第9話「夏の日・1」
ターゲットの少年が住むのは、海が目の前にある住宅地だった。
海岸はコンクリートの護岸になっており、その上に座る釣り人の姿が見える。
バネッサたちの宿がある温泉街からは距離があり、道を行き交う人も少ない。
アキラによると、ターゲットの少年は現在、夏休み中とのことだった。
バネッサの地元でも子供たちは夏休みだったので、全国共通なのだろう。
川や海で遊ぶことが好きらしい。
大人の目がない場所で接触する可能性が高くなる夏休みは、調査には好都合だった。
しばらく遠目にターゲットの家を監視したが、午前中は空振りだった。
外出する様子がない。
宿題でもやっているのだろうか。
昼頃、クロエと合流した。
バネッサ向けの魔道具を持ってきたという。
「クロエさん、社長業でお忙しいのに、わざわざ来たのですか」
「バネッサさんの顔が見たくてね」
本気か嘘か分からない声だった。
バネッサは横を向いて、知らん顔をする。
バンの後部座席で、クロエが魔道具の入ったアタッシュケースを開いた。
「この中のどれかが、バネッサさんに『合う』と良いのですが」
魔道具には相性がある。
属性が合わないと、そもそも起動しない。
また、適性が噛み合えば、性能が桁違いに跳ね上がることもある。
センサーなら索敵範囲や精度。
認識阻害なら、潜伏能力そのものが強化される。
アキラは、バネッサが持つ認識阻害装置の性能が低いことを知り、クロエに高性能な装置の手配を依頼していた。
しかし、バネッサには相性の良い属性が一つもない。
当たりはない。
だが、外れもない。
つまり、魔道具の性能を引き上げる力はない。
その代わり、装備できない魔道具もほとんどない。
それは、かなり稀有な性質だった。
色々と面倒事が増えるので、バネッサは基本的に、この属性に関することを秘密にしている。
バネッサがいつも使っている阻害――認識阻害装置は、「金髪で緑の瞳を持つ少女」が横を通っても、あまり気にされない程度のものだ。
注目を浴びにくくする。
ただ、それだけの能力である。
それは、彼女が若いころから抱えていたコンプレックスを、少しだけ和らげるためのものだった。
クロエが持ってきた魔道具は、相当に強力だった。
おそらく作動させれば、目の前で姿が消えたような印象を与えるだろう。
認識阻害。
光学隠蔽。
バネッサは、その二つの強力な魔道具を装備した。
適性は、問題ない。
普通に起動できた。
クロエとアキラは驚いていたが、バネッサは、
「いやあ、運が良かったです」
と誤魔化した。
高性能な隠蔽ほど、使用者の油断を誘う。
バネッサは、それをよく知っていた。
見えないことと、安全であることは違う。
そのことだけは、忘れないようにしようと思った。
◆ ◆ ◆
クロエとアキラ、そしてバネッサは、近くの公園でコンビニ弁当を食べた。
「社長さんでも、コンビニ弁当を食べるんですね」
バネッサはお茶を飲みながら、クロエに言った。
「ええ。普通に食べますよ」
「もっと、すごく豪華なお昼ご飯を食べているのかなと」
「いやいや。普通のお弁当でも、十分ご馳走だと思っていますよ。……私も一時期、採取師見習いで、まずい保存食ばかり食べていましたからね」
「へええ、意外です。最初は採取師を目指していたんですね」
「はい。ただ、ある時、すごい採取師たちに才能がないと思い知らされましてね。しっぽを巻いて、商人に転職しました」
「ひどい人たちもいるもんですねえ」
ひどい人たち、ねえ。
それはギルさんとあなただよ、とはクロエは言えない。
月明かりの中、巨漢の狂戦士たちを殴り倒すギル。
そして、光の槍を抜いたバネッサ。
クロエは、二人には到底届かないと思い知らされた。
だから、採取師を諦めた。
「でもまあ、結果が良かったので、ある意味では恩人ですよ」
クロエさんはそう言って、弁当の蓋を閉じた。
あの日の月明かりは、今でも妙に鮮明だった。




