第7話「温泉の街・2」
数週間前。
アキラは仕事の帰り道、海沿いのレストランで遅い昼食をとっていた。
一組の家族連れが入ってきて、アキラの後ろの席につく。
子供の話し声が聞こえた。
アキラは、思わずびくりとした。
その子供が使う単語の響きが、アキラが転生する前の世界の発音に酷似していたのだ。
◆ ◆ ◆
「それでね。その子供がトイレに行ったの」
「ふんふん」
「あ、私が『一個持ち』っていうのは伝わってるよね。で、その時は阻害――認識阻害装置を付けていたの」
「なんでまた」
「ああ、その前の仕事で使っていて、そのまま持っていただけ」
アキラさんは、お茶を一口すすった。
「それで、転生者なのかなって気になったから、追いかけたのよ」
「変なことでも言っていたのですか?」
「いえ、何というか……単に懐かしさがあってね。発音とかに」
「なるほど」
「なんとなく、怪しまれても嫌だったから、阻害のスイッチを入れて待っていたの。……ああ、これは職業病みたいなものね。深い意味はないわ」
アキラさんは、少しだけ肩をすくめた。
「トイレから出てきた子が、私とすれ違う時、普通に避けて、ごめんなさいって言ったの」
「つまり、その少年が、アキラさんの阻害を見破ったということですか」
「阻害は完全じゃない。勘が良い人間には、見破られることもあるけど」
「確かに、それはそうですね」
「ただ、あの子の反応には、『あれ、何かおかしい』みたいな違和感がなかったのよ」
確かに、認識阻害装置は完璧ではない。
装備者がそこにいる、という知覚を妨害するための装置だ。
装備者があえて対象に話しかければ、認識は少し戻る。表層的な会話なら、簡単に成立することもある。
しかし、今聞いたケースでは違う。
少年は、妨害特有の違和感を見せずに、自然に身を避けて謝ったということだ。
「なんらかの対抗装置を……持っていた、とか?」
「少年は当日、海パン……上半身裸の水着姿だったのよ」
「あらやだ」
「身体のラインから見ても、何か道具を持っていた様子はなかったの」
アキラさんは、ふっと緊張を解いた。
「まあ、少年の言葉も私の気のせい。装置の不調。そのどちらもあり得る話、ね」
「うーん。それはそうかもですけど」
「ただ、お酒の席でこの話をしたら、クロエ社長が気になさってね」
「ふんふん」
「……まあ、きっかけはそんな感じ。ふわっとした話で申し訳ないけど」
バネッサは考える。
仮に、少年に認識阻害を見破る力があるとしよう。
それは、一部の転生者にとっては脅威になり得る。
潜伏活動中の採取師。
アキラさんのような、諜報活動中の転生者。
ただし、その場合、少年が彼らを視認できる場所にいる必要がある。
脅威としては限定的だ。
そもそもバネッサは、認識阻害装置をそこまで当てにしていない。
脅威と言っても、低レベルだと思う。
だが、大げさに考えてみる。
もし、あらゆる魔道具を無効化できるとしたら。
これは、転生者社会にとって脅威になる。
少年がセンサーの魔法波を検知できる。
あるいは、センサーそのものを無効化できる。
そうなると、魔道具を使って生活する転生者たちにとって、少年は無視できない存在になる。
索敵されたことを知覚できる。
もしくは、少年自身を検知できない。
どちらであっても強い。
商人ギルドも互助会も、少年の才能を放置しないだろう。
一つずつ確認して、この少年の能力を検証してあげないといけない。
あればの話だが。
その後も、アキラさんとバネッサは考えを交換し、今後の調査計画を立てた。
期間は一週間。
正直、もう少し時間が欲しい。
ただ、元はアキラさんの「女の勘」が発端だ。
調査に使える時間も予算も限られている。
まあ、出来るところまでやってみよう。
「どうする? 晩御飯の前に温泉入る?」
「いいですね。行きましょう、行きましょう」
大浴場の入り口にある、「女」と大きく書かれた暖簾をくぐる。
いそいそと服を脱ぎ、横のアキラさんを見る。
色々と羨ましい。
頭髪と身体を洗い、大きな浴槽に入る。
アパートの小さなバスタブとは大違いだ。
思わず脚をばたつかせて、アキラさんに怒られた。
お湯の匂い。
ゆで卵を連想する。
温泉卵、売っているかな。
湯上がりのまま、バイキングへ直行した。
海が近い土地だからか、魚介料理がたまらなく美味しい。
お寿司に煮物。
から揚げにフライ。
アジフライが大きくて、ホクホクだった。
いつもより量を取りすぎた。
明日はどこかの時間で走ろう。
食後は部屋で雑談した。
クロエさんの話題が面白い。
いつも通り、早めの時間に寝る。
明日からが本番だ。
◆ ◆ ◆
早朝。
バネッサは朝焼けの中、温泉街を走っていた。
大浴場は二十四時間入れるわけではない。
走った後に汗を流したかったが、部屋風呂のシャワーで我慢するしかない。
海岸へ向かう。
バネッサの住む地域は、海から距離がある。
時間があれば山に行くバネッサにとって、海は縁遠い存在だ。
コンクリート製の護岸に沿って走る。
潮の香り。
魚を連想して、腹の虫が鳴った。
昨晩、あんなに食べたのに。
部屋に戻ると、アキラさんはすでに起きて化粧をしていた。
シャワーを浴びて、着替える。
ミントグリーンのワンピース。
夏の日差しを考え、白い帽子もかぶる。
ビュッフェスタイルの朝食も抜群だった。
食べすぎないように我慢する。
スクランブルエッグが美味しい。
つい、お替りをした。
各装備の最終確認を済ませる。
「では、行きましょうか」
アキラさんが運転する軽自動車で、あの子が住む町へ向かった。




