ってたのはあかりちゃんがあの中学に行けばライバルが減るって思ったからだったんだね。きっと。」
小声のあきちゃんに私は小さくうなずく。
「うん。たぶん。特に鈴音さんはね…。」
鈴音さんは私と同じ3人兄弟。一番上はお兄ちゃんと同学年で真ん中はお姉ちゃんのひとつ上の学年。だからという訳じゃないけどライバル視がすごい。しかも上のお兄ちゃん同士はまだマシで、真ん中同士は本当にひどいみたい。吹奏楽部に入ったお姉ちゃんが選んだ楽器がたまたま同じ楽器だった上、結果的にお姉ちゃんの方が高く評価されてしまったらしい。お姉ちゃんは何かと嫌がらせのようなことを受けたが、お姉ちゃんは全く気にしなかった。お姉ちゃんは強いなと思う。
「だからだったんだ。やっとわかった。」
あきちゃんはそう呟いてから私を見た。そして小声で、「つらかったね。よく我慢したね。」と言ってくれた。私も「うん。でも大丈夫。これからはコーラスを頑張るから。」と小声で伝えた。あきちゃんはうなずいてからニッコリと笑った。そんなあきちゃんを見て私も笑顔になれた。
「もう時間だよね?」
あきちゃんが私に聞いた。私はステージの横に見える時計を確認してうなずく。開始時間になったのに始まらないのはおかしい。こんなことは今までなかったし、お父さんは『5分前行動』を徹底する人でオーケストラでもそうしていると聞いていたし。すると突然ホールにアナウンスが流れた。
「トラブルのため、開演が遅れます。」
それを聞いてホール内がざわめいた。
「あかり。お母さん、ちょっと聞いてくるから。」
お母さんはそう私たちにつげて席を立ち、ホール出口へ向かった。
「何があったのかな?」
お母さんを見送っているとあきちゃんが私に聞いた。
「なんだろう?渋滞みたいな乗り物のトラブルかな?」
私はそう答えながら他に何か理由があるかを考えていた。しばらくしてお母さんが戻ってきた。
「みんな、お父さんが控え室で呼んでるから。荷物持って。」
お母さんの声がトラブルの大きさを物語っていた。お兄ちゃんもお姉ちゃんも急いで席を立つ。
「お母さん、あきちゃんは…。」
「あかりとあきちゃんに任せるよ。」
私はうなずいてあきちゃんを見た。
「あきちゃん、一緒に来て。」
「うん。私も行きたい。」
私とあきちゃんも荷物を持ってお母さんたちを追った。
「ごめんな。でもこんなことはうちの家族以外には頼めないから。」
お父さんは息を大きく吐いた。お父さんの説明では、オーケストラの一部の人たちが昨日の夜に地方のオーケストラに呼ばれ演奏をしに行った。ところが事故による渋滞に巻き込まれ、まだこっちに戻れない。だから人のいない楽器を私たち家族の誰かで急遽補いたいということだった。
「私たちでどうにかなるの?」
「たぶん大丈夫だ。テルとヒカリは何度か演奏している曲だし。ヒカリは吹奏楽部で使ってる楽器だし。母さんはずっと演奏してきた楽器だから。2人は楽譜を見れば演奏できるだろ。」
「いや、私たちよりもあかりは?」
みんなの不安そうな視線は私に集中した。私の目の前にはトランペット。家で何度か吹いたくらいで特に練習したことはなかった。
「あかり、父さんはお前を信じてる。昨日のリハーサルの父さんと同じ音を出してくれれぱいい。頼むよ。」
私は小さくうなずく。お父さんの頼む姿はもう見れないと思う。それほど珍しいことだから。
「じゃあ、行こう。」
リハーサル時間もなく私たちはステージに上がる。私は大きく深呼吸。ステージのそでにあきちゃんがいて見守ってくれている。さっき「頑張って」と声をかけてくれた。
『大変お待たせしました。今から演奏会を始めます。』
アナウンスが流れ幕が上がった。会場がどよめく。明らかに私服を着た人が混ざっているからだろう。
『本日はメンバーの到着が間に合わないこともあって延期も検討されましたが、星さんのご家族の協力で行えることになりました。』
会場がどよめく中私たち家族は礼、会場からは拍手。指揮者が観客席に礼をしてこちらを向いた。私は息を大きく吸う。
大丈夫。お父さんの昨日の音を出すことを考えて…。曲の流れも他の楽器の音とのバランスも頭に入ってる…。あとは再現するだけ!
指揮棒が動き演奏が始まる。私はお父さんが吹いてくれた音のイメージを頼りにトランペットを響かせる。音のリズムや強弱、すべてをお父さんのイメージに重ねていく。お父さんがやったように…。
最初の曲が終わった。会場が静まり返っていた。
私、失敗した?
次の瞬間、会場を割れんばかりの拍手が響いた。私はほっとして家族の顔を見た。みんな笑顔だった。ステージのそでのあきちゃんも拍手してくれていた。私は次の曲のイメージを思い出して、前を向いた。
大丈夫。次もできる。
私と私の家族は演奏曲を完璧にこなした。拍手に包まれるなか幕が一度降りた。
「あかりちゃん。すごかった。」
あきちゃんが興奮した顔で私の手を握った。
「ありがとう。あきちゃんが見えたからちゃんと吹けたよ。」
私があきちゃんと笑いあっているとお父さんが後ろに来た。
「あかり。アンコール曲だけど最初の曲は予定通りでいく。でも次の曲はあの曲をやろうと思う。あれ、持ってきているだろ?」
私は驚いてから大きくうなずき、あきちゃんが持っててくれたリュックからそれを取り出した。
「それは?笛?」
あきちゃんは不思議そうに見ている。
「昔、おじさんにもらったの。きれいな音が出るよ。」
私はそれを首にかけた。そして幕が上がった。最初の曲は予定通り。次の曲が始まるとき私は首からそれを外して立ち上がりかまえた。指揮棒に合わせてそれを吹く。私が好きな曲、ある映画の主題歌。きれいな音が会場に響いた。私の音に合わせて家族の楽器の音が響く。オーケストラの人たちの音も響く。そして全部の音がひとつに重なるようにして会場を包んだ。私は夢の中にいるかのような感覚だった。こんなにきれいにこの楽器を吹けたことはなかった。
「お疲れさま。すごかったよ。」
すべての演奏が終わりオーケストラの人たちが誉めてくれた。けど私はあきちゃんが誉めてくれたことがうれしかった。
「じゃあ、帰ろうか。」
私たち家族とあきちゃんはオーケストラの人たちに片付けを任せる形で帰ることにした。荷物を持って外に出ると、たくさんの人が私たちに声をかけた。私は笑顔で軽く頭を下げながら家族のあとをついていった。
「星さん。」
バス停で声をかけられ私は振り向いた。
「すごかったよ。同じ学年とは思えなかった。」
そこに立っていたのは鈴音さんだった。ただ顔は笑っていなかった。するどい目で私を見ていた。そして私は気づいた。
そうだった…。お父さんと同じことができる小学生がいちゃいけなかったんだ…。オーケストラと一緒に演奏できる小学生なんていてはいけなかったんだ…。
私はまた…。
才能で人を傷つけてしまった…。




